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3章 再会
18.彼女の場合(1)
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部屋に積まれた段ボール箱を見つめて、田中 海はため息をついた。1年半住んだ、当初は新築物件だった2LDKのマンションを見渡す。
(……順調だったはずなのにな)
TODOリストを埋めるように、人生を積み上げてきたつもりだった。卒業、ずっと働ける転勤のない会社に就職、社会人2年目で付き合った3つ年上の会社の先輩と3年付き合って同棲、これから結婚。――順調、のはずだった。
携帯が鳴った。開くと、母親から連絡が入っていた。運動会だろうか、白いテープを切る男の子の画像がある。
『曇りで良かった! 運動会でした。仕事辞めたなら、戻ってきたら』
「馬鹿じゃないの」
呟いて画面を閉じた。ゴールテープを切っているのは、18歳年の離れた弟だ。
毎回連絡が来ても95%は返信していないのに、定期的に連絡を送りつけてくる母親に、まりんはうんざりしていた。
「ほんと、ウザい」
壁に倒れこむと膝を抱えて頭を乗せた。
自分の母親は馬鹿だと思う。不倫して家を出て、家族を壊して、不倫相手との間に高齢出産で子どもまで産んで。
母親と父親の関係がうまくいっていないことは、小学生の時から気付いていた。まりんが小学校中学年の時から、母の真由美はなぜかまりんの部屋で寝るようになった。トイレに行こうと夜に起きると、床に布団をひいて寝ている母親を踏まないようにするので目が覚めてしまうのが嫌だった。
高学年の時に母親の実家の祖母が倒れたという連絡があった。母は実家に全く帰っていなかったので、祖母の顔は思い浮かばなかった。介護のため、と母親は実家に行ったり来たりを繰り返し、しばらく帰ってこない日が続いた。しばらくして祖母が亡くなったが、葬式は母だけで済ませた。その後も、祖父の面倒が、と真由美は前よりも頻繁に実家に帰るようになった。夕食は総菜をスーパーで買ってきて、米だけ炊いた。しばらくすると中学生の兄が帰ってきて、一緒にそれを食べた。父親はいつも眠った後にいつの間にか帰ってきていた。
ある日学校から帰って、家の前に車がないことに気がついた。今朝家を出る時はあったのに、と首を傾げていると、夜、父親が顔に痣を作って泣きはらした母親を車から引きずり出してきた。夜更けの住宅街に父親の怒鳴り声が響いた。よく覚えていないが「浮気か」と叫んでいた気がする。
翌日、母親は荷物をまとめて出て行った。父方の祖母が来て面倒を見てくれるようになったが、中学に進学するころ、母親が突然迎えにきた。
「女の子は母親と一緒の方がいいだろ」と父親は言ったが、目を合わせてくれない彼が「真由美に似てきて、嫌になる」と祖母に泣きながら言っていたのを聞いていた。
鏡を見る度嫌な気持ちになった。合わせて、自分の名前も嫌になった。海でまりん、一読できない名前は、母親の馬鹿さを表しているように思った。
母親と住むことになったのは、東京から離れた海沿いの田舎町だった。買い物できるような商業施設は電車に40分くらい乗らないとなく、しかも駅までも遠く、不満だった。ボロボロのアパートも嫌だったし、かび臭い和室のベッドに寝た、酒に酔って転んだか何かが原因で背骨を折って動けなくなった祖父が、よくわからない発声でぎゃあぎゃあ言うのも嫌だった。
母親に「交際相手」として中学校教員の栗田を紹介された。「交際相手」という言葉が気持ち悪かったし、しかも彼は自分の通う中学の教員だった。最悪だと思った。それより余計に腹が立ったのが、「高校の同級生だったの」とはにかむ母親が、東京にいたころより綺麗に見えたことだ。専業主婦だった母親は、海沿いの新しくできた介護施設で働き始め、地元での生活に馴染んでいるように見えた。
(ほんっと嫌だ。気持ち悪い)
それしか頭に浮かんでこなかった。
学校で自分と同じようにずっと不機嫌そうな顔をしている男子生徒が目についた。周りの話に耳を傾けていると、どうやら彼の兄はこの学校の有名人で、いつも注目されていて、皆が彼のことを話すときに、同時に兄ことを話していることに気付いた。
(……それが嫌なのかな)
勝手に理由を推測して、観察した。高梨 剛、というその男子は、みんなに「剛」と呼ばれていたので、何となくまりんも「剛くん」と認識するようになっていた。特に放課後の部活中に嫌そうな表情をしてボールを蹴っているのを、帰り際横目で見た。
(うわ、剛くんまたすごい嫌そうな顔してるし。私もあんな顔してるかな)
