心のすきまに【社会人恋愛短編集】

山田森湖

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忘年会の帰り道、彼は道を間違えたふりをした

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忘年会の帰り道、彼は道を間違えたふりをした


 忘年会の帰り道。
 外は冷たい冬の夜風が吹き、街灯が濡れた道路を柔らかく照らしていた。

 隣に歩くのは、同じチームの彼――既婚だけど、何か特別な空気を感じさせる上司。
 飲み会の余韻で少し酔った私の心は、普段よりも素直になっていた。

「……あれ?この道、違いますよね」
 思わず訊くと、彼は少し間を置いて、ふっと笑った。

「少しだけ、遠回りしてもいいですか」

 その答えに、胸の奥がぎゅっとなる。
 普通なら、ただの帰り道の遠回り。でも、今夜は何か特別な意味があるように感じる。

 歩幅を合わせて歩く。
 寒さで手がかじかむけれど、彼の存在が近くにあるだけで、温かさを感じる。

 「この街、冬は冷えますね」
 つい小さな声で呟くと、彼が軽く肩に触れた。
 その一瞬で、心臓が跳ねる。

 私たちは既婚・独身という境界線を知っている。
 だから、触れられる距離も、会話の内容も、自然と制限される。
 だけど、今夜はその線が少しだけ曖昧になっている気がした。

 途中、人気の少ない公園の前を通り過ぎる。
 雪がちらつき、ライトに反射してきらきらと輝いている。
 彼がふと立ち止まり、私の方を見た。

「こうして歩くと、なんだか時間を止めたくなるな」

 その言葉に、胸が熱くなる。
 止めたい時間――それは、誰にも邪魔されず、彼と一緒にいられる瞬間。

 「……このまま、歩き続けたいですね」
 思わず答えると、彼は少しだけ微笑み、私の手をそっと取った。

 触れるだけの手の温もり。
 言葉は交わさない。
 でも、互いの心は確かに繋がっている。

 駅が近づく頃、現実に引き戻される。
 「もう、ここで別れですね」
 小さく呟くと、彼は軽くうなずいた。

「また、来年もこうして歩けるといいな」
 その言葉に、胸の奥がじんわり温かくなる。
 既婚という線を知りながらも、今夜だけは、甘い現実逃避をしている気分だった。

 改札前で手を離すと、彼はふと立ち止まり、真剣な眼差しで私を見た。

「……気をつけて帰ってね」

 その一言だけで、心はぎゅっと締め付けられる。
 でも、笑顔で「はい」と答えるしかない。

 別れ際の短い間に交わした視線。
 触れられた手の温もり。
 遠回りした夜道のすべてが、私の胸に深く刻まれた。

 帰宅後、布団の中で目を閉じる。
 今日の出来事を反芻すると、胸の奥が熱くなる。
 触れられたわけでもない、ただ歩いただけの夜なのに。
 それだけで、社会人としての孤独や、普段の抑え込みが少し溶けていく気がした。

 言えない想いを胸に抱えながらも、遠回りした夜道は、私にとって最高のご褒美になった。
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