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第一話 避けたままの唇 — Lips We’ve Been Avoiding
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あの日まで、二人はただの幼なじみだった。
小学校から高校、そして大学まで同じ道を歩いてきた。——そう信じていたのは、桐谷湊のほうだけだったのかもしれない。
大学の教室。昼下がりの光が差し込み、窓はいつもより澄んで見えた。前の席に座る朝倉陽真の背中は、ほんの数メートル先にあるのに、湊には遠く感じられる。昨日の出来事が、その距離を隔てていた。
◆
昨日、歩道橋の上で。
陽真は急に真顔になり、言った。
「……好きだ」
たったそれだけの言葉に、湊は息を呑む。
陽真は苦笑いをして続けた。
「もし今のが冗談だったら、楽なんだけどな」
そう言って、冗談みたいに顔を近づけて——唇が触れた。
けれど、唇が触れた瞬間に分かった。これは、冗談なんかじゃない。
驚いた湊の目が閉じるより早く、陽真は気まずそうに目を逸らした。
湊の胸には混乱だけが残った。嫌ではなかった。それなのに怖かった。
一度のキスで、呼び方も帰り道の並び方も、もう変わってしまう未来を想像してしまったから。
その夜からずっと、湊は言葉を探している。
謝るべきか、伝えるべきか、黙っているべきか。どれを選んでも二人の関係は揺らぐ気がして、結局何もできなかった。
一方の陽真も、返事のない沈黙を「拒絶」と受け止め、心の奥で焦りを抱えていた。
結局、湊は耐えきれず、陽真に背を向けて、その場から逃げ出した。
そして、そのことをずっと後悔している。
◆
翌日。講義が終わり、学生たちが一斉に席を立つ。湊はタブレットの電源を落とし、黒い画面に触れながら小さく息を吐いた。
(昨日逃げたこと、謝ることはできる。でも、それで終わってしまったら……)
廊下に出ると、陽真が振り返った。
待っていてくれたことに、少しほっとする。
でも、視線が交わる寸前…湊は咄嗟に下を向き、会釈だけを返した。
「……おつかれ」
掠れた声。いつもの明るさを隠した声に、湊は短く「うん」と返した。
その返事はあっという間に人混みに溶け、踏まれて消えていった。
陽真は小さく唇を噛んだ。冗談に見せかけた昨日の言葉を、彼は本気で悔やんでいた。
◆
夕方、空が急に暗くなり、激しい雨が降り出した。二人は偶然にも同じタイミングでラウンジに駆け込み、向かい合う形で腰を下ろした。
傘はない。出て行くこともできない。
テーブルを叩く雨音だけが響いていた。
沈黙が重く続いた。
(言わないと…何か言わないと…昨日、逃げたのは僕なんだから…)
このまま黙っていたら、もう取り返しがつかなくなるかもしれない…湊はそう思った。
「……昨日のこと」
湊が口を開いた。喉は渇き、声は掠れていた。
陽真が顔を上げる。射抜くような視線に、湊の心臓が大きく跳ねた。
「嫌じゃなかった。ただ、どうしていいか分からなくて」
湊は必死に言葉を繋ぐ。
「ごめん。黙って逃げたこと、謝る」
陽真の肩がふっと緩んだ。彼は握り締めていた拳を解き、深く息を吐いた。
「俺も……あんなふうに冗談めかしたけど、本気だ。おまえのこと、好きだ」
再びの告白に、湊の胸が熱くなる。そっと手を伸ばすと、陽真の手の甲に触れる。驚いた顔のあと、彼は迷わずその指を絡め返した。
雨脚は強まり、ラウンジの窓を打ちつける。
二人の距離は、昨日よりもずっと近い。
「もう一度、してもいい?」
陽真の問いに、湊は小さく頷いた。
次の瞬間、唇が触れ合った。昨日とは違う。避けていた時間を越え、ようやくたどり着いた確かなキスだった。
湊はもう逃げなかった。
外の雨はまだ止まない。けれど、二人の関係は、ようやく始まった。
************
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「避けたままの唇」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
