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【第9話】父と息子と豚汁と
【9-26】
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廊下に出てドアを閉めるのとほぼ同時に、曲がり角の先からジルとドノヴァンさんが姿を見せた。二人は少し驚いた顔をしていたけれど、すぐに真顔に戻り、ジルは僕を手招きする。──部屋のすぐ外だとアマネくんに話を聞かれる可能性があるからかな? そう納得した僕は、二人が佇む曲がり角まで歩いていった。
「すまないな、ミカ。こんな所まで押し掛けて」
「ううん、平気だよ」
「……アマネは眠ったか?」
「うん。ぐっすり寝てる。今はカミュが見てくれているよ」
「そうか」
僕の頭を撫でながら穏やかに話していたジルの顔が、ふと曇る。そして、僕から手を離しつつ、隣に黙って立つドノヴァンさんをチラリと見た。
「賢者がどうしてもミカと話したい、というものでな。ここまで連れてきた。傷つけるような真似は許さんと凄んだら、俺が立ち会ってもいいと言ってきた。……何かあれば俺が止めるから、少し話を聞いてやってくれるか?」
「うん、勿論。──どんなご用ですか、ドノヴァンさん」
喧嘩を売らないようにしなければと思っていても、どうしても声が刺々しくなってしまう。でも、賢者様は気を悪くした様子もなく、淡々と話し始めた。
「私はもう、今から此処を発つ。明日の朝食は、あの子どもに食堂を使わせてやるといい。王子殿下は子どもがいても気にしないであろうし、あの食堂は景色がいい。なかなか味わえない風景と珍しい料理を、少年にゆっくりと楽しませてやってほしい」
「えっ!? いや、えっ……、今から帰るんですか!?」
唐突な話の中でも、一番引っ掛かったのはそこだ。とっぷりと夜が更けた森の中には魔物が多くうろついているだろうし、こちらから手出ししなくても襲ってくる暴走種との遭遇率も高まっているはずなのに。
しかし、ドノヴァンさんは毅然と首を振った。
「私一人であれば、夜闇に潜む魔物など、どうということもない。それこそ、森を抜けて転移することも出来る。積荷が押し込められている馬車と王子ごと長距離の転移は難しいが、私の身ひとつであれば一瞬で街まででも行ける」
「はぁ……、そ、そうなんですね……」
「ああ。魔王閣下と大体の話は出来た。また何か展開があれば、再び訪れれば良いことだ。マティアス殿下の従者も近くの街に待機しているとのことだし、お一人で森を抜けるのには慣れていると仰っていたので、私は今宵はこれで失礼することにした」
どうやら、何か気分を害して帰るというわけではないらしい。今回のアレコレで嫌になってジルへの協力をやめると言われたらどうしようと思っていたので、少しほっとした。
一人でも問題無く夜の森を抜けられるという賢者様の能力に安心と尊敬の念が湧き上がるけれども、同時に、だからといってわざわざ夜更けに帰らなくても……とも思う。何か急用でも出来たんだろうか。
「──君の料理は、物珍しいと同時にとても素朴で、……特にあの汁物は、あの人を思い出させる美味さがあった」
「……えっ?」
「君は私に『人の心は無いのか』と問うた。──人の心など、賢者にとっては邪魔にしかならない。賢者になりたくてなったわけではないが、この立場が有する力は大きく、人間らしい感情に左右されながら振るえるものではない。……いや、己の立場を捨て去って自由に振る舞えるだけの豪胆さがあれば別だろうが、生憎、私にはそれがない。そして、残念ながら、私が育てている息子にも、強い魔力どころか、勇ましい心根も無い。──その点、あの少年は面白い。魔力は低いが、あの強靭な精神力は彼をどう化けさせるか分からない。ただの人間として、あの子の父親となり、成長を見守れたなら、さぞかし愉快だろうな」
ドノヴァンさんの語り口は相変わらず静かで、淡々としている。でも、冷たい印象が少し和らいでいる気がする。──それに、やっぱりアマネくんを自分の息子だと認識していて、気遣っているようにも感じた。本当は息子だと認めてあげたい気持ちもあるのに、それが出来ない歯がゆさというか、そういったものが滲み出ているような気がしてならない。
……アマネくんへの何らかの気持ちが出てきて、だからこそ、早めに出発しようとしているのだろうか。アマネくんは、もう魔王の城を訪れることは無いだろう。そんな息子が少しでも良い思い出を作れるように、ゆっくりと朝ごはんを食べて楽しく家へ帰れるように、そんな配慮なんじゃないだろうか。……そうだったら、いいのにな。
期待を込めた眼差しをドノヴァンさんに向けると、スッと逸らされる。でも、高圧的なわけでも、嫌味なわけでもない目線の動きだった。
「……あの子どもは、私に対して何か言っていたかな?」
「……いつか泣かせてやる、と言っていました。魔力が低くたって賢者をぶちのめせる方法を探すんだ、と。そのために、たくさん食べて、たくさん勉強をする、と。そう言っていました」
