その聖女、神の愛し子です!

一路(いちろ)

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第二十九話

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宿屋の朝は、夜明け前の静けさの中で始まった。窓から差し込む淡い朝陽が、木の床に影を落としている。ルミナは昨夜の疲れを覚えつつも、心地よい緊張感を胸に起き上がった。ヴァルガも、体を丸めて静かに眠っていたが、ルミナの気配に目を覚ますと、ゆっくりと伸びをした。大型犬ほどの体躯は、狭い部屋の中でも存在感があった。

「おはよう、ヴァルガ」

ルミナが手を差し伸べると、黒い毛並みの魔獣は鼻先で軽く触れてきた。昨日の模擬戦で見せた力が、ヴァルガの信頼を確かなものにしたらしい。ヴァルガの瞳には、守るべき相手としての光が宿っているようだった。

ユリウスは既に起きて、荷物の最終確認をしていた。昨夜、ルミナとヴァルガの装備を整え、旅立ちの準備を済ませている。

「ルミナ様、支度は整いましたか?」
「はい、大丈夫!」

ルミナは小さく頷き、リュックを背負うと杖を手に持った。携帯用のベルトも装着済みだ。

「では、そろそろ王子と合流いたしましょう」

王都へ向かう街道沿いの指定場所には、すでに第二王子、フェルディナントが待っていた。鎧を身に着けた昨日とは違い、今日の装いは軽装で、肩当てやブーツはあるものの動きやすさを重視した服装になっている。王の命に従い、ルミナの護衛として同行する。ルミナは緊張を隠せず、少し顔をこわばらせた。

「……フェルディナント王子、よろしくお願いします」
「……ああ、こちらこそ。私のことはフェルとでも呼べばいい」

王子はルミナを一瞥し、その後ヴァルガを見つめる。大型犬ほどの黒い魔獣を連れ、少女一人が独り立ちするという話は、想像以上に現実離れしているらしい。

「この国の第二王子として、君がどういう存在かを確かめねばならない。過信せず、忠告もする」
「わかりました」

ルミナは軽く頭を下げた。王子から信用を得られる日は来るのだろうか。少し心配だった。

三人と一匹は、まずは冒険者ギルドで依頼を受けることにした。合流場所からギルドへと向かう。
ヴァルガは大型犬ほどの体躯を目立たせながらも、ルミナの横で落ち着いて歩いていた。

「……君の魔獣、かなりの存在感だな」

フェルディナントはヴァルガを観察しながらつぶやいた。ルミナは軽く微笑む。

「ヴァルガは私の大事な友達です。悪いことはしません」
「なるほど……だが、油断はできん。魔獣は見た目だけでは判断できぬ」
「はい、分かっています」

市街地の喧騒が徐々に遠ざかる中、目の前には冒険者ギルドの建物が見えてきた。
ギルドに到着し扉を開けると、室内は活気に溢れていた。冒険者たちが情報を交換したり、依頼の打ち合わせをしていたりと、緊張感と活力が混ざった空気が漂う。受付に向かうと、受付嬢が目を丸くしてルミナたちを見た。
昨日冒険者登録したばかりの少女が今度は王子を従えて戻ってきたのだ。それに気付いた冒険者たちもざわめき出した。

そんな状況も意に介さずギルドの掲示板に掲げられた依頼を確認する。ルミナは興味津々で次々と依頼内容に目を通す。ユリウスが横から解説する。

「これは軽い探索系、こちらは護衛、あちらは魔物討伐……」
「……わあ、色々あるね」

ルミナは目を輝かせる。ヴァルガもその隣で落ち着きながら、ルミナの感情の動きに応じてしっぽをゆっくり振った。
フェルディナントは掲示板を眺めながら眉をひそめた。

「半信半疑だったが……本当に、この少女が冒険者として依頼をこなすのか」

彼の視線はルミナの動きに釘付けだ。ユリウスが小声で注意を促す。

「フェル様、まずはご自身の目で見てご確認ください」

フェルディナントは小さく頷き、ルミナに向き直る。

「ルミナ殿、初めての依頼か」
「はい、頑張ります」
「ああ。私も力を貸そう」

ルミナは少し緊張しながらも、心強く思った。今日からの旅に対する安心感が増す。
依頼を選定した後、ギルドの担当者から簡単な打ち合わせを受ける。ルミナは初めて聞く報酬や条件にも臆せず質問を重ね、フェルディナントは冷静に補足説明を加える。ユリウスは時折、ルミナの理解を助けつつ、依頼の詳細を確認していた。

ルミナの初めての依頼は、近くの村からの狂暴化した魔獣の駆除だった。
ヴァルガにそうしたように、駆除ではなく浄化できるかもしれないとルミナは思ったからだ。

「魔獣はなぜ狂暴化するの?」
「それについては分からないことも多く……あまり研究は進んでいませんね」
「駆除すれば済む話だからな」
「……そっか……」

狂暴化した魔獣は苦しんでいるのではないだろうか。人々だけではなく、魔獣も助けることができないだろうか。とルミナは考えていた。しかし、狂暴化した魔獣は討伐対象であり、騎士団に所属しているフェルディナントからしたら、害獣以外の何物でもなかった。

