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第12話 駆け引きの行方
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王国使者との交渉から一週間が過ぎた。ガーランド博士の精力的な活動により、エルフェンブルグ王国政府では予想以上の変化が起きていた。
「ようやく公式資料が届いたぞ」
博士は分厚い書類の束を抱えながら、アビス・パレスの研究室に現れた。マリナとリヴァイアが詳細な実験記録をまとめているところだった。
「どのような内容でしょうか?」
マリナが顔を上げると、博士の表情は複雑な満足感を湛えていた。青白い魔素光に照らされた彼の顔に、研究者らしい興奮が浮かんでいる。
「まず良い知らせだ。エネルギー省の技術評価委員会が、君たちの研究を『革命的環境技術』として正式分類した。これで国際的な注目度が一気に高まるぞ」
博士は最初の書類をテーブルに広げた。厚い紙に金の箔押しが施された公文書は、王国政府の権威を感じさせる重厚さを持っていた。
「国際的な注目、ですか?」
リヴァイアが表情を改めた。竜人族の王子として、政治的影響の大きさを瞬時に理解している。海の青い瞳に、警戒と期待が混在していた。
「ああ。すでに隣国のゲルマーナ連邦と、南方諸島連合から技術視察の要請が来ている。どうやら海洋環境回復の可能性に、各国が非常に大きな関心を示しているようだ」
博士はページをめくりながら説明を続けた。マリナは技術者として、自分たちの成果が認められることの喜びを感じていたが、同時に複雑な感情も湧き上がっていた。
「それほど注目されると、逆に政治的な制約も強くなりませんか?」
マリナの懸念は的確だった。海底での実験は、これまで竜人族の領域内で比較的自由に行えていた。しかし国際的な注目が集まれば、様々な利害関係が絡み始める。
「実際、その通りだ。そして、ここからが複雑な話になる」
博士は二枚目の書類を取り出した。こちらは赤い封印が押された機密文書らしい。リヴァイアの視線が鋭くなる。
「国防省から懸念が表明されている。技術の軍事転用可能性と、海域の戦略的価値についてだ。特に魔素濃度500%という数値は、軍事技術者たちの強い関心を引いている」
アビス・パレス内の静寂が、一瞬重くなった。透明な壁の向こうで泳ぐ魚たちの優雅な動きが、現実の複雑さと対照的に見えた。
「軍事転用……」
マリナの声に困惑が滲んでいた。環境保護と技術革新を目指していた研究が、武器に関連付けられることへの嫌悪感があった。
「リヴァイア王子、貴殿の立場からはどう見えるか?」
博士の質問に、リヴァイアは慎重に答えた。王子として培われた政治的洞察力が働いている。
「海域の軍事利用は、竜人族として絶対に容認できません。しかし、技術そのものの価値は理解しています。問題は、どのような形で技術を保護し、平和利用に限定できるかでしょう」
リヴァイアの言葉には、種族の長としての責任感と、技術者マリナへの信頼が込められていた。蒼い鱗が海底の光を受けて微かに輝く。
「それが今回の駆け引きの核心になる」
博士は三枚目の書類を広げた。これは提案書の形をとっていた。
「王国政府は、段階的協力協定を提案している。まず技術の基礎部分のみを共有し、軍事転用不可能な形での環境応用を進める。その後、成果に応じて協力範囲を拡大していく、という内容だ」
マリナは書類に目を通しながら考えを巡らせた。技術者として、研究の継続と発展を望んでいる。しかし、軍事利用への危険性も理解していた。
「段階的協力……具体的にはどのような形になるのでしょうか?」
「第一段階では、魔素採掘技術の基礎理論のみを共有する。ただし、分散システムの詳細設計と、古代魔素層との共鳴技術は対象外とする」
博士の説明に、マリナは安堵と不安を同時に感じた。基礎理論の共有なら、環境保護目的に限定しやすい。しかし、技術の核心部分を秘匿することで、本当の効果を発揮できるのだろうか。
「第二段階以降は?」
