異端の巫子

小目出鯛太郎

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 距離ができた…かもしれない。
 へベスが一歩も二歩も引いてるかもしれない。へベスの中にある石に話しかけたのが駄目だったかな。心臓を直接素手で掴まれたら…みたいに言ってたもんな。気持ち悪いとか怖いとか思われちゃったかな。



『現在のレベリオの武官のほとんどは強化兵でしょう。強化兵の事はご存知ですか?』
 へベスが言った言葉を思い返す。

 こんな事考えちゃいけないのに、考えてしまう。

 あの人は強化兵だろうか。

 俺の手はへベスの石に触れたようにあの人の石に触れられるだろうか。
 その時の俺はどうにかしていて、試してみずにはいられなくなった。こんなに離れているのに、彼がどこにいるかも分からないのに。

 俺は文机に向かい今日は風呂は入らない、早く寝ると紙切れに書いた。それを扉の外に置いて、鍵を掛けた。今まで自分の部屋に鍵を掛けた事なんてない。
 気持ちとしてはいつも抱きしめているふわふわのクッションに顔をうずめたい。だけど、俺が今から試そうとする事はこのやわらかい布では不可能だ。
 笑えてくる。試したことも無いのに不可能だとか自分で言い切る事に。俺、もしかして小さい頃にでもこれをやった事があるんだろうか。


 バルコニーから身を乗り出す。二階からは少し高さがあるけれど柵を跨いで、ぶら下がりながらずるずると落ちた。
 本当なら格好良く飛び降りたいところだけれど、まぁ俺には無理だから。

 鈴の音に気がつくヘベスだからもしかしてこの地面に落ちた音にも気がつくかと思ったけれど、彼は来なかった。よし。二階の絨毯の下の床や、一階のホールの大理石では駄目だと、タイルも舗装用のブロックの上でも駄目だと、剥き出しの土か岩がある場所でなければいけないと何故身体が知っているんだろう。

 地面は舗装されて硬く鎧われていて、辿り着いたのは花の寝床。ダリアが咲く広い庭。もし俺がここで転げ回ってダリアの花を全て散らして枯らしてしまってもへベスは怒らないだろう。咲いている花がダリアならば。あまりにも色も形も丈の長さも違いすぎて、どれがダリアで、そうでないのか分からない。俺は地面に両手を着いて、それから花の間に入って寝転んだ。痛い。茎が邪魔だ。
 寝転んで見上げると、夜空に向かって伸びる茎と入り乱れる花と葉の裏側が見えた。


 巫子でなく花に生まれていたら、こうして枯れるまで空を見上げていたのだろう。
 身体が浮遊感、もしくは酩酊めいていして、揺れて何処かに引き込まれる感じがした。


 ああ、俺、これに覚えがあるよ。
 父か母を探そうとして…それから…それから?

 
 影のような暗い街の中にいる。
 すぐ近くに堅固に鎧われた部屋の気配がある。あれはもしかしたらへベスがいるんじゃないかと思わせるような。

 俺は歩き出す。
 自分が影の一部になったように歩き出し、遠くで時計の針を回すように規則正しく動いているものの気配を感じた。王宮の敷地の中を警護する二人組の巡回兵かもしれない。立ったまま動かない二人組の気配もそこかしこにあった。皆静かな灰色の石。黒い世界との境界を侵す事も乱すこともなく静かにそこにある。


 俺は、あの人を探さなくちゃ。見たこともない石、一度だけ触れた唇のあのもっと奥に仕舞い隠された石。髪と瞳と同じ黒い色かもしれない。
 辺境の野蛮人と蔑まれるかもしれない。
 色に溺れていると、厭われるかもしれない。

 なのに近くに行きたい。あの人の石に触れてみたい。

 銃を手にしていたら撃ってしまいそうですとへベスは言った。

 あの人の撃った銃で俺の息の根が止まったら…どんなに素敵だろうと背筋がぞくぞくした。昔読んだ童話にあったよな。物音に気づいて銃を撃って相手を殺してしまう。「ああ、……お前だったのか」と。
 あれは贖罪の物語だったから美しく悲しく心に響いた。あの人はもう俺に謝っていて、俺と彼の間には続く物語も背負う十字架もない。俺の気持ちは美しくない、ただあさましいだけだ。


 灰色の石の影が増える。近づくほどに兵士の形をしているように見える。顔は分からない。王宮にはどれほどの強化兵がいるんだろう。一度でも王宮に行っておけば良かった。

 ただこの暗い世界は実際の距離感とは別物のようだった。よく考えれば敷地は広すぎて、歩いて辿り着けるはずがないのである。


 何を頼りにあの人の石を探せば良いんだろう。石に香りはあるんだろうか、甘いオレンジの香りがするだろうか、熱い掌のように温みが残っているんだろうか、分からない…。
 彼はきっとアルテア殿下の近くにいるだろう。

 夜でもきっと近くの部屋に、あるいは王子の眠りを守る重厚な扉の前に。


 俺の身体の下で潰れた深紅のダリアの花が囁いた気がした。
 王はそこではないという。ダリアは国の花だから、もしかしたらそういう不思議な事もあるのかもしれなかった。俺がこうして暗い世界を漂うくらいだから、変なことの一つや二つおきても不思議ではない。
 
 俺が探しているのは王ではないから、花の囁きも間違いではないのかもしれない。
 彼に会えたらお礼に水をたくさんまいてあげる、そう思ったら、水ではなく太陽が欲しいと花は囁いた。
 太陽をあげる事なんて出来ない。
 誰のものでもないし、動かしようの無いものだから。

 俺は立ち止まり悩んだ。灰色の石の影が多すぎて、闇雲に進みすぎて自分がどこにいるかさっぱり分からなくなっていた。


 もし、名前を呼んだら石はこたえてくれるかな。

 …ゼルドさ…ん

 ゼルド

 ゼルドリス


 呼んでも返事などない。何処かが光る事もない。そうだった、昔こうして父と母を探して暗い世界に降りて泣き叫んだけれど、何も見つける事は出来なかった気がする。誰も応えてくれなかったように思う。
 あの時に暗い世界で俺の手を引いてくれたのは誰だっただろう。
 小さすぎて覚えていない。先代だった?それよりも前だった?

 
 やる事が無謀過ぎたかもしれなかった。やり方も分からずに感覚だけで探そうとして。
 あなたが色に溺れた巫子が嫌いでも、俺はあなたが好きです。あなたに触れたい。あなたを抱きしめて、抱きしめられたい。願っている俺の視線の先が引き歪んで、灰色の石の影が一つ目の前に現れる。

 
 神殿に飾られた軍神の彫像のように逞しく、広い肩と厚みのある胸、引き締まった身体に長い脚。何の文句の付けようもない見事な影だった。これが彼だったら良いな、とそっと手を触れる。何の温もりもない影の身体。

 俺は伸び上がって、その広い胸に顔をうずめた。分かったのはこれがへベスではない事だけだった。へベスよりも背が高く筋肉質だ。苦い煙草の香りにせかえった。違う!離れようとするより早く太い腕が絡みついた。黒い影の中に鼻先まで埋まって苦い香りが胸いっぱいに広がる。

「苦しい!離して」
 のけぞって叫んだ。

 目も鼻も飲み込まれるように熱烈に黒い影の抱擁を受ける。絡みついた腕は離れずむしろ拘束が強まった。

 離さない、もう二度と離さないと熱っぽく囁く声は低く聞いたことのない声は喜びに震えているのに泣きそうだった。夢か夢だな、夢で良いと一人納得され俺の身体を撫で回す手は、非常に危険な手だった。抱きしめた者の身体の事を知り尽くし官能を紡ぐ手だった。
 俺はこの黒い世界で自分が何を着ているかも理解していないのに、引き裂くように身包みを剥がされベルベットみたいな相手の肌の感触を直に感じて悲鳴を上げた。

 盛大に情けない悲鳴を上げたつもりだったのにそれも飲み込まれる。


 頭の片隅で、寂しがりやの俺のかけらがこのまま流されてしまえと微笑んだ。息をする暇もないほど口付けられて苦い煙の中に漬け込まれる。こんな風に激しく求められることに憧れているだろう?って笑う声がする。


 ここで何をしても誰も傷つかない。感じるだけ感じて、忘れてしまえと悪魔が寝そべって誘惑するように淫媚な声で俺の願望を掻き立てる。へベスが触らせてくれない場所を頬張りなよ、まだ誰も受け入れたことのない場所をいっぱいに突いてもらいなよ、ベルベットの塊を奥までいっぱいに。ここなら気持ち良いだけだよ、と誘惑の囁きを繰り返す。


 影の手は背中を彷徨い腰骨から太腿を滑り、膝の裏側から内股を撫で上げて際どいところまで戻ってきた。

 その手が戸惑っているように感じた。自分が求めている者じゃないと気づいた筈だ。

 
 俺はもっと必死に暴れて逃げなくちゃいけないのに、探しているのはゼルドなのに、何をしているんだろう。
 俺の身体はどうしてあさましく震えているんだろう?




 痛い、痛い、痛い、激しく揺らされて、視界が涙で歪んだ。
 暗い夜空に伸びて行くダリアの花茎が見える。踏み荒らされたように何本も折れている。

 目を射す眩しい灯り。
「エヌ!巫子様」

 激しく身体を揺すられた。険しい顔をしたへベスがいた。どうしてそんなに怖い顔をしているんだよ。俺は…俺は…?寝起きの悪い頭で目覚めた時のようにへベスを見る。


 俺は酔っ払いが脱ぎ散らかしたように裸同然で、布の靴だけ履いた姿でダリアの花の中でへベスに抱え起こされていた。暗い影の世界から一瞬で引き戻されたのだと理解した。
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