異世界で奴隷と開業を

佐々木 篠

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4章 異世界で奴隷と開業を

5話 猫と狐と蛇。

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 迷いの洞窟と呼ばれる入り組んだダンジョンの中、二人の少女が巨大な牛を相手に戦闘を行っていた。

「クロちゃん、お願い!」

 ハルの放った魔法は吸い込まれるように対象へと飛んで行き、外れる事なく直撃する。

「任せて下さいっ!」

 ハルの言葉より早くクロは駆け出していた。目標はハルの魔法を顔面に喰らい、悶えているミノタウロス。

 敵は消えない炎を何とか掻き消そうと、躍起になって身の丈ほどの斧を振り回している。この狭い洞窟の中、その迫り来る死を避けながら敵に肉薄せんとする行為はまるで新手の自傷行為であったが、クロは振り回される斧を危なげなく躱し、容易にミノタウロスの下へたどり着いてみせた。

(結果には必ず、過程が存在する)

 カムイの教えを反芻しミノタウロスを観察する。まるで不規則なミノタウロスの動きは、無意識の内に規則化された動きをなぞっているに過ぎない。筋肉の動き、重心、それらを見れば次にどんな動きをするのかは手に取るように分かった。

 故に近付く事は容易く、またその動きを搔い潜って攻撃する事もまた、容易な事であった。

「ふっ!」

 丹田に力を入れ、息を吐きながら自分の倍ほどの大きさであるミノタウロスの、晒された首筋を一閃する。

「ーーーーッ!!」

 クロの胴体ほどある首を切り落とす事は流石に不可能だが、動脈を傷付ける事くらいは簡単だ。

 ミノタウロスは突然首に放たれた一撃にパニックを起こし、さらに激しく暴れだした。

「クロちゃん! 一旦下がって!」

 ハルの指示に従い、クロはハルの隣まで下がる。別にこのまま攻撃を与え続けても危険は無いのだが、無理にそうする必要は無い。何故なら既に、勝敗は決しているからだ。

「やった!」

 ミノタウロスは苦悶の雄叫びを上げながらひとしきり暴れた後、突然糸の切れた人形のように倒れ臥す。数秒後その身体は粒子となり、ダンジョン内部に吸い込まれて行った。

「お疲れさまでした」

 ミノタウロスが消えた事を確認したクロはそこでようやく構えを解くと、死体があった場所へと足を運んだ。残念ながらドロップアイテムは無いようだ。

「残念ながら外れです」

「うーん、お兄ちゃんがいたらどの魔物がアイテム落とすか、簡単に分かるのにね」

 クロはハルのその言葉に同意しそうになり、頬を膨らませてそっぽを向く。

「……ふふっ、可愛いなぁもう!」

 内心カムイの事を認めているし尊敬してすらいるが、無理やり奴隷にされたという立場上素直になれない。そんなクロの心が手に取るように分かるハルは、そんなクロが可愛くて仕方が無かった。

「や、止めて下さいよぅ……」

 薄い胸に押し付けるように抱き締められながら、クロは言葉だけの抵抗を試みる。無論本心から抵抗しているわけでは無いため、ハルはクロを離そうとはしない。

「じゃあ次に行ってみようか」

 ある程度クロ成分の補充が完了するとハルはクロを解放して地図を広げた。

 そしてそのギルドで書き写した地図に線を加えると、下に続く道をクロと共に進む。

 ここ『迷いの洞窟』は溶岩の流れで生まれたダンジョンであるため、法則性が殆ど無い三次元的なダンジョンとなっている。そのためギルドにある二次元マップは気を抜くとすぐに現在地点が分からなくなり、驚くほど簡単に迷う事が出来る。

 しかも道を間違えた場合、上を目指すがいつまでも地上に出ず、下に向かったら出口があった……なんて事もある。無論地上に出たところでそこにポータルは無いため、また迷宮に戻る事となる。

「ハル姉さんがいなかったら一瞬で迷っていますね」

「そうかな?」

 パーティーによっては冒険者ではなく絵描きを連れ、時間をかけて三次元的にマップを描いて貰いながら進むところもあるらしい。

 一方ハルは二次元マップのまま的確に書き込み進んで行くため、余計な時間も取られない。

「そうなんです。ハル姉はご主人にもったいないくらい優秀ですから、それを自覚して下さいっ!」

「……ありがと」

 ハルは否定も肯定もせず、クロに礼を告げた。

 カムイが自分を必要だと思ってくれればそれは嬉しい。だけど本当に互いを必要としているのはハルだけで、その思いは一方的なものだ。

 それを告げれば優しいカムイの事だから、きっと否定するだろう。

 だけどカムイに必要なものはハルではなく元の世界に帰る方法だ。そこが明確である以上、いくらカムイが否定したところでハルはそれを素直に受け止める事は出来ない。

(なんて謙虚なのですか。可愛くて性格も良くて何でも知っていて……ハル姉さんは最強です。最早天使です!)