馬鹿正直に話した僕に対してジルはギョッとしていたけれど、ドノヴァンさんは目を細めて笑い声を上げた。
「はははっ! そうでしたか。その心意気や、よし。いつか私を殴りに来る日を、楽しみに待っていたいものですな」
「すまないな、ミカ。こんな所まで押し掛けて」
「ううん、平気だよ」
「……アマネは眠ったか?」
「うん。ぐっすり寝てる。今はカミュが見てくれているよ」
「そうか」
僕の頭を撫でながら穏やかに話していたジルの顔が、ふと曇る。そして、僕から手を離しつつ、隣に黙って立つドノヴァンさんをチラリと見た。
「賢者がどうしてもミカと話したい、というものでな。ここまで連れてきた。傷つけるような真似は許さんと凄んだら、俺が立ち会ってもいいと言ってきた。……何かあれば俺が止めるから、少し話を聞いてやってくれるか?」
「うん、勿論。──どんなご用ですか、ドノヴァンさん」
喧嘩を売らないようにしなければと思っていても、どうしても声が刺々しくなってしまう。でも、賢者様は気を悪くした様子もなく、淡々と話し始めた。
「私はもう、今から此処を発つ。明日の朝食は、あの子どもに食堂を使わせてやるといい。王子殿下は子どもがいても気にしないであろうし、あの食堂は景色がいい。なかなか味わえない風景と珍しい料理を、少年にゆっくりと楽しませてやってほしい」
「えっ!? いや、えっ……、今から帰るんですか!?」
唐突な話の中でも、一番引っ掛かったのはそこだ。とっぷりと夜が更けた森の中には魔物が多くうろついているだろうし、こちらから手出ししなくても襲ってくる暴走種との遭遇率も高まっているはずなのに。
しかし、ドノヴァンさんは毅然と首を振った。
「私一人であれば、夜闇に潜む魔物など、どうということもない。それこそ、森を抜けて転移することも出来る。積荷が押し込められている馬車と王子ごと長距離の転移は難しいが、私の身ひとつであれば一瞬で街まででも行ける」
「はぁ……、そ、そうなんですね……」
「ああ。魔王閣下と大体の話は出来た。また何か展開があれば、再び訪れれば良いことだ。マティアス殿下の従者も近くの街に待機しているとのことだし、お一人で森を抜けるのには慣れていると仰っていたので、私は今宵はこれで失礼することにした」
どうやら、何か気分を害して帰るというわけではないらしい。今回のアレコレで嫌になってジルへの協力をやめると言われたらどうしようと思っていたので、少しほっとした。
一人でも問題無く夜の森を抜けられるという賢者様の能力に安心と尊敬の念が湧き上がるけれども、同時に、だからといってわざわざ夜更けに帰らなくても……とも思う。何か急用でも出来たんだろうか。
「──君の料理は、物珍しいと同時にとても素朴で、……特にあの汁物は、あの人を思い出させる美味さがあった」
「……えっ?」
「君は私に『人の心は無いのか』と問うた。──人の心など、賢者にとっては邪魔にしかならない。賢者になりたくてなったわけではないが、この立場が有する力は大きく、人間らしい感情に左右されながら振るえるものではない。……いや、己の立場を捨て去って自由に振る舞えるだけの豪胆さがあれば別だろうが、生憎、私にはそれがない。そして、残念ながら、私が育てている息子にも、強い魔力どころか、勇ましい心根も無い。──その点、あの少年は面白い。魔力は低いが、あの強靭な精神力は彼をどう化けさせるか分からない。ただの人間として、あの子の父親となり、成長を見守れたなら、さぞかし愉快だろうな」
ドノヴァンさんの語り口は相変わらず静かで、淡々としている。でも、冷たい印象が少し和らいでいる気がする。──それに、やっぱりアマネくんを自分の息子だと認識していて、気遣っているようにも感じた。本当は息子だと認めてあげたい気持ちもあるのに、それが出来ない歯がゆさというか、そういったものが滲み出ているような気がしてならない。
……アマネくんへの何らかの気持ちが出てきて、だからこそ、早めに出発しようとしているのだろうか。アマネくんは、もう魔王の城を訪れることは無いだろう。そんな息子が少しでも良い思い出を作れるように、ゆっくりと朝ごはんを食べて楽しく家へ帰れるように、そんな配慮なんじゃないだろうか。……そうだったら、いいのにな。
期待を込めた眼差しをドノヴァンさんに向けると、スッと逸らされる。でも、高圧的なわけでも、嫌味なわけでもない目線の動きだった。
「……あの子どもは、私に対して何か言っていたかな?」
「……いつか泣かせてやる、と言っていました。魔力が低くたって賢者をぶちのめせる方法を探すんだ、と。そのために、たくさん食べて、たくさん勉強をする、と。そう言っていました」
馬鹿正直に話した僕に対してジルはギョッとしていたけれど、ドノヴァンさんは目を細めて笑い声を上げた。
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