98 / 160
外伝2黒神の大祭典編
外伝2黒神の大祭典編-2
しおりを挟む
01
『門』が閉じられて十ヶ月。
自衛隊特地派遣部隊は、特地で獲得した領土の保持・安定に努める任務を達成すべく日々訓練に明け暮れつつも、同時に自らの生存のための事業にとりかかっていた。
その中でも代表的なものが、燃料確保を目的とした石油精製プラントの建設と脱硫装置の開発、食糧確保を目的とした稲作の奨励であった。
特に燃料の精製は急務とされた。そのため駐屯地の一角では、担当幹部達の指導の下、様々な試験設備の建設が急ピッチで進められているのだ。
もちろん、それ以外の事業も並行して進められ、多くの人材と資源が投入されている。
隊員達の多くは、それぞれが持つ本来の任務とは別に、持っている資格や経験知識、能力に応じた役割をこなすことが求められ、ブラック企業に勤める者が見たら「まだ俺の方がマシ」と思うほどの日々を送っていた。
それは、伊丹とて例外ではない。
狭間が伊丹に向けて語りかけた。
「本土――すなわち銀座との連絡が遮断されたことによって、『娯楽』が失われたことの影響は予想以上に大きい」
燃料節約のために、必要がない限りは照明をつけないで会議を行う。これは幹部自衛官達にとってもはや常識となっている。
だが薄暗い室内で誰とも分からないシルエットに向けて話しかけ、声だけが飛び交う場にいると、伊丹などは新世紀エヴァンゲリオンに出てくるゼーレとかいう怪しい組織の会議みたいだなと思ったりする。
「隊員の士気の維持が大変になりつつあるという現場の声も上がってますね」
「しかし、我々とてこれまで無為無策でいたわけではないぞ。スポーツや音楽といった余暇活動を奨励して、隊員達のフラストレーションを健全な方向に発散するように促してきたつもりだ」
「だがそれだけでは不十分だった」
「考えて見れば当然だよ。我々はテレビやインターネット、新聞などから情報刺激を受けることが当たり前となっていた。一般隊員が欲求不満を蓄積させていくのも仕方がない」
「それがわたくしどもの意図しない困った方向に向けられることだけは、避けたいですわね」
「アルヌス州に住む多くの特地女性が日本国籍を得たことで、自由恋愛を制限する指示は死文化した。今では、丘を下れば街のあちこちで隊員達が女性に声を掛けている光景が目に入る」
「勘違いしないでくれたまえよ伊丹二等陸尉。我々はそれを禁止しようとしているわけではないのだから。若い隊員達が礼儀正しく振る舞えるのなら、それはそれで良いのだ」
「だが隊員の中には、そうした親密な関係を醸成するための駆け引きを苦手とする者もいる。誰もが健軍一佐のように、器用に振る舞えるわけではないのだからね。そうした者が思いあまって不祥事を起こす事態だけはなんとしても防がねばならん」
なんで俺の名前が引き合いに出されるんだ? という呟きがどこからともなく聞こえたが、皆から無視されてしまう。
「そうだ。早急に対策が求められる。そのためにも『娯楽』の充実が必要なのだ」
「隊を健全な状態に保つために、隊員達の心と身体に『娯楽』を提供し続けねばならん」
「伊丹君。計画の進み具合はどうかね?」
長い前置きだなぁと思ったが、伊丹は声のトーンを下げて皆に調子を合わせ、厳かに答えた。
「はい。全ては委員会の予定通りに」
「はっ! 予定通りとは、お前の趣味が満載された特別図書館の設立のことかね?」
「自分のしたいことだけをするために、限りある資源をどれだけ浪費してくれた? 膨大な量の紙とプリンター・トナーが消費されたせいで、今では事務仕事の多くが手書きになってしまった」
「だが、伊丹でなければこの計画を進めることが出来なかったこともまた確かだ。電力を節約しようとするなら電子機器の使用は極力控えるべきで、その点、読書は良いからね。彼の個人的な蔵書や、データの提供には素直に感謝すべきだと思うよ。予想以上の量にびっくりはしたがね」
すると、書棚二十個分もの書籍データなんてどうやって集めたんだという陰口が聞こえたりした。
だが伊丹はそれを無視して、狭間陸将の言葉を裏打ちする状況報告をした。
「えーおかげさまをもちまして、特別図書館の利用者数は順調に増えています」
「それは認めざるをえまい。君のおかげで一部の隊員達は大変に喜んでいるよ。あくまでも『一部の』だがね」
「そう。マンガを含むサブカルチャーは我が国の誇るべき文化ではあるが、万人がそれを良しとするわけではないということは弁えてもらいたいのだよ、伊丹二等陸尉」
「次は、皆が平等に楽しめる企画を期待するよ。ただし資源や予算のかからないものが望ましい」
「分かっています。そのために放つ二の矢がコレです」
伊丹は皆に資料を見るように求めた。
「灯りをつけたまえ」
ようやく会議室の電灯が灯された。急に明るくなり怪しい雰囲気が霧散する。
見渡してみれば、そこに集まっていたのはいつもどおりの上級幹部達であった。
女性陸曹が彼らの後ろを歩みながらお茶と資料を配っていく。
お茶は麦茶。特地産の麦を加工して作ったものだ。
皆に配られた資料は、このアルヌスで作られたわら半紙に印刷されている。
油脂に浸した薄紙に文字をカリカリと削り、その下に紙を敷いて、ローラーでインクを擦りつける印刷方法だ。乾式コピー機の普及により、日本ではすっかり廃れてしまった『わら半紙』や『ガリ版(謄写版)印刷』と呼ばれる技術がこの特地で復活したのである。
どちらも年配の隊員が工夫してひな形を作り上げ、それをアルヌスの街にある工房街の職人ドワーフ達に生産委託した。ドワーフ達はこれらの販売で利益を上げ、自衛隊は、その対価としてこれらの生産品を無償で供給してもらうという仕組みである。
伊丹は皆に資料が行き渡るのを待ってから口を開いた。
「二ヶ月ほど前のことですが、このアルヌスで隊員の子供を出産した女性がいます」
「報告は受けている。たしか母親は帝国から派遣されている駐在武官のボーゼスさん。父親は富田二等陸曹だった。生まれた子供の名前は確か……」
子供は女の子で、父親によって『舞』と名付けられた。
「その舞ちゃんの誕生を祝う、披露宴に似た催しを行おうという動きがあります」
「披露宴?」
「はい。神社でお祓いを受ける程度の祭事らしいのですが、ここしばらく祝い事がなかったのと、神殿落成後の最初の行事とあって、女連中がノリノリになってまして」
「確かに忙しさにかまけて、お祭りのようなことはしてきませんでしたね」
「要するに、誕生祝いに便乗して派手な宴会をしようというわけだね?」
「誕生祝いというよりは、七五三に似てるんですけどね」
「七五三では披露宴はしないだろう?」
「あっ、でも日本でも茨城県とか一部の地方では、七五三で結婚式の披露宴に似たことをするそうですよ。親類縁者を招いて子供達が作文を読んだり、着飾ってお色直ししたりとか。わたし、友達の結婚式に呼ばれて土浦に行った時、ホテルでそういうの見たことがあります」
「で、伊丹二尉の提案はなんだ? それに便乗して我々も宴会でもしようと言うのか?」
「はい。折角だからいろいろ合わせて、盛り上げてやったら面白いかなって。それで今回のこれを企画しました。士気の維持にも役立つと思うんですが……ダメですかね?」
幹部の一人が資料の題字を読み上げた。
「駐屯地祭か。これってやっぱり駐屯地を開放して、地域住民に展示品を見てもらうのか?」
「展示演習も欠かせないですよ」
「いいねぇ、それ。見せることを前提にすると訓練にも気合いが入るんだよ」
「模擬店はどうしましょう?」
そんな幹部達の会話に参加せず、書類に目を通していた狭間陸将が一点を指さした。
「おい、伊丹。ここに重要招待者という記述があるが、いったいどんな人物なんだ?」
「ナッシダでこのアルヌスに来るボーゼスさんの親御さんとご親族、ご友人達を想定しています。やはり一度きちんと状況を説明した方が良いかと思いますし」
「そうか、彼女の親御さんか……。その方面の対応は確かに必要だな」
「どういうことですか陸将?」
「今回の赤ん坊の誕生が、二人がきちんと結婚してのことではないということだ。無論、富田が不誠実だからではない。富田二曹からは、なんとか手続きを出来ないかという申し出は再三あったのだ。だが婚姻届を受け付ける窓口がここに存在しない以上は、我々にはどうすることも出来なかった。この特地の状況は何もかもが未整備で、すべての決定、認定、手続きが仮の形だ。そしてこの状況は『門』が再開されるまで続く。そのせいで富田とボーゼスさんは内縁関係に過ぎず、国の法的保護を受けられない」
「厄介なのは子供の国籍ですわ。法律的に言えば、このケースでは出産前の胎児認知という手続きをしてないので、子供が日本国籍をとれなくなります」
「考えて見ると危なかったですね陸将。母子共に健康とはいかなかったら、そのまま国際問題に発展する可能性とてあり得たかも知れません」
例えば、何かがあって母親が亡くなってしまったとしたら、帝国人の子として生まれた赤ん坊の親権を、富田が主張出来るか極めて難しいことになるのだ。
「その通りだ用賀くん。この状況を彼女の親御さんが不満に思ってないはずがない。我々の誠心を疑われないようにするためにも、そうした事情説明はきちんとしなければならない。よく気が付いてくれた伊丹君。で、具体的にはどうすればいいと考えているのかね?」
「ご両親、友人を我々で歓待して誠意を示しつつ、結婚についての制度の違いを説明してはどうかと思います。その上で形だけでも儀式をやっちゃったらどうかとも思って、サプライズ企画を立てました」
「儀式!? それは結婚式を挙げるということか? 入籍も出来ないのに?」
「形だけです。でも当事者達が納得するならそれもまた可だと思いませんか?」
伊丹は、戸籍制度のないこの特地では、手続きなんかよりも儀式を行ったかどうかという形式の方が重視されるのだと説明した。
「だからここに『日本・特地の文化比較展示。例として結婚式』と書いてあるのかね?」
駐屯地祭の出し物の欄を幹部達は指さす。だが狭間は言った。
「君の意図するところは分かった。だがサプライズはいかんよ。下手をすると見世物になりかねん。新郎新婦双方にきちんと納得を取り付けて行って欲しいと思う」
「え!? あ……はい、分かりました。では二人に説明して了解をとります」
「それで、結婚式をするとして我々は何をすればいい?」
