異端の巫子

小目出鯛太郎

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夜の訪れ

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 何もしないわけにもいかず俺はクレオさんに渡された目録を眺めていた。


 星養宮…というか巫子宛にこれこれこういう案内が届いてましたよと、お手伝い頂いた王子宮の官吏の方が書いてくださったものだ。
 祭礼と祭典の案内、茶会、夜会、会食への招待状、巫子への嘆願書、学会聴講のお知らせ、献金のお願い、レベリオの観光案内まである。

 
 ううん…。飛空艇で具合が悪くなって二週間以上ほったらかしだったもんな…。もう期日の過ぎてしまった物もある。こういうのはお詫びの手紙とか書いた方が良いんだろうか。
 セルカにいた時は年始と年末の祭礼があったぐらいで、案内は口伝だし、手紙を書いたり返事をしたりってほとんどなかったんだよなぁ…。


 手紙、うーん
 『はいけい。こんぺきのそらはいっぺんのくもりもなくはれわたり、さわやかなかぜがふいております。おげんきですか?おてがみありがとうございます。おへんじかけなくてごめんなさい。はいそれではごきげんよう、さようなら…』

 あれ?終わっちゃった。

 手紙の書き方、習わないと。それから…レベリオの綺麗な文字の書き方も。
きっとお貴族様への手紙の書き方の文例集の一つや二つあるに違いない。

 あ!文学館で貸出証をもらうのを忘れていたと今になって思い当たった。それどころじゃなかったもんな。


 ぐだぐだした気持ちで、手紙を開いてみると、どれも流れるように優雅な文字で書かれている。

 ひぃ!?なんだこれは、文字のくせに絵か花かと思うような飾り文字にサイン…。
 これは何文字なんだ、お貴族様かレベリオの巫子様用の飾り文字なのか…。
 庶民とは字も違うのか…?


 ぅあ、今思えば俺は相当汚い字で書いたものをファルカ様に見せていたのだなと恥ずかしくなった。
 しかもあれで代筆屋になるのもいいなぁ…なんて思っていたのだ。恥ずかしい。

 ぁあ!?しかも俺が書いたあの紙、あの紙挟みはゼルドさ…んの手にあって、きっとそれはアルテア殿下もご覧になったと言うことで…

 嫌だなぁ。恥ずかしすぎて、今なら長椅子に頭をぶつけて穴を開けれそうな気がする。長椅子が綺麗だし座り良いからしないけど。
 ぅぁああああ。

 俺は長椅子に身体を投げだし、窓の外の青空をぼんやり眺めた。挨拶の例文どうりに雲一つない。心もこれぐらい晴れ渡れと思いながら、いつしかうとうとと俺は寝てしまった。






「きっとお食事の量が少なくて、身体もすぐに休みたくなるんですよ、だからって食べ過ぎはいけませんからね。お腹が痛くなりやすいんですから、気をつけないと。」

 気づけば夜になり、クレオさんが準備してくれた夕食に手をつける。だめだよね。食べて寝るのが仕事みたいになってる。
 白パン、玉ねぎとコーンのポタージュ、辛くない玉ねぎのサラダ、小さく切られた鶏肉の蒸し焼き、ベリーのゼリー寄せ。


 星養宮の料理人の方はがっかりしているそうだ。俺がさっと茹でただけの野菜や、薄いスープだけで満腹してしまうから。

 レベリオの人が大好きな肉や魚の揚げ物や辛い味付けの料理やスープを俺が食べれない。多分元気になれば、揚げ物は好きだしいけると思うんだけど。今は、美味しそう!と思ってもちょっと食べただけで、腹の奥底から油の臭気があがってくるような感じになるんだよなぁ。


 薄味のとろっとしたポタージュを食べながら小さい頃から肉肉しい食生活をしていると、あんなに大きくなるのかなぁと考える。背丈も身体の厚みも手足の大きさも、何もかも。
 それなのにふわっとオレンジの香りがしたよなぁ…。
 油の匂いじゃなかったなぁ、俺の腹奥の油の臭気の方がひどいよなぁと思い、匂いが消せないかと風呂に長く浸かろうと試み、案の定というか、湯あたりをした…。
 だめな身体だよ、まったく。



 昼寝過ぎたせいで、夜は体はだるいのに寝られず、俺は起き上がって小さなランプをつけた。マッチも要らない押すだけで灯りが点くやつだ。うん、優秀だ。
 これ、セルカに帰るとき一個もらえないかな?野営するときにちょうど良さそうな大きさだ。


