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覚えてない
しおりを挟む「一年前、二人で温泉宿に行ったことがあっただろう? ……その夜、君が二十歳になったら結婚しようと約束したのに」
私が十九様になったばかりの春。
大きな任務を二人だけで成し遂げ、その後はエクトルと二人だけで打ち上げをした。
その日はもう、今までにないぐらい気が大きくなっていて、私はもう一人前なんだ!って思って、かなりはっちゃけていた。
エクトルが露天風呂付きの個室の宿を取ってくれて、湯上がりに着たガウン一枚の姿のままお互いにお酒をがんがん煽り、気がついたらダブルベッドの上に半裸で転がっていた。
その時、エクトルに何をされたのかは覚えているが、頭がぼーっとして耳が遠くなっていて交わした会話はほとんど覚えていない。
舌を絡めあうような深いキスをされて、身体中を弄られて。身体を洗う時ぐらいしかまともに触れてこなかった場所の奥を、二本の指で優しくこじ開けられた。
尿道の上を舐め上げられて、脚の先まで下半身を痺れさせながら、私ははじめての絶頂を迎えた。
世の中に、あんなにも気持ちの良い行為があるのかと知った時は感動したものだ。
──うっ、思い出したらダメ。
自分に優しく触れる手を思い出すと、脚の間が落ち着かなくなる。
最低だが、クローデットにエクトルを盗られてしまうと思った時、一番最初に残念に思ったのが、あの手が自分のものじゃなくなる事だった。
エクトルは誰にでも気安いようで、真面目なところがある。
彼は浮気をしない。
そんな確信があった。
私はもう、彼と身体を重ねることがないんだと思って、ひどく悲しく思ったのだ。
「……覚えてないわ」
口頭だけの、ましてや酒の勢いでした婚約なんて無効だろう。
今までの会話の流れからすると、エクトルは私のことが好きで、結婚したいと思っている。別れないでほしいと言っていたことからも、エクトルは私のことを恋人だと思っていたのかもしれない。
しかし、彼は一月前、侯爵家令嬢のクローデットから求婚されていた。
ベロベロに酔っ払った状態での口約束なんか無かったことにして全然いいのに、クローデットを選んでいいのに、何故かエクトルは私と結婚したいと言い出した。
「覚えてないって……。あれから何回か行為があったけど、毎回俺の気持ちは伝えていただろ?」
「そうだけど……」
あれから交合のたびに好きだとは言われていたが、アレは私の隘路を窄めさせるために言っている睦言だと思いこんでいた。
彼は私が性器を締め付けるとすごく悦んだから。
エクトルに抱かれている、自分が特別だとはなぜか思わなかった。
あの頃はまだ、私のなかでエクトルが特別じゃなかったからかもしれない。
好きだと言われても、親愛の情みたいなものだと解釈していた。
それに情を交わすだけの相手がいる騎士は珍しくない。魔導師だってそうだ。
周囲が、遊びやストレス解消で交合する者が珍しくない環境であったのも、私の気持ちが鈍くなった原因の一つかもしれない。
「でも、エクトルはクローデットから求婚されてるんでしょう?」
「……! 聞いていたのか?」
私の言葉に、エクトルはハッと目を見開く。
その反応にまた胸が痛くなる。
直接告白してきた相手はクローデットとはいえ、侯爵家から求婚されたのだ。自分の家よりも格が上のところからの求婚は、基本的には断るのが難しい。
しかしエクトルは信じられない選択肢を取っていた。
「クローデットの求婚はあの時きっぱり断ったぞ? そこまでは見ていないのか? ……俺が結婚したい相手は今も昔もソフィアだけだし、それに、俺はこれからソフィアのお付きの騎士になるつもりだ」
「……何を言ってるの?」
「ん? ソフィアは生涯魔導師を続けたいんだろ? 俺は共働きしようって言ってるんだよ」
「何ですって……!」
魔導師は年寄りになっても続けられるが、騎士は難しい。騎士は剣や槍を振るう分、体力勝負だ。中には魔導師に転向したり、衛生兵などの内勤になる者もいるが、騎士のセカンドキャリアはけして明るいとは言えない。
だから騎士は皆、貴族家の婿になることを望むのに。
彼は侯爵家の婿になることよりも、先がどうなるか分からない、私との共働きの道を歩もうとしている。
エクトルが私のお付きの騎士になる道を選んでくれたこと自体は、すごく嬉しい。私も騎士を指名するなら彼以外は考えられなかったから。
