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少女
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『月日は百代の過客』とは、よく言ったものだ。
子供ならばその年月は、気が遠くなるほど長い。
大人になると時間の経過を早く感じるものだ。
青年の時代は、自分で思っているよりもはるかに、早く過ぎ去ってしまう。
気がつけば、壮年と呼ばれる年齢になっている。
俺は、フクロウの予言通り、神父と教師をしている。離島にある小さな町の学校だ。
大学時代に教員免許を取得していたことが、きっかけとなった。本当に世の中、何が役に立つか分からないものだ。
都会の喧騒などとは、かけ離れた島での暮らしだ。平穏で何事もなく過ぎていく。
だから、もうずっと以前に聞いた俺の守護天使たちの予言のことなど、俺自身すっかり忘れていた。
俺の両肩には、あいかわらず、フクロウとセキレイがいる。
でも、昔と違って彼らは、すっかり静かになってしまった。
なぜだろう。
俺が、いい大人になったからだろうか。
昔の俺と、今の俺は、明らかに違う。
髪は、あのころより少し長い。ついでに髭も伸ばしてみた。
童顔に見られるのがイヤでやってみたら、自分でもちょっと気に入ってしまったのだ。
生徒たちからの評判は、悪くないと思う。……たぶん。
聖職者としてだけではなく、教員としての仕事も増えたはずなのに、本土にいる時より、自分の時間が増えたような気がする。
自分の愉しみのためだけに、絵を描くようになった。
誰かのために……ではない。
誰かのために生きるために、司祭となった俺が『誰かのためではない絵』を描いている。
俺が在職している学校の敷地の中にある教会では、毎週日曜には『主日のミサ』が行われていた。
教区では、神父の移動がよくある。
特に若いうちは数年で別の教会への移動があるものだが、俺は教師をやっているせいか、長くこの土地に居ついてしまった。
この教区の司祭も、年齢を重ねているせいか何年も同じ教会で信者の救霊のため尽くしておられた。残念ながら、体力的な問題で、第一線は退くことになる。
そんなわけで、俺が日曜ごとのミサを受け持つことになった。
◆◇◆◇
「聖書は理屈ではありません。あなたの人生を豊かにしてくれるものです。それは信者であろうとなかろうと、変わりはありません」
福音の朗読のあとに俺は、そう言った。
小さな町の教会だから、たいていはお互いに顔見知りばかりだ。
それが、最近になって、いつもと違う空気を感じるようになった。
外国人の若い女性が一人で来るようになったからだ。
女性といっても、まだ、ほんの少女のように見える。
島では、他所からくる者が珍しいから、彼女のことは、何かと話題にあがっていた。
ましてや、金髪の人形のような少女なら、なおさらだ。
ミサが始まって、少ししてから『罪の告白と回心の祈り』のあたりだろうか。
聖堂の後ろの暗がりにひっそりと立っている姿を見かける。
そんな暗がりにてさえ彼女のことは、よく見えた。
長い金色の髪は、ひときわ目立つ。
彼女の両親は、同じ学校の教員だから、一度、紹介されたことはある。
父親がフランス人で、母親は日本人。
一人娘をフランスから日本へ呼び寄せたのは、まだ最近のことだという。
以前は、母親と二人でよくミサに来ていたが、このところ彼女は一人だった。
いつも閉祭の挨拶をするころには、そっと出て行ってしまう。
ミサの時間は、一時間ほど。帰っていく会衆と少し立ち話をしてから、礼拝堂を閉めて俺の仕事は終わる。
そんな俺のことを彼女がこっそりと物陰から見ていることに、ずいぶん前から気づいていた。
恥ずかしそうに、もじもじとしている。
人見知りなのだろうか。
そんな子供っぽいしぐさが、可愛らしいというか、いじらしいというのか。
まるで、年頃の娘を持つ父親の気分にさせられてしまう。
「こんにちは」
思い切ってこちらから、声をかけてみたのは、彼女が寂しそうに見えたせいだ。この島での生活に、少しでも慣れてくれるきっかけになりたいと思った。
「あ、……こんにちは」
少しうつむき加減で暗い表情が、少し明るくなったような気がする。
「今日はひとりなの?」
俺がそう言うと、彼女はわずかに微笑んだ。
「いつも両親と一緒なわけではありませんから」
こちらの言葉が通じるか、少し不安だったが、彼女の日本語は流暢なものだ。
