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後編
しおりを挟む恐ろしい「それ」が手を伸ばしてやってくる。
この心臓を狙って、虚無が、終焉が、かたちを成してできたような「それ」が追いかけてくる。
すべてを呑み込もうと口を開いて呪いの声を上げながら。
青い光が「それ」を打ち砕く。
いつの頃からかジェイドが見続けている夢だった。
「あの子は呪われている」
「隣村の生き残りだろ?」
「村人全員食い殺された」
「鋭い牙の獣に皆が……」
何故一人だけ生き残った?
祖母を弔う間、ずっと聞こえていた会話。
いや、この村にやってきてから、ずっとだ。
この村へやってきた当初、ジェイドは全ての過去を忘れていた。
だが日々が経つにつれて少しずつ記憶は蘇り、家族や自分の生まれ育った村のことなどを徐々に思い出すようになっていった。
ただ「村人全員食い殺された」という事件当時の記憶はハサミで断ち切られたかのように抜け落ちたまま。
よってジェイドは背後で交わされる会話に何も言い返せなかった。
「神の御名と共に」
祖母の眠る棺桶が土深くに沈められ、黒服を纏った十八歳のジェイドは神父と共に祈りを捧げた。
この村を去るべきかもしれない。
だけど、どこへ行こう?
俺を待ってくれる人など、もう、どこにもいないのに。
独りになった。
風が墓地を吹き抜けた。
切れ長な双眸に溜めていた涙を拭い、乱れるセピア色の髪を押さえ、ジェイドは祖母の葬列に加わる村人達の顔を眺めた。
孤立感を増幅させる、恐怖と怯えの入り混じった表情に、改めて胸が軋む。
一人だけ、彼らとは違う眼差しを持つ者がいた。
墓地を囲うようにして広がる常緑樹の並木、その間から黒衣の葬列を遠巻きに見つめる男。
ジェイドはふと彼に気がついた。
曇り空の下、月と同じ色をした短い髪が憂鬱な色合いの外気に映えている。
黒い外衣の裾が風に翻っていた。
「では黙祷を」
集まっていた参列者が目を瞑って項垂れ、ジェイドも、遅れて彼らに続く。
次に目を開ければ男の姿はその場から消え失せていた。
ジェイドはまた夢を見た。
祖母がいなくなり、森の麓にある木造小屋で一人、長椅子に座って虚ろに暖炉の炎を眺めていたはずだった。
とりあえず遺品を整理し、それなりに旅支度は整えたものの、行き先をどうするか考えながら。
ふと睡魔に襲われてまどろんでいたらいつの間にか夢の出入り口に立っていた。
干乾びた木々。
波打つ霧。
霞む月。
やがて恐ろしい「それ」が手を伸ばしてやってくる。
この心臓を狙って、虚無が、終焉が、かたちを成してできたような「それ」が追いかけてくる。
すべてを呑み込もうと口を開いて呪いの声を上げながら。
鼓動が早まる。
魘される。
瞼が痙攣する。
ジェイドはそこで目が覚めた。
だがしかし夢の産物であるはずの「それ」が現実に目の前に迫っていた。
消えた暖炉。
轟く地響き。
震えるガラス。
長椅子で凍りつくジェイドに「死」は手を伸ばす。
ジェイドは咄嗟に身を翻すと裸足で外に飛び出した。
村の集落ではなく、緑深い夜の森へ。
俺はまだ夢を見ている?
それとも、すべて、まやかしだった?
まるで記憶にない、両親と生まれ育った村の死滅。
本当は、この先にまだ村があって、みんなそこで昔と同じように穏やかな暮らしを……。
それこそ、きっと、まやかしなのだろう。
凍えた夜気の中をジェイドは悲鳴も涙もなしに、ひたすら駆け抜ける。
剥き出しの足首が棘や枯れ草に傷ついて鮮血を幾筋も滲ませた。
吐き散らされる白い息が闇へと溶けていく。
だけど俺はどこに逃げているんだろう?
