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シトリンの父
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「アルゼット? 君は……アルゼットじゃないか?」
二人が初めての朝を迎えた十日後のことだった。
その日は季節はずれとも言えるぐらい、朝から冷え込んでいた。
夜勤明けのアルゼットは一人の男に声をかけられた。年齢は五十代ぐらいだろうか。ハットを被り、黒い毛織のコートを着ていてかなり身なりが良い。一瞬顔見知りの貴族かと思ったが、こんな街中を一人で歩いているのは少々不自然だ。この街の治安は悪くはないが、貴族は護衛官を連れて歩くのをステータスとしている人が多い。
男はハットを取ると、アルゼットへ向かって軽く会釈をする。後ろへ撫で付けられた髪には白いものが目立っていた。
「あなたは……?」
「ああ、君は前世の記憶が無いのだったか。私はウォルホート。サンドラとシトリンの父親だ。君の話はサンドラから聞いているよ」
アルゼットの息が一瞬止まる。
男は挨拶の際、口の端を上げたが、アルゼットには目の奥が笑っていないように感じられた。
サンドラと、シトリンの父親。
「その節は……なんと謝罪を申し上げてよいか……」
背中から脇からぶわりと汗が滲み出る。アルゼットは今までに無いぐらい焦っていた。シトリンの父親、それも、前世の記憶を持ち合わせているという。
前世のシトリンは、自分が死んだ後に後追い自殺をした。それに、前世の自分は彼女に冷たく接していたとのこと。きっと、彼女の親であるウォルホートは自分のことを恨んでいるはず。
どれだけ言葉を尽くしても、前世の所業を許してはもらえないかもしれない。それに自分には前世の記憶がない。その状況で謝られても、シトリンの父親は納得しないのではないか。
「こんなところではアレだ。今時間はあるか?」
「はい……」
夜勤明けで先ほどまでは確かに眠気を覚えていたのに、そんなものは一瞬で吹っ飛んでしまった。
◆
「つがいの会でシトリンと再会したらしいな」
「は、はい」
ブランチが始まる前のカフェは、まだ人の姿がまばらだった。シトリンの父親ウォルホートは紅茶を頼み、アルゼットはコーヒーを注文した。
「私はコーヒーが飲めなくてな」
「シトリンさんと一緒ですね」
シトリンの名を出すと、ウォルホートの目が怪訝そうに細められた。しまったと、アルゼットは額に汗した。
近いうちにシトリンの両親の元へ結婚の挨拶に行く予定だったが、改めて自分にその覚悟が出来てなかったことを思い知らされる。アルゼットの心臓はずっと早鐘を打っていた。
「アルゼット……。単刀直入に聞くが、君は今世のシトリンとどうなりたい?」
「どう、と言いますと?」
シトリンは姉のサンドラと非常に仲が良いらしい。もしかしたら、シトリンは自分達のことをサンドラに話していて、サンドラも父親に話しているのではないか。
ここで下手に自分達の関係を隠し立てするよりも、潔く『お嬢さんをください』と宣言した方が良いのではないか。アルゼットは膝の上に置いた手をグッと握りしめると、ウォルホートの目を真っ直ぐに見た。
「私は……シトリンさんとの結婚を考えております」
シトリンと結婚し、幸せな家庭を築きたい。それは四ヶ月前、つがいの会で彼女と出逢ってから、ずっとアルゼットの胸にあった願いだった。前世で自分はシトリンを不幸にした。その分、今世では彼女を幸せにしたいと思う。幸いにも自分は公爵家の護衛官という安定した職を持っていて、新築の頭金程度の貯金はある。富豪のような生活は無理だが、中流以上の暮らしはシトリンにさせてやれる自信はあった。
「ふん……そうか」
アルゼットの返答に、シトリンの父親ウォルホートは鼻を鳴らした。その様子はお世辞にも喜んでいるようには見えない。
ウォルホートは一目でそれなりの金持ちだと分かる装いをしていた。インゴットの指輪など、貴金属は身につけてはいないが、ハットや靴、鞄はおそらくは一流の職人が作った特注品だ。
シトリンは自分の実家はごくごく普通の中流家庭だと言っていたが、彼女は謙遜していたか、もしくは自分が育った環境をごく当たり前だと感じていたのかもしれない。アルゼットはこの国でも有数の貴族家に仕えている。金持ちや権力者に詳しかった。彼の経験則から言えば、シトリンの家はおそらく名家。
今思えば、サンドラもはすっぱな話し方をしていたが、前世で妹を不幸にした男を前にして落ち着いていた。それなりに権力のある家の娘らしい態度と言えば、そうなのかもしれない。
ウォルホートは運ばれてきた紅茶を一口飲むと、こう切り出した。
「私の父親は前世も今世も貴族だったが、今世の家督は兄が継いでいてね。現在我が家は不動産業を営んでいる。お陰様で事業は好調だ」
「そ、そうなのですか……」
いきなり話を変えられた。いや、もしかしたらここからまた、シトリンの結婚話へ行きつくのかもしれない。ウォルホートは一見すると優しげな紳士だ。やや細身で、髪や目はシトリンと同じような色味をしている。顔立ちはサンドラにどことなく似ていた。
アルゼットはハラハラしながら、ウォルホートの話に耳を傾ける。
「王都での事業は娘婿に任せている。サンドラの旦那は優秀でな。前世でも私の右腕だった」
シトリンの夫となる男にも、事業を手伝わせたいのだろうか。それならば、護衛官の仕事を辞めるのもやぶさかではない。護衛官になるために多少の苦労はしたが、今後の人生をシトリンと共に歩めるのなら。
アルゼットは覚悟をしたが、次にウォルホートに告げられた事柄に、言葉を失った。
「シトリンの婿はすでに決めてある。伯爵家の次男だ。前世からの付き合いもある。人柄も家柄も申し分のない男だ」
「それは……」
「アルゼット、今世の君が人並み以上の人生を歩んでいることは知っている。しかし、私は前世での君の振る舞いを忘れられん。前世の君は曽祖父の代からの奴隷で、礼儀や文学を習う機会が無かったのには同情するが、奴隷でも伴侶を大切にすることは出来たはずだ。だが、君はシトリンを無視するばかり。私は君の性根が信じられない」
「奴隷ですか? ……前世の私が?」
「知らなかったのか? まぁ、身分差別に関することは国も伝えないかもしれないな。だが、私の親族や部下たちは、皆が皆、君が前世で卑しい身分だったことを知っている。シトリンと結婚すれば、君もシトリンも、その子どもも苦労することになるぞ」
ウォルホートの言葉が、どこか遠いところから響く。ウォルホートが椅子から立ち上がっても、アルゼットはそこから動くことが出来ず、彼はただただ、目の前にあるカップの黒い液体を見つめていた。
自分は前世では奴隷だった。白羽族が天上で暮らしていた時代には、身分制度があったことはアルゼットも一般教養として知っていたが、まさか自分が最下層に位置する立場だったとは。
ウォルホートから『君の性根が信じられない』と言われたこともショックだったが、シトリンとの身分差が発覚したことが一番ショックだった。ウォルホートが前世で貴族だったということは、シトリンも貴族だ。いくら神殿の取り決めとはいえ、奴隷と貴族の娘がつがいに。
前世では、夫婦仲だけでもシトリンに悲しい想いをさせていたのに、身分差でも苦労をかけていたなんて。
アルゼットは下唇を噛むと、背を丸めた。
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