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011.森での生活(2×3+1)

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 森の孤児院で暮らし始めて一ヶ月ほどが経過した。
 ここで一緒に暮らす七人の子供達の性格や関係は、だいたい把握できていた。
 怒りっぽい男の子、トマト。
 食いしん坊の男の子、ポテト。
 能天気な男の子、ピーマン。
 恥ずかしがり屋の女の子、チェリー。
 可愛い妹分の女の子、ベリー。
 知的な女の子、ユズ。
 ふくよかな体形の女の子、モモ。
 トマトとチェリーは仲がいい。
 ポテトとベリーは仲がいい。
 ピーマンとユズは仲がいい。
 モモはみんなのお母さん役だ。
 ここで暮らす上で注意しなければならないことは、一つだけ。
 夜に部屋から出てはいけない。
 猫の鳴き声のせいで、眠れなくなるから。

 孤児院には部屋が五つあった。
 一人に一部屋は割り当たらない。
 けど、それに文句を言う子供はいない。
 そんな贅沢が許されるはずがないと、知っているからだ。
 トマトとチェリーは二人で一部屋。
 ポテトとベリーは二人で一部屋。
 ピーマンとユズは二人で一部屋。
 食事の支度で朝が早いモモは一人部屋。
 ここに連れてこられたときに寝込んでいたせいか、私にも一人部屋が与えられていた。
 もう体力も戻っているし、モモと一緒の部屋でもいいと言ったのだけど、荷物を動かすのも大変だろうからと、私に一人部屋が割り当てられたままとなった。
 眠っている間に連れてこられた私には、荷物は何も無かったのだけど。
「城の部屋にあった荷物はどうなったのかな?」
 お気に入りのドレス。
 お気に入りのぬいぐるみ。
 それらはみんな、城の部屋に置いてきたままだ。

「私、いつまでここに居ればいいのかな?」
 私は急に寒くなった。
 一人の寝室。
 昼間は騒がしい子供達も、今は周りにいない。
 そんな場所で呟いた自分の言葉に、私は自分の身体が冷たくなったように感じた。
「……寒い」
 私は自分で自分を抱きしめる。
 けれど、いくら抱きしめても温かくなってくれない。
 むしろ、一人であることを再確認させられた気分になって、身体が勝手に震え始める。
「誰か……」
 助けを求めるように周囲を見回すけど、当然のように誰もいない。
 このままじゃ、心まで凍えてしまう。
 私は、普段は決して開かない部屋の扉を、内側から開いた。

「……」
 微かに聞こえてくる猫達がじゃれ合う鳴き声。
 そちらへ行ってはいけないことは、今の私にも判断できた。
 行き先は決まっていた。
 ここへ来て、最初に抱きしめてくれた人のところ。
 幼子をあやすように、私を抱きしめてくれた人のところ。
 優しい母のように、私を包み込んでくれた人のところ。
 その人のいるところへ向かった。
 結局のところ、私は寂しさのせいで、冷静では無かったのだと思う。
 思い込みもあったのだと思う。
 だから、扉を開く前に鳴き声に気づかなかった。
 もしかしたら、耳に入っていたのかも知れないけど、聴こえてはいなかった。
 気づかないフリをしたわけじゃない。
 かちゃ。
 私が扉を開くと、か細い猫の鳴き声が聴こえてきた。

「はぁ……ふぅ……んんっ……!」
 大きくなりそうな声を抑えるように、猫がもぞもぞと悶えていた。
 押し殺した声が、抑えきれなかった声が、猫の口から漏れている。
 漏れているのは声だけではない。
 唇の端から、さらさらとした唾液が溢れている。
 顎を伝って、喉を伝って、胸まで垂れている。
 猫は自分の身体にそれを塗りつけながら、掌を自分の身体に這わせている。
 唾液が塗り広げられるのに合わせるように、声も広がりをみせている。
「はあっ……ふうっ……んんんっ!!!」
 私は扉が開いていることを思い出した。
 私が開いてしまった扉のことを思い出した。
 私は猫の鳴き声が人を呼ばないように、そっと扉を閉じた。
 私自身が扉の内側にいることに気づいたのは、扉の閉まる音がしてからだった。