「……でも、わたしの母はとても心配性だから、ひとりで出歩くのを心配するんです」
「今は大丈夫なのかな。お母さんに叱られたりしない?」
「ええ、もちろん。だって、わたしはそんなに子供じゃありませんもの」
俺がちょっと、からかうように言うと、彼女は、嬉しそうに笑った。
こうして話していると、彼女はなかなかしっかりしている。両親が心配するほどでもなさそうだ。
ハシバミ色の瞳。ビスクドールのような艶やかな肌。優しい面差し。
俗っぽい言葉では“血の交わりが美人を生む”と言うが、それは本当らしい。
「もし、よろしければ、俺と食事につきあってくれませんか」
彼女の両親に頼まれていたこともあって、気安く誘ってみた。
普段の俺なら、いきなり女性を食事に誘うことはない。
司祭などと言う職業をしていれば、人の相談ごとを聞いたりすることもある。だからこそ俺は、必要がなければ、自分から人に近づいたりしなかった。
それでも、彼女とは、もう少し話をしていたい。そんな居心地のよさを彼女の中に感じていた。
なんとなく、自分とよく似た感じの匂い……雰囲気を持っているような……何とも言えぬ奇妙な高揚感だった。
「今日は、ちょっと寝坊して朝食もまだなんです」
そう言ってから俺は、周囲を見回しながら、彼女の耳もとで囁いた。
「あんまりお腹が空いてね。あやうく聖体拝領のホスチア(聖別されたパン)を、一人で残らず、食べてしまいそうになったぐらいですよ」
「だって、神父さまのホスチアは、あんなに大きいのに?」
「神父のものは、みんなで分け合うためですからね。それを独り占めしてしまったら、神の怒りを受けることになるかもしれない」
俺が真面目な顔をして言うと、彼女も大きく目を見開いた。
「それは、大変です。宗教改革になりかねませんね」
彼女は俺に合わせて、こっそりと耳打ちしてくる。
そうしてから、ふたりで大笑いしてしまった。
たわいないことなのに、何がこんなにおかしいのだろう。
笑いの沸点が低すぎると言えば、そうなのかもしれない。
でも、それは俺だけではなく彼女も同じだったようで、ひとしきり笑いころげてから、ようやく言った。
「ありがとう。神父さま。ご一緒させていただけたら、とても嬉しいです」
彼女が応じてくれたことで、俺は心底、ホッとした。
同僚の娘さんとはいえ、それほど親しいわけでもない女性を食事に誘うなんて……俺にしては、かなり思い切ったことをしたものだ。
子供ならばその年月は、気が遠くなるほど長い。
大人になると時間の経過を早く感じるものだ。
青年の時代は、自分で思っているよりもはるかに、早く過ぎ去ってしまう。
気がつけば、壮年と呼ばれる年齢になっている。
俺は、フクロウの予言通り、神父と教師をしている。離島にある小さな町の学校だ。
大学時代に教員免許を取得していたことが、きっかけとなった。本当に世の中、何が役に立つか分からないものだ。
都会の喧騒などとは、かけ離れた島での暮らしだ。平穏で何事もなく過ぎていく。
だから、もうずっと以前に聞いた俺の守護天使たちの予言のことなど、俺自身すっかり忘れていた。
俺の両肩には、あいかわらず、フクロウとセキレイがいる。
でも、昔と違って彼らは、すっかり静かになってしまった。
なぜだろう。
俺が、いい大人になったからだろうか。
昔の俺と、今の俺は、明らかに違う。
髪は、あのころより少し長い。ついでに髭も伸ばしてみた。
童顔に見られるのがイヤでやってみたら、自分でもちょっと気に入ってしまったのだ。
生徒たちからの評判は、悪くないと思う。……たぶん。
聖職者としてだけではなく、教員としての仕事も増えたはずなのに、本土にいる時より、自分の時間が増えたような気がする。
自分の愉しみのためだけに、絵を描くようになった。
誰かのために……ではない。
誰かのために生きるために、司祭となった俺が『誰かのためではない絵』を描いている。
俺が在職している学校の敷地の中にある教会では、毎週日曜には『主日のミサ』が行われていた。
教区では、神父の移動がよくある。
特に若いうちは数年で別の教会への移動があるものだが、俺は教師をやっているせいか、長くこの土地に居ついてしまった。
この教区の司祭も、年齢を重ねているせいか何年も同じ教会で信者の救霊のため尽くしておられた。残念ながら、体力的な問題で、第一線は退くことになる。
そんなわけで、俺が日曜ごとのミサを受け持つことになった。
◆◇◆◇