リヴァイアの質問に、博士は複雑な表情を見せた。
「それは一年間の実績評価後に検討する。ただし、竜人族の同意と、国際監視機関の設置が前提条件になる」
国際監視機関――この言葉が、会話に新たな重みを加えた。技術の管理が、もはや彼らだけの問題ではなくなりつつあった。
~~~
書類の検討が続く中、アビス・パレスの執務室に新たな来訪者があった。ダゴン長老が、いつもの威厳ある歩調で現れた。
「ガーランド博士、マリナ技師。話は聞かせてもらった」
長老の声には、深い思慮が込められていた。海の翁としての長い経験が、今回の事態の複雑さを理解させていた。
「長老、竜人族としてのご意見をお聞かせください」
リヴァイアが立ち上がり、正式な敬意を示した。個人的な感情と、種族の指導者としての責任の間で、彼自身も複雑な立場にあった。
「技術の共有には慎重でありたい。しかし、孤立は現実的ではない」
ダゴン長老は、ゆっくりと言葉を選びながら話し続けた。アビス・パレスの蒼い光が、彼の古い鱗に神秘的な輝きを与えている。
「では、どのような条件なら協力可能でしょうか?」
マリナの質問に、長老は深く頷いた。彼女の技術者としての誠実さと、環境保護への真摯な姿勢を評価していることが表情に現れていた。
「まず、海域の主権は絶対に維持する。第二に、技術の軍事転用防止策を明文化する。第三に、環境保護効果の定期的検証を義務付ける」
長老の条件は明確で実用的だった。竜人族の生存に関わる核心的利益を守りながら、建設的な協力の道を探ろうとしている。
「それらの条件は、王国政府にとって受け入れ可能でしょうか?」
博士が書類を確認しながら尋ねた。政治的現実として、一方的な条件提示では交渉が成立しない可能性がある。
「エネルギー省なら検討の余地がある。しかし、国防省の説得は難しいだろう」
博士の率直な回答に、室内の緊張が高まった。海底研究施設の静寂の中で、現実の政治的制約が重くのしかかっている。
「では、国防省を説得する材料が必要ですね」
マリナが技術者らしい発想で提案した。問題解決のためには、相手のメリットを明確に示す必要がある。
「軍事転用の危険性を強調するより、平和利用のメリットを大きくアピールするということか?」
リヴァイアの解釈に、マリナは頷いた。海の青い瞳と視線を合わせながら、彼女の中で新たなアイデアが形成されつつあった。
「環境回復による経済効果、国際的な技術リーダーシップの確立、そして海洋資源の持続可能な活用。これらの価値を具体的な数値で示せば、軍事利用よりも平和利用の方が国益に適うことを証明できます」
マリナの提案に、博士の目が輝いた。研究者として、技術の真の価値を理解してもらうことへの期待が膨らんでいる。
「素晴らしい発想だ。では、そのための実証データが必要になる」
~~~
翌日から、マリナとリヴァイアは新たな実験計画の策定に取り組んだ。これまでの技術実証に加えて、経済効果と環境影響の定量的評価が必要になった。
「海洋生態系の回復度を、どう数値化しましょうか」
マリナがデータ収集装置を調整しながら尋ねた。技術者として、客観的で説得力のある指標の設定に苦心している。
「魚類の個体数変化、海草の繁茂状況、そして水質の化学的指標が基本になるだろう」
リヴァイアが竜人族の伝統的知識を提供した。海と共に生きてきた種族として、環境変化への敏感な察知能力を持っている。
「それに加えて、漁業関係者の収入変化も重要な指標になります」
マリナは人間社会の経済システムの観点を加えた。環境回復が直接的な経済利益に結びつくことを示せば、政府の関心は格段に高まる。
二人は海底の研究設備で、丁寧にデータを収集し続けた。分散システムが稼働してから二週間が経過し、その効果は数値として明確に現れ始めていた。
「魚類の個体数が、採掘開始前と比較して180%増加している」
リヴァイアがモニターの数値を読み上げた。竜人族の海洋調査技術により、精密な生態系分析が可能になっている。
「海草の繁茂状況も、予想を上回っています。光合成効率が向上したことで、酸素供給量も15%増加しました」
