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第八章~流星~
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夜になると、王宮の地下には日の光が届かない。
ほんの少し、不吉な場所だ。
それでもルイは、そこへ向かっていた。
「……写本、取りにいかないと」
そう口にしてみても、震える指先はごまかせなかった。
今夜は、地下に入ったときから空気が違っていた。
階段を踏みしめるたびに、靴裏から染みこんでくるような、ざらついた不穏。
グレゴリーの工房に忘れた、魔術式の写本――
それがなければ明日の研究が進まないのはわかっていた。
けれど、なぜか、足が進まない。
何かがおかしい。
思考がそう訴えているのに、体の奥が焦っていた。
行かなければ。今すぐに、行かなければ、なにかが手遅れになる。
そんな根拠のない強迫が、ルイを突き動かしていた。
廊下の先に、工房の扉が見える。
金属製の重たいそれは、誰かが開けた気配のまま、ほんのわずかに隙間を空けていた。
(……鍵をかけ忘れたのか?)
嫌な予感が強まる。
近づくにつれて、工房の中からわずかな音が洩れてくる。
ふいに、鼻腔をなにかが刺した。
焦げたような、血のような、鉄と香のまじった匂い。
その匂いが、肌の下までしみこんでくる。
耳を澄ますと、くぐもった呪文の響きが聞こえた。
複数の人間の声が重なり合っている。
――呪文?
それだけではない。
呻き声。
低く、苦しげな呻きが、断続的に混じっていた。
(誰か、いる……?)
不審者、ではない。
この塔で、夜に呪文を唱えられる者は限られている。
けれどそれは、決して安心材料にはならなかった。
扉に手をかけかけて――ルイは、動きを止めた。
その瞬間、確かに聞こえたのだ。
「お兄ちゃん……助けて!」
アリアの、叫ぶような声が。
ルイは反射的に扉を押し開けた。
目の前に広がった光景に、思考がついてこなかった。
部屋の中央には、巨大な魔方陣。
幾重にも交差する環状の紋様と、赤黒く滲んだ刻印。
まるで生き物のように脈動しながら、足元から魔力を吹き上げている。
その中央に、アリアがいた。
着衣のまま、手足を拘束具で押さえつけられている。
必死に身をよじっても逃れられない。
涙で濡れた目が、こちらを見ている。
「……っアリア!」
声にならない叫びをあげた瞬間、視界の端に異様なものが映った。
人だ。
倒れている――いや、生きている。
苦悶の表情を浮かべ、呻いている。
若い男女、老人、肌の色もまちまち。
この塔にはいないはずの、名も知らぬ人々。
――魔方陣。人間。
脳裏をかすめたのはグレゴリーの手記。
分解する、繋ぐ、ホムンクルス――……
(……材料、に……)
認識したとたんに、足がすくんだ。
人々は魔方陣の周囲に並べられ、その血がゆっくりと流れている。
傷は深くはない。殺すためではない。
命を、"供物"として使うためだ。
アリアの周囲の空気が変わる。
ぎり、と、何かが軋む音がした。
魔方陣の光が、急激に輝きを増す。
「やめろ!!」
駆け出そうとしたそのときだった。
世界が――破裂した。
轟音。閃光。
天井がきしみ、部屋全体がひしゃげたような感覚。
重力が狂い、視界が引き裂かれる。
赤、金、黒、あらゆる色が魔方陣から噴き出し、宙に渦を巻いた。
光がルイの身体を通過する。皮膚が焼けるような熱。
歪み。ひび割れ。空間がきしみながら、なにかが「生まれる」音。
どれほどの時間が過ぎたのか、わからなかった。
すべてが沈黙したとき――
そこに、アリアの姿はなかった。
人間たちの姿もなかった。
ただ一人。
中央に、裸の人間がひとり、よこたわっていた。
まるで、それだけが、最初からそこにあったかのように。
ほんの少し、不吉な場所だ。
それでもルイは、そこへ向かっていた。
「……写本、取りにいかないと」
そう口にしてみても、震える指先はごまかせなかった。
今夜は、地下に入ったときから空気が違っていた。
階段を踏みしめるたびに、靴裏から染みこんでくるような、ざらついた不穏。
グレゴリーの工房に忘れた、魔術式の写本――
それがなければ明日の研究が進まないのはわかっていた。
けれど、なぜか、足が進まない。
何かがおかしい。
思考がそう訴えているのに、体の奥が焦っていた。
行かなければ。今すぐに、行かなければ、なにかが手遅れになる。
そんな根拠のない強迫が、ルイを突き動かしていた。
廊下の先に、工房の扉が見える。
金属製の重たいそれは、誰かが開けた気配のまま、ほんのわずかに隙間を空けていた。
(……鍵をかけ忘れたのか?)
嫌な予感が強まる。
近づくにつれて、工房の中からわずかな音が洩れてくる。
ふいに、鼻腔をなにかが刺した。
焦げたような、血のような、鉄と香のまじった匂い。
その匂いが、肌の下までしみこんでくる。
耳を澄ますと、くぐもった呪文の響きが聞こえた。
複数の人間の声が重なり合っている。
――呪文?
それだけではない。
呻き声。
低く、苦しげな呻きが、断続的に混じっていた。
(誰か、いる……?)
不審者、ではない。
この塔で、夜に呪文を唱えられる者は限られている。
けれどそれは、決して安心材料にはならなかった。
扉に手をかけかけて――ルイは、動きを止めた。
その瞬間、確かに聞こえたのだ。
「お兄ちゃん……助けて!」
アリアの、叫ぶような声が。
ルイは反射的に扉を押し開けた。
目の前に広がった光景に、思考がついてこなかった。
部屋の中央には、巨大な魔方陣。
幾重にも交差する環状の紋様と、赤黒く滲んだ刻印。
まるで生き物のように脈動しながら、足元から魔力を吹き上げている。
その中央に、アリアがいた。
着衣のまま、手足を拘束具で押さえつけられている。
必死に身をよじっても逃れられない。
涙で濡れた目が、こちらを見ている。
「……っアリア!」
声にならない叫びをあげた瞬間、視界の端に異様なものが映った。
人だ。
倒れている――いや、生きている。
苦悶の表情を浮かべ、呻いている。
若い男女、老人、肌の色もまちまち。
この塔にはいないはずの、名も知らぬ人々。
――魔方陣。人間。
脳裏をかすめたのはグレゴリーの手記。
分解する、繋ぐ、ホムンクルス――……
(……材料、に……)
認識したとたんに、足がすくんだ。
人々は魔方陣の周囲に並べられ、その血がゆっくりと流れている。
傷は深くはない。殺すためではない。
命を、"供物"として使うためだ。
アリアの周囲の空気が変わる。
ぎり、と、何かが軋む音がした。
魔方陣の光が、急激に輝きを増す。
「やめろ!!」
駆け出そうとしたそのときだった。
世界が――破裂した。
轟音。閃光。
天井がきしみ、部屋全体がひしゃげたような感覚。
重力が狂い、視界が引き裂かれる。
赤、金、黒、あらゆる色が魔方陣から噴き出し、宙に渦を巻いた。
光がルイの身体を通過する。皮膚が焼けるような熱。
歪み。ひび割れ。空間がきしみながら、なにかが「生まれる」音。
どれほどの時間が過ぎたのか、わからなかった。
すべてが沈黙したとき――
そこに、アリアの姿はなかった。
人間たちの姿もなかった。
ただ一人。
中央に、裸の人間がひとり、よこたわっていた。
まるで、それだけが、最初からそこにあったかのように。
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