森へ消えた悪役令嬢

ともえなこ

文字の大きさ
11 / 30

11

しおりを挟む
「イザーク、今日は少しだけ散歩に付き合っていただけないかしら」

朝の光が差し込む小屋の中で、グレイスはそう口にした。森での暮らしに落ち着いてきたとはいえ、彼女の心にはまだ何か重いものが残っている。

「ええ、もちろん。体はもう大丈夫なんですか」

「ええ、だいぶ良くなったわ。あなたにたくさん助けてもらったおかげよ」

そう微笑むグレイスの声には、どこか切なさが混じっていた。イザークはそれを察したのか、黙って扉を開き、グレイスの外出を促す。

「無理をしないでくださいね。今日は天気もいいですし、近くの泉まで行きましょう」

少し歩けば、森の合間から穏やかな日差しが降り注いだ。空気は少しひんやりとしているが、冬の気配はまだ遠い。静かな林道を並んで進むと、木の葉の擦れる音と小鳥のさえずりが優しく耳をくすぐる。

「なんだか不思議。王宮にいた頃は、こんな自然の音に耳を傾ける余裕なんてなかった」

グレイスは吐息まじりにそう呟く。王都の華やかさとはまるで違う森の景色。しかし、その静寂の中にこそ、人の心を癒す力があるのだと今はわかる。

「グレイス」

イザークが不意にグレイスの名を呼ぶ。その声音に、彼女は小さく肩を震わせた。

「あなたがまだ苦しそうに見えるのは、王太子のことを忘れられないからですか」

森の小道に足を止める。イザークの言葉は決して責めるものではなく、ただ事実を確かめようとする問いかけに感じられた。

「……忘れられないわ。あんな仕打ちを受けて傷ついたはずなのに、私、婚約破棄される前の思い出にすがってしまうの」

ぎゅっと胸元を押さえながら、グレイスは視線を落とす。ハロルドの冷たい眼差しと、それまでにあった数多の優しさ。どちらが本当の彼だったのか、答えを見いだせないでいる自分がもどかしかった。

「それは自然なことですよ。人の心はそんなに簡単に切り替えられない」

イザークは優しく微笑むと、グレイスの肩をそっと支える。

「でも、あなたの大切な時間を壊した人は、結局あなたを信じなかった。そこに未練を抱くのは苦しいでしょう」

その言葉に、グレイスは唇を噛みしめる。自分を信じてくれなかったという現実。それを突きつけられると、何度でも胸が痛む。

「……本当に信じてほしかったの」

「わかります。ですが、あなたはもう自由になった。まだ心が追いつかないかもしれないけれど、少なくともここには、あなたを尊重する人間がいます」

イザークがぎこちなく手を伸ばそうとするのを、グレイスは感じ取る。彼女はそっと目を伏せ、わずかに苦笑した。

「不思議ね。あなたが言うと、少し気持ちが楽になる」

「私でよければ、いつでも話を聞きます。過去を無理に切り捨てる必要はありませんが、あなた自身が前を向きたいときは、支えになりたい」

イザークの瞳には誠実さが宿っていた。グレイスはその瞳を見つめながら、小さく息をつく。まだハロルドへの未練を捨てきれない自分がいることを認めつつ、今そばにいてくれるイザークの存在をありがたく感じる。

「……泉まで、もう少し歩きましょう」

グレイスが提案すると、イザークは柔らかな笑みで頷いた。そのまま二人はまた歩を進める。森の奥からは、水のせせらぎがかすかに聞こえてきた。

きっと、この小さな歩みがグレイスの心を少しずつ前へ進めるのだろう。未練は残っていても、彼女の周りには、今確かに寄り添ってくれる人がいる。グレイスはそれを噛みしめるように、ゆっくりと木立の中を進んでいった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。

ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」 その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。

永遠の十七歳なんて、呪いに決まってる

鷹 綾
恋愛
永遠の十七歳―― それは祝福ではなく、三百年続く“呪い”だった。 公には「名門イソファガス家の孫娘」として知られる少女キクコ。 だがその正体は、歴史の裏側で幾度も国を救ってきた不老の元聖女であり、 王家すら真実を知らぬ“生きた時代遺産”。 政治も権力も、面倒ごとは大嫌い。 紅茶と読書に囲まれた静かな余生(?)を望んでいたキクコだったが―― 魔王討伐後、王位継承問題に巻き込まれたことをきっかけに、 まさかの王位継承権十七位という事実が発覚する。 「……私が女王? 冗談じゃないわ」 回避策として動いたはずが、 誕生した新国王アルフェリットから、なぜか突然の求婚。 しかも彼は、 幼少期に命を救われた“恩人”がキクコであることを覚えていた―― 年を取らぬ姿のままで。 永遠に老いない少女と、 彼女の真実を問わず選んだ自分ファーストな若き王。 王妃になどなる気はない。 けれど、逃げ続けることももうできない。 これは、 歴史の影に生きてきた少女が、 はじめて「誰かの隣」を選ぶかもしれない物語。 ざまぁも陰謀も押し付けない。 それでも―― この国で一番、誰よりも“強い”のは彼女だった。

殿下、私以外の誰かを愛してください。

ハチワレ
恋愛
公爵令嬢ラブリーは、第一王子クロードを誰よりも愛していました。しかし、自分の愛が重すぎて殿下の負担になっている(と勘違いした)彼女は、愛する殿下を自由にするため、あえて「悪役令嬢」として振る舞い、円満に婚約破棄されるという前代未聞の計画を立てる。協力者として男爵令嬢ミリーを「ヒロイン役」に任命し、準備は整った。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

婚約破棄だ!と言われ実家に帰ったら、最推しに餌付けされます

黒猫かの
恋愛
王国の第一王子クレイスから、衆人環視の中 で婚約破棄を言い渡されたローゼン侯爵令嬢ノエル。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

処理中です...