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第7話 Silent Drive — 沈黙のドライブ
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昨日、匠真を殴ってから、少しだけ胸のつかえが下りた気がしていた。
これでお互い様だし、今回は許してやろうと思ったのだけど…。
なのに今朝。
「篠原さん、その顔どうしたんですか?」
「これか? 寝ぼけて壁にぶつけたんだ」
「篠原さんでもそんなことがあるんですね…」
腫れた頬をさすりながら嬉しそうに言っているのを見て、むかつきがぶり返した。
――何なんだ、この男は。
◆
午前中、電話を受けた同僚から声をかけられる。
「浅見さん、篠原さんいる?」
「今は重役会議中です」
「困ったな。丸友財閥のご令嬢から電話が来てて、“至急で篠原さんに”って。対応お願いできる?」
嫌な予感がした。だが秘書として断るわけにはいかない。受話器を取る。
「篠原の秘書の浅見ですが」
『あら。篠原さんはいらっしゃらないのね?』
澄ました声。彼女は、例のAI新規プロジェクトの件で「直接相談したいことがあるから、時間を作って」と言ってきた。
「会議が終わり次第、篠原から折り返し連絡させます」
『お願いね』
電話を切ったあと、胸に決して小さくはない、もやもやした気持ちが残った。
仕事の用事が目的ではなく、匠真と接触するのが目的だとあからさまなほどに分かる。
(30代前半で独身で、一部上場のIT企業の営業部長で…顔も悪くない。まあ、モテるだろうな…)
きっとこの先も、この令嬢以外にもいろんな女性が言い寄ってくるだろう。
(付き合ってる相手がいるって言ってたから、彼女のことは断るつもりだろうけど)
付き合ってる相手って…どんな人なんだろう。
◆
会議を終えた匠真に内容を報告すると、彼は一言。
「忙しいから断れ。対応できないと伝えろ」
「自分で言えばいいだろ」
「仕事のことなら、秘書の業務の範疇だろう」
「向こうは、『篠原部長』にかけてほしそうでしたよ」
少しイヤミ交じりに言うと、渋々電話をかけ始めた匠真。
場を変えることなく、俺の隣で話し始める。
その内容を聞いていると、どうやらまた食事に誘われたようだった。
「打ち合わせなら秘書も同席させます。その方が効率的ですから」
その言葉を耳にして、俺はぎょっとした。
「おい!」
俺がにらみつけると、匠真がにやりと笑った。
結局、俺は完全にお邪魔虫が確定するのが分かっていながら、匠真と令嬢の会食に同席するはめになった。
◆
高級料亭。
「秘書の浅見です」
匠真が俺をご令嬢に紹介する。
俺が慌てて名刺を出すと、ご令嬢も綺麗にマニキュアを塗った手で、俺に名刺を差し出した。
「丸友AI Agencyの丸友冬華です。篠原さんの秘書は大変でしょう?」
「あ、いえ、そんなことはないです。やりがいがあります」
「まあ…ふふ。頼もしい秘書さんで良かったわね、篠原さん?」
「そうですね。助かってます」
どうやら、ご令嬢…丸友さんは思ったよりも聡明な人のようだった。
ただ、チラチラと匠真に色目を使っており、今日の会食が、打ち合わせなどではなく匠真目当てだということはバレバレだった。
「ここは祖父がひいきにしている店なの。お二人ともお酒は召し上がる?」
「いえ、結構です。車で来ていますし、この後もまだ業務があるので」
そこは匠真がきっぱりと断っていた。
本当は、今日の業務はこれで終わりで、酒を飲もうが何の問題もなかったのだが。
「あら、残念ね。じゃあ、せめてお食事だけでも楽しんでいって」
丸友さんは支払いも自分持ちにするつもりなのだろう…そんな雰囲気が伝わってきた。
匠真が俺に視線をよこす。
会計は会社持ちにしろ、という無言の合図だろう。
クライアント相手に下手に借りを作ってしまうと、今後の業務にも差し障りが出てくるだろうし、何より、匠真が困るのだろう。
運ばれてくる豪勢な料理を口に運びながら、AI事業の方向性について淡々と意見を交わす。