でも、エクトルの今後を思うと複雑だった。
「ソフィアも俺のことが好きだろう? だから身体を何回も許してくれたんだよな?」
「う、そ、それは……」
身体を許したのは興味半分、エクトルならいいかと思ったのが半分だった。
あの頃はエクトルのことを頼れる仲の良い同僚だと思っていたし、お礼の意味も込めて身体を開いていた。
彼はすごく悦んでくれたし、私も天にも昇るような思いを毎回たくさんさせて貰えたので、求められれば応じていたのだ。
が、バカ正直にこんなことを言ったら、さすがに引かれる。
どれだけ快楽に弱い股の緩い女なんだと思われること必至だ。
──私はエクトルだから身体を許したのよ。
他の同僚に求められても、絶対に身体までは許さなかった。これだけは断言できる。一瞬だけ、他の人とキスする想像をしてみたが、ぞわりと鳥肌がたった。
ああ、私はなんて鈍い女なのか。
もっと早くに自分の気持ちに気がついていたら。しっかり内省していたら。エクトルとちゃんと婚約して入籍の日取りを決めて、周りに公表していたら。
私は身を引こうとせずに済んだのかもしれないのに。
「……ええそうよ、エクトル以外とあんな真似はぜったい出来ないわ」
「ソフィア! ……よかった。レイラーニ閣下からは反対されたけど、ぜったい結婚しような! 護衛契約もしよう」
「反対……? お師匠様に?」
そういえば、さっきも師匠の名がエクトルの口から出ていた。一体彼はうちの師匠から何を反対されたのか。
話の流れからすると。もしかして、私の知らないところで『お嬢さんをください』をしたのでは。
焦りで、たらりと額から汗が流れる。
「……エクトル、一体うちのお師匠様に何を言ったの?」
「レイラーニ閣下に『ソフィアのお付きの騎士にしてください』とお願いしに行ったんだが、なんというか緊張しすぎて……。うっかり、『ソフィアが欲しい』と口をすべらせてしまったんだ」
「……それで? お師匠様はなんと?」
「お前のような、知性がまるで感じられない男にソフィアは任せられないと言われたよ……」
もう言葉にならない。
エクトルの口調は、たしかにちょっとバカっぽい。外見も、女性にウケそうな甘やかな美男子ではある。遊んでいそうな雰囲気は確かにあった。
エクトルは実はそれなりに優秀な人で、軍でもまあまあ出世しているのだが、でも、魔導師団の最高顧問である師匠からみれば、ただの軽い男にしか見えないのかもしれない。
──お師匠様から反対されるなんて。
やはり私との結婚なんかやめたほうがいいのかもしれない。
私はクローデットと違って、美人じゃないし、貴族家の跡取り娘でもない、しかもやっかいな産みの親がいる。
「ねえ……。やっぱり私となんか結婚しない方がいいんじゃない? 今からでもクローデットに頭を下げたら?」
「クローデットは俺なんかに求婚したことが実家の侯爵家にバレて、無理やり軍を退役させられていたよ。……知らないのか? その内、内示が出るんじゃないかな」
「そんな!」
エクトルは大丈夫なのだろうか。
クローデットの実家から恨まれていないか心配になる。
もしも跡取り娘に色目を使ったなどと、思われていたら。
エクトルも逆恨みを気にしていたらしい。真剣な目をしてこう言った。
「クローデットに色目を使ったと思われたくない。なあ、ソフィア。すぐにでも結婚してくれないか? ……こんなタイミングになってしまって申し訳ないけど」
「エクトル……」
私はもうとっくに成人している。
この国では十六になれば個人の裁量で結婚することができた。
親の許しはいらない。でも。
「私は両親の許しが欲しいわ」
「……だよなあ。ソフィアは親御さんから愛されているもんな」
ふうっと一つ息をはくと、エクトルはベンチから立ち上がった。
「ソフィア、引き止めてしまって悪かったな。レイラーニ閣下からお使いを頼まれてたんだろ? 一緒に行こうか」
「えっ、玉子を買いに行くだけだからすぐ済むわよ?」
「そっか。……じゃあ、玉子と手土産を買ってもう一度リベンジだ」
「……なんの?」
「決まっている。ソフィアを貰えるように、閣下にもう一度頭を下げるよ。俺は諦めの悪い男だからな」
ニッとエクトルの白い歯が覗いた。
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