向かいの席の彼女

荒深小五郎

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春が近づいてくると、職場ではざわざわとした空気が流れ始める。
異動の内示──この時期特有の、落ち着かない予感。

彼女の名前が、内示の一覧にあった。
別の課へ異動。
階も変わる。もう、そばにはいられない。

「やっと出してくれましたって感じ」
彼女は笑って言った。
声のトーンは軽かったけど、笑顔の奥がどこか遠くを見ていた。

喜んでいるようにも見えた。
けれど、それが本心かどうかはわからなかった。

「寂しくなるな」なんて、当然言えなかった。
この関係に、そういう言葉を持ち込むのはちがう気がした。

でも、気づけば彼女の顔ばかり目で追っていた。
誰かと話しているとき、荷物を片づけるとき、残された時間を、少しでも焼きつけようとしていた。

異動まで、あと数日。
以前みたいに話すことは減ったけれど、
彼女はふとしたときにぼくの方を見て、笑ってくれる。

その笑顔に「またね」が含まれているように感じて、
勝手に寂しさを膨らませてしまう自分がいた。

最終日、彼女がぼくのデスクにやってきて、ひと言だけこう言った。

「いろいろありがとうございました。楽しかったです」

ぼくは、
「うん、こちらこそ」
それしか言えなかった。

彼女が立ち去ったあと、席は空いたまま残っていた。
でもそこには、彼女の気配が確かに残っていた。
少なくとも、ぼくの中では。

春は、なにかを連れてくる季節だけど、
なにかを連れていってしまう季節でもあるのだと、
そのとき初めて実感した。

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