マリナは技術的側面からの分析結果を報告した。環境改善効果が、複数の指標で一貫して確認されている。
しかし、最も印象的だったのは、海そのものの変化だった。魔素濃度の向上により、海水の透明度が格段に向上し、海底まで差し込む光が幻想的な美しさを創り出していた。
「この光景を見れば、誰でも技術の価値を理解できるでしょうね」
マリナが呟いた。蒼い海底に舞う光の粒子が、まるで星空のように美しい。技術的成果以上に、この美しさが人々の心を動かすかもしれない。
「マリナ……」
リヴァイアが振り返った。彼の表情には、技術者としての彼女への敬意と、個人的な感情が混在していた。
「はい?」
「君の技術によって、我々の海がこれほど美しくなった。竜人族として、心から感謝している」
リヴァイアの言葉に、マリナの心が温かくなった。環境保護という目標を共有する中で、二人の絆はさらに深まっていた。
「私も、リヴァイア王子と一緒に働けて幸せです。技術だけでは不可能だったことが、竜人族の皆さんの協力で実現できました」
マリナの率直な感謝の言葉に、リヴァイアの蒼い瞳に柔らかな光が宿った。政治的な複雑さの中でも、二人の関係は確実に発展していた。
~~~
一週間後、包括的なデータ分析が完了した。結果は、マリナとリヴァイアの期待を上回るものだった。
「環境改善による漁業収入は、従来比220%の増加が見込まれます」
マリナが最終報告書を博士に提示した。技術的データと経済効果分析を統合した、説得力のある資料となっている。
「観光業への影響も無視できません。この美しさなら、海洋レジャー産業の発展が期待できます」
リヴァイアが観光業の観点を追加した。竜人族として、海の美しさの価値を経済的にも評価している。
「素晴らしい成果だ。これなら国防省も無視できないだろう」
博士は報告書に目を通しながら、満足そうに頷いた。研究者として、技術の真の価値が理解されることへの期待が高まっている。
しかし、その時、予想外の来訪者がアビス・パレスに現れた。王国政府の制服を着た二人の人物が、厳格な表情で接近してきた。
「ガーランド博士、マリナ技師、お忙しい中失礼いたします」
先頭の男性が丁寧に挨拶した。階級章から、相当な地位の軍人であることが分かる。
「私はクラウス・ミュラー准将、エルフェンブルグ王国軍技術評価部の責任者です。そして、こちらはエマ・シュミット博士、国防技術研究所の主任研究員です」
准将の紹介に、室内の空気が緊張した。軍の技術評価部の直接介入は、事態の重大さを示していた。
「我々は、貴下らの研究について、国防上の観点から検討を行っています」
准将の言葉に、リヴァイアの表情が厳しくなった。竜人族の王子として、軍事的圧力への警戒を示している。
「軍事転用は想定していません」
マリナが明確に意思表示した。技術者として、自分の研究が武器に転用されることへの強い反対があった。
「それは理解しています。しかし、技術そのものの戦略的価値は無視できません」
エマ博士が穏やかな調子で説明した。研究者同士として、技術の価値を客観的に評価しようとしている。
「具体的には、どのような検討をされているのでしょうか?」
ガーランド博士が外交的な調子で尋ねた。政府と研究現場の橋渡し役として、慎重に情報を収集しようとしている。
「魔素増強技術の国防への応用可能性、海域の戦略的価値の再評価、そして技術流出防止策の検討です」
准将の回答は、予想以上に包括的だった。技術の軍事利用だけでなく、安全保障全般への影響を考慮している。
「技術流出防止……それは重要な観点ですね」
マリナが技術者として反応した。自分の研究が適切に管理されることへの関心があった。
「ええ。現在、ゲルマーナ連邦と南方諸島連合が、独自の海洋技術開発を加速させています。我が国の技術的優位性を維持するためには、適切な管理体制が必要です」
エマ博士の説明に、新たな政治的複雑さが明らかになった。技術競争が国際的な規模で展開されている。