「陸将には富田の父親代わりとなって、ナッシダ、結婚式の双方にご参列願います。それとパレスティ家の人々とボーゼスさんの友人を、駐屯地で歓待するくらいですかね」
「富田二曹の実家代わりを隊が引き受けるなら仕方ないな。アルヌス駐屯地は空いている建物も多い。駐屯地祭、結婚式、それとそのナッシダか……必要なだけ宿泊してもらえばいい」
伊丹の提案を狭間は当然のように承認した。これで組合専用の宿泊施設が空く。つまり、そこにロゥリィのところにやってくる神官連中を詰め込めばよいのである。
五十人の神官を詰め込む場所をつくるために、特地方面隊全体を巻き込む企画を立てるというのも本末が転倒しているが、肩身が狭い状態にある富田の状況の改善とも合わせ、これが八方丸く収まる方法ではないかと伊丹なりに考えたのである。
実際、幹部達の反応も好意的だった。
「こういう企画は悪くないね。隊員達の気晴らしになるし、よい娯楽になるのは確かだ」
「住民を駐屯地に招き入れてのお祭りとなれば、地元女性とお近付きになるのが苦手な連中を後押しする良い機会になりますしね」
「だがちょっと待ってくれたまえ。この催しでいったいどれほどの予算と資源を消費することになると思ってるんだ? それを考えたらこれは軽々に応じるわけにはいかない提案だよ」
その言葉を待っていた伊丹は、「そこで、資料の二枚目をご覧下さい」と告げた。
「何々?」
「模擬店の出店者を募って収益を上げさせる……だと?」
伊丹は読めば分かるようなことは説明から省いて、いきなり補足から入った。
「はい。先ほどお話のあったように、我々特地派遣部隊は様々なサークル活動を行ってます。ですが残念ながら、予算不足もあって思うに任せてないみたいです」
音楽は楽器が必要となり、スポーツは道具が必要だ。そしてそれらは使用すれば傷むし消耗する。
新たに購入しようにも特地ではまかなうことも難しく、楽器の弦やらボールに類する物はアルヌスの工房街に行って職人ドワーフに特注することになる。その費用が馬鹿にならない額なのだ。
「なので模擬店については、隊員達に参加者を募って好きなようにやってもらいます。必要な経費はそれぞれが自弁する。かわりに収益が上がったらそれを各自で好きなように使用して良いことにすれば、安く済むんじゃないかな……と」
必要な経費の一切は参加者の自弁。地域経済活性化のために、使用する物資は可能な限り特地で手に入るものを利用することという記述に、皆の視線は釘付けになった。これならば備蓄物資の消費を必要最低限に抑えることが出来るだろう。
「しかしこれじゃあ、大学か高校の学園祭みたくなるぞ」
「ええ、まあ学園祭のようなものだと考えてもらえば話は早いですね」
身も蓋もない物言いである。だが、それはそれで分かりやすくもあった。
「なら、我々は棒倒しでもするか?」
「それはいい! 人寄せになることは間違いないですよ」
幹部達は防衛大名物の競技について語りながら視線を狭間へと向けた。
結局のところ、この手の企画を実行するかしないかは狭間陸将の決断一つである。しかし狭間は何を考えているのか、簡単には首を縦に振らなかった。
伊丹を見据えてじっと考え込み、やがて重々しく口を開く。
「アルヌス方面隊を挙げての催しとなると、その代表が伊丹君では任が重いな。誰か適当な上級幹部を実行委員長に据える必要があるように思えるのだが、皆の意見はどうかね?」
これには皆も賛成した。狭間は「任が重い」という表現で真意を隠したが、伊丹に任せておいたのでは、この催しが変な方向に全力疾走することは誰もが予想出来たのだ。
絶対にブレーキ役が必要だ。というより伊丹という存在をこの企画から排除してしまう必要性すら感じられた。しかし、誰もが忙しくてこの手のことには煩わされたくないとも思っている。上級幹部は人数が不足しているため、一人で何役もの仕事をこなしている状態なのだ。
お前やれ、いや自分はちょっと……という目配せが会議室を飛び交った。
その時である。「その役目、わたくしが適任のようですね」と手を挙げる男がいた。
その白い制服をまとった幹部自衛官の存在に初めて気付いたのか、健軍一佐は首を傾げた。
「誰、あいつ?」
これまで一度も声を発したことのない人物の発言だけに、あちこちで「あんな奴いたっけ?」という囁きが飛び交う。健軍の問いに、隣にいた加茂一佐が答えた。
「江田島二等海佐。白百合議員と一緒に来た、交渉使節団の一員だった男だ」
江田島五郎は、政府の交渉使節団として帝都にまで同行した海上自衛隊派遣の武官だ。
白百合は永田町に戻ったが、江田島は海自派遣幹部として特地の海洋事情・列国の海軍情報を集めるためにこの特地に残ったのである。
用賀二佐が手を挙げた。
「でも駐屯地祭ですよ。その仕切りを『海さん』に頼むわけにはいかないでしょう」
すると江田島は薄笑みを浮かべて柔らかく応じた。
「はい。確かに駐屯地祭です。しかしながらこのアルヌス派遣部隊には、陸ばかりでなく空の隊員も、そして海の隊員たるわたくしも在籍しているのです。折角の機会なのですからそうした縄張り意識を捨てて、自衛隊という大きな枠組みで考えてみてはいかがでしょうかねぇ?」
「じゃあ、駐屯地祭じゃなくて『自衛隊祭』?」
「名称はおいおい考えることにしませんか? 陸と海、縄張りは異なりますが国を守るために身体を張っている仲間同士なんですから。お役に立てると思いますよ」
江田島は、自分ならば本業に影響することなくこの任を果たすことが出来ると語った。
理由は、暇だからである。何しろこのアルヌスには「海」がないのだから。
二ヶ月ほど前、伊丹がグラス半島周辺で遭難騒ぎを起こしたが、自衛隊が特地の海に接触したのはそれが最初なのだ。
「皆さんが多忙な毎日を過ごされているのに、わたくし一人が暇を囲っている。このことを常日頃から大変に心苦しく思っていました。いかがでしょうか狭間陸将。わたくしに任せて下さいませんかねえ?」
皆の視線が再び狭間に集中する。どうやら同席幹部のほぼ全員が、伊丹よりははるかに常識人っぽい江田島に実行委員を任せることに賛成している様子であった。
「分かった。君がそこまで言うのなら任せることにしよう。多くの来賓、街の人々を招いた催しになる以上、各方面とミリミリと話を詰めながら作戦立案をしてくれたまえ」
「ミリミリと、ですね」
江田島は、ミリメートル単位の細かい摺り合わせを行いつつ作業を進めるという意味合いの、自衛隊用語に軽く微笑んで頷いた。
こうして江田島は、狭間から仮称『自衛隊祭』の実行委員長に任じられたのである。
ちなみに伊丹は、江田島たっての希望で実行委員の一人に名を連ねることとなった。
「ええっ!? ジエイタイ祭り?」
食堂に集まって侃侃諤諤とナッシダ祭の細かい打ち合わせをしていたロゥリィ達は、伊丹からの報告を受けると全員で目を丸くした。
「まだ名称は正式に決まってないけどさ、ナッシダに合わせて丘の上でも祭りをしようということになったんだ。駐屯地を街のみんなに開放して、模擬店や展示演習とかの催し物をやる。その一つに、日本と特地の文化比較展示という企画をぶっこんだ」
「それって何をするの?」
「具体的に言えば結婚式だ」
「えっ!?」
伊丹の爆弾発言に女性達は驚愕に固まった。
「ちょっとお父さん! それって、本人達に秘密のどっきり企画にするって話になっていたんじゃないの!? ボーゼスがいる場で暴露してどうするのよ!」
「うわっ……呪いが発動しちゃう」
ロゥリィが頭を抱える。
だがロゥリィほど深刻に考えてないのか、伊丹は「悪いな」とロゥリィの肩を軽く叩いただけだった。
「実は狭間陸将から、本人達の納得を取り付けないと、この企画はダメって言われちゃってさ。ちゃんと本人達に説明して承諾を得る必要が出来ちゃったんだよ」
伊丹とテュカの話に、結婚式とやらが自分に関係する話かも知れないと思ったのか、ボーゼスは左右を見ながら尋ねた。
「あの? どういうことですの?」
「だから、ボーゼスさんと富田のケコーン式をやってはどうかという話さ。婚姻届の手続きとかが出来ない今のままじゃあ酷だから、せめて式だけでもって……おいおいおい、なんでここで泣き出すの!?」
ふええええええええんと、声を上げて泣くボーゼス。
伊丹はなんか俺悪いことしたかと、テュカやロゥリィを振り返って尋ねた。
呆れ顔をしたロゥリィは、伊丹の肩をポンと叩くと告げた。
「これはねぇ、嬉しくて泣いてるのよぉ」
「ほ、ほんと?」
「こういうのはトミタあたりから聞かされると、より一層愛が深まったりするから役目を代わってあげて欲しかったんだけどぉ……まぁヨウジィにはそんな気配りは無理でしょうからぁ、よしとしましょう。でもぉ、こうなったからには万難を排して、断固として結婚式をやるわよ!」
ロゥリィは率先して結婚式挙行を宣言し、彼女の神官達がそれぞれに頷く。
「はい、聖下。結婚式の準備ですね?」
「ナッシダに加えて結婚式。忙しくなりますう」
「それで、だ。ここからは実務的な話になるんだが、富田の親代わりを陸将に務めてもらうってことで、ボーゼスさんのご親族やご友人の宿泊は丘の上で引き受けることになった」
これで神官達の宿泊場所が確保出来る。伊丹の目配せを受けてロゥリィも瞳を輝かせた。
ロゥリィを悩ませていた問題が一つ解決して、計画が実現に近付く気配を見せたのだ。
だが、ボーゼスはそこまでしてもらっていいのかと、気持ちが少しばかり後ろ向きになってしまった様子である。
「その、よろしいのでしょうか?」
「こっちじゃ、こういう催しにやってくるお客の歓待は婿側の仕事なんだろ? ならば当然だよ。それに丘の上は施設がむちゃくちゃ空いているから場所も困らない」
アルヌスの駐屯地は、最大六万人の駐留を可能とする施設が用意される計画だった。
実際に建設されたのはその半分の三万人分だったが、この特地に残留した隊員数が一万人に満たない現状では空き部屋は山程ある。お客を泊めるだけなら、百や二百を引き受けるのは簡単なことなのである。
「では、遠慮無く結婚式のために友人達を招待いたしますね」
「人数的にはどのくらいになりそう? 正確な数字は後でいいけど、前もっての支度もあるから、ざっと概算を教えておいてほしいんだけど」
「そうですわね。ざっと数えて三百くらいかと。それぞれが召使いやメイド、従卒、従兵を連れて参りますから……それらも合わせると、もしかして……千?」
「せ、千人!? そんなに増えるの!?」