依頼先の村へは一日ほど歩くため、探索なども含めれば最短で三日かかるだろう。ギルドをあとにして、フェルディナントが合流したこともあり、食材や食器を買い足すことにした。

「フェル様、好きな食べ物はありますか?」
「そうだな……肉は好きだな。遠征中は干し肉ばかりで苦痛だが。あとはぶどうだろうか」
「分かりました」

新鮮な肉やぶどうを買っているルミナを見て、フェルディナントは「これから遠征するのにそんな物を買ってどうするつもりだ」と言ったが、ユリウスに窘められてしまった。
どうせ傷んでしまうのに、と思ったが、初めての依頼で気持ちが高ぶっているに違いない。好きにさせてやろうと静観することにした。

「それでは出発いたしましょう」
「おー!」

必要そうなものを買い足し、ついに出発のときが来た。依頼内容はひとまず置いておいて、ルミナはわくわくドキドキしていた。
一方でフェルディナントはルミナの一挙手一投足を注視していた。父である国王から、国の重要人物であると聞いてはいるが、信じてはいなかった。成人したての、見目は整っているがどこにでもいるような少女が国の重要人物?体よく子守を押し付けられたのでは?ユリウスは何故この少女に付き従っている?この黒い獣は?自分の今までの職務よりも大切なことなのか?と疑問は尽きなかった。

「本日は野営を行いまして、明朝出発して昼には依頼先の村へ着くかと思われます」
「分かった!」

無事に着ければ、の話だが……とフェルディナントは思っていた。冒険者には危険がつきものだ。魔獣に襲われる可能性もあるし、盗賊に出くわすかもしれない。明日、命があるとは限らない。それなのに、ルミナはふわふわと能天気に見えて、危機感が足りていない。

「……先が思いやられるな」

----

野営地は街道から少し外れた林の中に決められた。見晴らしのよい場所で、近くには小川も流れている。ルミナはユリウスと声を掛け合い、手際よく準備を始めた。

「ここなら水も汲めますし、風も通ります。獣の気配もありません。いい場所ですね」

フェルディナントは腕を組み、興味なさげに二人の様子を見ていた。野営といえば固いパンに冷えた水、焚き火の煙にまみれて寝袋で眠る――それが彼の常識だったからだ。

「フェル様、火をつけれますか?」
「……火? 構わない」

フェルディナントは持参していた魔道具で枯れ枝に火を灯した。火がなければ暖も取れないため、大体の者は火をつけるための魔道具だけは所持している。冒険者には常識なのだが。ルミナは「ありがとうございます」と微笑み、どこから出したのか大きめの鍋を火に掛ける。

やがて立ちのぼる香りに、フェルディナントは眉をひそめた。

「……何だ、この匂いは」

鍋の中では新鮮な肉と野菜が煮え、香草と塩で味付けされている。焼きたてのパンを温め、ぶどうを水で洗うルミナの手際は慣れたものだった。

「今日は奮発しましたから!お肉入りシチューです」
「野営で……シチューだと?」

呆気に取られるフェルディナントの前に、湯気を立てる皿が差し出される。匙を手に取り、口に運んだ瞬間――彼の目が大きく見開かれた。

「……うまい」

素直に言葉が漏れる。
柔らかい肉と、甘みを増した野菜。香草の香りが全体をまとめ、塩加減も絶妙だった。普段の遠征で口にする干し肉とは比べものにならない。

「よかったです! フェル様、ぶどうもどうぞ」
「……ああ」

彼は無意識に皿を差し出し、シチューをおかわりしていた。

食後、ルミナは小川の水を引き入れ、蔓で囲った簡易の湯殿を作り始めた。魔法で水を温めると、湯気がふわりと立ち上る。

「お風呂も準備できましたよ、フェル様」
「……風呂だと? 野営で? どうやって?」
「さぁ、どうぞ先にお入りください」

確かに目の前には風呂があった。信じられぬ思いで、彼は湯殿に足を踏み入れる。温かな湯に身を沈めた瞬間、全身の疲れが溶けるように消えていった。

「……はぁ……なんだこれは……」

思わず声が漏れる。
遠征の野営といえば、冷たい水で顔を洗う程度が関の山。それが今、全身を温かい湯に包まれている。夢でも見ているのではないかとさえ思った。どういうことだ?

風呂から上がると、次に目に入ったのは――蔓で編まれた大きなテントだった。

「お休みはこちらで。中は広いですよ」

ルミナが胸を張って言う。

恐る恐る中へ足を踏み入れると、そこには柔らかな草を敷き詰めた寝床が並び、小さな火が淡く室内を照らしていた。夜風は遮られ、湿気も少ない。まるで森そのものが安らぎを与えてくれるかのようだった。

「これが……野営なのか」

フェルディナントは呟き、思わず笑みを漏らした。温かく美味い飯、心地よい風呂、快適な寝床……何がどうなっている?

「おやすみなさい、フェル様」
「……ああ。おやすみ」

しかし横になった途端、彼は深い眠りに落ちていた。考えることを放棄したように。
そして今までの遠征で感じたことのない安心感と、満腹の余韻に包まれながら――。
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