【完結】“熟年恋愛”物語

山田森湖

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第9話「心を開くということ」

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第9話「心を開くということ」


「昔、妻が病気で亡くなったんです」

ある夜の帰り道、圭介はぽつりと口にした。
その日はイベント後、佳奈美と自然な流れで駅まで一緒に歩いていた。

「そう……だったんですね」

「うん。……もう十年以上も前のことだから、涙は出ない。でも……時々、自分に問いかけてしまう」

「何を?」

「“あの人がいたのに、俺はまた誰かを好きになっていいのか”って」

佳奈美は立ち止まった。
街灯の光に照らされたその横顔は、今までよりも少し弱く、そして温かかった。

「圭介さんがそんなふうに悩んでるなんて、思ってもみなかったです」

「俺も、あまり人に話したことないから。……でも、佳奈美さんには、なぜか話したくなった」

彼の声は少し震えていたが、確かな誠実さが込められていた。

佳奈美は、しばらく考えてから口を開いた。

「私も、話していいですか?ちょっと……長くなるかもしれないけど」

「うん、聞かせて」

佳奈美には、長く付き合っていた人がいた。
結婚の話も出ていた。
けれど、ある日その人は何も告げずに姿を消した。音信不通になり、最後に届いたのは、彼の両親からの“結婚をやめさせてくれ”という手紙だった。

「自分でも驚くほど、私は壊れました。なにが悪かったんだろうって、自分ばかり責めて」

「……辛かったですね」

「ええ。でも、あるとき気づいたんです。私はその人を愛していた以上に、“選ばれなかった自分”を受け入れられなかったのかもしれないって」

「……」

「だから、今でも怖いんです。誰かと近づいても、また拒まれるんじゃないかって」

二人は立ち止まり、夜風の中で向かい合った。

「俺たち、似てるのかもな」
圭介が優しく言った。

「傷があるってだけで、人に会うのが怖くなる。でも、今日みたいに話せたら……ちょっとだけ、楽になる」

「……はい」

「じゃあさ、今度——映画でも行きませんか?」

「え?」

「昔好きだったシリーズの続編が、今週末から公開されるんです。……誰かと映画館に行くのなんて、何年ぶりだろう」

佳奈美は、小さく笑った。

「私も。映画館って、誰かと行くと……心までスクリーンに投影される気がして、怖かったんです」

「でも、今は?」

「……行ってみたいです。一緒に」

二人は、並んで歩き出した。
傷は癒えたわけじゃない。
でも、誰かに話すことで、少しだけ“痛み”はやわらぎ、“過去”が現在に溶けていく。

心を開くということ。
それは決して、忘れることでも、乗り越えることでもない。
ただ“誰かと今を共有する”ことから、始まるのかもしれない。
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