四十~五十人じゃなかったのかと伊丹は素っ頓狂な声を上げた。
だが、テュカが伊丹を叱りつけた。
「当たり前でしょうお父さん。ナッシダは子供のためのもの。一族や極めて親しい友人に、自分達に何かあったらこの子の後見をお願いしますって頼む場でもあるんだから、招待客も厳選されるのよ。けど結婚式は違うでしょう? 親兄弟、親戚、友人、同僚、近所の人達、会ったこともない通行人……来てもらえる限り、声をかけてかけてかけてかけまくって盛大にお祝いするのが普通でしょ? 招待客の人数を予め絞ろうとするのがおかしいくらいなのよ」
「そ、そうなの?」
伊丹は、そのカルチャーギャップに圧倒された。一般的日本人は招待客を親戚、会社の上司や同僚、そして友人に絞る。伊丹が結婚した時も二次会含めて百を超えるかどうかだった。
だがボーゼスは帝国の貴族女性だ。社交界の付き合いもあって招待すべき対象も当然増える。招待客三百という数字は、もしかすると相当に遠慮してのものかもしれない。
「同伴者込みで約千……か」
数の大きさに圧倒される伊丹を追い込むようにテュカは言った。
「言っておくけど、結婚式をするなら街中で大宴会よ」
思いもしなかった反応に、伊丹は「さぁ困ったぞ」とメモ帳に数字を書き留めた。
用意すべき隊舎の数が一棟や二棟じゃ済まない。掃除をして、寝具の支度をして、滞在中の食・住を準備するのは大変な手間なのである。
「大丈夫ぅ?」
ロゥリィが不安そうな視線を伊丹に向ける。こうなると結婚式が出来るかどうかの全ては、伊丹の双肩にかかっていると言っても過言ではない。
伊丹は憂いを払うような笑顔で言った。
「ま、キャパはあるから心配はないさ。手間はかかるけどな」
「よかったぁ」
ロィリィはそう言って伊丹に飛びついた。
「待った待った、ちょっと待ったあ!」
だがそこに、突然割って入る男の声が轟いた。
「誰?」
振り返ると、やって来たのはディアボとパナシュであった。
パナシュはやってくるなりボーゼスに「よかったなぁ」と声をかけ、「ありがとう」「うんうん」と二人の世界をつくって肩を抱き合ったりしたが、ディアボはそのままロゥリィや伊丹の前に進み出て、「聖下やイタミ卿は認識がお甘い!」と直言した。
「どういうことぉ? ディアボ」
「ナッシダの件、伺いましたぞ。亜神方が勢揃いされるとか」
「ええ、声をかけたわぁ」
「おそらく聖下は、お友達に声を掛けた程度にしか思われてないのでしょうな? しかしながらフラム司祭! 貴女には気付いて頂きたかった。このアルヌスの地に亜神の方々が一人残らず集まるということが、人々にどのように受け止められるかを」
この言葉に、フラムはさあっと顔色を変えた。
「そ、そう言えばそうですわね」
「そんな祭典が開かれるなら、自分も参列したい。自分もその場にいたんだぞと誇りたいと多くの者が思うことでしょう。その人数がたかだか三百で済むとお思いか!? しかもボーゼス嬢、貴女は我が妹ピニャを呼ぶつもりでしょう?」
「え、ええ。当然殿下にもおいで願おうかと……」
「あいつのことです、貴女のためならば万難を排してやってくるでしょう。しかしながら、ピニャはもう騎士団団長ではない。次代の帝位に就くことが確定している身でここに来るのです。しかもここはアルヌス。皆の憧れる異文化の流入地。そんな場所でニホン人のお祭りまで合わせて開かれると聞けば、誰も彼も心を沸き立たせるに決まっている」
ディアボの言葉に皆が緊張してぐびりと唾を呑み込んだ。
「つまり?」
「来ますぞ。虚栄心と好奇心の塊とも言える王侯貴族共が。来ますぞ、呼ばれもしない信者共が。物見高い連中が、それこそどおおおおっと、群れを成して!」
ボーゼスはディアボの物言いに圧倒されつつも、おそるおそる抗弁した。
「しょ、招待状を出さなければよいだけのことでは? そ、そう、招待客を厳選致しますわ!」
「つまりは、その招待状はますます貴重なものとなるというわけですな。招待されることそのものが、誇らしく自慢に感じられるものとなる。なればこそますます招待されたい、参加したいと思うのが人の常。親類縁者とあらゆる伝手を頼って、どうにかして欲しいと頼まれた時、貴女や貴女の御尊父は果たして断り切れるだろうか?」
「でも、その……」
「貴族社会の妬みと嫉みを避けるためにも、御尊父はどこかで妥協を迫られましょう。歯止めはきっと効きますまい。偽物の招待状も出回ることでしょう。押し寄せてくる者が三百? いやいやそんなもので収まるわけがない。ピニャの従者護衛が最低でも百。貴族達も千家族に達することは覚悟しておくべきでしょうな」
千家族という数字に伊丹は驚いた。
「ディ、ディアボ殿下……千家族って具体的に何人くらい?」
「夫が妻を連れずに参るはずがなく、妻が子を連れずに参るはずもない。そして半月もの長旅だけに全てが執事やメイドといった従者を引きつれてくる。従ってその数は一万に達すると心得ていただきたい」
「い、一万……」
その数は、さすがの伊丹も気が遠くなる規模であった。
「こんなことで驚かれてしまっては困りますぞ。なにしろ、人が動けば金が動く。これを狙った商人達や山師達もくっついて参りましょう。その数まで含めたら十万に達する可能性もある」
「ま、まさか! たかだか神様が一ヶ所に集まるってだけで、そんな数の人間がくるわけ……」
「イタミ卿。卿はベルナーゴ神殿の年間巡礼者数をご存じか?」
「えっと……さぁ」
「百万に達するとも言われております。ハーディ一柱に祈るためだけでもそれだけの人が集まるのです。五柱の神々が一堂に会する滅多にない機会を信者達が見逃すはずがない!」
「し、司祭様! そんなに参列者が押し寄せて来たら、ご、ごごごご五十人じゃ、さばききれませんよ!」
ニーナの悲鳴に似た声が耳に入ると、さしものロゥリィも顔色を蒼白にさせた。
だがディアボは嵩にかかったように続けた。
「フラム司祭に申し上げる。このロゥリィ神殿が現在この街の唯一の神殿。参拝者に対応するためにも十分な支度をなさって頂きたい」
地域のインフラ整備を担当するテュカが頭を抱えた。
「じゅ、十万人って……食糧とか水とかの手配だけでも大変よ」
「寝泊まりの場所も必要です。組合の倉庫を可能な限り空けていただき、中に仕切りをしつらえて旅館とすべきでしょうな」
「そんなんで、足りるの!?」
「当然無理ですな。幸い長旅をしてくるような連中は野営の用意をしているはず。街の外に幕家を並べさせればよろしい。ただ人間の数が増えれば治安も悪化するでしょう。これまでになかったような騒動に備える必要があります。警備のために傭兵を増やしましょう」
テュカとレレイが、必要とする施設や掻き集めなければならない食糧の見積りの数字を、ディアボの予測に基づいて書き記していく。
その数字を横から覗き込んだボーゼスが思わず「きゃっ」と悲鳴を上げた。
「こ、こんなに費用がかかるんですか?」
その額はとてもボーゼスや富田に用意出来るものではなかったのだ。
たとえ参列者の持ってくるご祝儀をあてに出来たとしても、祝宴の費用は主宰者が出さなければならないというのがこの世界の常識だ。
結婚式が自衛隊の祭りに便乗する形でなされるにしても、その全てを他人任せにすることは常識人にとっては胸が痛む。
「や、やっぱりやめます! そんなに周りの方々に迷惑をかけるなら、わたくし結婚式なんてしません! ナッシダだけします」
だがディアボは容赦せずにさらに追い詰めた。
「結婚式を取りやめた程度では焼け石に水でしょうな」
「な、ナッシダもやめます!」
「それはダメだよ、ボーゼス」
パナシュがボーゼスに翻意を促した。ディアボがその後に続ける。
「そうだぞ、花嫁殿。これはご両親に結婚のことも含めて全てを認めていただく好機なのだから。折角聖下が亜神方を集めて下さるのだから、結婚式もナッシダも盛大に行うべきだ。なあに心配はない。面倒事は全てわたしが引き受けよう。任せてくれまいか?」
ディアボはそう言うと皆を振り返った。
「どうでしょう皆様方? この不肖ディアボが率いる州民自治会に運営の全てをお任せ願えないか? きっとこの祭典を成功に導いてみせましょう。ただそれには少しばかり予算と、相応の権限をお認め頂く必要がございますが」
ディアボはなんでもないことのように、しかし実は結構大変なことを口にした。
要するにこの機会を利用して州民自治会の権限や立場を高めようとしているのだ。そしてそれは伊丹にも分かった。
だがボーゼスは頑なに首を振った。
「い、いえ。殿下の折角のお言葉ですがお断り致します。聖下のお心添えには感謝いたしておりますが、盛式ではなく、略式でナッシダを済ませようと思います」
そうすれば来賓を招いたりしないで済むし、費用も最低限となる。
どうやらボーゼスは心が折れてしまったらしい。
こうして皆で盛り上がろうと高まった空気は、ボーゼスの脱落によってたちまちしぼんでしまったのである。
頭を抱えているロゥリィを見て伊丹は思った。
「もしかして、これがロゥリィの言ってた呪いって奴かも知れないな」と。
* *
「身分証を」
娯楽委員として特別図書館のカウンター業務についていた伊丹は、貸出を希望する隊員に身分証の提示を求めた。認識番号と氏名とを図書カードに転記するためである。
だがその幹部自衛官は身分証を伊丹に提示することを躊躇う様子を見せた。そしておもむろに身を乗り出すと囁いたのだった。
「伊丹。実は折り入って相談があるんだが」
「久居三佐。何ですか?」
「貸出カードに、借りた人間の名前とか記録するのやめない?」
「どうしてです?」
「だってさあ、誰が何借りたか分かっちゃうだろう?」
久居はそう言って本の裏表紙をまくった。
古い学校図書館のシステムに倣ってカードが紙ポケットに差し込んである。そこにはこれまでこの本を借りてきた人間の名前が列記されていた。
「後から借りた奴に、へぇ、あいつってこういうのに興味があるんだ。ふーん、ほぅ、へぇとか言われちゃうじゃないか! 俺って、これでも古武士のような風格があるとか言われて、皆から一目置かれてるんだよね」
確かに久居三佐の外見は、眉間に深く皺を刻み込んだ笑うことのない男という印象である。
そしてその男が借りようとしているのはハードアクションが売り物のミリタリー系マンガ雑誌と、男の料理読本である。この二冊ならば借りたことを周囲に知られたとしても問題はない。ここまで人目を憚る限りは何か別の物が隠されているはずであった。
