5 / 8
ま
5
しおりを挟む
あれは何だったんだ、と、駅裏のカフェの席で久義は尋ねた。
駅近くにも関わらず客の少ない店内は、BGMの緩いジャズと、常連客らしい中年の男と白髪に白髭のマスターがぽつりぽつり交わす声が聞こえるのみで、久義が戦慄したさっきの衝撃的な一件など嘘のように穏やかな時が流れている。
コーヒーを手元に疲れきった様子で返答を待つ久義の向かいで、コトザメはキャラメルラテを啜りながらテーブルに小瓶を転がした。
「桧の香水だよ。といっても、殆ど臭いはないけど」
「香水って、なんでそんなもの……」
久義は小瓶を摘まみ、まじまじと眺めた。コトザメはキャラメルラテに砂糖を落とし、スプーンでかき混ぜる。
「蛇蔦にとって、実体のある野生の草木は天敵なのさ。桧は特に、奴らを枯らしてしまうから」
「桧が?」
「まあ、枯らすいうより飛散させると言った方が正しいか。とにかく、桧の香りを嗅いだだけで自滅するくらい、蛇蔦は桧が大の苦手なんだよ」
「じゃあ、あの蔦はあれで死んだのか?」
「分かりやすく言えばね」
「ふうん」
分かりやすく言えば、というのには少し納得した。久義にとって怪は生物と呼ぶには些か奇妙で不安定な印象が強すぎるからだった。
そういえば──。
久義は、小瓶をテーブルに置いてコトザメを見つめる。
そういえば、初めコトザメに抱いた印象も、どこか怪に似ていた。今でさえなんと問われれば返答に困るものの、あの時は確かに彼を人間と認識するまでに若干の時間を要せざるを得なかった程、突如現れた彼の存在は明らかに特異だったのだ。
「まさか……な」
久義は自嘲気味に呟いた。
コトザメが怪に似ているだなんて。短時間ながら関わりを持った今、こうして目の前に居る彼は普通の人間で、少し……いや、だいぶ変わってはいるものの、やはり普通の高校生にしか見えないじゃないか。
「久義?」
視線に気付いたコトザメが首を傾げた。久義は慌てて目をそらし、コーヒーを啜る。
向こうでレジの開く音がした。ご馳走さん、まいど、と短い挨拶が交わされた後、ドアの鈴が鳴ると共についに客のいなくなった店内は一段と静けさを増した。
「あそこ、火事になったりしないよな?」
沈黙を嫌って久義が尋ねた。コトザメは一瞬間を置いたが、すぐ思い出したように「ああ」と呟いた。
「あれは〈トモエ火〉といって、昔から人に飼われてきた火だ。人の作ったものが燃えるのを嫌うらしくて、家屋に落ちても火事にはならない」
「ああ……、それは……珍しいというか、なんというか……」
まさに「怪」というべきか。久義はろくに相槌も打てず、手持ち無沙汰にカップに手を伸ばす。
人を食べる怪、人に飼われる怪。
可笑しなものだ。殆どの人の目に映らない「怪」という存在は、しかし少なからず人に干渉し、干渉されている。殆どの人は、そのことに気付かないまま生きている。
「怪って……何なんだ?」
ぽつり溢れた疑問は、存外に静かな空間に響いた。少し幼稚過ぎる質問だったろうか。久義はコトザメの反応を窺う。
コトザメは欠伸をして背凭れに背中を預けた。
「怪は怪だ。遥か昔から存在する奇っ怪なものさ」
「そのまんまじゃないか」
「俺にはそうとしか言えない。けど、怪について教えることはできる」
「なんか矛盾してね?」
「矛盾……?」
コトザメが笑った。少し掠れた声が、初めて楽しそうに踊った。久義は、唖然としてコトザメを見詰めている。何故か、コトザメが笑っただけで胸がぎゅっと詰まる思いがした。
ひとしきり笑ったコトザメは、カップの中身を全て飲み干してテーブルに頬杖をついた。
「だから、説明は苦手なんだ」
そう言ったコトザメの、なんと清々しい笑顔だろう。髪も肌も真っ白なせいか、それはどこか浮世離れした精巧な絵画のように幻想的にさえ見えて、久義は思わず目を擦る。
そしてコトザメは、今度は呆れたように笑いながら、しかし声色は真面目にこう言った。
「俺の助手にならないか?」
当然、久義は困惑する。
「助手……って、『噺屋』の?」
「そうだな、『噺屋』としてでもあるし、個人的なものでもある。噺屋ってのは、さっきみたいに危険な怪を駆除したり、怪のことを調べて語る。語る相手は限られているから、それよりも今は怪による被害、所謂怪害の解決なんかが主な仕事だ」
「怪害……? って、よくあるのか? 噺屋なんて聞いたことないけど、危ない仕事なんじゃないか? 」
「まあ、危ないこともある。ああ、もちろん給料は出すよ。それに、久義にとってはそこら辺でバイトをするよりは有意義だろうし、なかなか良い話だと思うけど」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」 淡々と話すコトザメに、堪らず制止をかける。
「いきなり過ぎて頭働かない。つうか、なんかまだ色々と理解できてないことばっかで」
「……そうか、少し急ぎすぎたな。返事はまた今度でいい」
