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第45話 Invisible Trail –記録なき旅–
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朝の光がテーブルに斜めの帯を落としていた。
湯気の立つスープとトースト、軽く焼いたベーコン。いつもより少しだけ余裕のある朝食だ。
「二人で休みを取れる日はありそうか?」
マグを持ったまま、匠真が何気ない調子で切り出す。
「天峰の件、ISのチームが神戸にデータ取りに行ってくれてるから、週末は連休でも取れるんじゃないかな。俺も代休と有休、溜まりまくってるし」
「二人一緒に大丈夫か?」
「大丈夫だろ。土日で取れば急な問い合わせも少ない。事前に柚木さんに休日出勤をお願いしたほうが安全だとは思うけど」
「それは俺がやっておく」
そこで一拍おいて、匠真が視線を上げた。
「旅行でも連れて行ってくれるの?」
「俺の“戸籍上の父親”に会いに行く。おまえも一緒に来い」
「え? 俺も一緒に行っていいの?」
「おまえは、もうすでに巻き込まれている。話を聞くなら一緒に聞いたほうがいい」
なるほど、と腹の底で頷く。
先日、怜央はまるで俺を見張っていたかのように現れた。部屋には盗聴器。食べ物に何かを混ぜるという非合法な手段も厭わない。――俺は十分に巻き込まれている。九条に関する情報は、俺自身の頭にも入れておくべきだ。
(それに…情報を得ることで、匠真を守る力になれるかもしれない…)
「名目は“出張”にする。箱根方面で“天峰のサブシステム調査”」
「……なるほど。休みじゃなくて出張扱い」
「勤怠と経費の痕跡を、あえて“表のアリバイ”として残す。宿は箱根のビジネスホテルを押さえる。行程もチャットに共有しておく」
「本気だな」
「これは旅行じゃない」
短い言葉に、緊張が混ざっていた。
◆
午前中、匠真はテキパキと連絡を回した。
営業部の柚木――匠真の元秘書で、今は重要案件のハブを担っている人――に通話で要点を伝える。
柚木さんに伝えた理由は、『重要案件のために秘密裏に動きたい』だった。
案件の中には、社内にも漏れないように動く必要のあるものもある。
以前から、匠真はこうした方法をとっていたのだろう。
柚木さんの対応も慣れたものだった。
『二人とも外出で大丈夫ですよ。問い合わせは俺が一次受けします。緊急時は折り返しで』
「助かる」
『それと、箱根のホテルは“正式予約”で入れておきますね。チェックイン時刻は未定で』
「頼む」
通話を切ったあと、匠真は俺へ視線で合図を送る。
社内の勤怠システムに「出張(箱根)」、社内カレンダーに「天峰・地方拠点調査」と登録。
出張報告書のテンプレだけ先に作って、付箋を貼っておく。
(……完全に、目くらましの設計図だ)
書類の欄外に、匠真のメモ。
――「予定:東京駅→小田原。以降未記入」
わざとだ。以降の足取りを、社内のどのシステムにも残さない。
◆
昼休み。
俺は柚木さんのデスクへ行き、必要な連絡先をもう一度確認した。
「くれぐれも事故とかには気をつけてね。二人で一緒に外に出るのは、正直ヒヤヒヤする。二人に何かあったら、社内の案件の大半が立ち往生するから」
「すみません。万一のときは連絡します」
「まあ、今はそれほど大きなイベントもないし。旅行でも行くつもりで、のんびりしてくるといいよ」
「用が終わったら、すぐ帰ります」
「連絡だけつくようにしてくれていたら、多少日が延びても大丈夫。気にしないで」
戻ろうとしたとき、柚木さんが声をかける。
「あ、そうだ。これも」
「……扇子?」
「折りたたみ式の電波遮断ポーチ。スマホを入れれば位置情報は切れる。必要な場面だけでいいから」
「ありがとうございます。借ります」
胸ポケットに薄いポーチを差し込む。
心臓の鼓動が、さっきより落ち着いた気がした。
◆
出発は土曜の朝。
混雑する東京駅で、俺たちは人波に紛れて新幹線ホームへ向かった。
表向きの目的地は小田原。切符も領収書も、すべて“正規ルート”だ。
「ここからは――」
「うん、分かってる。箱根へ行く顔をして箱根へ行かない、だろ」