伊丹は久居が手にしている本が二冊では無いことに気付いた。
別の本がそれらの間に挟み込まれている。
なるほど……。
久居の名誉のためにタイトルは伏せておくが、印刷方法はオフセット。樹脂接着剤で製本された薄い本であるということだけ述べておこう。
伊丹はいかにも沈痛そうな面持ちに改めると、同情心も露わに言った。
「残念ですが、そういうシステムなので」
「だからさぁ、恥ずかしいんだよ! ほれ、隣を見てみろ!」
隣のカウンターでは若い隊員が娯楽委員である女性隊員の視線を気にしてか、非常におどおどとした態度をとっていた。カウンターの上には久居が借りようとしてるのと同ジャンルの本がある。
「G2525337。茂原三等陸曹ですね。所属は1CT105CO2PT」
「あ、あ、は、はい。そうであります」
「貸出期間は一週間です」
どうぞと言って、娯楽委員の女性隊員は笑顔でその『本』を隊員の前に押し出した。
茂原三曹は慌てて当該図書を雑嚢にしまい込むと、周囲の目が気になるのか、バラック作りの図書館からそそくさと逃げるようにして出て行ったのである。
「まだまだ初心者ね。おどおどしちゃって可愛い」
娯楽委員貸出係の女性二人は、レンタルビデオ店のアダルトコーナーにやってきた十八歳になったばかりの高校生でも見るような、生温かい視線を茂原三曹へと向けていた。
「氏名も所属も貸出履歴まで赤裸々にバレてしまう。俺はアレに耐えることが出来んのだ。分かってくれるよな、伊丹」
「恥ずかしいと思うなら借りなければいいのでは?」
久居はまるで言葉で殴られたかのように、傷ついた表情で身体を仰け反らせた。
「お、おま……お前がそれを言うのか! 言って良いのかよ!? お前はここの責任者だろう!? 利用者の便宜を図る方法を考えろよ! そもそもお前がこんな麻薬みたいな代物をここに並べなかったら、俺は清い身体のままでいられたんだぞ! 責任をとってくれ!」
麻薬とはずいぶんなものに例えたものである。だが、その中毒性、人格に対する影響力といったものを勘案すると、案外的を外してないようにも思われた。
「そうは言われてもねぇ。実はオレ、ここじゃあ全然権限ないんですよ」
事実であった。
自他共に認める怠け者の伊丹に管理権限など与えたら、蔵書が未整理状態になってしまうことは容易に想像されたため、他に男女十名が娯楽委員に任命され、この特設図書館における司書的な役割を果たすこととなった。
伊丹はあくまでも企画者であり管理者ではないのである。
「じゃあ、お前の名義で借りて俺に貸すというのはどうだ?」
「又貸しは厳禁なんで」
「そこをなんとか」
「いや。無理だから」
「め、命令してもいいんだぞ」
久居は少し厳めしく言った。すると伊丹も胸を張って堂々と答える。
「いくら上官のご命令でも、そのようなものには従えません」
「頼むよ、伊丹ちゃん。俺とお前の仲じゃないか。今イベントの企画してるんだろ? それなら俺に恩を売っておくといろいろと良いことあるよ」
久居はそう囁いて伊丹の袖に縋った。久居は第一科長代理、つまり人事・総務を担当するので、いろいろと便宜を図ってあげられるよと誘っているのである。すると伊丹も相好を崩した。
「それじゃあしょうがない。今度何かあったらお願いしますよ」
伊丹はそう言うと、自分のカードを取り出して貸出手続きを始めた。
「おおっ! 恩に着るよ」
久居はお礼を言うと本を素早く雑嚢にしまい込んだ。だがその瞬間、「おやおや、なにやら不正の香りが漂っていますね」という声が響いて二人を驚かせた。
江田島二等海佐である。
「あわっ、びっくりしたなもう!」と久居。
「あっ、江田島二佐、どうしたんですか? こんなところに」と問う伊丹。
「伊丹二尉。貴方が企画したという特別図書館がどんなところか、以前から興味がありましてね。是非一度見学に来たいと思ってたんですよ」
「見学ですか? 利用じゃなくて」
「はい見学です。こうしてみるとなかなかの品揃えですねぇ。収蔵されているのは隊員達が日本から持ち込んでいた、一般の書店で流通している小説とマンガ、美しい女性の裸体写真が掲載された雑誌。さらには同人誌と呼ばれる薄手の本に、電子媒体の形で提供されていた同人誌、ネット小説等のプリントアウトまである。実に多彩です。隊員厚生用のお堅い書棚には決してないものがたくさん揃っていて、随分と人気を博しているようですね」
江田島が喋っている間に、久居は荷物を抱えてあたふたと図書館から出て行った。
その背を見送った江田島は伊丹に顔を近付け囁いた。
「それに、外見からはなかなか窺い知ることの出来ない、人間の別の面も垣間見れました。あの方が借りていった本は、『おにいもごっこ』とかいうタイトルがついてましたが、いったいどんな内容なんでしょう? 貴方はご存じなのでしょう、教えてくださいませんか?」
この一言が漏れ聞こえたのか、カウンターに並んでいた他の隊員達がたちまち逃散していった。誰だって自分が借りようとしている本の内容を暴露されるのは居たたまれないのだ。
その人をなんとかしてくれ!
隊員達の無言の抗議がもの凄い勢いで伊丹に届いていた。
伊丹は皆の期待に応えるために立ち上がると、江田島をカウンターから離すように誘った。
「ここの品揃えには自信があります。何しろ隊員全員に協力を呼びかけましたからね」
「ええ、それは私も存じ上げていますよ。読み飽きた本があったら出して欲しいという依頼が私のところにも来ました。私も持っていた雑誌を提供しているのですよ」
特別図書館の設立を計画した伊丹がまず最初に行ったのが、隊員が私物として持ち込んで来ていた小説やマンガ、写真雑誌等々の提供を求めることであった。
特地に滞在して半年も経過すると、誰もが繰り返し見たそれらに飽きてしまっている。そのためほとんどの隊員が、非常に協力的な態度で提供してくれたのである。
「しかし私が最も興味深く思うのは貴方です。噂によると伊丹二尉が提供された電子データは書架二十個分。私蔵本は段ボールにして実に十箱分にもなったそうじゃないですか。貴方のようなオタクと呼ばれる方々はこうした本の蒐集をかなり熱心に行い、非常に大切に扱うと聞きます。なのにどうしてこれらを皆のために出してしまったのですか? 飽きられてしまったのですか?」
「いいえ、まさか。これが布教用だからですよ」
「布教用とは?」
「同人誌を購入する時、出来る限り正・副・予備の三系統用意し、予備は大切に保存するようにしているんです。ここに出したのは自らを楽しませるための正本ではなく、副――すなわち布教用なんです」
すると江田島は衝撃を受けたのか目を見開き、息を呑んだ。
「こ、これは驚きましたねえ。貴方は同じ本を三冊も持っていると言うのですか?」
「自分にとっては基本なので、そう驚かれても……」
「では、予備とやらは大切に保管されているんですね」
「ええ。一冊ずつビニール袋にパッキングして官舎の押し入れにしまってあります」
「おやおや。ズボラとか怠け者として評判の貴方にも、そういった几帳面な一面があるのですね? やはり貴方は、私が睨んだ通りのお人のようですねえ」
「江田島さん。何が言いたいんです?」
「貴方はとても強い意欲の持ち主だ。ですが貴方はそれを非常に限られた方面にのみ注いでいる。だからこそ、そうでないことには全くもって意欲がないかのように振る舞ってしまうのです」
「そんな。買いかぶりですよ」
「ですけどねぇ、これまでの貴方の経歴を拝見すると、そうとも思えないのですよ。怠け者と罵倒されつつも幹部レンジャー訓練課程を通って、あの銀座事件の二重橋の戦いでは多くの国民を守って戦った。さらには第三偵察隊を率いてコダ村の村民を炎龍から守り、避難民の生活が成り立つように難民キャンプを作って彼らの生活を自立へと導いた。しかも炎龍を斃し、特地の人々から英雄として慕われ、拉致された日本人を救い出して二度目の賞詞をうけてます。まだ続けますか?」
「いえ、もういいです。そう言われてみると俺って結構凄いのかも」
「はい。凄いのです。ですが貴方はその意欲と才覚をこのような分野にばかり使っている。しかるべき方面に生かせば評価も上がって階級もお給料もあがるでしょうに、もったいないとは思いませんか?」
「いいえ。全く」
「そこでさらりと『いいえ』と言えてしまうのが貴方なんでしょうね。実に無欲だ。しかし、ここではあえて薄情という表現を用いさせていただきましょう」
「薄情?」
「そうです。あなたが驚く程の力を発揮するのは誰かや何かを守る時ですが、貴方が守ろうと行動を起こす対象は極めて狭い範囲に限られている。炎龍を斃そうと立ち上がったのも、その被害者たるテュカ・ルナ・マルソーというエルフのご婦人が貴方の庇護下に入っていたからで、被害に遭っているダークエルフの一族を助けるという正義感からでは決してなかった。二重橋で多くの国民を守ろうとしたのも、実のところその日、とある場所で行われていたイベントを中止させたくないという一心からだったのではと思うのですが、いかがですか?」
『門』が閉じられて十ヶ月。
自衛隊特地派遣部隊は、特地で獲得した領土の保持・安定に努める任務を達成すべく日々訓練に明け暮れつつも、同時に自らの生存のための事業にとりかかっていた。
その中でも代表的なものが、燃料確保を目的とした石油精製プラントの建設と脱硫装置の開発、食糧確保を目的とした稲作の奨励であった。
特に燃料の精製は急務とされた。そのため駐屯地の一角では、担当幹部達の指導の下、様々な試験設備の建設が急ピッチで進められているのだ。
もちろん、それ以外の事業も並行して進められ、多くの人材と資源が投入されている。
隊員達の多くは、それぞれが持つ本来の任務とは別に、持っている資格や経験知識、能力に応じた役割をこなすことが求められ、ブラック企業に勤める者が見たら「まだ俺の方がマシ」と思うほどの日々を送っていた。
それは、伊丹とて例外ではない。
狭間が伊丹に向けて語りかけた。
「本土――すなわち銀座との連絡が遮断されたことによって、『娯楽』が失われたことの影響は予想以上に大きい」
燃料節約のために、必要がない限りは照明をつけないで会議を行う。これは幹部自衛官達にとってもはや常識となっている。
だが薄暗い室内で誰とも分からないシルエットに向けて話しかけ、声だけが飛び交う場にいると、伊丹などは新世紀エヴァンゲリオンに出てくるゼーレとかいう怪しい組織の会議みたいだなと思ったりする。
