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vol.3

もうガキじゃねえよ

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***

「春。顔が幽霊みたいだけど」

「だって、朝練の道具出しとか後片付けやってたんだもん。朝ご飯食べる時間無かったし」

「で、一時間目はなんでサボッてたのよ?」

「それ、知りたい?!後悔するよ!?」

怒りに燃える私を見た菜穂が、キラキラと瞳を光らせた。

「聞く聞くっ!」


***

事の起こりは約二時間前。



「道具はここにあるから」

「了解」

同じクラスで野球部の浪川に道具置き場に案内してもらった私は、軽く手を上げると小さく返事をした。

……ただひとりの生き残り……いや、インフルエンザから生還した三木さんは、家が恐ろしく遠いらしくて朝練の用意には間に合わないらしい。

その代わり、後片付けを担当しているらしいけど、やっぱり手伝わないわけにはいかない。

ようやく朝練が終了し、部員達と手分けして道具をしまうと、三木さんが私に声をかけてきた。

「お疲れ、川瀬さん。私、朝練の出席簿を顧問に渡してくるね」

「うん。じゃあ、私は部室の戸締りするわ」

私は三木さんと短い会話を交わすと、部活棟へと向かった。

鍵の置き場を忘れないために部室のドアに鍵を差したままにしておいて、そのまま中を覗き込む。

……暗い。

部活棟は半分地下みたいな構造になっていて、朝でも電気をつかなきゃ暗い。

……誰もいないみたいだな。

そういや浪川が言ってたな。朝練で部室使う奴は少ないって。

朝練は大抵スクワットや素振りが多くて体操服が汚れないから、みんなそのまま授業受けたりするんだよね。

着替える部員もいるけど、大抵みんな用具室でササッと着替えちゃうみたい。

けど、一応朝は鍵を開けて、練習終わったら戸締りが決まりだから仕方ない。

私は部室に入ると小さな声で呟いた。

「誰かいるー?もう鍵しめるよー?」

……。

数秒待ったけど、部室の中から返事はない。

右側にはロッカーが突き出しているから、出入り口からその向こう側は見えない。

……しょうがない。イヤホン使って音楽聞いてるコがいたりするから、一応見とかないと。

そう思いながら私は、ヒョイッとロッカーの向こうを覗いた。

「うわっ!」

驚きのあまり、思わず身体が硬直する。

……瑛太が着替えていて、ロッカーからカッターシャツを取り出すところだったんだ。

「……春」

嫌だ。昨日の今日だし……気まずい。

朝練の時も、瑛太が柔軟体操やスクワットをしているところに私は近寄らなかった。

それどころか、目に写らないようにしていた。

そ、それなのに、こんなところで二人きりはないでしょ!

私は素早く身を翻すと早口で言った。

「外で待ってるから着替えたらすぐに出てきて」

「春、待てって」

タン!と瑛太の足音が響いた瞬間、腕を荒々しく引っ張られた。

「きゃあ」

避けることもできないまま、私の背中が瑛太の身体にぶつかる。

その瞬間、瑛太が素早く私を腕の中に囲った。

「な、に?やだ」

「春はさ、なに考えてんの」

私の身体に、瑛太の太い腕が絡まる。

咄嗟にその腕を掴んで解こうとしたけれど、筋肉の張った瑛太の腕はビクともしない。

次第に鼓動が跳ね上がり、自分と瑛太の体温が混ざって背中が熱い。

「俺の事、何だと思ってんの」

掠れた瑛太の声が妙に生々しくて、私は焦って言葉を返した。

「何って……別に。瑛太は瑛太で昔から変わらないよ」

私がそう言った直後、瑛太が腕を解いて私の二の腕を掴むと、自分の正面に向き直らせた。

身を屈めて私と目線を合わせ、こっちを覗き込む瑛太は、私の表情から何かを探そうとしているみたいだった。 

「んなわけないだろ」

「とにかく離してよ」

瑛太の瞳に苛立ちの光が浮かび上がる。

その眼を、見ていられない。

「眼、そらすな」

「……っ!」

瑛太が私をトンと突いた。

コツンと後頭部がロッカーにあたる。

「なによ」

「こっち見ろよ、春」

壁ドンなんて距離じゃなかった。

私を囲った瑛太が、自分の手首から肘までをベッタリとロッカーに押し付けてこっちを見下ろした。

息がかかるほどに近い。

「やめてよ、こーゆーの」

「手、貸せ」

「なっ、」

瑛太が私の手首を掴んで持ち上げた。

「なに、瑛太、やめ……」

思わず言葉が途切れた。

瑛太が、私の手の平を自分の身体に押し当てたから。

薄いシャツから伝わる、瑛太の分厚い胸の感触。

手を引っ込めようとしたけど、手首を掴まれていてまるで動かせない。

布越しに触れる手の平が、熱い。

「触って。俺のこと」

「瑛、太やめて」

瑛太の鼓動が、トクトクと手に伝わる。

「やだ、瑛太」

「まだだ」

言いながら瑛太はこっちを見つめたまま、胸に押し当てた私の手のひらをゆっくりと下に移動させた。

まるで無駄な肉のない、硬い腹筋の感覚。

それから、引き締まった腰。

子供じゃなくて、男の子の身体。

心臓が爆発しそうで、これ以上触れていられない。

「瑛太、やめて」

「……これでも……これでも俺は昔のままかよ」

瑛太が私の眼をまっすぐに見下ろした。

「俺だって男なんだよ」

瑛太が精悍な頬を傾けて、続けた。

「もうガキじゃねぇよ」

「瑛太っ」

「こんな俺を……春は嫌なのかよ」

……こんな、瑛太を。

私は……私は……。

その時、浪川の声が響いた。

「おーい、まだいるのかー?ドアに鍵ささったままだけどー」

た、助かったっ。

普段どうでもいい浪川が神様に思えた。

「いる!いるよ!待って!」

私は大きく浪川に返事をしながら至近距離の瑛太を睨んだ。

「どけっ!瑛太の変態っ!」

「いって!」

油断をした瑛太に膝蹴りを食らわせて、怯んだ彼の横をすり抜けると私は入り口にいた浪川に声をかけた。

「まだ中に変態の瑛太がいるけど、もう鍵かけて閉じ込めてもいいわよ!」

「へっ?」

今度こそもう知らない!瑛太なんて知らない!

私は息も荒く階段をかけ上がると屋上を目指した。

****

で、再び現在。

二時間目が終わったばかりの休み時間。

「ぶ、ぶはははははっ!」

「笑い事じゃないよっ!」

「で、春はこの寒空の中、屋上なんぞで一時間目をサボったってわけか」

菜穂はニヤニヤしながら男子達の中にいる瑛太に視線を投げた。

「だって気まずいじゃん」

「いやー、実に興味深いわ」

「は?!なにその感想!」

「許してやんなよ、可愛いじゃん」

「可愛くない!身体ばっかデカくなって、なんか生意気!」

「そーかなー。浅田は頑張ってると思うけど」

「頑張る方法間違えてるよ、あのバカは」

「ふふふふ……まあ、色々あるから青春なんだよねー……」

菜穂の言葉の意味は不明だったけど、私は決めた。

瑛太がちゃんと謝ってくるまで喋ってやらないって。
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