そんな問いかけが浮かんだ瞬間、ジェイドは、走るのをやめた。
振り返れば「死」が長い長い両腕を広げていた。
この絶望から逃れようと、ジェイドは、その両腕に抱かれようと、目を瞑って……。
凄まじい咆哮が夜の闇を切り裂いた。
驚いて目を見開いたジェイドの前には一頭の獣がいた。
いや、獣ではない。
その名はヴァルコラク。
月を食らうと言われる月蝕の産物。
人の生き血を奪う吸血種。
姿かたちは狼に似、その数倍の大きさである異形のヴァルコラクは地を蹴って「死」に牙を剥く。
世にも陰惨たるおどろおどろしい呻き声が轟いた。
鬼籍に名を刻むもの、汝は、亡者
地上の息吹は許されぬ……
落ち葉の上に両手を突いたジェイドは噛み砕かれて蹴散らされていく「死」を震える双眸で凝視していた。
『そんなもの、食べない……』
悪夢よりも信じ難い恐ろしい光景を間近にして蘇る記憶。
『己が人間なら、双子か、親子だったかもしれないな』
美しく艶めく漆黒の毛並みに寄り添う、赤。
『お前と出会うために』
父親から放たれた弾丸が貫通する間際に聞こえた声。
ジェイドの双眸から涙が溢れ落ちた。
定められたはずの「死」を再び退けたヴァルコラクは夜の闇に光り輝く美しい目をジェイドへ向けた。
『この目は何色だ?』
「水晶玉と同じ色……」
ジェイドはかつて幼き自分が口にした言葉をなぞる。
どうして忘れていたのか。
誰よりも、我が身よりも、守りたかったものを。
ヴァルコラクは全ての過去を取り戻して声もなく涙するジェイドを見つめていた。
強靭なる四肢で土を踏み締め、長い尾を翻し、すぐそばまでやってきたかと思うと姿勢を低くする。
傷ついていた足を舐められてジェイドは涙ながらに微笑んだ。
「ねぇ、どうして忘れていたんだろう……狼さん?」
手を伸ばして巨躯を撫でる。
掌に伝わる感触は封印されていた記憶をさらに鮮やかに縁取るようだ。
赤いコートを着た幼い自分と、野に横たわる、この獣の姿を……。
「貴方はまやかしなんかじゃない」
ジェイドはヴァルコラクの漆黒の毛並みに濡れた頬を寄せ、囁いた。
「貴方がいてくれる……俺はもう、独りじゃない」
その声は紛れもない希望と、安堵と、恋しさを含んでいた。
鬱蒼と広がる森の奥。
せめぎ合う月影。
深まりゆく夜。
ヴァルコラクの下に沈んだジェイドはその声を耳にして、さらに、凍えていいはずの身を熱くさせる。
「お前がほしい、ジェイド」
「……俺の名前を知っていたの?」
「名前だけでは足りない、お前のすべて、何もかも、ほしい」
「俺を食べたいの? いいよ……貴方と一つになれる、狼さん」
「違う、ジェイド」
ジェイドは切れ長な双眸を瞬かせた。
獣から人間の男の姿へと変わった彼は、降り積もった落ち葉の上に仰向けになったジェイドを一心に見下ろす。
「この名はヴィッカスだ」
「早く俺を食べて、ヴィッカス」
「お前の父を、母を、村を殺した」
「いいよ、それでもいい、貴方が今ここにいるのなら」
「お前の死まで我が傲慢さ故に食らった」
「傲慢? どうして?」
「お前を愛しているから」
ヴィッカスはそう告げてジェイドに口づけた。
乱れゆく夜。
「はぁ……」
幾度となく貫かれ、穿たれ、屠られて。
それでもジェイドはヴィッカスを離さなかった。
甘い悲鳴と共に我が身を余すことなく捧げた。
「もっと……ヴィッカス……」
自らも求める。
ヴィッカスは冷めやらぬ熱もつ杭でジェイドを愛し続けた。
時にジェイドの火照りを唇に招いて啜ることもあった。
痛いほどの快楽にジェイドは仰け反る。
「あ……あ……あ」
肉欲の飛沫まで呑まれ、それでも唇は離れず、吸い尽くすように貪られて。
果てても尚、次に飢え、繋がり、揺らめいて。
絡まる下肢は濡れ続けた。
「我が身と一つになるか?」
月影の狭間で止まることなく揺れていたジェイドはヴィッカスの問いかけに頷く。
そのままヴィッカスはジェイドの首筋に誓いの牙を立てた。
ジェイドは気の遠くなりそうな痛みと、絶え間ない昂揚感に呻吟し、ヴィッカスを掻き抱く。
ああ、やっと、貴方のものに。
もう離れない。
愛しい異形よ、永遠に、その腕に抱いて。
end
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