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高橋 かなえ
16 チグハグだったあたしをあたしは抱きしめる
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ローテーブルに転がっていた自立式の鏡を立て直し、ひとつ咳払いをして凛花があたしを鏡の前へ誘導した。
「さぁさぁ、お嬢さん、前へ」
「ほんとにすんの?」
「いいからさっさと座れいっ」
ためらうあたしの肩をつかみ、強引に座らせる。
それから、声とは裏腹のやさしい手つきでみつあみを解いた。
「私、天パのあつかいには慣れてるからね」
バッグから高級そうな目のつまったブラシを取り出して、毛先からほぐしはじめる。
「このくし、すごいね」
「ママのだよ。こっそりかりてきた。ツヤが出るんだって。かなえの天パはあたしよりはくせがないかな。ももちゃんと同じくらい?」
「知らない。比べないでよ」
太くて多いあたしの髪とちがって、百瀬の髪はあの日見たゴールデンレトリバーみたいにふわふわでやわらかそうだ。質がぜんぜんちがう。
凛花はヘアスプレーを取り出すと、ピストルを打つみたいにかまえて髪全体にじゃっとふりかけた。
さらに丁寧にブラシをかける。
「ストパーかけちゃえばいいじゃん。かなえのママなら許してくれそうなのに。うちはダメ。色気づくなってうるさくて。大人になるまでメデューサ継続だよ」
色気づくなって……なんというか、どぎつい言い方。自分が恥ずかしいものであるかのような気持ちにさせられる。
そんなに厳しい家なのに、ブラシを持ち出したりして大丈夫なのだろうか。
「化粧は怒られないの?」
「いいんだよ。学校にして行ってるわけじゃないんだから、自由でしょ。こづかいでやってんだし」
感心した。凛花にはこれと決めたら譲らないパワーがある。
正面に座ってあたしの手をとり、マニキュアの色を選んでいた杏が口をはさんだ。
「凛花んち、お金の使い道にもうるさいんだよね? 付き合うともだちが悪いせいだーっとか言われるんでしょ。あれ、私のことだよね」
「杏の家の人は? やっぱ怒られたりすんの?」
「ううん。うちはむしろ真逆。今から十年が華なんだから、お手入れちゃんとしてねってうるさい。お姉がぜんぜんそういうの興味ないから余計、せめて私にはって思ってんのかも。……かなえ、この色塗っていい?」
最初に見せてくれたバヤリースオレンジ色のマニキュアだ。
いまさら、もうどうとでもなれという気持ちで、オッケーを出す。
マニキュアの瓶を開けると、薬品の匂いに混ざっていかにも作り物といった感じのチープなオレンジの香りが漂ってきた。
器用にフィッシュボーンのおさげを作りながら凛花がため息をつく。
「いいなあ。杏もかなえも。由美子だって化粧してたけど別になんも言われてなさそうだし。その上、かなえなんかボンキュッボンだしさあ。恵まれてるよ」
「出た。昭和のセクハラワード」
杏が眉を八の字に下げる。今度はあたしがため息をつく番だ。
「あたしは正直コンプレックス。胸なんてない方がきれいに着こなせることが多いし。なんで大きい方がいいってことになってるんだろうって思う」
「そりゃ、その方がいかにも女って感じするし」
凛花が即答する。
その女って感じに、その視線に四年生だったあたしは戸惑ったんだけど。だってあたしはまだ子どもでいたかったし、じっさい子どもだったから。
男の子から「女の体」って言われた時、そういう目を向けられるんだと知った時、私は自分が恥ずかしかった。
「本当は、みんながみんないいと思ってるわけじゃないと思うけど。あ、マニキュアがかわくまで手、動かさないでね」
あっという間に左手をぬり終え、杏はびんを手に右側に移動した。
「胸も髪と同じかな。みんなストレートの方がいいって思ってるでしょ? あと、はだの色は白い方がいいとか、やせてる方がいいとか。人にも言われるし、自分でもそう思っちゃう、けど、結局は自分を好きになるしかないんだよ」
なるほど。杏は自分を受け入れるって決めてるってことか。
なかなかそうはうまくいかない気もするけれど、そうなれればいいなとは思う。
かたく編んだフィッシュボーンを網目から引き出して、ゆるふわな感じにアレンジしながら凛花が強気な声を出す。
「私は抗うよ。好きな自分にするって感じ。オシャレってそういうことでしょ。自分史上一番可愛い私を全力で更新し続ける」
それはそれでかっこいい。
あのころのあたしはまだ幼すぎて、だからチグハグだったんだ。
成長の早い体のせいで、自分だけが違ってしまったように思ってしまったから。
みんなの成長が追いついてきた今なら、あたしはあたしを受け入れられるだろうか。
凛花のように、好きだと思える自分を作っていくことだってできるんだから。
