【完結】指先が触れる距離

山田森湖

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第31話 新しい始まり

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第31話 新しい始まり

プロポーズから一週間が経った。

月曜日の朝、オフィスで美咲の左手の指輪を見るたびに、現実感が湧いてきた。私たちは婚約者になったのだ。

「おはようございます」

「おはようございます。今日もいい天気ですね」

いつものやり取りだが、今は特別な意味を持っていた。私たちは人生のパートナーとして、この日常を共有している。

「佐藤さん、指輪のことで同僚の方たちに何か言われませんか?」

美咲が小声で聞いた。

「まだ正式に発表していないので、気づいている人は少ないと思います」

「そうですね。いつ頃、皆さんに報告しましょうか?」

「美咲さんのタイミングに合わせます」

私たちはまだ、職場での婚約発表のタイミングを決めかねていた。

---

昼休み、私たちはいつものレストランではなく、少し離れた静かなカフェに行った。

「美咲さん、結婚式のことですが」

「はい」

「いつ頃がいいでしょうか?」

美咲は少し考えてから答えた。

「来年の春はどうでしょう?桜の季節に」

「素晴らしいアイデアです。桜の季節は私たちにとって特別ですから」

「はい。お花見をした時のことを思い出します」

私たちは結婚式の詳細について話し合った。場所、招待客、衣装。一つ一つ決めていく過程が楽しかった。

「ご両親には、いつ報告されますか?」

私が聞くと、美咲は少し緊張したような表情を見せた。

「今度の休日に実家に帰って報告しようと思います」

「僕も一緒に行かせていただいてもいいでしょうか?」

「本当ですか?」

「はい。正式に挨拶をさせていただきたいです」

美咲の顔が明るくなった。

「父も母も、佐藤さんのことを楽しみにしていると思います」

---

その週の金曜日、私に予想外の知らせが届いた。

「佐藤さん、来月からロンドン支社への長期出張が決まりました」

課長からの話に、私は驚いた。

「長期出張ですか?」

「はい。国際プロジェクトの現地責任者として、半年間の予定です」

半年間。それは予想していたより長い期間だった。

「いつから出発でしょうか?」

「来月の中旬です。準備期間を含めて、三週間後には出発していただきます」

デスクに戻ると、美咲が心配そうに私を見ていた。

「どうでしたか?」

「ロンドンに半年間、出張することになりました」

美咲の顔が青ざめた。

「半年間...」

「大丈夫です。今の僕たちなら乗り越えられます」

でも、私自身も不安だった。結婚を決めたばかりなのに、また離れ離れになってしまう。

---

その夜、私たちは真剣に話し合った。

「佐藤さん、ロンドン出張は断ることはできないんですか?」

「キャリア的には非常に重要な機会なんです。断ると、今後の昇進に影響があるかもしれません」

「そうですね...」

美咲は理解を示してくれたが、明らかに動揺していた。

「でも、結婚式はどうしましょう?」

「春の結婚式は延期しなければならないかもしれません」

「そんな...」

美咲の声が小さくなった。

「美咲さん、申し訳ありません」

「謝らないでください。佐藤さんのキャリアも大切です」

「でも...」

「半年間なら、待てます」

美咲の強さに、私は改めて彼女を愛おしく思った。

「ありがとうございます」

「でも、一つだけお願いがあります」

「何でも言ってください」

「出発前に、ご両親への挨拶は済ませていただけませんか?」

「もちろんです。今度の日曜日、伺わせていただきます」

---

日曜日、私は美咲と一緒に彼女の実家を訪れた。

「お父さん、お母さん、こちらが佐藤さんです」

「初めまして、佐藤と申します」

私は緊張しながら挨拶した。

「こちらこそ、美咲がいつもお世話になっております」

美咲のお父さんは穏やかそうな方だった。お母さんも温かく迎えてくれた。

「実は、美咲さんにプロポーズをさせていただきました」

「そうですか。美咲から聞いています」

「娘をよろしくお願いします」

お父さんが頭を下げてくださった時、私は深く感動した。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

食事をしながら、私たちは様々な話をした。私の仕事のこと、美咲との出会い、そして将来の計画。

「ロンドン出張のお話も聞きました」

お母さんが言った。

「はい。申し訳ございませんが、結婚式が少し延期になってしまいます」

「大丈夫ですよ。お仕事も大切ですから」

美咲のご両親の理解に、私は心から感謝した。

---

帰り道、美咲が言った。

「両親、佐藤さんをとても気に入ったようです」

「安心しました。とても温かいご家族ですね」

「ありがとうございます」

駅で別れる時、美咲が私の手を握った。

「佐藤さん、ロンドンでも頑張ってください」

「美咲さんも。半年後には、必ず帰ってきます」

「待っています」

その言葉に、私は勇気をもらった。

指先が触れる距離から始まった私たちの関係は、今度は大西洋を挟んだ距離になる。でも、私たちの絆はどんな距離にも負けない。

そう信じて、私は新しい挑戦に向かう決意を固めた。

婚約者として、そして将来の夫として、美咲を幸せにするために。
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