転生王子はスライムを育てたい ~最弱モンスターが世界を変える科学的飼育法~

宵町あかり

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第6話 進化する生命

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ぷるん。

 小さな音が、静かな研究室に響いた。

 レオンは顕微鏡——もどきを覗き込みながら、息を呑んだ。観察用のレンズ越しに見えるスライムの姿が、明らかに昨日と違っている。

「まさか……」

 三日前に城下町から持ち帰ったスライム1号は、最初は単なる透明な球体だった。ところが昨日から、表面に奇妙な突起が現れ始めていた。それが今朝になって、明らかに『手』のような形状に発達している。

「リヴィエル、ちょっと来て!」

 レオンの興奮した声に、隣の机で資料整理をしていたリヴィエルが振り返った。

「何ですか、また何か見つけたんですか?」

 彼女は内心で溜息をついた。昨日も一昨日も、朝から晩までスライムの観察に没頭する主人の姿を見て、複雑な気持ちになっていた。

(まさか、スライムに嫉妬する日が来るなんて……)

 そんな自分に気づいて、リヴィエルは軽く頭を振った。

「これ見て! 手だよ、手!」

 レオンは興奮冷めやらぬ様子で、観察容器を指差した。透明なガラス容器の中で、青白く光るスライムが、確かに手のような突起を器用に動かしている。

「それがどうかしたんですか?」

 リヴィエルは冷静に答えたが、内心では驚いていた。魔物が急激に形態変化するなど、聞いたことがない。

「どうかしたって……これは生物学史上の大発見だよ! わずか三日で、ここまで複雑な器官が発達するなんて!」

 レオンは前世の知識と照らし合わせて興奮していた。プラナリアの再生能力でさえ、これほど劇的な変化は見せない。

 その時、研究室のドアが開いた。

「おはよう、レオン君。今日も熱心だね」

 シグレ・マカレアが、いつもの穏やかな笑顔で入ってきた。帝国首都魔導大学の研究者である彼は、この数日間レオンの研究に協力してくれている。

「シグレ先生! ちょうど良いところに! 見てください、スライムに手が生えました!」

 シグレはレオンの言葉を聞いて、表情を変えた。ゆっくりと観察容器に近づき、中のスライムを見つめる。

「……これは」

 シグレの声が震えていた。内心では、魔導学の常識を覆す光景に、興奮と恐怖の入り混じった感情が渦巻いていた。

(人工的な進化促進……まさか、生命創造の術式を完成させているのか?)

「面白いでしょう? 僕の培養液がよく効いているみたいです」

 レオンは無邪気に説明した。彼にとっては、前世で見たことのあるような実験の延長でしかない。

「培養液……君は、これをどうやって?」

 シグレの質問に、レオンは得意げに答えた。

「簡単ですよ。ちょっと栄養を足して、温度と湿度を調整しただけです」

「栄養を……足した?」

 シグレは言葉を失った。内心では、この若い王子が口にしていることの意味を理解しようと必死だった。

(魔素による生命エネルギーの直接注入……そんなことが可能なのか?)

 レオンは気づかずに続けた。

「あ、それと、毎日声をかけてあげてるんです。『大きくなれよ』って」

「声を……かける?」

 シグレの顔が青ざめた。

(意思の込められた言霊による成長促進……まさに禁断の領域だ)

 一方、レオンは完全に無自覚だった。彼は単純に、ペットに話しかけるような感覚でスライムに接していただけだった。

「今日は知能テストをしてみようと思うんです」

 レオンは別の道具を取り出した。小さな迷路のような装置と、いくつかの色違いの玉だ。

「こっちに来て」

 レオンがスライムに向かって手招きすると、スライムは本当に容器の中で移動を始めた。青白い光を放ちながら、レオンの方向へゆっくりと這っていく。

「すごい……」

 リヴィエルは思わず声を漏らした。内心では、魔物が人間の指示に従っている光景に、畏怖の念を抱いていた。

(これが召喚術……王子様は、やはり只者ではない)

 シグレはもはや立っていることもできずに、椅子に座り込んだ。

「完全なる生命支配……レオン君、君は一体何をやっているんだ?」

「知能テストですよ。前世——じゃなくて、前に読んだ本で、こういう方法があるって知ったんです」

 レオンは自分の発言に気づいて慌てて言い直したが、もう遅かった。

「前世って……まさか」

 シグレは震え声で呟いた。転生者だとしたら、この異常な知識も説明がつく。

 その時、スライムに劇的な変化が起こった。

 手のような突起が、さらに分化を始めた。指のような細い部分が五つに分かれ、まるで人間の手のような精密さを見せ始める。

 そして、体の上部には、頭部らしき膨らみが現れていた。

「え……ええーーー!?」

 レオンは興奮のあまり、大声を上げた。

「人型だ! 人型に進化してる!」

 シグレは完全に言葉を失った。内心では、魔導学史上最大の禁忌を目撃している恐怖で頭がいっぱいだった。

(人工的な生命体の創造……これは神の領域だ)

