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第7章 明莉
57 その関係性に名前を付けるなら
しおりを挟む「 ふう……」
ようやくトイレから脱出し、廊下を歩き出した所で溜め息をつきます。
一難去ってまた一難とは、まさにさっきの状況のことでしょう。
華凛さんや日和さんのお誘いをやんわりと断るためにおトイレに行けば、まさかわたしの陰口を聞いてしまうとは……。
冴月さんが上手くカバーしてくれたから良かったですけど、あのままではわたしのハートがブレイクしちゃうところでした。
「そう考えると、冴月さんもなんだか優しいですよねぇ?」
明らかに庇ってくれましたし。
なんだか為になるお話もしてくれましたし。
……なんでしょう。
最初は月森さんたちに告白を強いてきた頭のおかしい人だと思ってたんですけど。
最近はいい人ムーブがすごいです。
「……二人三脚で、わたしの良心が移っちゃいましたかね?」
それしか考えられません。
だって冴月さんがわたしに優しくする理由がないのですから。
「恐るべし、二人三脚」
「……貴女、一人で何を訳の分からないことを言ってるの」
「!? ち、千夜さんっ!?」
気付けば、後ろに千夜さんが怪訝そうな表情で立っていましたっ。
「ぬ、盗み聞きですかっ」
「失礼ね。貴女が神妙な面持ちでいるから心配したのに、意味不明な独白をしているから私も面を食らったのよ」
「え、えへへ……嫌ですね、恥ずかしい」
「どこに羞恥心を抱いてるの貴女……」
独り言を聞かれるのって照れますよね。
「ん? あれ、千夜さん今、わたしのこと“心配していた”って言いました?」
「……そ、それが何。悪いのかしら?」
わお……。
まさか、素直にわたしの心配をしてくれて頂けるとは。
どうしましょう。
最近は冴月さんも、月森さんの皆さんもわたしに優しすぎませんか……?
『あんたが遠巻きに見ようとしていても、あいつらが来るような状況になってんだから。以前とはもう違うのよ』
思い出すのは、冴月さんの言葉。
以前とは変わってしまった、わたしと月森さんたちとの関係性。
「あ、いえ。心配してくれるのはすっごい嬉しいんですけど、あんまりわたしたちが学校で近づくのはよろしくないと言いますか……」
「それは、どういうことかしら」
「え、あの、ちょっと」
しかし、その発言をどう捉えてしまったのか。
千夜さんは鋭い目つきに変わり、さらに一歩を踏み出して距離を詰めてくるのです。
「一体何があったらそんな発言になるのか、その理由を聞かせてもらおうかしら」
言うまで離さないと言わんばかりの圧力と剣幕に、わたしはたじろぎます。
「あ、いえ。さっき生徒さんから、わたしと月森さんたちと絡むのは生意気だという声を聞きまして……」
今までは自分の中で感じていたことでしたが、今回は第三者の意見。
これは重く受け止める必要があるのです。
「関係ないわ」
「え……」
「貴女と私達の関係性を他人がとやかく言う権利はないわ。全ては私達だけの問題よ」
あまりにも真っすぐに、迷いなく千夜さんは告げるのです。
さも当然のように言うものですから、もう一つ確認したくなってしまいました。
「それはわたしが義妹で家族だから、ですよね?」
変わってしまった関係性。
それは家族としての親愛。
全てはそこから始まっていることをわたしは知っています。
ですが冴月さんも、学校中の皆さんもその事情は知りません。
だから、どうしてもそこで行き違いが生じてしまうのです。
その事を、わたしは改めて当事者である千夜さんに確認したいと思ったのです。
「それも関係のないことよ」
「で、ですよねぇ。家族なんですから構って頂けるのは当然……でええええええっ!?」
「一人で何を延々と語っているのよ。奇妙だからやめてちょうだい」
いやいや、だって千夜さんが変なことを言っているんですよ?
「だって義妹であることは関係ないって千夜さんが……」
「ええ、義妹だなんて結局は私達の親の都合でしかないわ」
「そ、それはそうですけど……」
何だか、どえらいことをぶっちゃけますね……。
「だから私は貴女を、華凛や日和と同じ妹とは思えないし思う気もないわ」
「いえ、わたしもあのお二人と全く一緒の扱いを受けられるとは思ってませんけどね……?でもちょっぴり家族としての思いがあるのかなと……」
「じゃあ逆に聞くけど」
「あ、はい」
ぴしゃりと釘をさすように言われ、思わず身が引き締まります。
「貴女は私を家族として、義姉として見ているの?」
「……そ、それは」
「そうじゃないでしょ?少しでもそんな気持ちがあるのなら、同い年の姉にいつまでも名前にさん付けするわけないものね」
……言われて見ると、その通りなのです。
わたしは月森さんたちを義姉として距離感を縮めた感覚は微塵もありません。
どこまでいっても、学園のアイドル“月森三姉妹”という感覚のままなのです。
「自分が感じていないものを、他人には期待するなんて変な論理ね。貴女はどうしてそんなことを思ったのかしら?」
「それは……」
それ以外にわたしと月森さんたちがこうして距離を縮める理由がないと思ったからで……。
言われて見れば、それがおかしいことに気付いたのも確かですけど。
「じゃ、じゃあ……どうして千夜さんはわたしのことを心配して近寄ってくれたんですか?」
それが家族の関係性によるものでないのなら。
千夜さんにとって、わたしとは何なのでしょう。
「貴女を好ましく思っているからに決まっているでしょう」
「……ん?」
するっと、すごい聞き慣れない発言が……。
「えっと……何か言いなさいよ」
いえ、ちょっと処理が追い付かないと言いますか……。
こ、好ましく……?
「もっと分かりやすく言って下さい」
「これ以上ないでしょう!?」
千夜さんのさっきまでの鋭い視線はどこへやら、目線を右往左往させるのです。
何かを探していると言うよりは、何かから逃れようとしているような動きです。
「と、とにかく!私は貴女を貴女として認めているの。だから他人の話に耳を傾ける必要はないし、私達に遠慮も必要ないわ」
「えっと……はい?」
つまり、わたしを義妹としてではなく花野明莉という個人として認めてくれるってことですよね。
だから心配とかしてくれるということで……。
「ほら、昼休みがもうすぐ終わるわ。教室に戻るわよ」
「あ、は、はいっ……!」
先を歩いて揺れる黒髪を目で追います。
わたしたちは、月森千夜と花野明莉として繋がっている。
そうだとすれば、この関係性は何と呼べばいいのでしょう。
「もしかして、わたしたちは友達ってことですか……?」
つまり、ぼっちからの卒業……!?
よ、ようやく本当の意味で学校での居場所が――
「それは認めないわ」
「……ですよねぇ」
――出来ませんでした。
さっきまであんなに暖かった言葉が、急に氷点下に凍り付いていたのですから信じられません。
わたしは人間関係という深淵に、頭を悩ませるのでした。
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