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運動に踏みにじられたレズビアン。

4.誰のための運動なのだろう?

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元々、レズビアンとゲイは別々に活動していた。

それは、お互いに交流がなかったからだけではない――そもそも抱えている問題が違うからだ。レズビアンの運動は、同時にフェミニズム運動でもあった。

戦前は、「エス」と呼ばれる疑似恋愛が女学生によく見られた。しかし、そうではない「真性」の同性愛は精神疾患とされていた。戦後からは、レズビアンを題材とした男性向けポルノが氾濫する。

精神疾患という烙印と、男性向けポルノによって造られたみだらなイメージ――七十年代から始まった運動は、これらを払拭することを目的とした。

一九七一年――レズビアンたちの最初の団体「若草の会」が作られる。仲間と会いたいという思いから設立され、十五年続いた。その間、会員は少なくとも五百名以上いたという。

七十年代後半――フェミニズム運動に接点のあった女性たちが小雑誌ミニコミを作り始める。一九七六年には『レスビアンの女たちから全ての女たちにおくる雑誌 すばらしい女たち』が、一九七八年には『ザ・ダイク』と『ひかりぐるま』が創刊した。

一九八〇年――タレントの佐良さがら直美なおみが「レズビアン」だったと報じられる。佐良は全面的に否定し、騒動の元となった人物は謝罪した。しかし、佐良は芸能活動から遠ざかざるを得なくなる。同年のNHK紅白歌合戦も落選した。

八十年代前半には、「レズビアンフェミニスト・センター」「シスターフッドの会」などの団体が作られる(ちなみに、「シスターフッド」もフェミニストたちに好まれた言葉だという)。

一九八七年には、日本初のレズビアン事務所「れ組スタジオ」が開かれた。「れ組スタジオ」は女性解放ウーマン゠リブ系であり、ゲイと距離を置きたがるレズビアン゠フェミニストもいたそうだ。

レズビアンとゲイは、この頃から共闘を始める。一九八四年には国際レズビアン゠ゲイ協会・日本支部(ILGA)が発足し、一九八六年には「動くゲイとレズビアンの会」(OCCUR)が発足した。

一九九二年――掛札かけふだ悠子ひろこ氏が、『「レズビアン」である、ということ』を出版する。

掛札氏は、日本のレズビアンとしてメディアへ向けて初めてカミングアウトした人物だ。

レズビアンの世界に疎い私でも、掛札氏が重要人物であることは判る。

レズビアン運動の歴史について調べるのに私は苦労した。どこにもあまり書かれていないのだ。しかし掛札氏の名前で調べると、様々な情報が途端にヒットするようになる。

『「レズビアン」である、ということ』の出版と同じ年、掛札氏はレズビアン向け小雑誌ミニコミLABRYSラブリス』を創刊する(最盛期で二千名ほどの読者がいたという)。一九九五年には、レズビアン向けフリースペース「中野LOUDラウド」を開設(運営者を変え、昨年四月まで続く)。それ以外にも、NHK番組への企画出演や講演活動なども精力的に行なう。

この時代、レズビアンだとカミングアウトすることは大きな困難を伴った。佐良直美から仕事を奪ったのは「レズビアン」という報道だ。アメリカでは、レズビアンをカミングアウトした人がレイプされる事件さえ起きていた。

一九九五年――掛札氏は運動を停止してしまう。消息は分からない。

一方、レズビアンとゲイの共闘には最初から不協和音があった。

北海道大学大学院の斉藤さいとう巧弥たくや教授の「1990年代の『ゲイリブ』におけるゲイとレズビアンの差異――北海道札幌市における活動を事例に」では、運動におけるレズビアンとゲイの温度差が記されている。

論文に取り上げられている「ILGA札幌ミーティング」は、九十年代前半の時点でレズビアンとゲイが共闘する最大の団体だったという。しかし、女性会員が男性を上回りそうな時期でさえも、「ゲイ主導」「女性蔑視」を理由に多くの女性会員が辞めてゆく。また、レズビアンとゲイが対談する際には、両者の間で激しい喧嘩が幾度も繰り返されていた。

やがて、レズビアンのための支分派ブランチが出来てゆく。その中では、女性同士で女性の悩みを聴き合い、共通点を見出したり、励ましたり、何が問題なのかを一緒に考え合ったりする活動が行なわれていた。

