ハニーブラッド

八六七

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サヴレン国内

娯楽街

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 エヴィはルナにいくらかの金を握らせて好きなように過ごしてくるように言い、自分は娯楽街へと足を運んだ。大物ゴミ処理のあとは決まって娯楽街へと赴き、博打に勤しむ。それがエヴィの習慣だった。
 至るところに煌びやかな装飾が施されている娯楽街一帯はカジノをするための大きなドーム型の建物を中心に、様々な店が軒を連ねている。博打だけでも種類は多く、レースの予測をするものやサイコロを使った異国の博打まで、それだけでも店舗数はかなりの数になる。他は、健全な酒場、もしくは表向きは酒場だが実は売春婦を抱え込んでいる店などだ。酒に博打に女。男のロマンが詰まった街。
 そんなぎらつく街で、いつも持ち金をスられるエヴィが今日は博打で大勝ちをした。博打好きの馴染みたちはそのことに驚いていたが、いつも負けるエヴィの大勝利に和気藹々とした空気が流れていた。

「せっかく勝ったんだ。勿論いい酒といい女、だろ?」

 カジノで知り合い、今や友人となったガルシュが酒を飲む手振りをしながら笑う。
 まだ日暮れには時間があるが、変にそこらを回って勝ち分をスるよりはいい使い方だろうと考えたエヴィはガルシュの話に乗ることにした。

「今日は俺のおごりで楽しくやろうぜ」

 機嫌のいいエヴィは羽振りもいい。隣で同じように歩くガルシュの肩を抱き、エヴィは最高級ランクの酒場を目指す。勿論、表向きだけが酒場の店である。
 飯も酒も上等、席に付く女も上等。エヴィとガルシュは時間を忘れて大いに騒ぐ。酔もまわって気分は最高潮に達していた。
 本日何本目かわからないワイン瓶を空にした頃合で、エヴィの横に座り、酒を注いでいた女が声をかける。

「わたくしと、どうですか?」

 潤んだ瞳に見つめられ、エヴィは「よし」と胸中で意気込む。鼻筋の通った、綺麗な顔立ちをしているこの女と今晩共にすることに決めた。
 それを察したのか、正面に座っているガルシュが親指を立ててけらりと笑った。
 おもむろにエヴィが立ち上がると、女も一緒に立ち上がり、エヴィの腕に手を回してまとわりつく。

「じゃ、俺は先に行くわ」

 お前もいいの捕まえろよ、通り過ぎざま、エヴィはガルシュにそう耳打ちした。その声はこの上なく浮かれていて、まるで少年のように弾んでいた。
 女と肌を寄せ合うのは久しぶりということもあり、酒場の裏手にあるベッドとシャワーしか設備のない素舍に向かうまでの少しの時間さえ悶々とした気分になる。
 酒も食物も女も、金で買えるんだからちょろいもんだ。
 下衆い笑みを浮かべつつ、エヴィは女に誘導されるがままついて行く。
 酒場をぐるりと一周し、素舍が見えた。いよいよ、と気合を入れつつ、女の体を舐めるように眺めているエヴィの視界の隅に見知った姿を見つけた。はっとしてそちらに視線をやると、ぼうっとこちらを見つめる少女の姿があった。

「ちょ! お前なにやってんの!? こんなとこで!」

 母親に何かいけないことをしているところを見られたときのような、何とも言えない罪悪感と羞恥心で思わず声が大きくなる。その声に女は驚いて立ち止まり、エヴィの視線の先、ルナへと目線を這わせた。ルナは何を言うでもなく、荒ぶるエヴィの声に驚くこともなく、相変わらずぼうっとエヴィを見つめている。ざっくばらんに切り落とされた彼女の前髪が、ふわりと風に揺れる。
 何も言わず、ただずっと見つめられる。その視線に咎めるような意はまったく感じられない。それが一番エヴィを萎えさせた。

