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結婚九年目の真実
結婚九年目の真実
しおりを挟む「父は感情を表に出さない人だった。私は幼い頃から父が苦手でね……。父は口数も少なくて何を考えているのかまったく分からなかった。母が父との関係に悩んだ気持ちはよく分かる」
「そうだったのですか」
「あれだ、あのアカシアの木だ」
すっかり夜もふけているが、今夜は満月。ランタンがなくとも問題なく、渡り廊下を歩くことが出来た。
ウィンストゲンが指差した先には、秋にも花をつけるアカシアの木があった。
かつて、ウィンストゲンの甥のボンブと一緒に花輪を作った、思い出の木。
ボンブはあれから件の令嬢と結婚し、今では一児の父親だ。
「このアカシアの木に、魔術が施されているのですか?」
「ああ、母の日記を見るまでは、この木は父が母のために外国から取り寄せたものだと思っていた。母自身もそう言っていたからな。だが、この木は魔導師が魔術を施した特別なものだ。……この家の当主の考えが、声になって妻の耳に聞こえるという術式が込められているのだそうだ」
「そんな……。では、この木をそのままにしていたら、今度はノールの心の声が、将来奥さんになる人に聞こえてしまうのですか?」
「可能性は高いだろうな。事実、私の考えは君に筒抜けなのだろう?」
「そうですね……」
ヒヨコ色の可愛らしい花をつける木だと思っていたのに。まさかそんな魔術が込められていたとは。
この国では魔術は一般的ではない。特に今は魔術よりも便利な物が溢れていて、特別な素養が必要な魔術をわざわざ習得しようとする人間は殆どいなかった。
チェチナが自分に起こった現象を即座に魔術と結びつけることが出来なかったのも、無理もないことだった。
《私の考え……心の声か。心の声が聞こえることを相談して欲しかったが、難しいだろうな。私がチェチナの立場だったとしても、何でもないふりをしたかもしれない。私がもっと早くにチェチナの異変に気がつくべきだった》
「すまない、チェチナ。もっと早くに、君の異変に気がつくことが出来ていたら良かったのだが。……辛かっただろう」
《私は当初、この結婚にのり気では無かった。チェチナはまだ年若くて、彼女を一人の女性として愛する未来が見えていなかった……。チェチナは結婚初日から、私の心の声が聞こえていたという。私の本音を知って、さぞや辛い思いをしたのでは》
チェチナはウィンストゲンの心の声を聞いて首を横に振る。彼はどこまでも思慮深く、優しい人だった。普通、考えていることが筒抜けだったと知ったら、そのことを知らせなかった伴侶を責めるだろう。
「そんなことはありません。あなたが、ご自分を責めるようなことを考えていて、悲しく思ったことはありますが……。心の声が聞こえるおかげで、助けられたことも多かったです」
ウィンストゲンの心の声に助けられたことはたくさんあった。舞踏会の日、どれだけ匂わせ女がやってきてもチェチナが平然としていられたのは、あの心の声のおかげだった。
結婚してから数年は女性達にやっかまれることも多かったが、気にせずにいられたのは確実に心の声の力だ。
もしもウィンストゲンの心の声が聞こえていなかったら、チェチナは彼の女性関係を勘ぐり、気に病んでいたかもしれない。彼の不貞さえ疑ったかもしれない。
「そうなのか? 自分で言うのもあれだが、私は自分の考えに反したことも口にしている。君が人間不信に陥っていないか心配だ」
「以前のあなたは確かに、優しい嘘をたくさんつかれていたと思います。でも、私は……私のために嘘をついてくれたことに今は感謝していますよ」
「チェチナ……」
「本当に申し訳ございません。何も言わなくて」
「いいんだ。私が君の立場でも言えなかったと思う。私の本音が聞こえていても、私を支え続けてくれてありがとう」
ウィンストゲンはチェチナの肩を掴むと、そのまま抱き寄せた。
◆
「アカシアの木はどうされるのですか?」
「魔術が込められている木だ。魔術師を呼んできちんと処分しようと思う。……思い出深い木だから無くしてしまうのは寂しいが」
「そうですね。でも、仕方がありませんわ」
心の声が聞こえるとウィンストゲンにバレてしまった今、出来るだけ早くアカシアの木を処分したほうがいいだろう。
このままにしていては、精神衛生上、良くないとチェチナは思う。
もしも逆の立場だったらと考えると、かなり辛い。
「さあ、もう寝室へ戻ろう。夜更けにこんなところまで連れて来て悪かった」
ウィンストゲンから差し出された手を、チェチナはやんわり握った。
新婚当初からずっと一人で抱えていた秘密が、やっと解消される。胸のあたりがすうっと軽くなるのを感じるが、同時に、寂しさも広がる。
(もう、ウィンストゲン様の心の声が聞こえなくなってしまうのね)
あんなに、愛していると言ってくれていたあの声。
ウィンストゲンは普段、愛の言葉をあまり口にしない。もちろん、妻として冷遇されているわけではないし、言葉の端々から愛が伝わってくることもあるが、直接的なことは彼は言わない。
「ウィンストゲン様」
「何だ?」
「これからは、その口で『愛してる』って言ってくださいね?」
「……心の声は言っていたのか? 『愛してる』と」
「ええ、それはもう」
ウィンストゲンは空いている方の手で、口許を覆う。暗くてよく見えないが、照れているらしい。
「今からベッドの上でたくさん言ってやる」
「あら、楽しみですわ」
チェチナの明るい笑い声が、夜間の廊下に響く。
この十日後、アカシアの木は無くなり、チェチナはウィンストゲンの心の声を聞くことが出来なくなったが、この夫婦が末長く仲良くやっていったのは言うまでもない。
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