森へ消えた悪役令嬢

ともえなこ

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「ここが泉……こんなに澄んだ水が湧き出ているなんて」

青々とした苔むす岩の間から、透き通る水が湧き出している。小さな泉の水面は鏡のように静かで、背後の森を映し出していた。

「ええ、この泉は森の中でも特別だと言われています。水に神聖な力があるとかないとか……」

イザークは泉の縁でかがみ込み、指先を軽く浸す。冷たい水温に、微かに息をのむような表情を浮かべた。

「昔からここにいるんですか。あなたはどうして森で暮らすようになったの」

グレイスの素朴な疑問に、イザークは少しだけ間を置いた。視線は泉の水面を見つめたまま、言葉を選ぶように口を開く。

「理由はいろいろあります。でも大きいのは、私が王家の陰謀に巻き込まれたこと……かな」

その言葉に、グレイスは驚きのあまり思わず泉のほとりで立ち止まる。イザークが口にしたのは、あまりにも重い響きを持つものだった。

「王家の陰謀……具体的には、どんな」

「……私の親がかつて王都である地位についていたのですが、不当な罪を着せられました。真相を追おうにも手がかりがなくて、私は森に隠れざるを得なかった」

イザークの声は静かだが、心の奥に眠る苦しみがにじみ出ているように感じられる。彼はそれ以上多くを語ろうとしない。

「そう、だったの。……もしかしたら、あなたも私と同じように濡れ衣を着せられたの」

「似たようなものかもしれません。私の場合は家族の問題でしたが」

イザークはそっと立ち上がり、グレイスのほうを振り返る。その瞳にわずかな哀しみが宿っているのがわかる。

「だから、あなたが悪役令嬢だなんて言われたと聞いたとき、他人事とは思えませんでした。……真実は大抵、権力に押しつぶされる。私はそれを学んだのです」

その言葉に、グレイスは強い共感を覚える。自分もまさに、王太子や周囲の誤解によって婚約破棄され、森へと逃げ込んだ。似たような境遇だと知ると、イザークへの親近感が深まるのを感じた。

「でも、あなたはここで生きている。誰にも頼らずに、自分の意思で」

「ええ。それが私にとっての答えでした。世間から隠れることが自由というわけでもありませんが、少なくとも私が無意味な争いに巻き込まれずに済む方法だった」

イザークは木漏れ日の下で、泉のほうにもう一度目を向ける。水面はまるで真実を映し出す鏡のように、二人の姿を揺らしていた。

「私も、あなたの姿を見ていると感じるものがあるわ。……逃げるだけじゃ何も変わらないけれど、ここで静かに暮らすことも、悪くない選択なんだって」

グレイスはそう言いながら、自分が本当に何を望んでいるのか、改めて自問する。王都に戻るのか、それとも森での生活を受け入れるのか。答えはまだはっきりとは見えない。

「あなたの居場所は、あなたが決めればいい。少なくとも私は、あなたを追い出したりしません」

「ありがとう、イザーク」

静かに向けられる彼のまなざしを見つめ、グレイスは少しだけ笑みを浮かべる。王家に翻弄された者同士――その言葉を噛みしめながら、澄み切った泉のほとりで二人はしばし語らい続けた。
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