「……はあ。悪い姉ちゃん。今回はやめとくわ」

 悶々としていた感情は波が引くようにすうっと消え失せ、代わりに虚脱感が押し寄せてきた。

「あら……。まあ、仕方ないですね。またのご利用をお待ちしております」

 察しよく潔い女でよかった。女はそう言ってエヴィに軽く頭を下げた後、踵を返して去っていった。

「忙しそうだなって思って声はかけなかったんですが」
「声かけなくてもあんな見つめられたら気になってしょうがないよね? それにここに入る前に入場口で年齢制限ひっかかっただろ。どうやって入ってきたんだお前」
「一度止められたので、塀をよじ登って来ました」
「あのなあ……」

 大きな目をぱちくりさせるルナに、エヴィはなんだか疲れてしまう。
 ルナには型に嵌った常識以外、何も通用しない。ここ数日、一緒に過ごしてわかったつもりでいたが、どうにも扱いに困る。
 ルナが認識している常識は、人を傷つけてはいけない、殺生してはいけない、人が嫌がること、自分がされて嫌なことはしてはいけない、どんな小さな命にも優しく接しなければいけない、法律は守らなければいけない、という簡単に箇条書きに出来るものばかりだ。おそらくそれが神父から教わったことなのだろうが、人と接する機会があまりにも少なすぎたせいなのか、これまでの過程が彼女をそうさせてしまっているのか、それとも彼女の心が死んでしまっているからなのか、ルナと言葉を交わしたり行動を共にしていると機械とそれらをしているような錯覚を起こすことがある。人の気持ちを汲み取ったり、空気を読んだりすることがほぼ出来ない。それにくわえて彼女自身が持つ知識は神父から教わった常識の一部と、召使時代の家政婦業、その他、絶望的に挟範囲の人間像くらいしかない。だから余計に言動や行動に縛りが生じて機械じみて見えてしまう。
 煉獄のような環境で生き続け、心の拠り所を失った結果はエヴィが想像していた以上に深刻なものだった。何をどう教えてやればいいのか、さっぱりわからない。

「ルナ」

 手招きすると、ルナは何も言わずにとぼとぼとエヴィの目の前までやってきた。随分と身長差があるため、エヴィは膝を屈めてルナに視線を合わせ、無言でじっと見つめる。

「……その前髪、どこで切った」

 切り口がばらばらで、残念な仕上がりの彼女の前髪。綺麗な顔はよく見えるようになったが、不揃いな前髪のせいで見栄えが気の毒なことになってしまっている。

「自分で切りました。エヴィさんにうざったい前髪だなって言われ続けていたので。それを報告しようとエヴィさんを探してたのです。どうですか、似合いますか?」

 また、彼女が小首を傾げてみせた。残念な前髪がさらりとルナの額を撫でる。綺麗な顔立ちに似合わない不格好な前髪。
 ルナはエヴィが言ったから前髪を切った。それを言いたくて彼女はエヴィを探していた。そして見つけたが、エヴィはよくわからない女と歩いていて、声をかけられなかった。だからどうしたらいいのかわからなくなり、棒立ちしていた。機械じみたルナの頭はそこでパンクしてしまった。イレギュラーに対応しきれなかったのだろう。
 そう考えると、途端に虚脱感は吹っ飛んだ。不器用すぎるけど、簡潔に言うと「前髪切ったの、似合う?」とエヴィに聞きたかっただけなのだ。可愛いものじゃないか。危うくいやらしいオトナな部分を見られてしまうところではあったが。

「似合ってるよ、その変な前髪」
「それだと矛盾しています」
「褒めてんだからいいだろ。なんでも」

 不思議そうな表情になるルナの頭をくしゃりと撫で、エヴィは歩き出す。その一歩後ろにルナが続く。
 さて。どうやって立派な大人に育てていくかな……。
 悩み事なんてなにひとつ持ち合わせていなかったエヴィに、楽しみの混じった悩みがひとつできた。
 
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