レズビアンとゲイの大きな違いは、コミュニティが成熟していたか否かでもある。

ゲイ゠コミュニティは男たちが遊ぶ場であり、同時に「夜の世界」でもあった。そんな「夜の世界」と切り分け、ゲイとして「昼の世界」を生きてゆくことをゲイ活動家たちは目指したのだ。

ところが、九十年代の時点で、レズビアン゠コミュニティは「作られ始めていた」段階だった。レズビアンたちは、同じ悩みを抱えた者で集まる場所をまずは作らなければならなかった。

加えて言えば、レズビアンとゲイとではカミングアウトに伴う困難も違う。レズビアンの場合は、男性向けポルノで作られてきたイメージがある。「レズ」という言葉にまとわりつく性的な偏見・視線、男性の淫猥な好奇心――カミングアウトが性玩弄や性暴力に繋がることもある(それは今でも)。カミングアウトして「昼の世界」で生きてゆこうと言うゲイとは温度差があった。

だが、そのような事情など、ゲイにとって「どうでもよかった」のではないか。

ゲイには女性嫌悪の強い人も多い。特に、ゲイ活動家はそうだと感じる。性自認主義を推進し、反対する女性当事者がネットリンチされてきた事実を知る者ならば、驚くことではないはずだ。

ゲイ活動家は女性に興味がない。レズビアンに対する同情心も恐らくない。あるのは、政治的な主導権を握りたいという欲求だろう。

あるレズビアンによれば、運動の中でレズビアンは肩身の狭い思いをしていたという。男性が主導する中、女性の意見は通りづらかったのだ。

一九九六年には、両者の対立が決定的となる事件が起きる。

その年の八月――第三回「レズビアン・ゲイ・パレード in 東京」が行なわれた。パレードが終わった後の集会で、実行委員会が「パレード宣言」の採択を行なおうとする。しかし、これはレズビアン側に知らされていないことだった。なので何人かのレズビアンが異議を申し立て、演壇に上がる。小競り合いが起き、実行委員であるゲイの一人がこう吐き捨てた。

「レズのくせに何しやがんだ!」

実行委員会は、この発言に謝罪しなかった。

それから三年間、大規模なパレードは東京で行なわれなかった。翌年には、同性゠両性愛女性は独自の女性当事者行進ダイク゠マーチを実行する。この一件を期に日本の同性愛者解放運動ゲイリベレイションは大きく停滞したという。

一方で、性同一性障碍の存在が知られるようになる。それに伴い、レズビアン゠コミュニティへの侵掠が始まった――「MtFレズビアン」「性同一性障碍」「トランスセクシュアル」を名乗る(あるいは診断書さえ取った)人々がコミュニティを浸蝕しだしたのだ。

レズビアンたちは、彼らのことを疑うことはできなかったし、疑うことのできる情報もなかった。ましてや、彼らの求愛を断ったとき、差別者呼ばわりされたり、自殺を示唆されたり、性暴力まがいの行動に出られたりするなど、思いもよらなかったのである。

九〇年代の初めに作られ始めたコミュニティは、次の十年、二十年で次々と消し去られてゆく。今や、「ほとんど残っていない」のだ。

同性愛者解放運動ゲイリベレイションが息を吹き返すのは、二〇一二年以降――LGBTムーヴメントが起きてからだ。なぜ、「LGBT」なるものが流行ムーブメントとなったかは後の章で述べる。

重要なのは、それまで活動していたレズビアン活動家が、このとき「LGBT」に変容していたことだ。つまり、性自認主義に賛同したり、そのような活動家と共闘したりするようになったのである。

「私は女だ」と言う男性を女性スペースへ入れればどうなるか――LGBT運動に与するレズビアン活動家にも分かっている人は多いだろう。レズビアン゠コミュニティで何が起きたか、彼女らの中にも知っている人は多いはずだ。

女性に関する問題(家制度・性的視線・賃金格差など)が、LGBT運動で取り上げられることはない。同性婚を推し進める理由にしろ、レズビアン゠カップルの経済問題は無視されがちだ。一方、ゲイのラブストーリーが押し出される傾向にはある。

「LGBT」は連帯のことだと言う。しかし連帯しているようには見えない。むしろ、「L」が「G・T」の言いなりになっているように見える。

――この十五年で何が起きたのか?