「竜人族としては、技術の平和利用と海域の主権維持が最優先です」
リヴァイアが種族の立場を明確にした。軍事的圧力に屈服せず、建設的な協力の条件を提示している。
「それは理解しています。実際、我々も平和利用を前提とした協力体制を模索しています」
准将の言葉に、若干の歩み寄りの意思が感じられた。軍事組織としても、無用な対立は避けたいと考えている。
~~~
軍の技術評価部との会議は、予想以上に建設的な方向に進んだ。マリナの環境効果データと、リヴァイアの平和利用提案が、軍側の理解を深めていた。
「環境回復による経済効果は、確かに軍事利用よりも長期的な国益に適います」
エマ博士が分析結果に基づいて評価した。研究者として、データの客観性を重視している。
「技術の管理体制についても、国際監視機関の設置は現実的な選択肢です」
准将も段階的な歩み寄りを示した。軍事組織としての警戒を保ちながらも、平和的解決を模索している。
「では、具体的な協力枠組みを検討しましょう」
ガーランド博士が交渉の進展を整理した。政府、軍、研究者、そして竜人族の利害を調整する複雑な作業が始まった。
マリナは、交渉の複雑さの中で、リヴァイアと視線を交わした。政治的な困難を乗り越えながら、二人で技術の真の価値を守り抜く決意を共有していた。
「私たちの技術が、本当に平和と環境保護に役立つよう、最善を尽くします」
マリナの言葉に、リヴァイアが深く頷いた。海の王子として、そして個人として、彼女の信念を支持している。
「竜人族も、建設的な協力を惜しみません。ただし、海域の平和と環境保護が前提です」
リヴァイアの宣言に、軍の技術評価部も理解を示した。複雑な利害関係の調整が、少しずつ進展していた。
アビス・パレスの蒼い光の中で、新たな段階の駆け引きが始まろうとしていた。技術と政治、環境と経済、平和と安全保障――様々な要素が絡み合う中で、マリナとリヴァイアは自分たちの信念を貫こうとしていた。
海底に舞う光の粒子が、まるで希望の象徴のように美しく輝いている。困難な交渉の先に、真の協力と理解が待っていることを信じて、二人は歩み続けていた。
「ようやく公式資料が届いたぞ」
博士は分厚い書類の束を抱えながら、アビス・パレスの研究室に現れた。マリナとリヴァイアが詳細な実験記録をまとめているところだった。
「どのような内容でしょうか?」
マリナが顔を上げると、博士の表情は複雑な満足感を湛えていた。青白い魔素光に照らされた彼の顔に、研究者らしい興奮が浮かんでいる。
「まず良い知らせだ。エネルギー省の技術評価委員会が、君たちの研究を『革命的環境技術』として正式分類した。これで国際的な注目度が一気に高まるぞ」
博士は最初の書類をテーブルに広げた。厚い紙に金の箔押しが施された公文書は、王国政府の権威を感じさせる重厚さを持っていた。
「国際的な注目、ですか?」
リヴァイアが表情を改めた。竜人族の王子として、政治的影響の大きさを瞬時に理解している。海の青い瞳に、警戒と期待が混在していた。
「ああ。すでに隣国のゲルマーナ連邦と、南方諸島連合から技術視察の要請が来ている。どうやら海洋環境回復の可能性に、各国が非常に大きな関心を示しているようだ」
博士はページをめくりながら説明を続けた。マリナは技術者として、自分たちの成果が認められることの喜びを感じていたが、同時に複雑な感情も湧き上がっていた。
「それほど注目されると、逆に政治的な制約も強くなりませんか?」
マリナの懸念は的確だった。海底での実験は、これまで竜人族の領域内で比較的自由に行えていた。しかし国際的な注目が集まれば、様々な利害関係が絡み始める。
「実際、その通りだ。そして、ここからが複雑な話になる」
博士は二枚目の書類を取り出した。こちらは赤い封印が押された機密文書らしい。リヴァイアの視線が鋭くなる。
「国防省から懸念が表明されている。技術の軍事転用可能性と、海域の戦略的価値についてだ。特に魔素濃度500%という数値は、軍事技術者たちの強い関心を引いている」