座席に腰を落とすと、匠真が小さく笑った。
車窓の景色が流れていく。
俺はポケットからモバイルWi-Fiを取り出し、電源を入れる。
匠真が手を伸ばして、ルーターを受け取った。
「ログを分断する。途中で三回リセットするから、接続は都度切り替え」
「了解」
小田原で下車。
改札を出て、まずはタクシーに乗る。
「このまま箱根湯本までで大丈夫ですか?」
運転手の問いに、匠真は窓の外へ視線を向けた。
「すみません、やっぱり入生田で。少し予定が変わって」
「了解」
入生田で降り、駅前の小さな売店の前で一度ルーターをリセット。
そのまま箱根登山鉄道には乗らず、逆方向のローカル線へ回り込む。
駅員に尋ねる観光客の群れを横目に、静かなホームへ降りた。
一本だけ走る各駅停車。
俺たちは別々に乗り込んで、数駅先で合流する。――視線をばらす、小さな工夫。
次のタクシーでは、ナンバーだけをメモし、領収書は受け取らない。
途中のコンビニで二度目のルーターリセット。
そして、山の稜線が近づいたところで三度目。
接続履歴は細切れに途切れ、追跡の線は自然とほつれていく。
「まるで映画みたいだな」
「映画なら、ここで音楽が盛り上がるところだ」
「現実は、ただ静かだな」
「静かなほうがいい」
短いやり取りの間に、町並みは色を変える。
観光地の賑わいが背後に遠ざかり、かわりに畑と倉庫、空き地と古い家の並びが増えていく。
視界の端で、スマホの表示がふっと変わった。
圏外。
喉の奥が、すこしだけ鳴る。
不安と、同じだけの安堵が胸に同居した。
「ここから先は、どこにも俺たちの存在が記録されない」
匠真がそう言って、電波遮断ポーチを俺に示す。
無言で頷き、スマホを中に滑り込ませた。
……この静けさのあとに何が待つのか、まだ知らなかった。
******************
「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「Invisible Trail –記録なき旅–」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
♫「Invisible Trail –記録なき旅–」はこちら⇒ https://youtu.be/pZENyibMsj4
湯気の立つスープとトースト、軽く焼いたベーコン。いつもより少しだけ余裕のある朝食だ。
「二人で休みを取れる日はありそうか?」
マグを持ったまま、匠真が何気ない調子で切り出す。
「天峰の件、ISのチームが神戸にデータ取りに行ってくれてるから、週末は連休でも取れるんじゃないかな。俺も代休と有休、溜まりまくってるし」
「二人一緒に大丈夫か?」
「大丈夫だろ。土日で取れば急な問い合わせも少ない。事前に柚木さんに休日出勤をお願いしたほうが安全だとは思うけど」
「それは俺がやっておく」
そこで一拍おいて、匠真が視線を上げた。
「旅行でも連れて行ってくれるの?」
「俺の“戸籍上の父親”に会いに行く。おまえも一緒に来い」
「え? 俺も一緒に行っていいの?」
「おまえは、もうすでに巻き込まれている。話を聞くなら一緒に聞いたほうがいい」
なるほど、と腹の底で頷く。
先日、怜央はまるで俺を見張っていたかのように現れた。部屋には盗聴器。食べ物に何かを混ぜるという非合法な手段も厭わない。――俺は十分に巻き込まれている。九条に関する情報は、俺自身の頭にも入れておくべきだ。
(それに…情報を得ることで、匠真を守る力になれるかもしれない…)
「名目は“出張”にする。箱根方面で“天峰のサブシステム調査”」
「……なるほど。休みじゃなくて出張扱い」
「勤怠と経費の痕跡を、あえて“表のアリバイ”として残す。宿は箱根のビジネスホテルを押さえる。行程もチャットに共有しておく」
「本気だな」
「これは旅行じゃない」
短い言葉に、緊張が混ざっていた。
◆
午前中、匠真はテキパキと連絡を回した。
営業部の柚木――匠真の元秘書で、今は重要案件のハブを担っている人――に通話で要点を伝える。
柚木さんに伝えた理由は、『重要案件のために秘密裏に動きたい』だった。
案件の中には、社内にも漏れないように動く必要のあるものもある。