あるレズビアンは、「自己実現のために、男性の言うことを聞かなければならなかったんだと思う」と言っていた。盛り上がりを見せてきたLGBT運動の波に乗るために、主導権を握っているゲイやトランス活動家の言いなりとなってしまったのだ。

運動の初め、レズビアンたちはフェミニズムを論じてきた。だが、LGBT運動からは鳴りを潜めている――ゲイやトランス活動家にとって煙たいからだ。

「レズ」という言葉を嫌がる女性当事者がいる。

その理由について、「侮蔑的な言葉だから」としかLGBT活動家は答えない。そんなLGBT活動家に対して、「レズという言葉まで狩るのは、差別だと難癖をつけるためだろう」と思う人もいるだろう。

しかし、「レズ」という言葉が、男性向けポルノで多用されているものであり、猥雑なイメージが纏わりついているからだ――と説明されれば、印象は変わるのではないだろうか。

レズビアン活動家の多くが、今や「LGBT」へ行ってしまった。しかも、レズビアンたちが九十年代に行なっていた運動も分かりづらくなっている。

先に述べた通り、日本で初めてカミングアウトしたレズビアンは掛札悠子氏だ。ウィキペディアの「レズビアン」のページにも書かれていた――少なくとも二〇一九年の八月までは。


だが、なぜか今は掛札氏のことが削除されている。


どのような活動が九十年代にあったのか――全く書かれていない。だからこそ、この頃のレズビアンの活動を把握するのに私は苦労した。

先述した通り、掛札氏は九五年に運動を停止する。それがなぜなのかはよく分からない。ある人によれば、「ゲイの側から激しいバッシングがあったと聞いた」「疲れてしまったようだ」という――もちろん確証のある話ではないのだが。

あるいは、掛札氏が活動を停止したのは別の理由かもしれない。

確認できる限りで、掛札氏が最後に公にした論文は『現代日本文化論〈2〉家族と性』に載せられた「抹消(抹殺)されること」である。

これにより、掛札氏の文を初めて私は読んだ。体言止めや倒置法を多用した詩のような文。読んでいると、パステル画のような絵が浮かんでくる――抽象的な事例を重ね合わせて、物事の核心を最後に浮かび上がらせる構成だからだ。

核心は、恐らく次の文と思われる。

「そんなものがあるはずもないのに『より一般的なレズビアン』を外側に演じようとして、私は私自身との間に深い溝を作ってしまった。私の心の中でやがて破綻は深刻なものとなり、『レズビアン』として社会に向かうことすべてを一九九五年の夏、やめた。」

『「レズビアン」である、ということ』を掛札氏が書いた理由は、「私はなに?」と問いかけることで、「あなたはなに?」と問いかけることだったという。だが、返って来るはずの答えは、質問と非難とにかき消されてしまう。

「レズビアンってどういうもの?」
「異性愛者とどう違いがあるの?」
「私は異性愛者なんでしょうか?」
「貴女はレズビアンを狭く考えている。」
「私のようなレズビアンもいる。」
「レズビアンだけではなく、他の性的少数者も取り上げるべきだ。」

そこには、「お前は答える義務がある」「お前はそうする義務がある」という圧力が常にあった。

「彼ら/彼女らはいつもそうやって迫ってくるということを、思いだしておいたほうがいい。強姦の生存者は何度でも問われる、『それはどんな行為だったのか(強姦かどうかはこちらが判断する)』、強制連行されて強姦された『従軍慰安婦』は問われる、『それはどんな行為だったのか(強姦だったかどうかはこちらが判断する)』、レズビアンは問われる『それはどんな行為だったのか(それがセックスかどうかはこちらが判断する。でも最初に言っておこう、ペニスがないのにセックスなどとは、あまりにも認めがたい)』、そうやって彼ら/彼女らは事実を抹消(抹殺)しようとする。『彼女たちは単なる友人だった。レズビアンではない』『彼女は強姦されたのではない』。私が『それは強姦だ』と言っているのに、私が『私はレズビアンだ』と言っているのに、なぜ?」

論文の最後にはこう記されている。

「消されることを許す限り、歴史は何度でもくりかえされる。彼ら/彼女らは今まさに、私に、私たちに『レズビアン』という彼ら/彼女らにとって唯一理解できる焼き印を押して、窓のない貨車につめこもうとしている。

私は逃げる。」
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