アビス・パレス内の静寂が、一瞬重くなった。透明な壁の向こうで泳ぐ魚たちの優雅な動きが、現実の複雑さと対照的に見えた。
「軍事転用……」
マリナの声に困惑が滲んでいた。環境保護と技術革新を目指していた研究が、武器に関連付けられることへの嫌悪感があった。
「リヴァイア王子、貴殿の立場からはどう見えるか?」
博士の質問に、リヴァイアは慎重に答えた。王子として培われた政治的洞察力が働いている。
「海域の軍事利用は、竜人族として絶対に容認できません。しかし、技術そのものの価値は理解しています。問題は、どのような形で技術を保護し、平和利用に限定できるかでしょう」
リヴァイアの言葉には、種族の長としての責任感と、技術者マリナへの信頼が込められていた。蒼い鱗が海底の光を受けて微かに輝く。
「それが今回の駆け引きの核心になる」
博士は三枚目の書類を広げた。これは提案書の形をとっていた。
「王国政府は、段階的協力協定を提案している。まず技術の基礎部分のみを共有し、軍事転用不可能な形での環境応用を進める。その後、成果に応じて協力範囲を拡大していく、という内容だ」
マリナは書類に目を通しながら考えを巡らせた。技術者として、研究の継続と発展を望んでいる。しかし、軍事利用への危険性も理解していた。
「段階的協力……具体的にはどのような形になるのでしょうか?」
「第一段階では、魔素採掘技術の基礎理論のみを共有する。ただし、分散システムの詳細設計と、古代魔素層との共鳴技術は対象外とする」
博士の説明に、マリナは安堵と不安を同時に感じた。基礎理論の共有なら、環境保護目的に限定しやすい。しかし、技術の核心部分を秘匿することで、本当の効果を発揮できるのだろうか。
「第二段階以降は?」
リヴァイアの質問に、博士は複雑な表情を見せた。
「それは一年間の実績評価後に検討する。ただし、竜人族の同意と、国際監視機関の設置が前提条件になる」
国際監視機関――この言葉が、会話に新たな重みを加えた。技術の管理が、もはや彼らだけの問題ではなくなりつつあった。
~~~
書類の検討が続く中、アビス・パレスの執務室に新たな来訪者があった。ダゴン長老が、いつもの威厳ある歩調で現れた。
「ガーランド博士、マリナ技師。話は聞かせてもらった」
長老の声には、深い思慮が込められていた。海の翁としての長い経験が、今回の事態の複雑さを理解させていた。
「長老、竜人族としてのご意見をお聞かせください」
リヴァイアが立ち上がり、正式な敬意を示した。個人的な感情と、種族の指導者としての責任の間で、彼自身も複雑な立場にあった。
「技術の共有には慎重でありたい。しかし、孤立は現実的ではない」
ダゴン長老は、ゆっくりと言葉を選びながら話し続けた。アビス・パレスの蒼い光が、彼の古い鱗に神秘的な輝きを与えている。
「では、どのような条件なら協力可能でしょうか?」
マリナの質問に、長老は深く頷いた。彼女の技術者としての誠実さと、環境保護への真摯な姿勢を評価していることが表情に現れていた。
「まず、海域の主権は絶対に維持する。第二に、技術の軍事転用防止策を明文化する。第三に、環境保護効果の定期的検証を義務付ける」
長老の条件は明確で実用的だった。竜人族の生存に関わる核心的利益を守りながら、建設的な協力の道を探ろうとしている。
「それらの条件は、王国政府にとって受け入れ可能でしょうか?」
博士が書類を確認しながら尋ねた。政治的現実として、一方的な条件提示では交渉が成立しない可能性がある。
「エネルギー省なら検討の余地がある。しかし、国防省の説得は難しいだろう」
博士の率直な回答に、室内の緊張が高まった。海底研究施設の静寂の中で、現実の政治的制約が重くのしかかっている。
「では、国防省を説得する材料が必要ですね」
マリナが技術者らしい発想で提案した。問題解決のためには、相手のメリットを明確に示す必要がある。
「軍事転用の危険性を強調するより、平和利用のメリットを大きくアピールするということか?」
リヴァイアの解釈に、マリナは頷いた。海の青い瞳と視線を合わせながら、彼女の中で新たなアイデアが形成されつつあった。