匠真の視線を受けて、料理が終盤にさしかかった頃、手洗いに行くふりをして会計を済ませた。
これで一応、今日の俺の役目は果たせただろう。
席に戻ると、二人の間に微妙な空気が漂っていた。
その様子から察するに、令嬢がプライベートで匠真を誘い、彼がやんわり断った、という可能性が高そうだ。
ただ、丸友さんはそれで機嫌を損ねるようなこともなく、俺が支払いを済ませたことを知ると、申し訳なさそうに言った。
「自分で払うつもりだったから、ここを選んだのに。かえって悪いことをしてしまったわね」
「いいえ。所詮、会社の金です。気にしないでください」
匠真がそうフォローすると、丸友さんは楽しそうに笑った。
◆
車に乗り込んだ瞬間、匠真は大きく息を吐いた。
「……やれやれ、厄介だな」
車は匠真の私用車だが、予定通り、いったん会社に戻ることになっている。
直帰するつもりはなかったから、二人とも私物のほとんどを会社に置いてあった。
「思ったより、良さそうな人じゃん」
そう切り出したのは、車内の沈黙が何となく気まずかったからだ。
俺も疲れていたが、匠真も令嬢に気を遣って疲れていたのだろう。
だから、ちょっとした気分転換のつもりだったのだけど。
「逆玉だし、結婚しちゃえば」
冗談半分に言ったつもりだった。
しかし、次の瞬間。
「……ふざけるな」
ハンドルを握る指に力がこもる。低く押し殺した声に、背筋がぞくりと震えた。
アクセルが踏み込まれ、車は会社の駐車場を通り過ぎて反対方向へと走り出す。
「おい、どこ行くんだよ!」
返事はない。
ただフロントガラス越しに見える匠真の横顔は、怒りを隠しもしせず、硬い輪郭を描いていた。
嫌な予感が、じわりと胸を満たしていく――。
匠真の沈黙が恐ろしいほど重かった。
******************
「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「Silent Drive — 沈黙のドライブ」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
♫「Silent Drive — 沈黙のドライブ」はこちら⇒ https://youtu.be/efBxjJZS4vI
これでお互い様だし、今回は許してやろうと思ったのだけど…。
なのに今朝。
「篠原さん、その顔どうしたんですか?」
「これか? 寝ぼけて壁にぶつけたんだ」
「篠原さんでもそんなことがあるんですね…」
腫れた頬をさすりながら嬉しそうに言っているのを見て、むかつきがぶり返した。
――何なんだ、この男は。
◆
午前中、電話を受けた同僚から声をかけられる。
「浅見さん、篠原さんいる?」
「今は重役会議中です」
「困ったな。丸友財閥のご令嬢から電話が来てて、“至急で篠原さんに”って。対応お願いできる?」
嫌な予感がした。だが秘書として断るわけにはいかない。受話器を取る。
「篠原の秘書の浅見ですが」
『あら。篠原さんはいらっしゃらないのね?』
澄ました声。彼女は、例のAI新規プロジェクトの件で「直接相談したいことがあるから、時間を作って」と言ってきた。
「会議が終わり次第、篠原から折り返し連絡させます」
『お願いね』
電話を切ったあと、胸に決して小さくはない、もやもやした気持ちが残った。
仕事の用事が目的ではなく、匠真と接触するのが目的だとあからさまなほどに分かる。
(30代前半で独身で、一部上場のIT企業の営業部長で…顔も悪くない。まあ、モテるだろうな…)
きっとこの先も、この令嬢以外にもいろんな女性が言い寄ってくるだろう。
(付き合ってる相手がいるって言ってたから、彼女のことは断るつもりだろうけど)
付き合ってる相手って…どんな人なんだろう。
◆
会議を終えた匠真に内容を報告すると、彼は一言。
「忙しいから断れ。対応できないと伝えろ」
「自分で言えばいいだろ」
「仕事のことなら、秘書の業務の範疇だろう」
「向こうは、『篠原部長』にかけてほしそうでしたよ」
少しイヤミ交じりに言うと、渋々電話をかけ始めた匠真。
場を変えることなく、俺の隣で話し始める。
