私が目障り? なら足掻くことね -王女エイレーネーの華麗なる平民堕ち計画-

蓼脇 尚(たでわき なお)

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3 本音と建前

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 結婚式の日取りは未定である。
 なにぶん急な事だったので、まずは私の爵位授与式と、アンの後見人となる旨を発表する場が必要だった。とはいえ、貴族連中の横槍を防ぐために、最速かつ完璧に全ての行事を行わなくてはならない。

(この1ヶ月、教育以外の情報が回ってきてないのよね。ジェイドお兄様が何を考えていらっしゃるのか、全く分からないわ)

 怒りで踵を鳴らしそうになる。
 が、麗しの王女エイレーネーとしてのプライドが優った。何食わぬ顔でドレスルームに到着した私は、使用人の手により開け放たれた扉を潜る。

 後ろで、アンの息を呑む音が聞こえる。
 無理もない。目の前にあるのは、色とりどりの布、フリル、レース、宝石の山だった。どこを見ても何かしらの素材が陽の光を反射するので、目が痛い。半ば目元を覆いながら歩を進めると、視界の端で黄金の巻き毛が揺れた気がした。
 

「やぁ、エイレーネー。アン」

 苦々しい顔を隠さずに、声の方向を仰ぎ見る。
 そこに居たのは、輝かしい笑顔を浮かべるお兄様だった。

 アンの礼服は、当然、お兄様と揃いのものになる。二人を並べて、二人の意見を参考に作らなくてはならない。そういうわけで、今日はお兄様の顔を見る羽目になったのだ。

「ジェイド殿下!」

 アンは華やいだ表情を浮かべて、お兄様に駆け寄る。お兄様もアンに会えた事を嬉しく思っているようだけど、二人とも頬を染める事なく、ただ近況を語らっているだけだった。

 私は顎に手をやりながら、唸る。

(なんだか、恋人って感じがしないわね)

 恋人とは、もっと甘く、穏やかな雰囲気を纏っているもののはずだ。少なくとも、私と婚約者殿は、一時期雰囲気だった。

 しかし、眼前の2人はどうだろう。
 互いを見つめ合ってはいる。視線に熱も──篭っている。が、眼差しが真摯すぎるのだ。流し目をしてアピールしたり、愛おしげに見つめたり。そういう物が、いっさい見受けられない。

 尚もウンウンと唸っていると、お兄様が私を一瞥した。

「ついでに、僕の礼服も選んでくれるとありがたいんだが。どうだろう、アン、エイレーネー。やってくれないか?」

「ええ、是非……」

「いいえ。私はお断りします」

 二人の視線が私に集中する。
 お兄様は面白そうな物を見るような目で。アンは訝しげに私を見つめた。

「お兄様好みの生地は、今西方から取り寄せている最中でしょう。アレ以外身につけないと、この間駄々をこねたばかりではありませんか」

「おや。そうだったかな」

 腕を組んで、惚けたことを抜かすお兄様。
 思わず、深い、ふかい溜息が溢れた。

「いいですか、アン。貴女の夫になろうという男は、大変な気分屋です。こんな男の言う事など無視して、己のやるべき事を果たしなさい」

「は、はい……」

 お兄様はアンに目配せすると、小さく呟く。

「全くもっておっかない妹だ」

「あらまぁ、酷い事を仰るのね。じゃ、私は邪魔みたいだし、お先に失礼します。どうぞ恋人らしく、甘い時間をお過ごしください」

 私は頭を下げると、足早にその場を後にした。これ以上、私がドレスルームにいる必要はない。後はアンとお兄様が自分たちで決めれば良いのだ。私だって、四六時中アンのお守りをしていられるわけではない。



 ドレスルームを出て、すぐの曲がり角。
 美しい庭園が見えるその場所で、足音が響いた。


「イリニ?」

 ──聞き覚えのある、涼やかな声。
 ハッとして目を凝らすと、前方から一人の男性が近づいてきていた。

 若草を思わせる髪。穏やかな光を湛えた碧眼。端正な顔には、戸惑いと喜びが混ぜこぜになった、複雑な表情が浮かんでいる。ああ、背筋が伸びた、パッキリとした立ち姿で分かる。久しぶりに見た彼は、前にも増して貴族然とした余裕を身につけていた。