コトザメは伝票を取り、立ち上がった。
「何かあれば二組に来るといい。窓際の後ろから二番目の席だ。俺が居ない時は、メモでも残しておいてくれ」
そう言い残して颯爽と去っていくコトザメの背を見つめながら、久義は言いしれぬ不安な気持ちになった。
これは予感だった。コトザメと出会ったことで、これまで生きてきた世界が大きく変わってしまうような予感──期待とも恐れともつかぬ感情が、久義の中で確かに蠢き始めていた。
駅近くにも関わらず客の少ない店内は、BGMの緩いジャズと、常連客らしい中年の男と白髪に白髭のマスターがぽつりぽつり交わす声が聞こえるのみで、久義が戦慄したさっきの衝撃的な一件など嘘のように穏やかな時が流れている。
コーヒーを手元に疲れきった様子で返答を待つ久義の向かいで、コトザメはキャラメルラテを啜りながらテーブルに小瓶を転がした。
「桧の香水だよ。といっても、殆ど臭いはないけど」
「香水って、なんでそんなもの……」
久義は小瓶を摘まみ、まじまじと眺めた。コトザメはキャラメルラテに砂糖を落とし、スプーンでかき混ぜる。
「蛇蔦にとって、実体のある野生の草木は天敵なのさ。桧は特に、奴らを枯らしてしまうから」
「桧が?」
「まあ、枯らすいうより飛散させると言った方が正しいか。とにかく、桧の香りを嗅いだだけで自滅するくらい、蛇蔦は桧が大の苦手なんだよ」
「じゃあ、あの蔦はあれで死んだのか?」
「分かりやすく言えばね」
「ふうん」
分かりやすく言えば、というのには少し納得した。久義にとって怪は生物と呼ぶには些か奇妙で不安定な印象が強すぎるからだった。
そういえば──。
久義は、小瓶をテーブルに置いてコトザメを見つめる。
そういえば、初めコトザメに抱いた印象も、どこか怪に似ていた。今でさえなんと問われれば返答に困るものの、あの時は確かに彼を人間と認識するまでに若干の時間を要せざるを得なかった程、突如現れた彼の存在は明らかに特異だったのだ。
「まさか……な」
久義は自嘲気味に呟いた。
コトザメが怪に似ているだなんて。短時間ながら関わりを持った今、こうして目の前に居る彼は普通の人間で、少し……いや、だいぶ変わってはいるものの、やはり普通の高校生にしか見えないじゃないか。
「久義?」
視線に気付いたコトザメが首を傾げた。久義は慌てて目をそらし、コーヒーを啜る。
向こうでレジの開く音がした。ご馳走さん、まいど、と短い挨拶が交わされた後、ドアの鈴が鳴ると共についに客のいなくなった店内は一段と静けさを増した。
「あそこ、火事になったりしないよな?」
沈黙を嫌って久義が尋ねた。コトザメは一瞬間を置いたが、すぐ思い出したように「ああ」と呟いた。
「あれは〈トモエ火〉といって、昔から人に飼われてきた火だ。人の作ったものが燃えるのを嫌うらしくて、家屋に落ちても火事にはならない」
「ああ……、それは……珍しいというか、なんというか……」
まさに「怪」というべきか。久義はろくに相槌も打てず、手持ち無沙汰にカップに手を伸ばす。
人を食べる怪、人に飼われる怪。
可笑しなものだ。殆どの人の目に映らない「怪」という存在は、しかし少なからず人に干渉し、干渉されている。殆どの人は、そのことに気付かないまま生きている。
「怪って……何なんだ?」
ぽつり溢れた疑問は、存外に静かな空間に響いた。少し幼稚過ぎる質問だったろうか。久義はコトザメの反応を窺う。
コトザメは欠伸をして背凭れに背中を預けた。
「怪は怪だ。遥か昔から存在する奇っ怪なものさ」
「そのまんまじゃないか」
「俺にはそうとしか言えない。けど、怪について教えることはできる」
「なんか矛盾してね?」
「矛盾……?」
コトザメが笑った。少し掠れた声が、初めて楽しそうに踊った。久義は、唖然としてコトザメを見詰めている。何故か、コトザメが笑っただけで胸がぎゅっと詰まる思いがした。
ひとしきり笑ったコトザメは、カップの中身を全て飲み干してテーブルに頬杖をついた。
「だから、説明は苦手なんだ」
そう言ったコトザメの、なんと清々しい笑顔だろう。髪も肌も真っ白なせいか、それはどこか浮世離れした精巧な絵画のように幻想的にさえ見えて、久義は思わず目を擦る。
そしてコトザメは、今度は呆れたように笑いながら、しかし声色は真面目にこう言った。
「俺の助手にならないか?」
当然、久義は困惑する。
「助手……って、『噺屋』の?」
「そうだな、『噺屋』としてでもあるし、個人的なものでもある。噺屋ってのは、さっきみたいに危険な怪を駆除したり、怪のことを調べて語る。語る相手は限られているから、それよりも今は怪による被害、所謂怪害の解決なんかが主な仕事だ」
「怪害……? って、よくあるのか? 噺屋なんて聞いたことないけど、危ない仕事なんじゃないか? 」