「っ!」
 それまでの甘える蕩けるような声とは、明らかに違った。
 ベッドの上にいる人物が、身体を起こして、こちらを見る。
「あ……あのっ……これは……身体が少し熱っぽくてっ」
 扉を閉めていてよかったと思う。
 モモは私に向けた視線を揺らしながら、しどろもどろに説明してくる。
 声を抑える余裕もないのか、ときおり声のトーンが上がる。
 私はそれをなだめるように、優しく声をかける。
「わかっているから、落ち着いて。身体が火照って、むずがゆかったのよね」
「え……ええ。そうなの」
 モモに抱きしめて温めてもらおうと思ったのだけど、どうも無理そうだ。
 彼女の身体は今なお温かそうだけど、人を抱きしめる余裕は無さそうだった。
 でも、私の心は少しだけ温かくなった。

 お母さんのような人だと思った。
 私はモモにそういう印象を持っていた。
 けど、彼女も私と同じだ。
 同じ年頃の女の子だ。
 彼女は年頃の女の子だった。
 彼女はみんなのお母さんだった。
 そして、彼女は誰よりも女だった。
 自分と同じところを見つけると、急にその人に親近感が湧く。
 城にいるときも、自分と同じくらいの年頃の侍女に、親近感が湧いたことがある。
 けど、侍女達は気軽に私に話しかけてくれることはなかった。
 でも、モモはすぐそこにいる。
 声をかければ、モモは応えてくれる。
 声をかけてくれれば、私も応える。
 そんな距離にモモはいた。

「こんな夜中にごめんなさい。今夜は寒くって……一緒に寝てくれないかしら」
 私がそう言うと、モモが驚いた顔をする。
 モモから抱きしめてもらうのは無理そうだから、こちらから近づこうとしたのだけど、私のお願いは予想外だったみたいだ。
「私と? ……その……気持ち悪くないの?」
「気持ち悪い? どうして?」
 今度は私が驚いた顔をしていたと思う。
 だって、モモが気持ち悪いなんて、私が思う訳がない。
 どうして、そんなことを考えたのだろう。
「だって、その……あんなことをしていたから」
 モモが消え入りそうな声で、疑問の理由を私に教えてくれる。
 でも、それを聞いてもなお、私はモモの疑問の理由が分からなかった。

「あんなことって、赤ちゃんを産む準備のこと? 私もよくするわよ」
 赤ちゃんの出てくるところをほぐして、赤ちゃんに飲ませるお乳が出やすくする。
 別におかしなことじゃない。
「赤ちゃん!? ……え? 白雪姫もよくするの?」
「ええ。おかしい?」
「だって……え? ……ううん。おかしく……ない」
「そうよね」
 だから、モモもおかしくない。
 私の言葉を聞いて、モモが落ち着く。
 そして、いつもの優しい笑顔を見せてくれる。
「うん。おかしくない」
 モモは、まるで自分に言い聞かせるように、何度も何度も頷いていた。

 一緒に寝たいとお願いした私に応えて、モモが私をベッドに誘ってくれた。
 寒くないように身体を寄せながら、モモは子守唄の代わりに、自分のことを話してくれる。
「小さい頃はね、みんな仲良しだったの」
 その『みんな』の中に私は入っていない。
 私がここで暮らし始める前の、私が知らない『みんな』の話だ。
「ううん、今も仲良しなんだけどね、今はもっと仲良くなった子達がいるの」
 特定の相手と、特に仲良くなる。
 そういうことだろう。
 別に今まで仲良くしていた他の相手と、仲が悪くなるわけじゃない。
 ただ、一番仲が良い相手ができただけ。
 そういうことだ。
「男の子と女の子の身体に、少しだけ違いが出てきた頃かな。部屋割りを決めようってことになったの。それまでは、その日その日で寝る部屋はバラバラだったんだけどね」
 一番仲が良い相手とだけ寝たい。
 そういう、子供らしい、可愛い願いだったのだろう。

「三人部屋があってもいいと思うんだけどね。みんな二人部屋がいいって、そう言ったの」
 私が来る前、子供達は七人だった。
 みんなが二人部屋を希望すれば、一人が余る。
 その一人が寂しいことは分かっていたんだと思う。
 けれど、自分の願いを優先させた。
 それだけのことだ。
 我慢強くない子供なら仕方がない。
「私は反対しなかった。だって、理由がないんだもの。反対なんてできないでしょう?」
 モモはみんなを好きだった。
 だから、特定の相手だけを好きになることができなかった。
 モモはお母さんのように優しかった。
 だから、みんなの願いを叶えたかった。
 そういうことなんだと思う。
「誰かと一緒に寝ることができるなんて思っていなかった。ありがとう、白雪姫。今夜はぐっすり眠れそう」
 私のことを抱きしめながら、モモは可愛い寝息を立てていった。
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