以前から、匠真はこうした方法をとっていたのだろう。
柚木さんの対応も慣れたものだった。
『二人とも外出で大丈夫ですよ。問い合わせは俺が一次受けします。緊急時は折り返しで』
「助かる」
『それと、箱根のホテルは“正式予約”で入れておきますね。チェックイン時刻は未定で』
「頼む」
通話を切ったあと、匠真は俺へ視線で合図を送る。
社内の勤怠システムに「出張(箱根)」、社内カレンダーに「天峰・地方拠点調査」と登録。
出張報告書のテンプレだけ先に作って、付箋を貼っておく。
(……完全に、目くらましの設計図だ)
書類の欄外に、匠真のメモ。
――「予定:東京駅→小田原。以降未記入」
わざとだ。以降の足取りを、社内のどのシステムにも残さない。
◆
昼休み。
俺は柚木さんのデスクへ行き、必要な連絡先をもう一度確認した。
「くれぐれも事故とかには気をつけてね。二人で一緒に外に出るのは、正直ヒヤヒヤする。二人に何かあったら、社内の案件の大半が立ち往生するから」
「すみません。万一のときは連絡します」
「まあ、今はそれほど大きなイベントもないし。旅行でも行くつもりで、のんびりしてくるといいよ」
「用が終わったら、すぐ帰ります」
「連絡だけつくようにしてくれていたら、多少日が延びても大丈夫。気にしないで」
戻ろうとしたとき、柚木さんが声をかける。
「あ、そうだ。これも」
「……扇子?」
「折りたたみ式の電波遮断ポーチ。スマホを入れれば位置情報は切れる。必要な場面だけでいいから」
「ありがとうございます。借ります」
胸ポケットに薄いポーチを差し込む。
心臓の鼓動が、さっきより落ち着いた気がした。
◆
出発は土曜の朝。
混雑する東京駅で、俺たちは人波に紛れて新幹線ホームへ向かった。
表向きの目的地は小田原。切符も領収書も、すべて“正規ルート”だ。
「ここからは――」
「うん、分かってる。箱根へ行く顔をして箱根へ行かない、だろ」
座席に腰を落とすと、匠真が小さく笑った。
車窓の景色が流れていく。
俺はポケットからモバイルWi-Fiを取り出し、電源を入れる。
匠真が手を伸ばして、ルーターを受け取った。
「ログを分断する。途中で三回リセットするから、接続は都度切り替え」
「了解」
小田原で下車。
改札を出て、まずはタクシーに乗る。
「このまま箱根湯本までで大丈夫ですか?」
運転手の問いに、匠真は窓の外へ視線を向けた。
「すみません、やっぱり入生田で。少し予定が変わって」
「了解」
入生田で降り、駅前の小さな売店の前で一度ルーターをリセット。
そのまま箱根登山鉄道には乗らず、逆方向のローカル線へ回り込む。
駅員に尋ねる観光客の群れを横目に、静かなホームへ降りた。
一本だけ走る各駅停車。
俺たちは別々に乗り込んで、数駅先で合流する。――視線をばらす、小さな工夫。
次のタクシーでは、ナンバーだけをメモし、領収書は受け取らない。
途中のコンビニで二度目のルーターリセット。
そして、山の稜線が近づいたところで三度目。
接続履歴は細切れに途切れ、追跡の線は自然とほつれていく。
「まるで映画みたいだな」
「映画なら、ここで音楽が盛り上がるところだ」
「現実は、ただ静かだな」
「静かなほうがいい」
短いやり取りの間に、町並みは色を変える。
観光地の賑わいが背後に遠ざかり、かわりに畑と倉庫、空き地と古い家の並びが増えていく。
視界の端で、スマホの表示がふっと変わった。
圏外。
喉の奥が、すこしだけ鳴る。
不安と、同じだけの安堵が胸に同居した。
「ここから先は、どこにも俺たちの存在が記録されない」
匠真がそう言って、電波遮断ポーチを俺に示す。
無言で頷き、スマホを中に滑り込ませた。
……この静けさのあとに何が待つのか、まだ知らなかった。
******************
「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「Invisible Trail –記録なき旅–」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
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