 リヴィエルも顔を青くしている。王子が魔物を人間に変える術を使っているという現実に、混乱を隠せずにいた。

 その時、研究室の外で騒がしい声が聞こえてきた。

「本当ですか!? 王子様が魔物を人に!?」

「これで魔物の脅威が減るかもしれません!」

「平和の時代が来るのでしょうか!」

 どうやら、衛兵や使用人の間に噂が広まっているらしい。

 レオンは全く気にしていない。彼はスライムの変化に夢中で、周囲の騒動など耳に入らない状態だった。

「すごいなあ、君は。名前、つけてあげようか?」

 レオンはスライムに優しく語りかけた。内心では、生物への純粋な愛情が湧き上がっていた。

(まるで子供を育てているみたいだ。何だか、微笑ましいな)

 スライムは、まるで返事をするように小さく震えた。

「フィルちゃん……どうかな? フィルミナ」

 その瞬間、スライムの光が一際強くなった。まるで、名前を気に入ったように見える。

「フィルミナ……」

 シグレは蒼白になって呟いた。

「命名による魂の固着……レオン君、君は一体……」

 外の騒ぎは、どんどん大きくなっていく。

「王子様の研究室から、すごい光が!」

「新しい魔法の実験ですか?」

「きっと、民のための研究に違いありません!」

 城内の人々は皆、レオンの行為を善意で解釈していた。しかし、それがかえって騒ぎを大きくしている。

 レオンは相変わらず観察に夢中だった。

「フィルミナ、お座り」

 スライムは本当に、下の方に縮んで座るような姿勢を取った。

「お手」

 人間の手のような突起を、レオンの方向に伸ばしてきた。

「すごいじゃないか! まるで犬みたいだ!」

 レオンは単純に、ペットの芸を喜ぶ飼い主のような気持ちだった。しかし、周囲の反応は全く違う。

「完全なる意思疎通……」

 シグレは記録を取る手が震えていた。

「これは魔導学会に報告しなければ……」

 リヴィエルは溜息をついた。内心では、今回ばかりは本当に父王に報告すべきかもしれないと思っていた。

(坊ちゃま、今度こそ本当にやらかしました……)

 フィルミナ——もはやスライム1号と呼ぶのは適切ではない——は、レオンの指示に完璧に従いながら、さらなる変化を続けていた。

 体の中央部分が縦に伸び、胴体らしき部分が形成される。頭部の下には、首のような細い部分も現れていた。

「本当に人間みたいになってきた……」

 レオンの声には、驚きと感動が混じっていた。内心では、科学の力で生命の神秘に触れている興奮を抑えきれずにいた。

 しかし、その興奮が大変な誤解を生んでいることに、彼はまだ気づいていない。

 研究室の扉が勢いよく開いた。

「レオン様! お噂をお聞きしました!」

 宮廷魔導士の一人が、息を切らして入ってきた。

「魔物の人化……まさか、古代の変換術を復活させたのですか!?」

 レオンは困惑した。

「いや、ただ培養しただけですけど……」

「培養!? 生命培養術!?」

 魔導士は興奮した。その場にいた全員が、レオンの何気ない一言に衝撃を受けている。

 ただ一人、レオンだけが状況を理解していなかった。

「明日には、もっと進化してるかもしれませんね」

 レオンは無邪気に言った。

 その言葉を聞いて、その場にいた全員が言葉を失った。

(明日には……もっと?)

 夕日が研究室の窓を赤く染める頃、レオンはフィルミナの観察を終えた。

「今日はこのくらいにしようか、フィルミナ」

 フィルミナは、まるで名前を呼ばれた喜びを表すように、ぷるぷると震えた。もはや、ただのスライムとは思えない反応だった。

 シグレは記録ノートを閉じながら、深い溜息をついた。

「レオン君、君の研究は……もしかすると、世界を変えるかもしれない」

 レオンは首を傾げた。

「そうですかね? 僕としては、ただフィルミナと仲良くなりたいだけなんですけど」

 その純粋な言葉に、シグレは複雑な表情を浮かべた。内心では、この若い王子の無自覚さが、かえって恐ろしく思えていた。

(意図せずに禁忌を越える……これほど危険なことがあるだろうか)

 外では、まだ人々の話し声が続いている。

「王子様の研究で、魔物が人になる時代が来るのかしら」

「平和な世界になりそうですね」

「でも、ちょっと怖くもありますが……」

 レオンは窓から外を見ながら、不思議そうに首を傾げた。

「なんで、みんなそんなに騒いでるんだろう?」

 リヴィエルは疲れ果てた様子で答えた。

「坊ちゃまが原因です」

「僕が? 何もしてないよ?」

「それが問題なんです」

 レオンには、相変わらず状況が理解できていなかった。彼にとっては、ただ興味深い生物を観察しているだけの、楽しい研究時間だった。

 フィルミナは容器の中で、レオンの方を向いて静かに光っている。

 まるで、明日はどんな姿になっているかを、楽しみにしているかのように——。

 第三王子レオンによる「生命創造実験」の噂は、この夜のうちに帝都全体に広まっていった。

 それが、さらに大きな騒動の始まりになることを、まだ誰も知らなかった。
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