 そうとも知らずクロの好感度はどんどん上昇していく。

「……あれ?」

「どうしました?」

 地図に従って道を下って行くと、道が二つに分かれている。だがギルドの地図に描いてある道は左にあるものだけだ。

「ここ、道が一つのはずなのに二つある……」

「ほんとです。……ハル姉さんも間違える事ってあるんですね。ドンマイです!」

(そんなはずは無いけど……まさかギルド側のミス?)

 ハルは自分の能力に驕りはしないが、同時に不要なまでに謙遜する事も無い。自分は自分として、能力はしっかりと把握しているつもりだ。そして今回、マッピングでミスしたとは考えられなかった。

 高度なマッピング技術の要るダンジョンとはいえ、ここまで全ての道程がギルドのものと一致しているのだから、なおさらその思いは強くなる。

「……もしかしたら、今まで見付かって無い新しい道かも」

 道なりに進むと左の通路に行く事になる。もしも何らかの戦闘や、マッピングに気を取られていたら右の道に気付かない可能性は十分にあった。

「え!? じゃあ、もしかすると何かお宝が眠っているかも知れませんね! ご主人をぎゃふんと言わせるチャンスです」

「そう、だね」

 未発見の場所はリスクの計算が出来ない。特に『森に喰われた城』の一件があるため、そう簡単に「じゃあ行こっか」なんて言えない。

 だけど多少の危険なら跳ね返せる強さはあった。ハルは魔法に長け、その一撃は穢神でも滅す事が可能。クロは敏捷に長け、余程の事が無い限りあらゆるトラップや敵の一撃を避ける事が出来るだろう。

 仮に出て来た敵が格上だったとしても、クロが撹乱しハルが全力の一撃を放てば逃げる事くらいは容易なはずだ。

「じゃあ、ちょっとだけ覗いてみよっか。もしも危険があれば、すぐ逃げる……それでいい?」

「もちろんですっ」

 故にハルは進む事を選択してしまった。普段なら決して選ばない行動であったが、カムイに褒められたいという一心でついつい揺らいでしまったのだ。

(少しでも、お兄ちゃんの役に立てられたら……)

 カムイの役に立つとは、即ち別れの加速である。しかしハルにカムイを引き止める事は出来ず、既に帰るための道筋が出来上がってしまった今、ハルに出来る事はカムイの良きパートナーである事だけだ。

 二人は警戒しながらも歩みを止める事をせず、地図に新たな道を描き加えながら先に進んだ。

「あんまり他の道と変わらないですね」

 ハルの魔法によって照らされた洞窟は今までの道と変わらず、右に左にくねくねと続くだけで宝のようなものは何も無い。それどころか魔物とエンカウントする事も無く、ひたすら一本の道を二人は歩いて行く。

「ハル姉さん、地図だとこの先ってどうなっているんですか?」

 新しい道だから地図に道は描かれていないが、他の道にぶつかっていたりする事も考えられる。

「今ここなんだけど、この先はーーーー」

 現在地点を指し示し、その先に動いた指が線と重なって止まった。

「どれどれ……あー、他の道にぶつかってますね。行き止まりか、他の道に合流するだけですか……」

 クロがその結果に落胆する。

 だが、ハルはすぐにクロの言葉を否定した。

「違う、この線は上の線で、こっちは下の線だから……ここだけ、ぽっかりと空いてる」

 クロに伝えると言うよりも、自分の中で噛み砕くためにぶつぶつと呟く。

 ハルの頭の中では二次元的に描かれたマップが三次元的に展開されており、そしてこの先に地図には何も無い巨大な空間がぽっかりと空いている事が分かった。

「どういう事ですか?」

「分からない……でもこの先に、確実に何かがある」

 嫌な予感がした。自然から生まれた生けるダンジョンなのに、まるで特別に誂(あつら)えたかのような空間。

「……行こう」

 ただの杞憂だろう。『森に喰われた城』はバイオレント・ウッドの乱獲という条件があった。しかし今回はたまたまマッピングのミスがあっただけで、誰でもたどり着けるような場所だ。

 ハルたちは意を決し、更に奥へと向かう。

「ここは……?」

 すると突然道が広がり、巨大な空間が姿を現わした。

 巨大な空間と言っても今までの道と比べての話であり、奥行きは精々数十メートル、高さも十メートルほどしか無い。

 だが壁に沿って等間隔に並べられたかがり火といい、この不自然な空間といい、ここがただのマッピングされなかった空間とは考えられなかった。

「あれは何ですか?」

 かがり火が意味するところを考えていると、クロがこの空間の中心を指差した。


 そこには囲炉裏と木幣(イナウ)と呼ばれる、柳の枝を裂いて作られた祭具が置いてあった。


「|神祈り(カムイノミ)……ッ!!」

 カムイノミとは神(カムイ)を|神の国(カムイモシリ)に送る儀式の総称である。その一つとして|神送り(イヨマンテ)があるのだが、この場合の|神祈り(カムイノミ)は少し意味合いが違った。

