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第2.5章
第4話 残された時間
しおりを挟む海堂に勝利した試合から、数日が経過した。
異世界に召喚されてから恒例となった深夜の訓練を終え、近くの岩に腰掛ける。
「ふぅ」
流れ落ちる汗をタオルで拭いながら、乱れた息を整える。そして、肉刺が潰れ、皮膚が裂け、血の流れる掌に薬を塗り、包帯で固定して行く。
回復魔法や回復薬を使えば、こんな焼けるような痛みを感じる時間は短時間で済む。
だが、それでは意味がない。
回復魔法やポーションは、表面の傷だけでなく、筋肉や皮膚に蓄積した傷まで治してしまう。
一見、言いように思えるが、筋肉痛を治してしまうと、いつまでも筋肉が強くならないし、皮膚も硬くならない。だから、俺は傷薬を毎回使う様にしている。その所為で、俺の手は高校生とは思えないくらいにゴツゴツとした硬い手になっていた。
早乙女は、俺の手を褒めてくれるが、俺自身この手が他人から好かれるような手じゃないという事は知っている。それと同時に、今更か、と言う嘲笑の感情も湧いて来た。
「後、1時間」
試合の最後に観客席の方から感じた、尋常ではない殺気を思い出す。そして、応急処置を終えたばかりの拳を握り締める。
「……いつも言ってるけど、無理し過ぎ」
岩から腰を上げようとして、目の前から風巻の声がして驚く。
「……風巻さん。何か、用か?」
俺の言葉に答えるように、風巻の綺麗な頬が少し膨らむ。
怒っている事は分かるが、自分が何か気に触る様な事をした記憶がなく困惑する。
風巻の格好は、いつも付けている軽鎧を外し、ポニーテールを解き、長い黒髪を肩甲骨の辺りまで下ろしていた。
月明かりが照らし出すその姿を、心の底から綺麗だ、と俺は思う。
「用か?じゃないでしょ……」
風巻は、分かり易いくらいに呆れたオーラを放ちながら、肩を竦める。そして、話を続けた。
「深海、訓練は後1時間だけって、1時間以上前に私達に言ったでしょ?」
「……ぁっ」
「貴方の頭の中は、筋肉でも詰まってんじゃないの?」
「……否定出来ないな」
少し冗談のつもりで言って見たが、哀れな者を見る目で見られてしまった。
風巻は、溜め息を吐き、俺の隣に座る。
「何でそんなに頑張るの?一乃瀬に勝つ為?」
「……それもある。だが、俺が強くなりたいんだ」
「何の為に?」
「…………」
心に決めている理由を言うのは、流石に恥ずかしい。
咄嗟に、風巻から視線を逸らす。
「何恥ずかしがってんの?」
「……いや、その……」
視界の端に風巻の顔が見えた。
絶対に獲物を逃すつもりのない狩人の様な目だった。
今を乗り越えた所で、何れは口を割らざるを得ない状況に追い込まれる事を悟った俺は、何度も声にならない口を動かす。
「俺も、何て言えば良いか……」
「大丈夫。私、深海が言葉にするまで待つから」
風巻の言葉に、誤魔化す事を諦める。
「……護る、ため……」
「護る?」
「そうだ。仲間を、護る為だ」
言ってしまった……。
良い歳をした男が、「仲間を守る為に強くなる!」なんて恥ずかしいにも程がある。
「それの何が恥ずかしい事なの?」
俺の気持ちとは裏腹に、風巻は真剣な表情で俺を見ていた。
「いや、口に出すのは……恥ずかしいだろ」
「そんな事ない」
風巻は断言した。
「口に出して言えない奴は、叶える自信がない腰抜けよ。人を救いたいとか思ってても、結局は自分が1番可愛いの。私は、そんな根性なしを信用なんて出来ない」
隣り合って座る風巻との距離が近い事で、彼女の瞳の色まではっきり見下ろせる。
綺麗だった。端正な造形や瞳の色だけでなく、風巻の生き方や意思が、俺にとっては綺麗で輝いて見える。
風巻の意思に答えたい。
だが、思うように口が動かない。そんな時、物陰から早乙女が転げ出て来た。
「ぅ、ぁ、ごめんなさいっ、僕……邪魔するつもりはなかったんですっ」
「何の話だ?」
「だ、だって、2人の距離感……」
早乙女に言われて、冷静に現状を把握する。
隣り合って座る風巻と俺。
見上げる風巻と見下ろす俺。
2人の距離感を意識してしまうと、恋人同士の様に近い。
「キス、するみたい……」
「……キっっ」