 机に座ってもぞもぞと紙を出した。
 

 非効率だ。本当は明るい時に起きて描けばいいのに。

 俺の手は鉛筆を持ち勝手に文学館の八角形の大きなステンドグラスの模様を描き始めていた。
 天井にあった青い花。永遠に枯れない。手が届かない。

 綺麗でも持ち帰れないから忘れないうちに残しておきたいのかもしれなかった。


 あの場所で起こった嫌なことは忘れないのに。
 次に会うことがあっても覚えていない、はずの、彼らの顔も忘れられないのに。

 ゆっくりと深呼吸をする。
 思いつめると苦しくなるから、もう一回息をして、明日、彼らがどうされたのか処遇を聞いて、ひどいことがないようにアルテア殿下にお願いしよう。
 俺のせいで誰かの人生が不幸になるなんて、嫌だから。

 もうすでにファルカ様を傷つけてしまったけれど、もうあんな事がおきないように。

 それで、インフェリス公爵家のあの手紙も、殿下に相談する。
 黒い太陽ロベリオはどうしてるのかな。


 風が強いのか外の闇が揺れている。

 目の錯覚ではなかった。

 黒いマントをつけたアルテア殿下が外にいた。
「で、殿下!?」

 俺は慌てて立ち上がり、テラスのある扉へ走った。まさかアルテア殿下に窓からお入り頂くわけには行かないもんね…。

「エヌ、夜は寝ないと駄目じゃないか」

 鍵を開けて入って頂くとアルテア殿下の眼は笑っていたけれど、怒られた。

「その言葉はそっくりお返しします。あの、殿下こんな夜中にどうされたんですか?おひとりで?」

「見つかると私も怒られるから抜け出して一人で来たよ。朝を待っていられなかった」


 アルテア殿下は黒いマントを脱いで、いつもそうしているかのように椅子に放り投げた。あ、もしかして俺はマントを受け取ってちゃんとハンガーか何かに掛けてあげなくちゃいけなかったのかも。

「そのランプは明るすぎるから、消してくれる?これを点けるよ」

 殿下はベッドサイドの小さなランプをつけた。
 小さな硝子の傘ランプシェードにはリラの花がいっぱいに彫られている。濃淡のあるオレンジ色の光が優しく広がる。
 
 俺が机の上のランプを消すと、濃淡の陰影は濃くなり、殿下の顔の半分が暗い影に覆われた。

「大丈夫だよエヌ、君が考えているような悪いことは何も起こっていないよ。講義はもう開講しないけどあの子達は魔導の学舎へ復学するように手続きをした。しばらくは居心地が悪いだろうが適宜やっていくだろう」

 殿下の言葉を聞いて肩からゆるゆると力が抜けて行った。良かった…。

「クロックス君と、あの目の赤い女の子には助けてもらったのに申し訳ないです」

「クロックスとミラだね。泥玉から君を庇えなかった時点で、助けたとは言えないんだが…それを云うと私も同罪になってしまうな…。立っていないでここに座れ」


 あの子はミラと言うのか。いつか二人にお礼を言えたらいいな。

 殿下は言葉を濁してから、ベッドに座り、横を叩いた。
 
 俺は机の上の小さな本立てに挟んでいたワインレッド色の封筒を取ってから、殿下の横に腰かけた。
「殿下、この時間にお渡しするのも、えーとご迷惑かと思うのですが。これ。明日ご相談しようと思って。あの、ロベリオはどうなるんですか?」

 アルテア殿下は顔の半分に暗い影を残したまま俺を見た。
 無言で差し出された手に封筒を乗せる。
 殿下は封筒を開き中身を読むと、軽くため息をついた。


「インフェリス公爵家はロベリオを切った。蜥蜴の尻尾切りだね、責任逃れというか。これでロベリオは公式に何の後ろ盾もなくなったわけだ。エヌ、やっぱり君は私の幸運の巫子だね」

 アルテア殿下は封筒を枕元に放り投げ、右手で俺の手を掴み、自分はそのままばったりとベッドの上に上体を倒した。その顔は先ほどとは違い、氷が溶けたように柔らかく微笑んでいた。

 
 一件落着…。って感じがしない。もやもやする。意味がわからない。殿下とロベリオの関係がわからないから仕方ないのかもしれないけれど。別にあんな奴どうなっても良いはずなんだけど、ロベリオが後ろ盾やらをなくして、どうなったのかと言う肝心なことを殿下は言ってくれていない。

 

「アルテア殿下、ろ」
「今ひと時ぐらいはその名前を言うのも聞くのも嫌なのに」

 殿下は俺の腕を引き掴んで倒した。ベッドに倒れたまま顔だけを向ける。ずるい、殿下の顔は影で隠れているのに、俺の顔はランプの光に照れされて少し眩しい。

「あいつはあれだけ騒いでおきながら、君に罪人の印を消された事がわかると『自分が間違っていた。彼は自分の過ちを正すためにやって来た自分の巫子』だとか何とか言い出して。余りに腹が立ったから懲罰房に放り込んでやった」