「よし。いいかんじ」
ラメの入った細いヘアバンドをあたしの髪に差しこむと、凜花はワックスを伸ばした手でおくれ毛を整えた。
きれいに決まるように何度も練習してきたんだろう。てぎわがいい。
「化粧はあたしにやらせて」
マニキュアを小指まで塗り切ると杏が、あたしの頬に手を当てた。
「はだの色はわりと近いと思うんだけど。目を閉じて」
杏はよくわからないクリームを頬や鼻、おでこに置いて指で円をかきながら伸ばした。
「あたし、あんまり化粧したーって感じのはちょっと」
「色はうっすらにするから安心してね」
杏の言葉にも本当かなという不安が残る。化粧なんて、おゆうぎ会以来かもしれない。
杏は軽くパフを走らせるとペンシルでまゆを少しだけ整えて、それから頬にブラシをふわりとのせた。
「これ以上は、いいかな。かなえみたいなハデ顔がケバくならないメイクって、難しいね。自分の時よりだいぶ抑えめでちょうどいいや」
「いいじゃん。さすが。自分の顔で失敗を積み重ねた成果だね!」
「……凛花、後で覚えてろ」
人をおとしめるようなツッコミが飛び、杏がドスをきかせる。
怒られたはずの凛花はむしろ喜んでいるように見える。
凛花のそれは冗談で、杏が怒るのはお約束。本気で嫌がってるわけじゃない。だからとりあわなくて構わない。
ふたりがそう了解しあっているのなら、口を出すことではないのかもしれない。
出せば興ざめで、ノリがわかんないってことになるのかもしれない。
でも、あたしがそうだったように、本当はほんとに嫌なのかもしれない。
コミュニケーションって難しいな。
「ありがとう。杏も凛花もすごいよ」
鏡をまじまじと見て、あたしは二人に礼を言った。
今のノリにあたしはついていかない。
二人は得意げな顔をして互いを見、声をあげて笑った。
「やっぱり、そのぉ、なにですね、我々の日頃の特訓の成果ですよぉ」
「なに、そのキャラ。めっちゃキモ」
わざと作った凛花の野太い声に杏が吹き出す。
あんまり笑うから、つられてあたしも吹いてしまった。
「キモい言うなぁ~、君たち、失礼だぞ」
その声のまま凛花は続け、自分も一緒になって大笑いした。
エプロンで手を拭きながら由美子がリビングに顔を出す。
「洗い物は終わったよ。そっちは?」
「ほらっ。かなえ、由美子のほう向いて。じゃーん」
効果音なんかつけられ、みんなから見つめられるとなんだか照れる。
「いいでしょ。さすが私たち」
「すごくかわいいよ。かなえちゃん」
由美子の言葉に二人はそろって「ほらねー」と得意げな声をあげた。
鏡の中のあたしをあたしはきっと好きになれる。そう思った。
「さぁさぁ、お嬢さん、前へ」
「ほんとにすんの?」
「いいからさっさと座れいっ」
ためらうあたしの肩をつかみ、強引に座らせる。
それから、声とは裏腹のやさしい手つきでみつあみを解いた。
「私、天パのあつかいには慣れてるからね」
バッグから高級そうな目のつまったブラシを取り出して、毛先からほぐしはじめる。
「このくし、すごいね」
「ママのだよ。こっそりかりてきた。ツヤが出るんだって。かなえの天パはあたしよりはくせがないかな。ももちゃんと同じくらい?」
「知らない。比べないでよ」
太くて多いあたしの髪とちがって、百瀬の髪はあの日見たゴールデンレトリバーみたいにふわふわでやわらかそうだ。質がぜんぜんちがう。
凛花はヘアスプレーを取り出すと、ピストルを打つみたいにかまえて髪全体にじゃっとふりかけた。
さらに丁寧にブラシをかける。
「ストパーかけちゃえばいいじゃん。かなえのママなら許してくれそうなのに。うちはダメ。色気づくなってうるさくて。大人になるまでメデューサ継続だよ」
色気づくなって……なんというか、どぎつい言い方。自分が恥ずかしいものであるかのような気持ちにさせられる。
そんなに厳しい家なのに、ブラシを持ち出したりして大丈夫なのだろうか。
「化粧は怒られないの?」
「いいんだよ。学校にして行ってるわけじゃないんだから、自由でしょ。こづかいでやってんだし」
感心した。凛花にはこれと決めたら譲らないパワーがある。
正面に座ってあたしの手をとり、マニキュアの色を選んでいた杏が口をはさんだ。
「凛花んち、お金の使い道にもうるさいんだよね? 付き合うともだちが悪いせいだーっとか言われるんでしょ。あれ、私のことだよね」
「杏の家の人は? やっぱ怒られたりすんの?」
「ううん。うちはむしろ真逆。今から十年が華なんだから、お手入れちゃんとしてねってうるさい。お姉がぜんぜんそういうの興味ないから余計、せめて私にはって思ってんのかも。……かなえ、この色塗っていい?」
最初に見せてくれたバヤリースオレンジ色のマニキュアだ。
いまさら、もうどうとでもなれという気持ちで、オッケーを出す。