その内容を聞いていると、どうやらまた食事に誘われたようだった。
「打ち合わせなら秘書も同席させます。その方が効率的ですから」
その言葉を耳にして、俺はぎょっとした。
「おい!」
俺がにらみつけると、匠真がにやりと笑った。
結局、俺は完全にお邪魔虫が確定するのが分かっていながら、匠真と令嬢の会食に同席するはめになった。
◆
高級料亭。
「秘書の浅見です」
匠真が俺をご令嬢に紹介する。
俺が慌てて名刺を出すと、ご令嬢も綺麗にマニキュアを塗った手で、俺に名刺を差し出した。
「丸友AI Agencyの丸友冬華です。篠原さんの秘書は大変でしょう?」
「あ、いえ、そんなことはないです。やりがいがあります」
「まあ…ふふ。頼もしい秘書さんで良かったわね、篠原さん?」
「そうですね。助かってます」
どうやら、ご令嬢…丸友さんは思ったよりも聡明な人のようだった。
ただ、チラチラと匠真に色目を使っており、今日の会食が、打ち合わせなどではなく匠真目当てだということはバレバレだった。
「ここは祖父がひいきにしている店なの。お二人ともお酒は召し上がる?」
「いえ、結構です。車で来ていますし、この後もまだ業務があるので」
そこは匠真がきっぱりと断っていた。
本当は、今日の業務はこれで終わりで、酒を飲もうが何の問題もなかったのだが。
「あら、残念ね。じゃあ、せめてお食事だけでも楽しんでいって」
丸友さんは支払いも自分持ちにするつもりなのだろう…そんな雰囲気が伝わってきた。
匠真が俺に視線をよこす。
会計は会社持ちにしろ、という無言の合図だろう。
クライアント相手に下手に借りを作ってしまうと、今後の業務にも差し障りが出てくるだろうし、何より、匠真が困るのだろう。
運ばれてくる豪勢な料理を口に運びながら、AI事業の方向性について淡々と意見を交わす。
匠真の視線を受けて、料理が終盤にさしかかった頃、手洗いに行くふりをして会計を済ませた。
これで一応、今日の俺の役目は果たせただろう。
席に戻ると、二人の間に微妙な空気が漂っていた。
その様子から察するに、令嬢がプライベートで匠真を誘い、彼がやんわり断った、という可能性が高そうだ。
ただ、丸友さんはそれで機嫌を損ねるようなこともなく、俺が支払いを済ませたことを知ると、申し訳なさそうに言った。
「自分で払うつもりだったから、ここを選んだのに。かえって悪いことをしてしまったわね」
「いいえ。所詮、会社の金です。気にしないでください」
匠真がそうフォローすると、丸友さんは楽しそうに笑った。
◆
車に乗り込んだ瞬間、匠真は大きく息を吐いた。
「……やれやれ、厄介だな」
車は匠真の私用車だが、予定通り、いったん会社に戻ることになっている。
直帰するつもりはなかったから、二人とも私物のほとんどを会社に置いてあった。
「思ったより、良さそうな人じゃん」
そう切り出したのは、車内の沈黙が何となく気まずかったからだ。
俺も疲れていたが、匠真も令嬢に気を遣って疲れていたのだろう。
だから、ちょっとした気分転換のつもりだったのだけど。
「逆玉だし、結婚しちゃえば」
冗談半分に言ったつもりだった。
しかし、次の瞬間。
「……ふざけるな」
ハンドルを握る指に力がこもる。低く押し殺した声に、背筋がぞくりと震えた。
アクセルが踏み込まれ、車は会社の駐車場を通り過ぎて反対方向へと走り出す。
「おい、どこ行くんだよ!」
返事はない。
ただフロントガラス越しに見える匠真の横顔は、怒りを隠しもしせず、硬い輪郭を描いていた。
嫌な予感が、じわりと胸を満たしていく――。
匠真の沈黙が恐ろしいほど重かった。
******************
「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「Silent Drive — 沈黙のドライブ」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
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