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第5章 三姉妹の気持ち
31 情動 side:千夜
しおりを挟むあの子は、考えが読めない。
他人のことなんて、そう簡単には理解できない。
自分のことだって、人はよく理解できていないものだから。
それは分かっているつもりだけれど。
でも、あの子はその中でも際立っていると、そう思っている。
「なに、こんな時間に」
時刻は夜の九時を迎えようとしている頃、ノックする音が聞こえて扉を開けると、そこには花野明莉の姿があった。
「えっと、その……教えてほしいことがありまして」
腕の中に抱えているのは教科書とノート。
どうやら冷やかしにきたわけではなく、勉強を教えてもらいに来たらしい。
なぜか体を小さくして、私の顔色を窺っているのかはよく分からなかったけれど。
「いいわ、入りなさい」
私は扉を開けて、彼女を招き入れる。
小さく背を丸めて部屋の中に入ってくる姿は、どこか怯えているようにも見える。
「どうしたの、貴女が教えて欲しいと言ったのでしょう」
「いえ、まだ千夜さんの空間に入ってしまうと、緊張してしまいまして……」
自分から来ておいて、勝手に緊張するとはどういうことか……。
とは思わなくはないけれど、それよりも、緊張してでも勉学の方を優先させたと捉えた方がいいのだろうか。
どっちにしても釈然としない気持ちを抱えてしまうのは、私自身よく理解できないでいた。
「それで、どこが分からないの」
私は簡易的な椅子を用意して、勉強机の前に座るよう促す。
彼女はそれに従い、教科書とノートを開いた。
「えっと、ここの問題をどうしたらいいのか……」
「それはね――」
勉強を教えることは別に嫌いではない。
かと言って、好きかと問われればそれもまた違う。
私は“成績”というものを自分が存在する証明として必要としているだけで、その他の感情はあまりに乏しい。
出来るから教えるだけ。
ただ、学生という身分において成績が優秀であって困ることは何一つない。
だから、私は家族に対してだけ、なるべく良い成績を修めるよう促している。
他人のことは好きにしたらいいと思うけれど、家族にだけはその思いを分け与えたい。
けれど、今にして思えば。
彼女のことをまだ認めていなかった頃から、彼女に赤点をとらないよう求めていたのは矛盾していたのかもしれない。
本当に他人と思っているのなら、そんなことに口出しする必要もなかったのだから。
「なるほど。よくわかりましたっ、ありがとうございますっ」
一通り説明し終えると、彼女はさっきまで深い皺を刻んでいた表情を一変させ、明るいものに変わっていた。
「でも、貴女もちゃんと努力をしているのね」
「え、そ、そうでしょうか……?」
「ええ。以前よりも短い説明で理解できるようになっているし。何より教えるべき箇所も減っているわ、継続的に勉強している証拠でしょう」
素直に、彼女の努力の跡が伺えた。
だから、私はそれを評価する。
何てことはない、当たり前のことだった。
「え、えへへへ……」
だというのに、彼女は過分に顔をほころばせる。
そんな表情を浮かべるようなものではないはずなのに。
だって貴女がしてきたことを、ただそのまま評価しただけ。
足されることも、引かれることもない、ありのままの貴女を見ただけだ。
「随分とだらしのない顔になるのね」
それを見て、どういうわけか私はそんな表現をしてしまう。
これは、正当な評価ではない。
彼女は少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべたに過ぎないのだから。
今の私の表現は、本来の彼女から明らかに引きすぎていた。
「うへへっ……」
「どうして更に嬉しそうになるのかしら……」
普通、笑顔をだらしないと言われて喜ぶ人間はいないはず。
なのに彼女はそう言われて、勉強を評価した時よりも表情を崩す。
「いえ、千夜さんに厳しいことを言ってもらえると身が引き締まりますし。それに褒めてもらえて嬉しいんですっ」
そうだ。
彼女は私の全てを受け入れてしまう。
評価をすれば過分に喜び、貶めても喜んでしまう。
情動が全てプラスにしか働かないなんて、本来は有り得ない。
なのに、それを当たり前のようにする彼女の心が私には読めない。
「本当に明け透けに、思ったまま話すのね……貴女」
「聡明な千夜さんに隠し事なんて出来るわけないですからねっ」
そんなことはない。
私が理解できていることなんて、ほんのわずか。
ただ、生徒会の活動と、努力している分の勉強を理解しているだけ。
人の気持ちなんて、全然分かっていない。
そして、それは結果として確かに私に跳ね返ってきた。
私は母親を否定する生き方を選び、その主義を無言で貫くようになった。
その結果が、家族の仲を引き裂くものだとは疑いもせずに。
家族を苦しめたあの女のようにならないために、私は努力していたはずなのに。
それが姉妹の形を歪めるものになってしまっていた。
こんなに本末転倒なことはない。
それを教えてくれたのも、他ならぬ彼女だった。
「そんなことないわ。私なんかより貴女の方がずっと聡明よ」
生き方として、私は良くない道を選んでいたように思う。
こんな難しいことを、彼女は義妹になってすぐに教えてくれたのだ。
とても、私に出来るようなことではない。
「お、恐れ多すぎる……千夜さん、それ人前で言わないでくださいね。多分、わたし刺されます」
だと言うのに。
多分、彼女は私の言葉の意味なんて全然理解せずに、意味の分からない怯え方をし始める。
本当に良く分からない。
「私は思ったことを口にしただけ。そんなこと有り得ないわ」
「そ、そうでしょうか……」
そうして、自分の感じたことを伝えるようになったのは貴女の影響。
壊れかけていた家族関係はそれによって本来の形を取り戻しつつあるのだから、私は感謝しなければならない。
「と、とにかく今日はご指導ありがとうございます。本当に助かりました、それでは……」
いそいそ、と。
彼女は腰を低くして部屋を後にしようとする。
その背中を見て――
「また困ったことがあったら、いつでも聞きに来なさい」
勉強を教えることは好きでも嫌いでもない。
けれど、彼女に教えるのは好ましく感じている。
それが、どうしてなのか。
その答えもきっと単純で。
「い、いいんですか……?」
「ええ、困っている貴女を放っておいて赤点をとられる方が迷惑よ」
そんな自分でも嫌になるような遠回しな表現。
もっと適切な言葉はいくらでもあるはずなのに。
「ありがとうございますっ。千夜さんに教えて頂けると、まだまだ頑張れますっ」
でも、彼女は笑顔でそれを受け入れる。
扉は閉められ、残されたものは私の心の中に吹く涼やかな風だけ。
「……困ったわね」
自分の想いを共有する、そう教わったはずなのに。
貴女が連れてきたこの感情を、私はまだ打ち明けられそうにない。
だって、この感情はあまりに熱くて、とめどなく溢れ出しそうになっているから。
自分でも扱いきれないものは、その手放し方もまた分からない。
でも、そんな矛盾を抱えて貴女と過ごすのも悪くはない。
貴女が教えてくれたこの想いを知ることで、私は貴女を知りたいと、そう思っているから。
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