「隊員の士気の維持が大変になりつつあるという現場の声も上がってますね」
「しかし、我々とてこれまで無為無策でいたわけではないぞ。スポーツや音楽といった余暇活動を奨励して、隊員達のフラストレーションを健全な方向に発散するように促してきたつもりだ」
「だがそれだけでは不十分だった」
「考えて見れば当然だよ。我々はテレビやインターネット、新聞などから情報刺激を受けることが当たり前となっていた。一般隊員が欲求不満を蓄積させていくのも仕方がない」
「それがわたくしどもの意図しない困った方向に向けられることだけは、避けたいですわね」
「アルヌス州に住む多くの特地女性が日本国籍を得たことで、自由恋愛を制限する指示は死文化した。今では、丘を下れば街のあちこちで隊員達が女性に声を掛けている光景が目に入る」
「勘違いしないでくれたまえよ伊丹二等陸尉。我々はそれを禁止しようとしているわけではないのだから。若い隊員達が礼儀正しく振る舞えるのなら、それはそれで良いのだ」
「だが隊員の中には、そうした親密な関係を醸成するための駆け引きを苦手とする者もいる。誰もが健軍一佐のように、器用に振る舞えるわけではないのだからね。そうした者が思いあまって不祥事を起こす事態だけはなんとしても防がねばならん」
なんで俺の名前が引き合いに出されるんだ? という呟きがどこからともなく聞こえたが、皆から無視されてしまう。
「そうだ。早急に対策が求められる。そのためにも『娯楽』の充実が必要なのだ」
「隊を健全な状態に保つために、隊員達の心と身体に『娯楽』を提供し続けねばならん」
「伊丹君。計画の進み具合はどうかね?」
長い前置きだなぁと思ったが、伊丹は声のトーンを下げて皆に調子を合わせ、厳かに答えた。
「はい。全ては委員会の予定通りに」
「はっ! 予定通りとは、お前の趣味が満載された特別図書館の設立のことかね?」
「自分のしたいことだけをするために、限りある資源をどれだけ浪費してくれた? 膨大な量の紙とプリンター・トナーが消費されたせいで、今では事務仕事の多くが手書きになってしまった」
「だが、伊丹でなければこの計画を進めることが出来なかったこともまた確かだ。電力を節約しようとするなら電子機器の使用は極力控えるべきで、その点、読書は良いからね。彼の個人的な蔵書や、データの提供には素直に感謝すべきだと思うよ。予想以上の量にびっくりはしたがね」
すると、書棚二十個分もの書籍データなんてどうやって集めたんだという陰口が聞こえたりした。
だが伊丹はそれを無視して、狭間陸将の言葉を裏打ちする状況報告をした。
「えーおかげさまをもちまして、特別図書館の利用者数は順調に増えています」
「それは認めざるをえまい。君のおかげで一部の隊員達は大変に喜んでいるよ。あくまでも『一部の』だがね」
「そう。マンガを含むサブカルチャーは我が国の誇るべき文化ではあるが、万人がそれを良しとするわけではないということは弁えてもらいたいのだよ、伊丹二等陸尉」
「次は、皆が平等に楽しめる企画を期待するよ。ただし資源や予算のかからないものが望ましい」
「分かっています。そのために放つ二の矢がコレです」
伊丹は皆に資料を見るように求めた。
「灯りをつけたまえ」
ようやく会議室の電灯が灯された。急に明るくなり怪しい雰囲気が霧散する。
見渡してみれば、そこに集まっていたのはいつもどおりの上級幹部達であった。
女性陸曹が彼らの後ろを歩みながらお茶と資料を配っていく。
お茶は麦茶。特地産の麦を加工して作ったものだ。
皆に配られた資料は、このアルヌスで作られたわら半紙に印刷されている。
油脂に浸した薄紙に文字をカリカリと削り、その下に紙を敷いて、ローラーでインクを擦りつける印刷方法だ。乾式コピー機の普及により、日本ではすっかり廃れてしまった『わら半紙』や『ガリ版(謄写版)印刷』と呼ばれる技術がこの特地で復活したのである。
どちらも年配の隊員が工夫してひな形を作り上げ、それをアルヌスの街にある工房街の職人ドワーフ達に生産委託した。ドワーフ達はこれらの販売で利益を上げ、自衛隊は、その対価としてこれらの生産品を無償で供給してもらうという仕組みである。
伊丹は皆に資料が行き渡るのを待ってから口を開いた。
「二ヶ月ほど前のことですが、このアルヌスで隊員の子供を出産した女性がいます」
「報告は受けている。たしか母親は帝国から派遣されている駐在武官のボーゼスさん。父親は富田二等陸曹だった。生まれた子供の名前は確か……」
子供は女の子で、父親によって『舞』と名付けられた。
「その舞ちゃんの誕生を祝う、披露宴に似た催しを行おうという動きがあります」
「披露宴?」
「はい。神社でお祓いを受ける程度の祭事らしいのですが、ここしばらく祝い事がなかったのと、神殿落成後の最初の行事とあって、女連中がノリノリになってまして」
「確かに忙しさにかまけて、お祭りのようなことはしてきませんでしたね」
「要するに、誕生祝いに便乗して派手な宴会をしようというわけだね?」
「誕生祝いというよりは、七五三に似てるんですけどね」
「七五三では披露宴はしないだろう?」
「あっ、でも日本でも茨城県とか一部の地方では、七五三で結婚式の披露宴に似たことをするそうですよ。親類縁者を招いて子供達が作文を読んだり、着飾ってお色直ししたりとか。わたし、友達の結婚式に呼ばれて土浦に行った時、ホテルでそういうの見たことがあります」
「で、伊丹二尉の提案はなんだ? それに便乗して我々も宴会でもしようと言うのか?」
「はい。折角だからいろいろ合わせて、盛り上げてやったら面白いかなって。それで今回のこれを企画しました。士気の維持にも役立つと思うんですが……ダメですかね?」
幹部の一人が資料の題字を読み上げた。
「駐屯地祭か。これってやっぱり駐屯地を開放して、地域住民に展示品を見てもらうのか?」
「展示演習も欠かせないですよ」
「いいねぇ、それ。見せることを前提にすると訓練にも気合いが入るんだよ」
「模擬店はどうしましょう?」
そんな幹部達の会話に参加せず、書類に目を通していた狭間陸将が一点を指さした。
「おい、伊丹。ここに重要招待者という記述があるが、いったいどんな人物なんだ?」
「ナッシダでこのアルヌスに来るボーゼスさんの親御さんとご親族、ご友人達を想定しています。やはり一度きちんと状況を説明した方が良いかと思いますし」
「そうか、彼女の親御さんか……。その方面の対応は確かに必要だな」
「どういうことですか陸将?」
「今回の赤ん坊の誕生が、二人がきちんと結婚してのことではないということだ。無論、富田が不誠実だからではない。富田二曹からは、なんとか手続きを出来ないかという申し出は再三あったのだ。だが婚姻届を受け付ける窓口がここに存在しない以上は、我々にはどうすることも出来なかった。この特地の状況は何もかもが未整備で、すべての決定、認定、手続きが仮の形だ。そしてこの状況は『門』が再開されるまで続く。そのせいで富田とボーゼスさんは内縁関係に過ぎず、国の法的保護を受けられない」
「厄介なのは子供の国籍ですわ。法律的に言えば、このケースでは出産前の胎児認知という手続きをしてないので、子供が日本国籍をとれなくなります」
「考えて見ると危なかったですね陸将。母子共に健康とはいかなかったら、そのまま国際問題に発展する可能性とてあり得たかも知れません」
例えば、何かがあって母親が亡くなってしまったとしたら、帝国人の子として生まれた赤ん坊の親権を、富田が主張出来るか極めて難しいことになるのだ。
「その通りだ用賀くん。この状況を彼女の親御さんが不満に思ってないはずがない。我々の誠心を疑われないようにするためにも、そうした事情説明はきちんとしなければならない。よく気が付いてくれた伊丹君。で、具体的にはどうすればいいと考えているのかね?」
「ご両親、友人を我々で歓待して誠意を示しつつ、結婚についての制度の違いを説明してはどうかと思います。その上で形だけでも儀式をやっちゃったらどうかとも思って、サプライズ企画を立てました」
「儀式!? それは結婚式を挙げるということか? 入籍も出来ないのに?」
「形だけです。でも当事者達が納得するならそれもまた可だと思いませんか?」
伊丹は、戸籍制度のないこの特地では、手続きなんかよりも儀式を行ったかどうかという形式の方が重視されるのだと説明した。
「だからここに『日本・特地の文化比較展示。例として結婚式』と書いてあるのかね?」
駐屯地祭の出し物の欄を幹部達は指さす。だが狭間は言った。
「君の意図するところは分かった。だがサプライズはいかんよ。下手をすると見世物になりかねん。新郎新婦双方にきちんと納得を取り付けて行って欲しいと思う」
「え!? あ……はい、分かりました。では二人に説明して了解をとります」
「それで、結婚式をするとして我々は何をすればいい?」
「陸将には富田の父親代わりとなって、ナッシダ、結婚式の双方にご参列願います。それとパレスティ家の人々とボーゼスさんの友人を、駐屯地で歓待するくらいですかね」
「富田二曹の実家代わりを隊が引き受けるなら仕方ないな。アルヌス駐屯地は空いている建物も多い。駐屯地祭、結婚式、それとそのナッシダか……必要なだけ宿泊してもらえばいい」
伊丹の提案を狭間は当然のように承認した。これで組合専用の宿泊施設が空く。つまり、そこにロゥリィのところにやってくる神官連中を詰め込めばよいのである。
五十人の神官を詰め込む場所をつくるために、特地方面隊全体を巻き込む企画を立てるというのも本末が転倒しているが、肩身が狭い状態にある富田の状況の改善とも合わせ、これが八方丸く収まる方法ではないかと伊丹なりに考えたのである。
実際、幹部達の反応も好意的だった。
「こういう企画は悪くないね。隊員達の気晴らしになるし、よい娯楽になるのは確かだ」
「住民を駐屯地に招き入れてのお祭りとなれば、地元女性とお近付きになるのが苦手な連中を後押しする良い機会になりますしね」
「だがちょっと待ってくれたまえ。この催しでいったいどれほどの予算と資源を消費することになると思ってるんだ? それを考えたらこれは軽々に応じるわけにはいかない提案だよ」
その言葉を待っていた伊丹は、「そこで、資料の二枚目をご覧下さい」と告げた。
「何々?」
「模擬店の出店者を募って収益を上げさせる……だと?」
伊丹は読めば分かるようなことは説明から省いて、いきなり補足から入った。