マニキュアの瓶を開けると、薬品の匂いに混ざっていかにも作り物といった感じのチープなオレンジの香りが漂ってきた。
器用にフィッシュボーンのおさげを作りながら凛花がため息をつく。
「いいなあ。杏もかなえも。由美子だって化粧してたけど別になんも言われてなさそうだし。その上、かなえなんかボンキュッボンだしさあ。恵まれてるよ」
「出た。昭和のセクハラワード」
杏が眉を八の字に下げる。今度はあたしがため息をつく番だ。
「あたしは正直コンプレックス。胸なんてない方がきれいに着こなせることが多いし。なんで大きい方がいいってことになってるんだろうって思う」
「そりゃ、その方がいかにも女って感じするし」
凛花が即答する。
その女って感じに、その視線に四年生だったあたしは戸惑ったんだけど。だってあたしはまだ子どもでいたかったし、じっさい子どもだったから。
男の子から「女の体」って言われた時、そういう目を向けられるんだと知った時、私は自分が恥ずかしかった。
「本当は、みんながみんないいと思ってるわけじゃないと思うけど。あ、マニキュアがかわくまで手、動かさないでね」
あっという間に左手をぬり終え、杏はびんを手に右側に移動した。
「胸も髪と同じかな。みんなストレートの方がいいって思ってるでしょ? あと、はだの色は白い方がいいとか、やせてる方がいいとか。人にも言われるし、自分でもそう思っちゃう、けど、結局は自分を好きになるしかないんだよ」
なるほど。杏は自分を受け入れるって決めてるってことか。
なかなかそうはうまくいかない気もするけれど、そうなれればいいなとは思う。
かたく編んだフィッシュボーンを網目から引き出して、ゆるふわな感じにアレンジしながら凛花が強気な声を出す。
「私は抗うよ。好きな自分にするって感じ。オシャレってそういうことでしょ。自分史上一番可愛い私を全力で更新し続ける」
それはそれでかっこいい。
あのころのあたしはまだ幼すぎて、だからチグハグだったんだ。
成長の早い体のせいで、自分だけが違ってしまったように思ってしまったから。
みんなの成長が追いついてきた今なら、あたしはあたしを受け入れられるだろうか。
凛花のように、好きだと思える自分を作っていくことだってできるんだから。
「よし。いいかんじ」
ラメの入った細いヘアバンドをあたしの髪に差しこむと、凜花はワックスを伸ばした手でおくれ毛を整えた。
きれいに決まるように何度も練習してきたんだろう。てぎわがいい。
「化粧はあたしにやらせて」
マニキュアを小指まで塗り切ると杏が、あたしの頬に手を当てた。
「はだの色はわりと近いと思うんだけど。目を閉じて」
杏はよくわからないクリームを頬や鼻、おでこに置いて指で円をかきながら伸ばした。
「あたし、あんまり化粧したーって感じのはちょっと」
「色はうっすらにするから安心してね」
杏の言葉にも本当かなという不安が残る。化粧なんて、おゆうぎ会以来かもしれない。
杏は軽くパフを走らせるとペンシルでまゆを少しだけ整えて、それから頬にブラシをふわりとのせた。
「これ以上は、いいかな。かなえみたいなハデ顔がケバくならないメイクって、難しいね。自分の時よりだいぶ抑えめでちょうどいいや」
「いいじゃん。さすが。自分の顔で失敗を積み重ねた成果だね!」
「……凛花、後で覚えてろ」
人をおとしめるようなツッコミが飛び、杏がドスをきかせる。
怒られたはずの凛花はむしろ喜んでいるように見える。
凛花のそれは冗談で、杏が怒るのはお約束。本気で嫌がってるわけじゃない。だからとりあわなくて構わない。
ふたりがそう了解しあっているのなら、口を出すことではないのかもしれない。
出せば興ざめで、ノリがわかんないってことになるのかもしれない。
でも、あたしがそうだったように、本当はほんとに嫌なのかもしれない。
コミュニケーションって難しいな。
「ありがとう。杏も凛花もすごいよ」
鏡をまじまじと見て、あたしは二人に礼を言った。
今のノリにあたしはついていかない。
二人は得意げな顔をして互いを見、声をあげて笑った。
「やっぱり、そのぉ、なにですね、我々の日頃の特訓の成果ですよぉ」
「なに、そのキャラ。めっちゃキモ」
わざと作った凛花の野太い声に杏が吹き出す。
あんまり笑うから、つられてあたしも吹いてしまった。
「キモい言うなぁ~、君たち、失礼だぞ」
その声のまま凛花は続け、自分も一緒になって大笑いした。
エプロンで手を拭きながら由美子がリビングに顔を出す。
「洗い物は終わったよ。そっちは?」
「ほらっ。かなえ、由美子のほう向いて。じゃーん」
効果音なんかつけられ、みんなから見つめられるとなんだか照れる。
「いいでしょ。さすが私たち」
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