家に帰って鏡を見て顔を歪めてみた。
(ここまでひどくはないでしょ)
1人でふっと笑った。
(……順調だったはずなのにな)
TODOリストを埋めるように、人生を積み上げてきたつもりだった。卒業、ずっと働ける転勤のない会社に就職、社会人2年目で付き合った3つ年上の会社の先輩と3年付き合って同棲、これから結婚。――順調、のはずだった。
携帯が鳴った。開くと、母親から連絡が入っていた。運動会だろうか、白いテープを切る男の子の画像がある。
『曇りで良かった! 運動会でした。仕事辞めたなら、戻ってきたら』
「馬鹿じゃないの」
呟いて画面を閉じた。ゴールテープを切っているのは、18歳年の離れた弟だ。
毎回連絡が来ても95%は返信していないのに、定期的に連絡を送りつけてくる母親に、まりんはうんざりしていた。
「ほんと、ウザい」
壁に倒れこむと膝を抱えて頭を乗せた。
自分の母親は馬鹿だと思う。不倫して家を出て、家族を壊して、不倫相手との間に高齢出産で子どもまで産んで。
母親と父親の関係がうまくいっていないことは、小学生の時から気付いていた。まりんが小学校中学年の時から、母の真由美はなぜかまりんの部屋で寝るようになった。トイレに行こうと夜に起きると、床に布団をひいて寝ている母親を踏まないようにするので目が覚めてしまうのが嫌だった。
高学年の時に母親の実家の祖母が倒れたという連絡があった。母は実家に全く帰っていなかったので、祖母の顔は思い浮かばなかった。介護のため、と母親は実家に行ったり来たりを繰り返し、しばらく帰ってこない日が続いた。しばらくして祖母が亡くなったが、葬式は母だけで済ませた。その後も、祖父の面倒が、と真由美は前よりも頻繁に実家に帰るようになった。夕食は総菜をスーパーで買ってきて、米だけ炊いた。しばらくすると中学生の兄が帰ってきて、一緒にそれを食べた。父親はいつも眠った後にいつの間にか帰ってきていた。
ある日学校から帰って、家の前に車がないことに気がついた。今朝家を出る時はあったのに、と首を傾げていると、夜、父親が顔に痣を作って泣きはらした母親を車から引きずり出してきた。夜更けの住宅街に父親の怒鳴り声が響いた。よく覚えていないが「浮気か」と叫んでいた気がする。
翌日、母親は荷物をまとめて出て行った。父方の祖母が来て面倒を見てくれるようになったが、中学に進学するころ、母親が突然迎えにきた。
「女の子は母親と一緒の方がいいだろ」と父親は言ったが、目を合わせてくれない彼が「真由美に似てきて、嫌になる」と祖母に泣きながら言っていたのを聞いていた。
鏡を見る度嫌な気持ちになった。合わせて、自分の名前も嫌になった。海でまりん、一読できない名前は、母親の馬鹿さを表しているように思った。
母親と住むことになったのは、東京から離れた海沿いの田舎町だった。買い物できるような商業施設は電車に40分くらい乗らないとなく、しかも駅までも遠く、不満だった。ボロボロのアパートも嫌だったし、かび臭い和室のベッドに寝た、酒に酔って転んだか何かが原因で背骨を折って動けなくなった祖父が、よくわからない発声でぎゃあぎゃあ言うのも嫌だった。
母親に「交際相手」として中学校教員の栗田を紹介された。「交際相手」という言葉が気持ち悪かったし、しかも彼は自分の通う中学の教員だった。最悪だと思った。それより余計に腹が立ったのが、「高校の同級生だったの」とはにかむ母親が、東京にいたころより綺麗に見えたことだ。専業主婦だった母親は、海沿いの新しくできた介護施設で働き始め、地元での生活に馴染んでいるように見えた。
(ほんっと嫌だ。気持ち悪い)
それしか頭に浮かんでこなかった。
学校で自分と同じようにずっと不機嫌そうな顔をしている男子生徒が目についた。周りの話に耳を傾けていると、どうやら彼の兄はこの学校の有名人で、いつも注目されていて、皆が彼のことを話すときに、同時に兄ことを話していることに気付いた。
(……それが嫌なのかな)
勝手に理由を推測して、観察した。高梨 剛、というその男子は、みんなに「剛」と呼ばれていたので、何となくまりんも「剛くん」と認識するようになっていた。特に放課後の部活中に嫌そうな表情をしてボールを蹴っているのを、帰り際横目で見た。
(うわ、剛くんまたすごい嫌そうな顔してるし。私もあんな顔してるかな)
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(ここまでひどくはないでしょ)
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