「はい。先ほどお話のあったように、我々特地派遣部隊は様々なサークル活動を行ってます。ですが残念ながら、予算不足もあって思うに任せてないみたいです」
音楽は楽器が必要となり、スポーツは道具が必要だ。そしてそれらは使用すれば傷むし消耗する。
新たに購入しようにも特地ではまかなうことも難しく、楽器の弦やらボールに類する物はアルヌスの工房街に行って職人ドワーフに特注することになる。その費用が馬鹿にならない額なのだ。
「なので模擬店については、隊員達に参加者を募って好きなようにやってもらいます。必要な経費はそれぞれが自弁する。かわりに収益が上がったらそれを各自で好きなように使用して良いことにすれば、安く済むんじゃないかな……と」
必要な経費の一切は参加者の自弁。地域経済活性化のために、使用する物資は可能な限り特地で手に入るものを利用することという記述に、皆の視線は釘付けになった。これならば備蓄物資の消費を必要最低限に抑えることが出来るだろう。
「しかしこれじゃあ、大学か高校の学園祭みたくなるぞ」
「ええ、まあ学園祭のようなものだと考えてもらえば話は早いですね」
身も蓋もない物言いである。だが、それはそれで分かりやすくもあった。
「なら、我々は棒倒しでもするか?」
「それはいい! 人寄せになることは間違いないですよ」
幹部達は防衛大名物の競技について語りながら視線を狭間へと向けた。
結局のところ、この手の企画を実行するかしないかは狭間陸将の決断一つである。しかし狭間は何を考えているのか、簡単には首を縦に振らなかった。
伊丹を見据えてじっと考え込み、やがて重々しく口を開く。
「アルヌス方面隊を挙げての催しとなると、その代表が伊丹君では任が重いな。誰か適当な上級幹部を実行委員長に据える必要があるように思えるのだが、皆の意見はどうかね?」
これには皆も賛成した。狭間は「任が重い」という表現で真意を隠したが、伊丹に任せておいたのでは、この催しが変な方向に全力疾走することは誰もが予想出来たのだ。
絶対にブレーキ役が必要だ。というより伊丹という存在をこの企画から排除してしまう必要性すら感じられた。しかし、誰もが忙しくてこの手のことには煩わされたくないとも思っている。上級幹部は人数が不足しているため、一人で何役もの仕事をこなしている状態なのだ。
お前やれ、いや自分はちょっと……という目配せが会議室を飛び交った。
その時である。「その役目、わたくしが適任のようですね」と手を挙げる男がいた。
その白い制服をまとった幹部自衛官の存在に初めて気付いたのか、健軍一佐は首を傾げた。
「誰、あいつ?」
これまで一度も声を発したことのない人物の発言だけに、あちこちで「あんな奴いたっけ?」という囁きが飛び交う。健軍の問いに、隣にいた加茂一佐が答えた。
「江田島二等海佐。白百合議員と一緒に来た、交渉使節団の一員だった男だ」
江田島五郎は、政府の交渉使節団として帝都にまで同行した海上自衛隊派遣の武官だ。
白百合は永田町に戻ったが、江田島は海自派遣幹部として特地の海洋事情・列国の海軍情報を集めるためにこの特地に残ったのである。
用賀二佐が手を挙げた。
「でも駐屯地祭ですよ。その仕切りを『海さん』に頼むわけにはいかないでしょう」
すると江田島は薄笑みを浮かべて柔らかく応じた。
「はい。確かに駐屯地祭です。しかしながらこのアルヌス派遣部隊には、陸ばかりでなく空の隊員も、そして海の隊員たるわたくしも在籍しているのです。折角の機会なのですからそうした縄張り意識を捨てて、自衛隊という大きな枠組みで考えてみてはいかがでしょうかねぇ?」
「じゃあ、駐屯地祭じゃなくて『自衛隊祭』?」
「名称はおいおい考えることにしませんか? 陸と海、縄張りは異なりますが国を守るために身体を張っている仲間同士なんですから。お役に立てると思いますよ」
江田島は、自分ならば本業に影響することなくこの任を果たすことが出来ると語った。
理由は、暇だからである。何しろこのアルヌスには「海」がないのだから。
二ヶ月ほど前、伊丹がグラス半島周辺で遭難騒ぎを起こしたが、自衛隊が特地の海に接触したのはそれが最初なのだ。
「皆さんが多忙な毎日を過ごされているのに、わたくし一人が暇を囲っている。このことを常日頃から大変に心苦しく思っていました。いかがでしょうか狭間陸将。わたくしに任せて下さいませんかねえ?」
皆の視線が再び狭間に集中する。どうやら同席幹部のほぼ全員が、伊丹よりははるかに常識人っぽい江田島に実行委員を任せることに賛成している様子であった。
「分かった。君がそこまで言うのなら任せることにしよう。多くの来賓、街の人々を招いた催しになる以上、各方面とミリミリと話を詰めながら作戦立案をしてくれたまえ」
「ミリミリと、ですね」
江田島は、ミリメートル単位の細かい摺り合わせを行いつつ作業を進めるという意味合いの、自衛隊用語に軽く微笑んで頷いた。
こうして江田島は、狭間から仮称『自衛隊祭』の実行委員長に任じられたのである。
ちなみに伊丹は、江田島たっての希望で実行委員の一人に名を連ねることとなった。
「ええっ!? ジエイタイ祭り?」
食堂に集まって侃侃諤諤とナッシダ祭の細かい打ち合わせをしていたロゥリィ達は、伊丹からの報告を受けると全員で目を丸くした。
「まだ名称は正式に決まってないけどさ、ナッシダに合わせて丘の上でも祭りをしようということになったんだ。駐屯地を街のみんなに開放して、模擬店や展示演習とかの催し物をやる。その一つに、日本と特地の文化比較展示という企画をぶっこんだ」
「それって何をするの?」
「具体的に言えば結婚式だ」
「えっ!?」
伊丹の爆弾発言に女性達は驚愕に固まった。
「ちょっとお父さん! それって、本人達に秘密のどっきり企画にするって話になっていたんじゃないの!? ボーゼスがいる場で暴露してどうするのよ!」
「うわっ……呪いが発動しちゃう」
ロゥリィが頭を抱える。
だがロゥリィほど深刻に考えてないのか、伊丹は「悪いな」とロゥリィの肩を軽く叩いただけだった。
「実は狭間陸将から、本人達の納得を取り付けないと、この企画はダメって言われちゃってさ。ちゃんと本人達に説明して承諾を得る必要が出来ちゃったんだよ」
伊丹とテュカの話に、結婚式とやらが自分に関係する話かも知れないと思ったのか、ボーゼスは左右を見ながら尋ねた。
「あの? どういうことですの?」
「だから、ボーゼスさんと富田のケコーン式をやってはどうかという話さ。婚姻届の手続きとかが出来ない今のままじゃあ酷だから、せめて式だけでもって……おいおいおい、なんでここで泣き出すの!?」
ふええええええええんと、声を上げて泣くボーゼス。
伊丹はなんか俺悪いことしたかと、テュカやロゥリィを振り返って尋ねた。
呆れ顔をしたロゥリィは、伊丹の肩をポンと叩くと告げた。
「これはねぇ、嬉しくて泣いてるのよぉ」
「ほ、ほんと?」
「こういうのはトミタあたりから聞かされると、より一層愛が深まったりするから役目を代わってあげて欲しかったんだけどぉ……まぁヨウジィにはそんな気配りは無理でしょうからぁ、よしとしましょう。でもぉ、こうなったからには万難を排して、断固として結婚式をやるわよ!」
ロゥリィは率先して結婚式挙行を宣言し、彼女の神官達がそれぞれに頷く。
「はい、聖下。結婚式の準備ですね?」
「ナッシダに加えて結婚式。忙しくなりますう」
「それで、だ。ここからは実務的な話になるんだが、富田の親代わりを陸将に務めてもらうってことで、ボーゼスさんのご親族やご友人の宿泊は丘の上で引き受けることになった」
これで神官達の宿泊場所が確保出来る。伊丹の目配せを受けてロゥリィも瞳を輝かせた。
ロゥリィを悩ませていた問題が一つ解決して、計画が実現に近付く気配を見せたのだ。
だが、ボーゼスはそこまでしてもらっていいのかと、気持ちが少しばかり後ろ向きになってしまった様子である。
「その、よろしいのでしょうか?」
「こっちじゃ、こういう催しにやってくるお客の歓待は婿側の仕事なんだろ? ならば当然だよ。それに丘の上は施設がむちゃくちゃ空いているから場所も困らない」
アルヌスの駐屯地は、最大六万人の駐留を可能とする施設が用意される計画だった。
実際に建設されたのはその半分の三万人分だったが、この特地に残留した隊員数が一万人に満たない現状では空き部屋は山程ある。お客を泊めるだけなら、百や二百を引き受けるのは簡単なことなのである。
「では、遠慮無く結婚式のために友人達を招待いたしますね」
「人数的にはどのくらいになりそう? 正確な数字は後でいいけど、前もっての支度もあるから、ざっと概算を教えておいてほしいんだけど」
「そうですわね。ざっと数えて三百くらいかと。それぞれが召使いやメイド、従卒、従兵を連れて参りますから……それらも合わせると、もしかして……千?」
「せ、千人!? そんなに増えるの!?」
四十~五十人じゃなかったのかと伊丹は素っ頓狂な声を上げた。
だが、テュカが伊丹を叱りつけた。
「当たり前でしょうお父さん。ナッシダは子供のためのもの。一族や極めて親しい友人に、自分達に何かあったらこの子の後見をお願いしますって頼む場でもあるんだから、招待客も厳選されるのよ。けど結婚式は違うでしょう? 親兄弟、親戚、友人、同僚、近所の人達、会ったこともない通行人……来てもらえる限り、声をかけてかけてかけてかけまくって盛大にお祝いするのが普通でしょ? 招待客の人数を予め絞ろうとするのがおかしいくらいなのよ」
「そ、そうなの?」
伊丹は、そのカルチャーギャップに圧倒された。一般的日本人は招待客を親戚、会社の上司や同僚、そして友人に絞る。伊丹が結婚した時も二次会含めて百を超えるかどうかだった。
だがボーゼスは帝国の貴族女性だ。社交界の付き合いもあって招待すべき対象も当然増える。招待客三百という数字は、もしかすると相当に遠慮してのものかもしれない。
「同伴者込みで約千……か」
数の大きさに圧倒される伊丹を追い込むようにテュカは言った。
「言っておくけど、結婚式をするなら街中で大宴会よ」
思いもしなかった反応に、伊丹は「さぁ困ったぞ」とメモ帳に数字を書き留めた。
用意すべき隊舎の数が一棟や二棟じゃ済まない。掃除をして、寝具の支度をして、滞在中の食・住を準備するのは大変な手間なのである。
「大丈夫ぅ?」
ロゥリィが不安そうな視線を伊丹に向ける。こうなると結婚式が出来るかどうかの全ては、伊丹の双肩にかかっていると言っても過言ではない。