「環境回復による経済効果、国際的な技術リーダーシップの確立、そして海洋資源の持続可能な活用。これらの価値を具体的な数値で示せば、軍事利用よりも平和利用の方が国益に適うことを証明できます」
マリナの提案に、博士の目が輝いた。研究者として、技術の真の価値を理解してもらうことへの期待が膨らんでいる。
「素晴らしい発想だ。では、そのための実証データが必要になる」
~~~
翌日から、マリナとリヴァイアは新たな実験計画の策定に取り組んだ。これまでの技術実証に加えて、経済効果と環境影響の定量的評価が必要になった。
「海洋生態系の回復度を、どう数値化しましょうか」
マリナがデータ収集装置を調整しながら尋ねた。技術者として、客観的で説得力のある指標の設定に苦心している。
「魚類の個体数変化、海草の繁茂状況、そして水質の化学的指標が基本になるだろう」
リヴァイアが竜人族の伝統的知識を提供した。海と共に生きてきた種族として、環境変化への敏感な察知能力を持っている。
「それに加えて、漁業関係者の収入変化も重要な指標になります」
マリナは人間社会の経済システムの観点を加えた。環境回復が直接的な経済利益に結びつくことを示せば、政府の関心は格段に高まる。
二人は海底の研究設備で、丁寧にデータを収集し続けた。分散システムが稼働してから二週間が経過し、その効果は数値として明確に現れ始めていた。
「魚類の個体数が、採掘開始前と比較して180%増加している」
リヴァイアがモニターの数値を読み上げた。竜人族の海洋調査技術により、精密な生態系分析が可能になっている。
「海草の繁茂状況も、予想を上回っています。光合成効率が向上したことで、酸素供給量も15%増加しました」
マリナは技術的側面からの分析結果を報告した。環境改善効果が、複数の指標で一貫して確認されている。
しかし、最も印象的だったのは、海そのものの変化だった。魔素濃度の向上により、海水の透明度が格段に向上し、海底まで差し込む光が幻想的な美しさを創り出していた。
「この光景を見れば、誰でも技術の価値を理解できるでしょうね」
マリナが呟いた。蒼い海底に舞う光の粒子が、まるで星空のように美しい。技術的成果以上に、この美しさが人々の心を動かすかもしれない。
「マリナ……」
リヴァイアが振り返った。彼の表情には、技術者としての彼女への敬意と、個人的な感情が混在していた。
「はい?」
「君の技術によって、我々の海がこれほど美しくなった。竜人族として、心から感謝している」
リヴァイアの言葉に、マリナの心が温かくなった。環境保護という目標を共有する中で、二人の絆はさらに深まっていた。
「私も、リヴァイア王子と一緒に働けて幸せです。技術だけでは不可能だったことが、竜人族の皆さんの協力で実現できました」
マリナの率直な感謝の言葉に、リヴァイアの蒼い瞳に柔らかな光が宿った。政治的な複雑さの中でも、二人の関係は確実に発展していた。
~~~
一週間後、包括的なデータ分析が完了した。結果は、マリナとリヴァイアの期待を上回るものだった。
「環境改善による漁業収入は、従来比220%の増加が見込まれます」
マリナが最終報告書を博士に提示した。技術的データと経済効果分析を統合した、説得力のある資料となっている。
「観光業への影響も無視できません。この美しさなら、海洋レジャー産業の発展が期待できます」
リヴァイアが観光業の観点を追加した。竜人族として、海の美しさの価値を経済的にも評価している。
「素晴らしい成果だ。これなら国防省も無視できないだろう」
博士は報告書に目を通しながら、満足そうに頷いた。研究者として、技術の真の価値が理解されることへの期待が高まっている。
しかし、その時、予想外の来訪者がアビス・パレスに現れた。王国政府の制服を着た二人の人物が、厳格な表情で接近してきた。
「ガーランド博士、マリナ技師、お忙しい中失礼いたします」
先頭の男性が丁寧に挨拶した。階級章から、相当な地位の軍人であることが分かる。