「クロちゃん、逃げるよ!!」

 理由を説明している暇は無かった。ただ早くこの空間から逃げ出さなければいけなかった。

「クロちゃん!?」

 手を引っ張って走り出そうとしたのだが、逆に引っ張られてハルはその場でたたらを踏む。何故かクロはその場に佇んでおり、引っ張っても動かなかった。

「何してるの!? 早く!」

 クロの正面に回り、頬を両手で挟んで顔を自分に向ける。

 その顔は血の気が失せ青白く、ハルの顔越しにどこか別の場所を見ていた。

「……あ、……あああ…………あ、れ」

 壊れたブリキの玩具みたいに、クロは口を開閉させながら囲炉裏の……祭壇の奥を指差す。

 そこにはぼろぼろの巫女服を身にまとった女がいた。頭にはハルと同じキツネの耳がありーーーーその下半身は蛇だった。

「巫女(トゥシクル)……!!」

 それだけじゃない。上半身には左右三本ずつ、合計して六本の腕が生えている。その姿にイアンパヌとしての名残は殆ど無い。

(やっぱりここは、穢神を封印してあったんだ……!)

 イアンパヌの巫女は、自分より強い穢神と遭遇した場合は自らを贄として対象を封印する。

 囲炉裏と木幣(イナウ)はその封印の儀式で使う祭具だ。同時に穢神を弱める神酒を椀に注ぎ、囲炉裏の回りに六角の形になるように置くのだが、その椀は散らばって地面に転がっている。封印が弱まって穢神自らが破壊したのか、それともダンジョンでの戦闘の余波により壊れたのかは分からない。

 ただ言えるのは、当時の巫女が倒せず封印するしか無かったような強敵が、今目の前にいるという事だ。

 まだ封印は有効だろうからこの空間から逃げ出せばいいのだが、クロはぺたりと地面に座り込んで失禁している。完全に狂気に呑まれていた。

(どうしよう……まさかあんなのがいるなんて……)

 穢神とのエンカウントを想像してなかったわけじゃない。むしろその可能性は決して低くないと覚悟していたくらいだ。

 だがそれがまさか、封印されるような穢神だとは思わなかったのだ。当然ながら流石のハルでも、あんな存在は相手に出来ない。仮にそれが封印で弱まっている存在だとしても、だ。

「……ぅ」

 目が合った。

 穢神は嬉しそうに裂けた口を歪めると、ゆっくりとハルに向かって歩みを進める。

 その姿をハルは何と形容すればいいのか分からなかった。

 足で前に進んでいるなら歩く、という表現でいいだろう。蛇であるなら這う、が正しいはずだ。


 だが穢神は下半身が蛇で、その下半身の側面にはびっしりと|無数の手が生えていた(、、、、、、、、、、、、、、、)。


 それがわさわさと動き、ゆっくりと前へと進むのだ。そのおぞましさは巫女であるハルですら目を背けたくなるようなものであった。

 既に自衛の本能かクロは意識を失っており、逃走は困難な状態である。

「……”我乞うは紅蓮のーーーーッ!」

 魔法を発動した瞬間、今まで牛歩のような速度であった穢神が加速しハルに迫る。

「”爆ぜろ”ーーーーファイアー・アロー!」

 即座に詠唱の短い魔法に切り替え、ハルはその場から離脱する。

 無論その一撃は相手に全くダメージを与えていないが、どうやら意識をハルに植え付ける事には成功したらしく、穢神の双眸はハルを捉えて離さない。

「”其が踏み込むは包囲の場”ーーーー|五つの仕掛け弓(アシク・クアレ)!」

 穢神は強敵だ。少なくともファイアー・アローのような下級魔法をいくら直撃させたところで、欠片のダメージも与えられないだろう。

 しかし前衛がいない以上強力な魔法は使えない。……それを解決させる魔法が|五つの仕掛け弓(アシク・クアレ)である。

 元々穢神との戦闘でクロが戦力にならない事は知っていたハルだ。一人で戦うための術は用意してある。

「がああああああ!?」

 ハルを捕まえんと近付いた敵に設置された仕掛け弓……アシク・クアレが殺到する。

 名の通りその魔法は設置型のもので、対象が魔法陣に踏み込むと五つのファイアー・アローが一気に牙を剥くようになっている。

 後はアシク・クアレで足止めされているうちに、強力な魔法を放つだけだ。

「”我乞うは紅蓮の裁き。到来するは灼熱の太陽”ーーーーインフェルノ・ブロウ!」

 その一撃は『雪に覆われた城』のボス、アイス・ドラゴンですら一撃で仕留めた魔法。

 いくら穢神でも無傷ではいられないはずだ。
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