「聖書は理屈ではありません。あなたの人生を豊かにしてくれるものです。それは信者であろうとなかろうと、変わりはありません」
福音の朗読のあとに俺は、そう言った。
小さな町の教会だから、たいていはお互いに顔見知りばかりだ。
それが、最近になって、いつもと違う空気を感じるようになった。
外国人の若い女性が一人で来るようになったからだ。
女性といっても、まだ、ほんの少女のように見える。
島では、他所からくる者が珍しいから、彼女のことは、何かと話題にあがっていた。
ましてや、金髪の人形のような少女なら、なおさらだ。
ミサが始まって、少ししてから『罪の告白と回心の祈り』のあたりだろうか。
聖堂の後ろの暗がりにひっそりと立っている姿を見かける。
そんな暗がりにてさえ彼女のことは、よく見えた。
長い金色の髪は、ひときわ目立つ。
彼女の両親は、同じ学校の教員だから、一度、紹介されたことはある。
父親がフランス人で、母親は日本人。
一人娘をフランスから日本へ呼び寄せたのは、まだ最近のことだという。
以前は、母親と二人でよくミサに来ていたが、このところ彼女は一人だった。
いつも閉祭の挨拶をするころには、そっと出て行ってしまう。
ミサの時間は、一時間ほど。帰っていく会衆と少し立ち話をしてから、礼拝堂を閉めて俺の仕事は終わる。
そんな俺のことを彼女がこっそりと物陰から見ていることに、ずいぶん前から気づいていた。
恥ずかしそうに、もじもじとしている。
人見知りなのだろうか。
そんな子供っぽいしぐさが、可愛らしいというか、いじらしいというのか。
まるで、年頃の娘を持つ父親の気分にさせられてしまう。
「こんにちは」
思い切ってこちらから、声をかけてみたのは、彼女が寂しそうに見えたせいだ。この島での生活に、少しでも慣れてくれるきっかけになりたいと思った。
「あ、……こんにちは」
少しうつむき加減で暗い表情が、少し明るくなったような気がする。
「今日はひとりなの?」
俺がそう言うと、彼女はわずかに微笑んだ。
「いつも両親と一緒なわけではありませんから」
こちらの言葉が通じるか、少し不安だったが、彼女の日本語は流暢なものだ。
「……でも、わたしの母はとても心配性だから、ひとりで出歩くのを心配するんです」
「今は大丈夫なのかな。お母さんに叱られたりしない?」
「ええ、もちろん。だって、わたしはそんなに子供じゃありませんもの」
俺がちょっと、からかうように言うと、彼女は、嬉しそうに笑った。
こうして話していると、彼女はなかなかしっかりしている。両親が心配するほどでもなさそうだ。
ハシバミ色の瞳。ビスクドールのような艶やかな肌。優しい面差し。
俗っぽい言葉では“血の交わりが美人を生む”と言うが、それは本当らしい。
「もし、よろしければ、俺と食事につきあってくれませんか」
彼女の両親に頼まれていたこともあって、気安く誘ってみた。
普段の俺なら、いきなり女性を食事に誘うことはない。
司祭などと言う職業をしていれば、人の相談ごとを聞いたりすることもある。だからこそ俺は、必要がなければ、自分から人に近づいたりしなかった。
それでも、彼女とは、もう少し話をしていたい。そんな居心地のよさを彼女の中に感じていた。
なんとなく、自分とよく似た感じの匂い……雰囲気を持っているような……何とも言えぬ奇妙な高揚感だった。
「今日は、ちょっと寝坊して朝食もまだなんです」
そう言ってから俺は、周囲を見回しながら、彼女の耳もとで囁いた。
「あんまりお腹が空いてね。あやうく聖体拝領のホスチア(聖別されたパン)を、一人で残らず、食べてしまいそうになったぐらいですよ」
「だって、神父さまのホスチアは、あんなに大きいのに?」
「神父のものは、みんなで分け合うためですからね。それを独り占めしてしまったら、神の怒りを受けることになるかもしれない」
俺が真面目な顔をして言うと、彼女も大きく目を見開いた。
「それは、大変です。宗教改革になりかねませんね」
彼女は俺に合わせて、こっそりと耳打ちしてくる。
そうしてから、ふたりで大笑いしてしまった。
たわいないことなのに、何がこんなにおかしいのだろう。
笑いの沸点が低すぎると言えば、そうなのかもしれない。
でも、それは俺だけではなく彼女も同じだったようで、ひとしきり笑いころげてから、ようやく言った。
「ありがとう。神父さま。ご一緒させていただけたら、とても嬉しいです」
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