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第26話 疑念②

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「――あの時は、ああ言いましたけど。確かに、時空の歪みはどうにもならなさそうですね……」

 屋敷に戻ったエメラーダは、ひとり、部屋の中で考え事をしていた。

<でも時空の歪みとかいうのをなんとかしないと、また化け物が出てくるかもしれないよ>

「ロビン?」

 ロビンの声が、頭に響くように聞こえてきた。エメラーダは驚いて周りを見回したが、姿は見えず、気配もない。

<僕は、エメラーダの心に話しかけているんだ>
「心というのは……」

<僕が短くなったのは、他の者に目につかれないためでしょう。僕が直接声を出すのはまずいのかなと思って>

「なるほど。それでロビンの声が頭の中で響くようになったのですね」
 エメラーダは納得した。

<でもさ、ラプソディアでは堂々としてたよね 。どうしてここではコソコソしなきゃいけないのさ>

「申し訳ありません。ロビン。これには理由がありまして」
 謝ったあと、エメラーダはこう続けた。

「蒼き剣にはとてつもなく大きな力があります。それを知られたら、悪用される恐れがあるからです。カレドニゥスでは蒼き剣のことは知られていない以上は、目につくようなことは避けた方がいいのかなと思いまして」

<そうだったのか……ここでこんな話をするのはあれだけどさ。ヌイグルミをやっつけた時のエメラーダ、楽しそうだったけど……>

 ロビンはヌイグルミを討伐した時の、民衆の異様な高揚感を思い返していた。エメラーダもまた、民衆と同じような顔をしていたことも。

「それがどうしたのですか?」
 ロビンの言い方に引っかかるものを感じたのだが、果たしてそれは何なのか。エメラーダはピンと来なかった。

<ヌイグルミはお家を壊すっていう悪さはしたよ。踏んづけられたら死んじゃうかもしれないよ。

でもさ、ヌイグルミだって好きで暴れたわけじゃないでしょ。本当はアナセマスに帰りたかったんじゃないの。殺しちゃうのは仕方がないかもしれないけどさ。それを皆で喜ぶなんて……>

 エメラーダにしたら、ヌイグルミは街を破壊する怪物だ。エメラーダだけではない。グレイセスの人間であるなら皆そう思うだろう。

 だが、ロビンはそうではない。ロビンにしたら人間とヌイグルミの別もなく、等しく同じ命なのだ。
 エメラーダは考え込んだ。

<なんかごめんね。蒼き剣の話をしてたんだよね>
 ロビンは謝った。エメラーダが無口になっていたからである。

「いいのです。ロビンの言うことも、もっともですから。それで、蒼き剣ですね? なにか気になることがあるのですか?」
 エメラーダは話を戻した。

<蒼き剣って元々はアナセマスのものだったんだよね? 蒼き剣が救う世界というのはグレイセスのことだ。なんで、アナセマスのものが、グレイセスを救うっていういわれがついたんだろうね>
 ロビンは唸った。

「私も気になります」
 エメラーダも唸った。

「気になっていることが、もう一つ」
<なぁに?>

「ラプソディアに現れたヌイグルミを倒したという話です。ここに来てからは、クラウディオ様にしか、話していないんですよ」

<そうなの? みんな知ってるみたいだったけど>

「そうなんですよ……」
 エメラーダの顔が曇った。心に、ある疑念が湧いてきたからである。

<そ、そんなすごい話だったら、いつの間にか広まっててもおかしくないと思うよ。だってものすごい大きな怪物をやっつけたんだから>

 エメラーダの胸中を知ってか知らずか、ロビンは取り繕うような言い方をした。

「そ、そうですよね」
 エメラーダは、胸に去来した疑念を払拭せんと努める。


「エメラーダ」
 クラウディオがエメラーダの名を呼びながら、部屋の中に入ってきた。

「クラウディオ様!」
 ロビンとのやり取りを聞かれたのか? でも、ロビンの声はクラウディオには聞こえないはずだ。

 ――はたから見たら独り言を話しているようにしか見えない。それはそれで、不審に思われるかもしれない……エメラーダの頭にこんな考えがよぎった。

 クラウディオの様子を見ると、いつも通りだ。エメラーダは、一安心した。

「あなたは今日、屋敷を出て、復興現場に向かった。という話を耳に入れたのですが」

「その事ですか……私がそこに向かったのは、いてもたってもいられなくて……」
 復興現場に向かったのは、エメラーダの独断で決めたことだった。

「あなたは優しい人ですね。私は、自分の立場をわきまえて、行動すべきだったと思いますよ」

「出過ぎた真似をいたしました。申し訳ありません」
 エメラーダは、頭を下げた。

「頭を上げてください。むしろ、あなたの優しさを嬉しく思います。ありがとうございます」

 クラウディオは、エメラーダの行動を咎めなかった。かえって、優しい眼差しを向け、感謝の言葉を述べる。

 エメラーダはそんなクラウディオの優しさに、かえっていたたまれなくなってきた。

「それに、あなたは既に無茶をしておられます。あの怪物に単身で立ち向かうなど」
「そうでしたね……」

 なにせ、兵士達の制止を振り切ってまでやったのだ。
 もしかしたら、この優しさは「エメラーダは何を言っても聞かないだろう」という諦念から来ているのかもしれない。

 夫であるクラウディオを失望させてしまった。エメラーダはそう見なした。

「申し訳ありません……」
 エメラーダは俯き、再度謝る。

「だから、謝らないでください」
 クラウディオは、俯いているエメラーダの手を取った。

「私は、あなたの勇気に心を打たれたのです。あの時のあなたは輝いていた」
 期待に満ちた眼差しを、エメラーダに向ける。

「は、はぁ」
 クラウディオが向ける眼差しに、エメラーダはつい、ひるんでしまう。

「エメラーダ、あなたは優しい。それだけではなく、私にはない勇気を持っている。

……そして、あなたには力がある! その力を持ってすれば、あなたは世界を統べる王になれるのだ!」

 クラウディオは真っ直ぐな目でエメラーダを見据えた。
 その真っ直ぐな目に、エメラーダは狂気の色を見たような気がした。
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