「まあ、危ないこともある。ああ、もちろん給料は出すよ。それに、久義にとってはそこら辺でバイトをするよりは有意義だろうし、なかなか良い話だと思うけど」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」 淡々と話すコトザメに、堪らず制止をかける。
「いきなり過ぎて頭働かない。つうか、なんかまだ色々と理解できてないことばっかで」
「……そうか、少し急ぎすぎたな。返事はまた今度でいい」
コトザメは伝票を取り、立ち上がった。
「何かあれば二組に来るといい。窓際の後ろから二番目の席だ。俺が居ない時は、メモでも残しておいてくれ」
そう言い残して颯爽と去っていくコトザメの背を見つめながら、久義は言いしれぬ不安な気持ちになった。
これは予感だった。コトザメと出会ったことで、これまで生きてきた世界が大きく変わってしまうような予感──期待とも恐れともつかぬ感情が、久義の中で確かに蠢き始めていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
お疲れOLあかりの、今日のごほうびスイーツ
鈴樹
キャラ文芸
ルート営業OL・あかり(表示名:お疲れOL)が開設したピンスタグラムのアカウント。
ローカルコンビニ「39ストア」のスイーツ情報を中心に投稿。
頑張った自分へのごほうび✨日々の小さな幸せスイーツをお届け!
――と、見せかけて、実は甘い匂わせ満載⋯⋯!?
※本作は「お疲れOLと無愛想店員」シリーズの、あかりの架空SNS風スピンオフです。
※登場するコンビニやスイーツ情報はすべて架空です。実在するコンビニや商品とは一切関係ありません。
※本編の作中時間と連動して、随時投稿。
※未読でも、本編ストーリーの理解に支障はありませんが、読むと二度美味しい仕掛けです
※横書き表示推奨
【シリーズ作品リスト】
●本編1作目《短編集・3作品収録/完結》
『お疲れOLと無愛想店員〜雪の夜の、コンビニで』(本編/哲朗編/余話)
※あかりと哲朗、始まりの物語&黒歴史の秘密
●本編2作目《短編・全8話/完結》
『お疲れOLと無愛想店員〜春の嵐と、まわり道』
※上京とドライブデート(?)のロードムービー風のお話
●本編3作目《短編・4月上旬より作中時間と連動して公開予定》
『お疲れOLと無愛想店員〜初夏のきらめき、風のざわめき』
※全7話執筆済み。慶介メインのライトな謎解き風のお話
●本編4作目《現在構想中》
シリーズ作品タグ:
#お疲れOLと無愛想店員
大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ
鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。
それが約50年前。
聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。
英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。
俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。
でも…英雄は5人もいらないな。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
『【朗報】ボッチの僕、実は世界一の財閥の御曹司だった。〜18年の庶民修行を終えた瞬間、美少女11人が「専属秘書」として溺愛してくる件〜』
まさき
青春
「あんたみたいなボッチ、一生底辺のまま卒業ね」
学園の女王、高飛車な生徒会長、そして冷徹な美少女たち……。
天涯孤独でボッチな僕、佐藤(※苗字のみ使用)は、彼女たちからゴミを見るような目で見られ、虐げられる日々を送っていた。
だが、彼らには決して言えない秘密があった。
それは、僕が世界一の資産を誇る**『世界最強財閥』の唯一の跡継ぎであること。
そして、18歳になるまで一切の援助を受けずに生き抜く【庶民修行】**の最中であること。
そして運命の誕生日、午前0時。
修行終了を告げる通知がスマホに届いた瞬間、僕の世界は一変する。
「おめでとうございます、お坊ちゃま。これより『11人の専属秘書候補』による、真の主従関係を開始いたします」
昨日まで僕を蔑んでいた学園の美少女たちが、手のひらを返して膝をつく。
彼女たちの正体は、財閥が僕のために選りすぐった、愛が重すぎるエリート秘書たちだった――。
「ずっとおそばでお仕えしたかったんです……」
「昨日までの暴言は、修行を完遂させるための演技。今日からは全身全霊で甘やかさせていただきますね?」
24時間体制の過保護な奉仕、競い合うような求愛、そして財力による圧倒的なざまぁ。
ボッチだった僕の日常は、11人の美女たちに全肯定され、溺愛し尽くされる甘すぎる生活へと塗り替えられていく。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる