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ヘベスの巫子
しおりを挟む翌日には側仕えをへベスさんに決定したという案内が届き、翌々日には俺とクレオさんとへベスさんの顔合わせがあり、三日後には星養宮でのへベスさんの部屋が決まりその日の午後には彼は少ない荷物を手にしてやって来た。
驚くほどの早足の決定で、その理由をクレオさんから聞かされた。
アルテア殿下の外遊…各国を歴訪する事が決まり、色々な手配を急いでいるとの事だった。早まったのにはもしかしたら文学館での一件も関係したのかもしれない。
アルテア殿下が外遊でレベリオから離れられるのなら俺はクレオさんと一緒にセルカに帰っても良い気がするんだけど…。
レベリオでセルカが踏みにじられないよう守ってくれと仰ったファルカ様の言葉が重くのしかかる。
本当に、何が出来るわけでもないのに此処にいても良いのか、居なきゃいけないのかと不安になる。
…まいったね。ほんと、この不安はいつか消せるんだろうか。
「まいりましたよ!本当に!!私なんかよりもずっとちゃんとしていらっしゃるんですから!何でもご存知でいらっしゃるんですから。ああいう方がやはり最初からお付きになるべきなんですよ、エヌ様!本当に、私は至らぬ身でお側におりまして、申し訳ございません……」
まいっているのは俺だけではなくてクレオさんもだった。意気消沈している。
「クレオさん、何で謝るのー?謝るのは俺だよ。クレオさんには無理矢理付いてきてもらったようなものだし、ファルカ様のお付きだしもとは違う仕事をしてたんだから」
クレオさんは新たに俺の部屋になった二階の部屋で、くっと顔を覆った。
「もとは違う仕事をしていらっしゃったのは、ヘベス様も同じですよ。…なんで都会の方っていうのは洗練されていらっしゃるというか見聞が広くて何でもお出来になるんですかね…」
辺境の小国で育った俺達と、大陸一の発展した大国で育った方を比較するのは酷だろうと思う。お世辞にしてもセルカは発展しているとは言えない貧しい国で、どのように賛美しようとしても勤勉な民がたくましく生きている…としか言えないのだから。
自然が豊かだとも、長閑だとも言えない。
乾季に干上がる川しかない時点で、千年も二千年も、もしかしたらもっと昔から無慈悲に国の立ち位置は決まっていたんだろうなぁって思わざるを得ない。
星養宮に送られていたレベリオの観光案内…。あれを目にすると残酷な現実が突きつけられるからだ。
広大な国土、豊かな自然と水資源、温暖な気候それら恵まれた様々なものを土台にして発展した強大な国。
人は全然平等なんかじゃない。
それは狭義の意味での地位…貴族と平民っていうような人が決めた枠組みの中での事じゃなくて、どこの国に生まれたかでもうその後の一生が決まってしまうような、個人の手が届かぬ、神様が決めたかのような不平等が見えてくるんだ。神を引き合いに出すような事は人に言ってはいけないと先代に尻を叩かれて育ったけれど。やっぱりそう思ってしまう。
最近は俺も吐いたりしないし体調が安定しているので、クレオさんのセルカへの帰還は早くも週末になった。
だって引き継ぎできるような事が本当に少ないんですよ、あ、エヌ様申し訳ございませんと正直なクレオさんはますます落ち込んだ。
いや、俺もそう思うんだよ。
俺の荷物なんてずだ袋一つだし、頂いた衣装は綺麗にされて衣装棚に収まっている。クレオさんが用意してくれた物もだ。祭典や何かの式典に出席する予定もない。
レベリオでの俺は『一番暇な巫子』『なんの予定もない巫子』で渾名は決まりだろう。
たまたま飛空挺のせいで体調を酷く崩したけれど、本来の俺は頑丈なはずなんだ。どれくらい頑丈かといえば蛇や岩ネズミを焼いてカレー粉つけて食べれるくらいには。雑嚢を背負って荒野で野宿できるくらいには。
俺のことなんてもっとぞんざいに扱って良いんだよ。
あー、やっぱり俺が此処にいるのは間違っている気がする。一階の寝室もとても素敵だったけれど、二階はもう、それはもう、素敵なんて二文字で表してはいけない場所だった。名工が天国と言うものを地上に引き降ろそうとしたらこうなるんじゃないかと言うような豪華な造りだった。壁は白く、要所に青と金色を使い、見るだけでため息をが出る。豪華に生けられた花と花瓶に気兼ねし、靴跡がつかぬかと足元にも気兼ねし、休むはずが気疲れしてしまう。
椅子に座るのさえ気が引けてしまう。
それはクレオさんも同様だったようで、俺達は、部屋の隅の一番小さな文机の横で小さな繻子張りの椅子に黄昏れる老人ように座っていた。
その小さな椅子でさえ縁に金の縫取りがされていて、どっかと座るのは躊躇われた。
「巫子様、お茶を持ってまいりました」
ヘベスさんが開け放した扉の入り口に銀色のワゴンを押してしずしずと現れた時、俺達は二人共びっくり玩具のように飛び上がりそうになった。
誰が押してもかちゃかちゃ音がする筈なのに、静寂の魔法でも彼は使えるのだろうか?