「避けたままの唇 — Lips We’ve Been Avoiding」はこちら⇒ https://youtu.be/lVTjAgBxLGs
小学校から高校、そして大学まで同じ道を歩いてきた。——そう信じていたのは、桐谷湊のほうだけだったのかもしれない。
大学の教室。昼下がりの光が差し込み、窓はいつもより澄んで見えた。前の席に座る朝倉陽真の背中は、ほんの数メートル先にあるのに、湊には遠く感じられる。昨日の出来事が、その距離を隔てていた。
◆
昨日、歩道橋の上で。
陽真は急に真顔になり、言った。
「……好きだ」
たったそれだけの言葉に、湊は息を呑む。
陽真は苦笑いをして続けた。
「もし今のが冗談だったら、楽なんだけどな」
そう言って、冗談みたいに顔を近づけて——唇が触れた。
けれど、唇が触れた瞬間に分かった。これは、冗談なんかじゃない。
驚いた湊の目が閉じるより早く、陽真は気まずそうに目を逸らした。
湊の胸には混乱だけが残った。嫌ではなかった。それなのに怖かった。
一度のキスで、呼び方も帰り道の並び方も、もう変わってしまう未来を想像してしまったから。
その夜からずっと、湊は言葉を探している。
謝るべきか、伝えるべきか、黙っているべきか。どれを選んでも二人の関係は揺らぐ気がして、結局何もできなかった。
一方の陽真も、返事のない沈黙を「拒絶」と受け止め、心の奥で焦りを抱えていた。
結局、湊は耐えきれず、陽真に背を向けて、その場から逃げ出した。
そして、そのことをずっと後悔している。
◆
翌日。講義が終わり、学生たちが一斉に席を立つ。湊はタブレットの電源を落とし、黒い画面に触れながら小さく息を吐いた。
(昨日逃げたこと、謝ることはできる。でも、それで終わってしまったら……)
廊下に出ると、陽真が振り返った。
待っていてくれたことに、少しほっとする。
でも、視線が交わる寸前…湊は咄嗟に下を向き、会釈だけを返した。
「……おつかれ」
掠れた声。いつもの明るさを隠した声に、湊は短く「うん」と返した。
その返事はあっという間に人混みに溶け、踏まれて消えていった。
陽真は小さく唇を噛んだ。冗談に見せかけた昨日の言葉を、彼は本気で悔やんでいた。
◆
夕方、空が急に暗くなり、激しい雨が降り出した。二人は偶然にも同じタイミングでラウンジに駆け込み、向かい合う形で腰を下ろした。
傘はない。出て行くこともできない。
テーブルを叩く雨音だけが響いていた。
沈黙が重く続いた。
(言わないと…何か言わないと…昨日、逃げたのは僕なんだから…)
このまま黙っていたら、もう取り返しがつかなくなるかもしれない…湊はそう思った。
「……昨日のこと」
湊が口を開いた。喉は渇き、声は掠れていた。
陽真が顔を上げる。射抜くような視線に、湊の心臓が大きく跳ねた。
「嫌じゃなかった。ただ、どうしていいか分からなくて」
湊は必死に言葉を繋ぐ。
「ごめん。黙って逃げたこと、謝る」
陽真の肩がふっと緩んだ。彼は握り締めていた拳を解き、深く息を吐いた。
「俺も……あんなふうに冗談めかしたけど、本気だ。おまえのこと、好きだ」
再びの告白に、湊の胸が熱くなる。そっと手を伸ばすと、陽真の手の甲に触れる。驚いた顔のあと、彼は迷わずその指を絡め返した。
雨脚は強まり、ラウンジの窓を打ちつける。
二人の距離は、昨日よりもずっと近い。
「もう一度、してもいい?」
陽真の問いに、湊は小さく頷いた。
次の瞬間、唇が触れ合った。昨日とは違う。避けていた時間を越え、ようやくたどり着いた確かなキスだった。
湊はもう逃げなかった。
外の雨はまだ止まない。けれど、二人の関係は、ようやく始まった。
************
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「避けたままの唇」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
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