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病気じゃない!
しおりを挟む俺は自分が病気ではないことを懸命にへベスに伝えようとしたが、自分のしようとしている事を隠しつつ行動の説明をする事はどうにも無理だった。
「すぐにでもお医者様に来ていただきます」
と言うのを宥めて、医者よりも今はへベスが横にいてくれるだけで眠れると言って、ようやく医者だけは明日の朝にしてもらえた。
「…へベスは俺に触るの嫌かもしれないけど」
俺はへベスの顔に恐れや嫌悪感が浮かんでいたらどうしようと思いながら呟いた。
「いいえ、嫌なのではありません。自分の醜さが巫子様に知れるのが恐ろしかったのです」
へベスは俺の言葉を遮るように言った。
彼の感情の分かりにくい三白眼には苦悶の色が浮かんでいるように見える。俺がそう思いたいからそんなふうに見えるだけかもしれないが。へベスは俺をエヌ、とは呼ばずに巫子様と呼んで俺の手を握った。
へベスは目を閉じて、何か言葉を探しているようだった。目を閉じるのは心の乱れを隠すためじゃないかな?と俺は思いながら、やっぱりへベスの睫毛は長くて、睫毛の上にマッチを何本乗せられるだろうかとくだらない事を考えた。
へベスの醜さって何だろう。
誰しも、心のうちに醜さがあるんじゃないだろうか?
俺がわかるのは石の声だけで、人の心が分かるわけじゃない。人の心の醜さが見えるわけでもない。
「へベス、何か誤解しているみたいだけど俺、人の心は分からないよ」
指輪の石がもとの主人の場所に帰りたいと言ったり、割れた石が一つになりたいと泣いたり、何の変哲もない石の塊が青い宝石を隠しているとこっそり囁いたり、そんな御伽噺のようなことがあるだけなんだ。
小さい頃微笑ましく思われたそれは、歳を経ると共に気違いじみた頭のおかしい行動に思われるんだ。
俺はへベスにそんなふうに思われたくなかった。
へベスは、自分がどんなに俺に酷い事をしているか自覚したと言ったけれど、へベスは忘れているようだった。最初にキスをしたのはへベスだけれど、触ってくれとねだったのは俺だ。へベスはちゃんと「ここに触れてもいいですか」と聞いて、俺は許可した。触ってよとへベスの手に押し付けたのは俺だ。
へベスは何も酷い事はしていない。
それを告げずに、俺はへベスの長い睫毛の上に自分の唇を乗せた。
翌朝、朝食前に医者が来た。星養宮に以前にも来てもらった事もある老医師だった。
老医師は俺の話を聞いて、脈を取り、よくあるように聴診器を当てて、瞼の裏や口の中を確かめた。
身体に悪いところなどあるはずはなかった。
「巫子には夢遊病の発症が多くて、お小さい頃に同じような体験をなされた事はありませんかな?」
その問いに俺は頷いた。
小さい頃の記憶の曖昧なあれは、力の発露だったのか夢遊病だったのかははっきりしないが、気狂いと呼ばれるよりは夢遊病と判断される方が良いに決まっていた。
「就寝前は酒や珈琲、念のため夕食に辛い物を食べる事も避けた方がよろしいでしょうな。それから運動や心身を刺激する行動は避ける事、寝室や廊下の明かりを点けて置くこと、窓は閉めて鍵をかけておくこと、ですかな」
それから、と老医師はへベスの方に向き直りこう言った。
「もし巫子様に遊行の症状が出た場合は、無理に目覚めさせると興奮したり分からずに怪我をしたりする場合もあるのでね、ベッドに戻るよう優しく誘導すること。もし階段付近まで歩いてしまったり、危険な時はお抱きしてお連れしても構いませんが、叱ったりはなさらないでください。夢の間のことは覚えていない事が多いのです」
部屋の角に控えていたへベスは神妙な顔で頷いた。
睡眠時遊行症などという病名がつけられて、念のために薬も後で届けさせると言われて、俺は戸惑った。
これは病気ではないと言う事を説明するのは、俺がしたい事を隠しながらでは、やはり難しかった。
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