 笑顔のまま、心が凪いでいく。

「こんにちは、マクスウェル公爵閣下。お兄様でしたら」

「いや、彼にはもう会ってきた。聞いたよ、色々と」

 はにかんだ公爵は、私の背後に視線を送る。
 視線の先には、ドレスルームがあるのだろう。姿を見ないまま、アンとお兄様の存在を認めた公爵は、目を細めて笑みを強めた後、私に向き直った。

「苦労しているようだけど、体調に変わりはない?」

「勿論です。私は常に、皆の望む王族として、完璧であり続けています」

「……相変わらずだね。心配だな、君はすぐ無理をするから」

 公爵は力無く笑った。
 私より5歳ほど歳を重ねている彼は、時折、嗜めるような言い方をする。公爵は愛おしむように私を見下ろしていると、突然ハッとした。

「そうだ。男爵位、おめでとう。イリニならやってのけると思っていたけど、こんな形で実現するとは思っていなかったよ」

 爽やかな言葉に、全身が粟立つのを感じた。

(やってのける、ですって? 偉業みたいな言い方をするのね。今の貴方は)

 ──平民にこそ自由があると。
 ──貴族社会には息ができる場所などないと。夢を見るような目で告げた貴方は、やはりもう、居ないらしい。実感が悪寒となって全身を駆ける。一瞬、笑顔が崩れたのを感じ取って、すぐに口角を上げた。

「ありがとうございます、閣下。それから、ところ構わず幼名で呼ぶのはおやめください」

「難しい事を言うね。俺にとっては、君は今も“イリニ”のままなんだと知らしめたいだけなんだけどな」

 思わず叫びそうになった。
 『勝手な事を言わないで。そういう貴方は、私が愛したレオンを辞めているじゃない。私だってそうよ、もうただのイリニではないの!』──今すぐ、恥も外聞もなく、叫び出してしまいたいたかった!

 腹の底から怒りが込み上げる。
 感情を爆発させないよう、腕に爪を立てて必死に堪えていると、背後で扉が開く音がした。

 見れば、アンが困惑しながら扉に触れていた。

「エイレーネー様、そろそろ……」

 その言葉にいち早く反応したのは公爵だった。

「ああ、そうか。すまない、こんな場所で引き止めて。二人とも、良い午後を!」

 私たちも頭を下げ、私室に急いだ。足早にその場を後にする公爵の背を、目で追うことさえせずに。背後にピッタリとついてくるアンの気配を感じながら、思わずため息をついた。

「人の会話を邪魔するのはいけません、もっと上手い切り込み方を考えなさい……と言うところですけど。今回ばかりは助かりました。ありがとうございます、アン。ところで、服はもう良いの?」

 アンは澱みなく歩き続ける。

「ジェイド殿下が、やっぱり西方の生地を待ちたいと仰ったので、お流れになりました。……今の方が、エイレーネー様の婚約者さん、なんですよね?」

 私は頷いた。
 アンの、にわかに崩れた話し方も、今は見逃そう。

「レオンハルト・マクスウェル。一昨年、最年少で公爵位を拝命した、優秀な方です」

 情感の無い、平らな言葉が出た。
 実際、私は今の公爵に、何の情も抱いていない。私が愛したのは、

 歩き続けて、私室が眼前に迫った頃。
 ようやっと、アンが口を開いた。

「……エイレーネー様、その、大丈夫ですか?」

 扉を開ける瞬間、アンは私と横並びになった。
 私より高い背丈。磨き抜かれた射干玉の髪。大きく、真っ直ぐな、茶色の瞳。あの目を通したら、私は──お兄様は──レオンは──どんなふうに映っているのだろう。

(当然、大丈夫なわけない)

 口が裂けても言えない言葉が脳裏をよぎる。
 私はアンに笑顔を向けた。
 黄金の髪の下で、淡いアメジストの瞳が、仄かに暗く輝くように。計算された笑顔に、“イリニ”の面影は無いだろう。それでも尚、私をイリニと呼ぶ公爵の意図が、未だに掴めずにいる。
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