向かいの席の彼女

荒深小五郎

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彼女の機嫌が悪い日は、すぐにわかる。

無言。
それが合図みたいになっていて、
「おはようございます」にも視線を上げず、ただ返事だけが落ちてくる。
目線はモニターの奥。心は、そこにいないようだった。

そういう日は、空気が張りつめている。
キーボードを打つ音、プリンターの稼働音、電話のコール音──
まるで音だけが浮かんでいるような感覚になる。

だけど、問題はそういう日に限って、話さなきゃいけないことがあることだ。

電話の取次ぎ、書類の確認、ちょっとした共有事項。
本当なら「いまは話しかけたくないな」と思うけど、業務は待ってくれない。

「これだけど……」と声をかける。
彼女は無言で手を伸ばし、資料を乱暴に引き取った。
「はあ?」と小さくつぶやく声が、確かに聞こえた気がした。

傷ついた、というよりは、
「ああ、今日の彼女は“そっち側”にいるんだな」と思った。

ぼくはそのあと、必要以上に関わらないようにして、できるだけ静かに過ごす。
彼女の“気圧”が戻るまで、じっと耐えるような時間である。

不思議なことに、彼女は翌日ケロッとしていたりする。
昨日の不機嫌がまるでなかったかのように、「この件なんですけれど」と笑いながら話しかけてきたりする。

そのたびに、なんだか拍子抜けしてしまう。
でも、ぼくはたぶん、その距離感を嫌いじゃない。
「また今日も、この席に座っているんだな」と思えるだけで、少しだけ、救われている。

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