ふわっとミントの香りが広がる。
アルテアで用いる磁器の紅茶の器ではなくて、セルカでよく使っていたような厚みのあるガラスの器にはミントの葉が浮かび、茶が注いであった。横には砕いた砂糖がガラスのポットに盛ってある。
「何分初めてですので、奥で淹れてまいりました」
まだ硬いヘベスさんの笑みに、俺達は何故かほっとしたように思う。
ここで優雅に微笑まれたら、クレオさんはさておき俺は委縮してしまっただろう。何もかも完璧にされてしまうと俺のようなものには息がつまる。
なにかもう、ワゴンをひっくり返すなり、おならするなり盛大に失敗して欲しい。
ああ、失敗をしてしまったと蒼褪めるなり頬を赤らめるなりして欲しい…。
お茶に砂糖を足して甘くして、それはしばらく飲んでいない懐かしく美味しい味だった。
ごめんねヘベスさん、真面目に仕事してくれているのに失敗しろだとか思っちゃって。
ヘベスさんは何も悪くないんだよ。
完璧な人に対する凡人のひがみなんだよ、ごめんね。
二人は一度俺を置いて部屋を出て行った。たぶん何かしらの打ち合わせがあったのだろう。
俺は二階の与えられた部屋の最も落ち着ける場所に移動した。
そこは一人がのびのびと横たわれるアルコーブベッドで、白く広い壁の中に窪みのように作られ、カーテンを引いて閉ざすこともできた。頭と足の部分には埋め込みの本棚が組まれ、読書用の飾り気のないランプと、下の寝室に置いてあったのと同じリラの花がいっぱいに彫られたオレンジ色のランプが置いてあった。
他には青いつるつるのサテンと白のふわふわした生地のクッションが置いてある。
本は表紙が見えるように置かれ、それが精緻な薔薇の絵だったから花の辞典か何かかと思って手に取ったら、中身は詩の本だった。
『愛と憎悪は同じ種から芽生え、あなたの手によってどちらかが花開き、時に枯れ、あるいはどちらも目覚めることはない』
ふぅん…こんなの読む人いるのかな。
本を戻す。
次に取った本は美術画集のようだった。
中を開くと…うわぁっ。
慌てて戻した。胸や尻を出した裸の絵がいっぱいだった。もう!なんて本を置いてるんだ…。
俺は白いふわふわを抱えるとそこに転がった。
ああもう!ああもう!
誰かが何かをしろと言ってくれなければ、何をしていいのか分からない。
転がった俺の視界のなかに一人戻って来たヘベスさんの姿が映った。黒に近いダークグリーンの長衣を着て髪はゆるめずにきゅっと後ろに三つ編みになっている。
「…巫子様」
彼はアルコーブベッドのすぐ脇の床に跪いた。
「…巫子様、もし私の存在がご負担でしたらアルテア殿下に新たに側仕えの方を探していただきます。まだ上手く笑えませんし、私はこのような見目で人を寛がせるというような事には向いておりません」
まだ上手く笑えない、って言葉はなんか気になった。
銀縁の眼鏡を取って、ポケットに押し込むと、確かに側仕えというよりは人攫いというような険しい人相だ。
「ヘベスさんは、この仕事やめたら世界旅行に行くの?」
「殿下にお聞きになられましたか…」
彼はぱちぱちと瞬きをした。こうして近くで顔を見ると、ダークブラウンの眼は濃い睫毛に縁どられている。
もしかしたらマッチの一本ぐらいは上に乗るかもしれない。
「世界旅行に行く時に俺をスーツケースの中に入れて連れて行ってくれるなら、辞めてもいいよ……。ううん、やっぱり俺みたいな奴の所で働くの嫌だったら…やめてもいいよ」
彼はどこか遠い所を見るように俺を見つめた。彼はもしかしたら、もしかしなくても俺の中に亡くなられた巫子の事を重ねたのかもしれなかった。
「今あるスーツケースは小さいので、もし巫子様を詰めようとすると頭一つ入るか、入らないか非常に悩ましい感じですね」
大変に物騒な答えだった。
「俺が入れるような大きいスーツケースは、ない?」
三白眼を糸のように細めて、彼はしばらく黙り込んだ。
「スーツケースを買いましょうか。そこに入るためではなくて、ここからいつか出て行く時にそれを持って一緒に旅をするために。それまでお仕えしますので。…巫子がお嫌でなければですが」
この答えには俺はちょっと驚いた。俺が一緒でもいいのかな?
「俺、お金ないし、外国語は話せないし、飛空挺に乗ったら酔って吐いて倒れちゃうかもしれないよ?」
「世界二周は出来ないかもしれないですが、お金は大丈夫です。外国語は私もそう話せるわけではありませんが、なんとかなるでしょう。巫子が酔わない飛空挺か船を探しますが、もし酔われたら具合の悪いのは少々我慢して頂きますが、倒れられても私がいくらでも担いで行きますよ」
おそばにおいてくださいますか?と彼は言った。それは俺が言う台詞なんじゃないかと思ったんだけど、俺はへベスが嫌じゃなかったらと言って手を伸ばした。
握手するつもりだったのに、手の甲にキスされて笑ってしまった。
彼もつられたように笑った。
それは雨上がりの空のような笑顔だった。
彼が抱える寂しさか、空虚さを俺が埋められるとは思えなかったけれど、俺の不安や寂しさはこうして埋められた。
へベスの巫子はどんな方だったの?と俺は聞いた。
すごく残酷な質問だけれど、俺はそれを知っていなければならない気がした。
へベスの亡くなった巫子は百合根が食べれるかもと庭園の百合を全て引っこ抜き、蔓薔薇を切って蔦豆とナスを植え、豪華なカーテンで服が作れるとカーテンを切り裂き、邸宅の玄関に飾ってあった花瓶や絵画を勝手に売り捌き、そのお金で菓子を買って貧民の子に配るような豪快な巫子だったそうだ。
ベッドで寝てくれず、気がつけば使用人の階段下の掃除道具入れの間で寝ていたり、屋根の上で寝てしまうなど、昼も夜も目の離せない方だったらしい。
そして今は目も手も届かない場所にいる。
お元気な時に会ってみたかったな、と俺は思った。
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