森へ消えた悪役令嬢

ともえなこ

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「また寝つけない夜が続いているのか」

イザークが小さなランプを灯しながら、グレイスの顔をのぞきこむ。彼女はベッドに横になっているものの、表情は疲れ果てていた。

「ごめんなさい、こんなにお世話になってるのに……」

グレイスは弱々しい声で言葉を返す。婚約破棄以来、夜な夜な嫌な夢を見るようになり、何度も目を覚ましてしまうのだ。

「大丈夫です。私にはあなたが眠れないほど悩んでいることのほうが気がかりですよ」

イザークはランプをそっと棚に置き、グレイスの手元に薄いブランケットを掛ける。森の夜は冷え込むので、温かくしておかないと体調が崩れやすい。

「……まだハロルドのことを考えてしまうの。あの人が信じてくれなかった理由とか、私が本当に悪役だったのかとか」

声は震えている。グレイスは目をつぶっていても、あの日の光景がはっきりと蘇る。公の場で婚約破棄を宣言され、周囲から冷ややかな視線を浴びせられた瞬間。胸の奥がえぐられるような痛みが走る。

「あなたが悪いわけがない。……けれど、今すぐ忘れろと言っても無理でしょう」

イザークの声は静かに響く。彼もまた、過去の傷を抱えながら森で生きてきたのだ。それゆえ、グレイスの心の痛みを自分事のように理解している。

「そう、無理なのよ。忘れたいのに、忘れられない。……悲しみって、こんなにも胸を締め付けるものなのね」

グレイスは小さく身をかがめる。イザークは言葉をかけるよりも先に、彼女の背にそっと手を添えた。

「泣いてもいいですよ。誰もあなたを咎めたりはしない」

その言葉に、グレイスは限界まで我慢していた涙を零す。頬を伝う涙はまるで、今まで溜め込んできた嘆きそのもの。小さな声で泣きじゃくる彼女の姿は、どこか幼子のようだった。

「……ごめんなさい、イザーク。こんな姿を見せて」

「誰にも見せられないなら、私だけでもいいじゃないですか」

イザークが優しく背中をさする。その温もりに包まれて、グレイスはさらに涙をこぼす。悔しさ、悲しさ、裏切られた怒り――すべてが押し寄せてきて、言葉にならない嗚咽が深夜の小屋に響く。

「私は、ただ、信じてほしかったの。……誰かに受け入れてほしかった」

「今、あなたはここにいて、私はあなたを受け入れています。……それじゃ、足りませんか」

囁くような声を耳にして、グレイスは少しだけ顔を上げる。イザークの瞳は、消えかけたランプの光を受けて、微かに揺れていた。

「足りないなんて、そんなこと……むしろ、すごく救われてる」

グレイスは涙をぬぐい、かすれた声で言った。夜の暗がりの中、二人の間に流れる温かな空気が、彼女の痛んだ心を少しずつ溶かしていく。

「……ゆっくり休めますか。無理なら、私が隣で座ってても構いません」

イザークの優しさに胸がいっぱいになる。グレイスは小さく頷きながら、深呼吸を試みる。

「ありがとう。今夜は少しだけ、あなたのそばで……」

そう呟いて目を閉じる。イザークは毛布を整え、彼女の呼吸が落ち着くのを待つ。外では風が枝葉を揺らしていたが、その音すら子守唄のように穏やかに聞こえた。

心の傷は一朝一夕では癒えない。けれど、一人で抱えるよりは、誰かに寄り添ってもらうほうがはるかに楽になる。グレイスは、深い眠りに落ちる直前、イザークの存在の大きさを改めて感じていた。
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