「えぇっ!?」
 俺が驚いて起き上がろうとすると、殿下はするっと俺の上にのしかかり俺を抑え込んだ。

「だめだよエヌ。君は、ロベリオの巫子じゃないし、行かせない」


「でも、懲罰房だなんて…そんな」
 殿下は、俺の耳元で低く笑った。そうだよ、懲罰房でもっと酷い罰を与えるんだ。裸にして鎖で縛り上げて、背中の皮が剥けて血が飛び散るまで条鞭で打つのさ。食事も水も最低限しか与えず、排泄の処理もしない。眠らせもしない。臭くて汚くて自分が誰になるかもわからないようになるまで攻め苛むんだ。巫子を辱めた奴にふさわしい罰だと思わ……。

 
 殿下は最後まで言わずに俺の頬を撫でた。
「嘘だよ」



 俺の顔が優しいオレンジ色の中でも引き攣るか泣きそうになっていたのだろう。身体だって震えそうだった。

「全部嘘だよ、そんなことしていないよ」

 学生が悪戯したり、喧嘩したり、こっそり飲酒したら入れられるような学舎の懲罰房だよ。男の子なら卒業までに必ず一回は夜を過ごすような狭い場所だよ。鼠を見たことのない貴族の子なんかは驚くらしいけれど、ベッドも置いてある。食事だってちゃんと出るんだ。食事は不味く、デザートもりんごかみかんの切れ端しかでない。罰だからね、と殿下は言った。



 良かった…。そんな場所ならあの気の強そうなロベリオなら大丈夫だろうと思えた。


 俺は殿下の話を聞きながら、学舎の懲罰房って、俺が一人で過ごす荒野よりずっと良いんじゃないかと思った。悪戯をしても屋根とベッドのある所で眠れて、食事におやつも出るなんて…最高じゃないか。
 そこに入れてもらうために壁に落書きをして、喧嘩は自信がないし殴るのも殴られるのも嫌だからしないことにして、毎日林檎酒や杏酒を飲んで、寝坊して遅刻して懲罰房に入れられて…。なんか、良いなぁ。


「俺、学舎の懲罰房で過ごせそうです」
 そういうと、エヌは変な子だなぁと殿下はくすくす笑った。殿下もお疲れで眠いのかもしれなかった。



 今まで見た中で一番緩んだ夢を見るような表情だった。



「私は懲罰房より荒野に行きたいな。それで君と一緒に昼は鉱床を探して、隕鉄を探して、夜は星を見て暮らすんだ。私は料理はできないから、君に任せることになってしまうけれど狩りは上手いと思うよ」
「荒野に獣はほとんどいないので、狩りはできませんよ?朝マカロニを塩茹でして、昼、夜弁当にするんです。乾いたら水を淹れて器ごと煮込んでスープにしたりして。あと堅パンとか。干し棗とか杏とかを食べるんですよ」

「え?じゃぁ蔵一杯に棗と杏を準備しておかないといけないな……もっと…」

 
 すぅと寝息が聞こえた。
 もっと、の後になんて言おうとしたんだろう?
 

 ランプのリラの花影と天井から下げられた天蓋の無数の銀の星の下で、アルテア殿下は眠っていた。


 強い意志の光を宿す瞳が閉じられても白い美貌がそこにあり、俺は欠点のない美しさと言うものがこの世に存在するのだなと描きたい衝動に駆られたけれど、心に焼き付けるに留めて、そーっと殿下の足を持ち上げて、靴を脱がして落とした。
 毛足の長い絨毯は、ふすっと静かに靴を受け止める。

 俺が押したり引いたりしても目覚めぬくらいに、殿下はお疲れだったのだろう。
 眉間の所になんとも言えない翳りがある。

 後何年かしたら、殿下の眉間にはゼルドさ…んみたいな深い二本の皺が刻まれるのかもしれない。


 身体は斜めになってしまったけれど、殿下の身体を横たえて、上掛けをかける。それからランプを消した。全ての形が夜闇にふっと沈んでいく中で、アルテア殿下の金色の巻毛と白い頬は淡い光をはらんで見えた。


 それが神々しくて、恐れおおくて、とても横で眠れるとは思えなかった。
 俺には長椅子があったし、寒くもなく、クレオさんが選んでくれた肩掛けもあった。


 荒野の硬い土の上で眠るのと比べれば、どこでだって眠れる。
 この毛足の長い絨毯の上で直に寝ても良いくらいだ。


 俺は殿下から離れて寝椅子に横になる。
 そう、これが正しい距離とは言わないけれど、わからないけれど、俺みたいなのが白い太陽の側で眠ってはいけない、そんな気がしたのだった。
 
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