自分の口から出たとは思えない声が聞こえたと同時に、「ぼふっ!」と体が震えて急激に体が熱くなる。
「ち、違う……っ、今、相談を……」
「そうよ、早乙女。ただ、話をしていただけよ」
「そ、そうなんですか……?」
最早、俺は壊れたロボットの様に首を上下に振る。風巻も少し困った様な様子をしていた。
「私、今は彼氏募集してないし」
「あれ、風巻さんは澤輝君の彼女さんじゃ……」
確かに、一時期そんな噂があった。
「その噂、半年くらい前の奴でしょ?それ、嘘だから」
「「えっ!?」」
「私達、付き合ってないから」
「「っっ!!」」
当時のクラス内どころか、学年、学校全体で話題になった一件が、真っ赤な嘘だったと知った俺と早乙女の衝撃は計り知れない。
「私と澤輝って、家が近所の幼馴染だから」
「ほぅ」
「当時お互いに恋愛とか興味なかった期間だけ、私達が付き合った事にしてみただけ」
「それって、嘘ってこと?」
「うんそう」
「「ぇぇ…………」」
多くの少年少女の失恋を生み出した事件。その衝撃の真実、俺達が知って良かったのか。そして、恋心を打ち砕かれた生徒達は、イケメンや美女への嫉妬同盟や親衛隊へと流れて行ったのは伝えるべきなのだろうか。
いや、風巻には責任はない。
きっと、責任はない筈だから、黙っておこう。
だが、同じ男として、男子達には同情する。
「澤輝君と風巻さんって、家が近所だったんだね」
「澤輝も中学までは、うちの門下生だったのよ」
「通りで強い訳だ」
「どう言う事?」
早乙女の問いかけに、視線を風巻に向けた。
「うちの風巻御影流剣術って、その筋では結構有名なのよね」
「ぁ、御影護身術!」
学校でも、女子生徒向けから家族、特に母親向けでプリントが配られる程だ。
俺達の住んでいた地域では、知らない人間の方が少ないかもしれない。
「あ~、一般の人向けの護身術教室ね。それ教えてるのは、私のお父さん」
「え、凄い!」
「まぁ、お父さんも確かに凄いけど……本当に凄いのはお爺様の方かな」
「もしかして、有名人?」
早乙女の言葉に、風巻は首を横に振る。
「一般の人からの知名度だと、お父さんの方が有名よ。でも、お爺様に剣術や体術を習いに来る人は後を立たないわね」
「だったら、有名人なんじゃ……」
「勿論、その筋の人には超有名人かな」
「だが、とても変わり者らしいぞ」
「深海君が言う程なんだ」
「……」
何気ない早乙女の言葉が、胸に刺さる。
「家族の前でも笑った事が殆どないし、人に教える事も仕事として完全に割り切っている人って感じね」
早乙女は、一体どんな人物を想像したのか、一度体をブルリと震わせていた。
だが、真実を知れば、あながち早乙女の反応も間違ってはいない。
現代を生きる、『剣聖』と呼ばれる剣の達人――風巻玄龍。
剣の道を歩む者の前に立ち塞がる、真の強者。
立ち会った者は、どんな達人であっても手も足も出ず、敗北のみを与えられる。
だが、驚異的な実力の一方で、地位や名誉には興味がなく、公式の記録には名前が殆ど載っていない。それでも、風巻玄龍の元に足繁く通う人々は絶えない、と言われていたが、真実だったようだ。
「ちなみに、一乃瀬はお爺様の知人よ。お爺様は、念願の好敵手と呼んでいたけど……」
「え、知り合いなんですか?」
「お爺様曰く、『後、20年早く出会っていれば、無理矢理親友になっていた』そうよ」
風巻玄龍。
他人は、彼を孤高だと言った。
俺も実際に何度かお会いして、同じ印象を受けた事を覚えている。
だが、それ以上に、玄龍は俺を見ていなかった。
体術の教えを乞う際に、相対したが玄龍が見ていたのは、俺――深海庸平ではなく、自分の前に立つ相対した人間だけだった。
まるで、相対する相手など誰でも良い、と言い放つかの様な感覚が全身を悪寒の様に走り抜けたのを覚えている。
そんな玄龍が、可能であるなら親友とさえ呼びたいと語ったとは……。
当然、俺は玄龍の僅かな側面しか知らない。だから、知った様な事は言えない。それでも、凍夜が生きる伝説と知り合いであり、実力を認められていた事に、何故か納得していた。
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