「私はクラウス・ミュラー准将、エルフェンブルグ王国軍技術評価部の責任者です。そして、こちらはエマ・シュミット博士、国防技術研究所の主任研究員です」
准将の紹介に、室内の空気が緊張した。軍の技術評価部の直接介入は、事態の重大さを示していた。
「我々は、貴下らの研究について、国防上の観点から検討を行っています」
准将の言葉に、リヴァイアの表情が厳しくなった。竜人族の王子として、軍事的圧力への警戒を示している。
「軍事転用は想定していません」
マリナが明確に意思表示した。技術者として、自分の研究が武器に転用されることへの強い反対があった。
「それは理解しています。しかし、技術そのものの戦略的価値は無視できません」
エマ博士が穏やかな調子で説明した。研究者同士として、技術の価値を客観的に評価しようとしている。
「具体的には、どのような検討をされているのでしょうか?」
ガーランド博士が外交的な調子で尋ねた。政府と研究現場の橋渡し役として、慎重に情報を収集しようとしている。
「魔素増強技術の国防への応用可能性、海域の戦略的価値の再評価、そして技術流出防止策の検討です」
准将の回答は、予想以上に包括的だった。技術の軍事利用だけでなく、安全保障全般への影響を考慮している。
「技術流出防止……それは重要な観点ですね」
マリナが技術者として反応した。自分の研究が適切に管理されることへの関心があった。
「ええ。現在、ゲルマーナ連邦と南方諸島連合が、独自の海洋技術開発を加速させています。我が国の技術的優位性を維持するためには、適切な管理体制が必要です」
エマ博士の説明に、新たな政治的複雑さが明らかになった。技術競争が国際的な規模で展開されている。
「竜人族としては、技術の平和利用と海域の主権維持が最優先です」
リヴァイアが種族の立場を明確にした。軍事的圧力に屈服せず、建設的な協力の条件を提示している。
「それは理解しています。実際、我々も平和利用を前提とした協力体制を模索しています」
准将の言葉に、若干の歩み寄りの意思が感じられた。軍事組織としても、無用な対立は避けたいと考えている。
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軍の技術評価部との会議は、予想以上に建設的な方向に進んだ。マリナの環境効果データと、リヴァイアの平和利用提案が、軍側の理解を深めていた。
「環境回復による経済効果は、確かに軍事利用よりも長期的な国益に適います」
エマ博士が分析結果に基づいて評価した。研究者として、データの客観性を重視している。
「技術の管理体制についても、国際監視機関の設置は現実的な選択肢です」
准将も段階的な歩み寄りを示した。軍事組織としての警戒を保ちながらも、平和的解決を模索している。
「では、具体的な協力枠組みを検討しましょう」
ガーランド博士が交渉の進展を整理した。政府、軍、研究者、そして竜人族の利害を調整する複雑な作業が始まった。
マリナは、交渉の複雑さの中で、リヴァイアと視線を交わした。政治的な困難を乗り越えながら、二人で技術の真の価値を守り抜く決意を共有していた。
「私たちの技術が、本当に平和と環境保護に役立つよう、最善を尽くします」
マリナの言葉に、リヴァイアが深く頷いた。海の王子として、そして個人として、彼女の信念を支持している。
「竜人族も、建設的な協力を惜しみません。ただし、海域の平和と環境保護が前提です」
リヴァイアの宣言に、軍の技術評価部も理解を示した。複雑な利害関係の調整が、少しずつ進展していた。
アビス・パレスの蒼い光の中で、新たな段階の駆け引きが始まろうとしていた。技術と政治、環境と経済、平和と安全保障――様々な要素が絡み合う中で、マリナとリヴァイアは自分たちの信念を貫こうとしていた。
海底に舞う光の粒子が、まるで希望の象徴のように美しく輝いている。困難な交渉の先に、真の協力と理解が待っていることを信じて、二人は歩み続けていた。
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