伊丹は憂いを払うような笑顔で言った。
「ま、キャパはあるから心配はないさ。手間はかかるけどな」
「よかったぁ」
ロィリィはそう言って伊丹に飛びついた。
「待った待った、ちょっと待ったあ!」
だがそこに、突然割って入る男の声が轟いた。
「誰?」
振り返ると、やって来たのはディアボとパナシュであった。
パナシュはやってくるなりボーゼスに「よかったなぁ」と声をかけ、「ありがとう」「うんうん」と二人の世界をつくって肩を抱き合ったりしたが、ディアボはそのままロゥリィや伊丹の前に進み出て、「聖下やイタミ卿は認識がお甘い!」と直言した。
「どういうことぉ? ディアボ」
「ナッシダの件、伺いましたぞ。亜神方が勢揃いされるとか」
「ええ、声をかけたわぁ」
「おそらく聖下は、お友達に声を掛けた程度にしか思われてないのでしょうな? しかしながらフラム司祭! 貴女には気付いて頂きたかった。このアルヌスの地に亜神の方々が一人残らず集まるということが、人々にどのように受け止められるかを」
この言葉に、フラムはさあっと顔色を変えた。
「そ、そう言えばそうですわね」
「そんな祭典が開かれるなら、自分も参列したい。自分もその場にいたんだぞと誇りたいと多くの者が思うことでしょう。その人数がたかだか三百で済むとお思いか!? しかもボーゼス嬢、貴女は我が妹ピニャを呼ぶつもりでしょう?」
「え、ええ。当然殿下にもおいで願おうかと……」
「あいつのことです、貴女のためならば万難を排してやってくるでしょう。しかしながら、ピニャはもう騎士団団長ではない。次代の帝位に就くことが確定している身でここに来るのです。しかもここはアルヌス。皆の憧れる異文化の流入地。そんな場所でニホン人のお祭りまで合わせて開かれると聞けば、誰も彼も心を沸き立たせるに決まっている」
ディアボの言葉に皆が緊張してぐびりと唾を呑み込んだ。
「つまり?」
「来ますぞ。虚栄心と好奇心の塊とも言える王侯貴族共が。来ますぞ、呼ばれもしない信者共が。物見高い連中が、それこそどおおおおっと、群れを成して!」
ボーゼスはディアボの物言いに圧倒されつつも、おそるおそる抗弁した。
「しょ、招待状を出さなければよいだけのことでは? そ、そう、招待客を厳選致しますわ!」
「つまりは、その招待状はますます貴重なものとなるというわけですな。招待されることそのものが、誇らしく自慢に感じられるものとなる。なればこそますます招待されたい、参加したいと思うのが人の常。親類縁者とあらゆる伝手を頼って、どうにかして欲しいと頼まれた時、貴女や貴女の御尊父は果たして断り切れるだろうか?」
「でも、その……」
「貴族社会の妬みと嫉みを避けるためにも、御尊父はどこかで妥協を迫られましょう。歯止めはきっと効きますまい。偽物の招待状も出回ることでしょう。押し寄せてくる者が三百? いやいやそんなもので収まるわけがない。ピニャの従者護衛が最低でも百。貴族達も千家族に達することは覚悟しておくべきでしょうな」
千家族という数字に伊丹は驚いた。
「ディ、ディアボ殿下……千家族って具体的に何人くらい?」
「夫が妻を連れずに参るはずがなく、妻が子を連れずに参るはずもない。そして半月もの長旅だけに全てが執事やメイドといった従者を引きつれてくる。従ってその数は一万に達すると心得ていただきたい」
「い、一万……」
その数は、さすがの伊丹も気が遠くなる規模であった。
「こんなことで驚かれてしまっては困りますぞ。なにしろ、人が動けば金が動く。これを狙った商人達や山師達もくっついて参りましょう。その数まで含めたら十万に達する可能性もある」
「ま、まさか! たかだか神様が一ヶ所に集まるってだけで、そんな数の人間がくるわけ……」
「イタミ卿。卿はベルナーゴ神殿の年間巡礼者数をご存じか?」
「えっと……さぁ」
「百万に達するとも言われております。ハーディ一柱に祈るためだけでもそれだけの人が集まるのです。五柱の神々が一堂に会する滅多にない機会を信者達が見逃すはずがない!」
「し、司祭様! そんなに参列者が押し寄せて来たら、ご、ごごごご五十人じゃ、さばききれませんよ!」
ニーナの悲鳴に似た声が耳に入ると、さしものロゥリィも顔色を蒼白にさせた。
だがディアボは嵩にかかったように続けた。
「フラム司祭に申し上げる。このロゥリィ神殿が現在この街の唯一の神殿。参拝者に対応するためにも十分な支度をなさって頂きたい」
地域のインフラ整備を担当するテュカが頭を抱えた。
「じゅ、十万人って……食糧とか水とかの手配だけでも大変よ」
「寝泊まりの場所も必要です。組合の倉庫を可能な限り空けていただき、中に仕切りをしつらえて旅館とすべきでしょうな」
「そんなんで、足りるの!?」
「当然無理ですな。幸い長旅をしてくるような連中は野営の用意をしているはず。街の外に幕家を並べさせればよろしい。ただ人間の数が増えれば治安も悪化するでしょう。これまでになかったような騒動に備える必要があります。警備のために傭兵を増やしましょう」
テュカとレレイが、必要とする施設や掻き集めなければならない食糧の見積りの数字を、ディアボの予測に基づいて書き記していく。
その数字を横から覗き込んだボーゼスが思わず「きゃっ」と悲鳴を上げた。
「こ、こんなに費用がかかるんですか?」
その額はとてもボーゼスや富田に用意出来るものではなかったのだ。
たとえ参列者の持ってくるご祝儀をあてに出来たとしても、祝宴の費用は主宰者が出さなければならないというのがこの世界の常識だ。
結婚式が自衛隊の祭りに便乗する形でなされるにしても、その全てを他人任せにすることは常識人にとっては胸が痛む。
「や、やっぱりやめます! そんなに周りの方々に迷惑をかけるなら、わたくし結婚式なんてしません! ナッシダだけします」
だがディアボは容赦せずにさらに追い詰めた。
「結婚式を取りやめた程度では焼け石に水でしょうな」
「な、ナッシダもやめます!」
「それはダメだよ、ボーゼス」
パナシュがボーゼスに翻意を促した。ディアボがその後に続ける。
「そうだぞ、花嫁殿。これはご両親に結婚のことも含めて全てを認めていただく好機なのだから。折角聖下が亜神方を集めて下さるのだから、結婚式もナッシダも盛大に行うべきだ。なあに心配はない。面倒事は全てわたしが引き受けよう。任せてくれまいか?」
ディアボはそう言うと皆を振り返った。
「どうでしょう皆様方? この不肖ディアボが率いる州民自治会に運営の全てをお任せ願えないか? きっとこの祭典を成功に導いてみせましょう。ただそれには少しばかり予算と、相応の権限をお認め頂く必要がございますが」
ディアボはなんでもないことのように、しかし実は結構大変なことを口にした。
要するにこの機会を利用して州民自治会の権限や立場を高めようとしているのだ。そしてそれは伊丹にも分かった。
だがボーゼスは頑なに首を振った。
「い、いえ。殿下の折角のお言葉ですがお断り致します。聖下のお心添えには感謝いたしておりますが、盛式ではなく、略式でナッシダを済ませようと思います」
そうすれば来賓を招いたりしないで済むし、費用も最低限となる。
どうやらボーゼスは心が折れてしまったらしい。
こうして皆で盛り上がろうと高まった空気は、ボーゼスの脱落によってたちまちしぼんでしまったのである。
頭を抱えているロゥリィを見て伊丹は思った。
「もしかして、これがロゥリィの言ってた呪いって奴かも知れないな」と。
* *
「身分証を」
娯楽委員として特別図書館のカウンター業務についていた伊丹は、貸出を希望する隊員に身分証の提示を求めた。認識番号と氏名とを図書カードに転記するためである。
だがその幹部自衛官は身分証を伊丹に提示することを躊躇う様子を見せた。そしておもむろに身を乗り出すと囁いたのだった。
「伊丹。実は折り入って相談があるんだが」
「久居三佐。何ですか?」
「貸出カードに、借りた人間の名前とか記録するのやめない?」
「どうしてです?」
「だってさあ、誰が何借りたか分かっちゃうだろう?」
久居はそう言って本の裏表紙をまくった。
古い学校図書館のシステムに倣ってカードが紙ポケットに差し込んである。そこにはこれまでこの本を借りてきた人間の名前が列記されていた。
「後から借りた奴に、へぇ、あいつってこういうのに興味があるんだ。ふーん、ほぅ、へぇとか言われちゃうじゃないか! 俺って、これでも古武士のような風格があるとか言われて、皆から一目置かれてるんだよね」
確かに久居三佐の外見は、眉間に深く皺を刻み込んだ笑うことのない男という印象である。
そしてその男が借りようとしているのはハードアクションが売り物のミリタリー系マンガ雑誌と、男の料理読本である。この二冊ならば借りたことを周囲に知られたとしても問題はない。ここまで人目を憚る限りは何か別の物が隠されているはずであった。
伊丹は久居が手にしている本が二冊では無いことに気付いた。
別の本がそれらの間に挟み込まれている。
なるほど……。
久居の名誉のためにタイトルは伏せておくが、印刷方法はオフセット。樹脂接着剤で製本された薄い本であるということだけ述べておこう。
伊丹はいかにも沈痛そうな面持ちに改めると、同情心も露わに言った。
「残念ですが、そういうシステムなので」
「だからさぁ、恥ずかしいんだよ! ほれ、隣を見てみろ!」
隣のカウンターでは若い隊員が娯楽委員である女性隊員の視線を気にしてか、非常におどおどとした態度をとっていた。カウンターの上には久居が借りようとしてるのと同ジャンルの本がある。
「G2525337。茂原三等陸曹ですね。所属は1CT105CO2PT」
「あ、あ、は、はい。そうであります」
「貸出期間は一週間です」
どうぞと言って、娯楽委員の女性隊員は笑顔でその『本』を隊員の前に押し出した。
茂原三曹は慌てて当該図書を雑嚢にしまい込むと、周囲の目が気になるのか、バラック作りの図書館からそそくさと逃げるようにして出て行ったのである。
「まだまだ初心者ね。おどおどしちゃって可愛い」
娯楽委員貸出係の女性二人は、レンタルビデオ店のアダルトコーナーにやってきた十八歳になったばかりの高校生でも見るような、生温かい視線を茂原三曹へと向けていた。
「氏名も所属も貸出履歴まで赤裸々にバレてしまう。俺はアレに耐えることが出来んのだ。分かってくれるよな、伊丹」
「恥ずかしいと思うなら借りなければいいのでは?」
久居はまるで言葉で殴られたかのように、傷ついた表情で身体を仰け反らせた。
「お、おま……お前がそれを言うのか! 言って良いのかよ!? お前はここの責任者だろう!? 利用者の便宜を図る方法を考えろよ! そもそもお前がこんな麻薬みたいな代物をここに並べなかったら、俺は清い身体のままでいられたんだぞ! 責任をとってくれ!」
麻薬とはずいぶんなものに例えたものである。だが、その中毒性、人格に対する影響力といったものを勘案すると、案外的を外してないようにも思われた。
「そうは言われてもねぇ。実はオレ、ここじゃあ全然権限ないんですよ」
事実であった。
自他共に認める怠け者の伊丹に管理権限など与えたら、蔵書が未整理状態になってしまうことは容易に想像されたため、他に男女十名が娯楽委員に任命され、この特設図書館における司書的な役割を果たすこととなった。
伊丹はあくまでも企画者であり管理者ではないのである。
「じゃあ、お前の名義で借りて俺に貸すというのはどうだ?」
「又貸しは厳禁なんで」
「そこをなんとか」
「いや。無理だから」
「め、命令してもいいんだぞ」
久居は少し厳めしく言った。すると伊丹も胸を張って堂々と答える。
「いくら上官のご命令でも、そのようなものには従えません」
「頼むよ、伊丹ちゃん。俺とお前の仲じゃないか。今イベントの企画してるんだろ? それなら俺に恩を売っておくといろいろと良いことあるよ」
久居はそう囁いて伊丹の袖に縋った。久居は第一科長代理、つまり人事・総務を担当するので、いろいろと便宜を図ってあげられるよと誘っているのである。すると伊丹も相好を崩した。
「それじゃあしょうがない。今度何かあったらお願いしますよ」
伊丹はそう言うと、自分のカードを取り出して貸出手続きを始めた。
「おおっ! 恩に着るよ」
久居はお礼を言うと本を素早く雑嚢にしまい込んだ。だがその瞬間、「おやおや、なにやら不正の香りが漂っていますね」という声が響いて二人を驚かせた。
江田島二等海佐である。
「あわっ、びっくりしたなもう!」と久居。
「あっ、江田島二佐、どうしたんですか? こんなところに」と問う伊丹。
「伊丹二尉。貴方が企画したという特別図書館がどんなところか、以前から興味がありましてね。是非一度見学に来たいと思ってたんですよ」
「見学ですか? 利用じゃなくて」
「はい見学です。こうしてみるとなかなかの品揃えですねぇ。収蔵されているのは隊員達が日本から持ち込んでいた、一般の書店で流通している小説とマンガ、美しい女性の裸体写真が掲載された雑誌。さらには同人誌と呼ばれる薄手の本に、電子媒体の形で提供されていた同人誌、ネット小説等のプリントアウトまである。実に多彩です。隊員厚生用のお堅い書棚には決してないものがたくさん揃っていて、随分と人気を博しているようですね」
江田島が喋っている間に、久居は荷物を抱えてあたふたと図書館から出て行った。
その背を見送った江田島は伊丹に顔を近付け囁いた。
「それに、外見からはなかなか窺い知ることの出来ない、人間の別の面も垣間見れました。あの方が借りていった本は、『おにいもごっこ』とかいうタイトルがついてましたが、いったいどんな内容なんでしょう? 貴方はご存じなのでしょう、教えてくださいませんか?」
この一言が漏れ聞こえたのか、カウンターに並んでいた他の隊員達がたちまち逃散していった。誰だって自分が借りようとしている本の内容を暴露されるのは居たたまれないのだ。
その人をなんとかしてくれ!
隊員達の無言の抗議がもの凄い勢いで伊丹に届いていた。
伊丹は皆の期待に応えるために立ち上がると、江田島をカウンターから離すように誘った。
「ここの品揃えには自信があります。何しろ隊員全員に協力を呼びかけましたからね」
「ええ、それは私も存じ上げていますよ。読み飽きた本があったら出して欲しいという依頼が私のところにも来ました。私も持っていた雑誌を提供しているのですよ」
特別図書館の設立を計画した伊丹がまず最初に行ったのが、隊員が私物として持ち込んで来ていた小説やマンガ、写真雑誌等々の提供を求めることであった。
特地に滞在して半年も経過すると、誰もが繰り返し見たそれらに飽きてしまっている。そのためほとんどの隊員が、非常に協力的な態度で提供してくれたのである。
「しかし私が最も興味深く思うのは貴方です。噂によると伊丹二尉が提供された電子データは書架二十個分。私蔵本は段ボールにして実に十箱分にもなったそうじゃないですか。貴方のようなオタクと呼ばれる方々はこうした本の蒐集をかなり熱心に行い、非常に大切に扱うと聞きます。なのにどうしてこれらを皆のために出してしまったのですか? 飽きられてしまったのですか?」
「いいえ、まさか。これが布教用だからですよ」
「布教用とは?」
「同人誌を購入する時、出来る限り正・副・予備の三系統用意し、予備は大切に保存するようにしているんです。ここに出したのは自らを楽しませるための正本ではなく、副――すなわち布教用なんです」
すると江田島は衝撃を受けたのか目を見開き、息を呑んだ。
「こ、これは驚きましたねえ。貴方は同じ本を三冊も持っていると言うのですか?」
「自分にとっては基本なので、そう驚かれても……」
「では、予備とやらは大切に保管されているんですね」
「ええ。一冊ずつビニール袋にパッキングして官舎の押し入れにしまってあります」
「おやおや。ズボラとか怠け者として評判の貴方にも、そういった几帳面な一面があるのですね? やはり貴方は、私が睨んだ通りのお人のようですねえ」
「江田島さん。何が言いたいんです?」
「貴方はとても強い意欲の持ち主だ。ですが貴方はそれを非常に限られた方面にのみ注いでいる。だからこそ、そうでないことには全くもって意欲がないかのように振る舞ってしまうのです」
「そんな。買いかぶりですよ」
「ですけどねぇ、これまでの貴方の経歴を拝見すると、そうとも思えないのですよ。怠け者と罵倒されつつも幹部レンジャー訓練課程を通って、あの銀座事件の二重橋の戦いでは多くの国民を守って戦った。さらには第三偵察隊を率いてコダ村の村民を炎龍から守り、避難民の生活が成り立つように難民キャンプを作って彼らの生活を自立へと導いた。しかも炎龍を斃し、特地の人々から英雄として慕われ、拉致された日本人を救い出して二度目の賞詞をうけてます。まだ続けますか?」
「いえ、もういいです。そう言われてみると俺って結構凄いのかも」
「はい。凄いのです。ですが貴方はその意欲と才覚をこのような分野にばかり使っている。しかるべき方面に生かせば評価も上がって階級もお給料もあがるでしょうに、もったいないとは思いませんか?」
「いいえ。全く」
「そこでさらりと『いいえ』と言えてしまうのが貴方なんでしょうね。実に無欲だ。しかし、ここではあえて薄情という表現を用いさせていただきましょう」
「薄情?」
「そうです。あなたが驚く程の力を発揮するのは誰かや何かを守る時ですが、貴方が守ろうと行動を起こす対象は極めて狭い範囲に限られている。炎龍を斃そうと立ち上がったのも、その被害者たるテュカ・ルナ・マルソーというエルフのご婦人が貴方の庇護下に入っていたからで、被害に遭っているダークエルフの一族を助けるという正義感からでは決してなかった。二重橋で多くの国民を守ろうとしたのも、実のところその日、とある場所で行われていたイベントを中止させたくないという一心からだったのではと思うのですが、いかがですか?」
22
あなたにおすすめの小説
ゲート0 -zero- 自衛隊 銀座にて、斯く戦えり
柳内たくみ
ファンタジー
20XX年、うだるような暑さの8月某日――
東京・銀座四丁目交差点中央に、突如巨大な『門(ゲート)』が現れた。
中からなだれ込んできたのは、見目醜悪な怪異の群れ、そして剣や弓を携えた謎の軍勢。
彼らは何の躊躇いもなく、奇声と雄叫びを上げながら、そこで戸惑う人々を殺戮しはじめる。
無慈悲で凄惨な殺戮劇によって、瞬く間に血の海と化した銀座。
政府も警察もマスコミも、誰もがこの状況になすすべもなく混乱するばかりだった。
「皇居だ! 皇居に逃げるんだ!」
ただ、一人を除いて――
これは、たまたま現場に居合わせたオタク自衛官が、
たまたま人々を救い出し、たまたま英雄になっちゃうまでを描いた、7日間の壮絶な物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
英雄一家は国を去る【一話完結】
青緑 ネトロア
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。
- - - - - - - - - - - - -
ただいま後日談の加筆を計画中です。
2025/06/22
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
Re:Monster(リモンスター)――怪物転生鬼――
金斬 児狐
ファンタジー
ある日、優秀だけど肝心な所が抜けている主人公は同僚と飲みに行った。酔っぱらった同僚を仕方無く家に運び、自分は飲みたらない酒を買い求めに行ったその帰り道、街灯の下に静かに佇む妹的存在兼ストーカーな少女と出逢い、そして、満月の夜に主人公は殺される事となった。どうしようもないバッド・エンドだ。
しかしこの話はそこから始まりを告げる。殺された主人公がなんと、ゴブリンに転生してしまったのだ。普通ならパニックになる所だろうがしかし切り替えが非常に早い主人公はそれでも生きていく事を決意。そして何故か持ち越してしまった能力と知識を駆使し、弱肉強食な世界で力強く生きていくのであった。
しかし彼はまだ知らない。全てはとある存在によって監視されているという事を……。
◆ ◆ ◆
今回は召喚から転生モノに挑戦。普通とはちょっと違った物語を目指します。主人公の能力は基本チート性能ですが、前作程では無いと思われます。
あと日記帳風? で気楽に書かせてもらうので、説明不足な所も多々あるでしょうが納得して下さい。
不定期更新、更新遅進です。
話数は少ないですが、その割には文量が多いので暇なら読んでやって下さい。
※ダイジェ禁止に伴いなろうでは本編を削除し、外伝を掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。