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規則
しおりを挟むうあぁぁぁ!と俺は新種の動植物か何かでも発見したような声を上げてしまった。
たまたま目に飛び込んだ廊下の先を曲がって消えかけの後ろ姿。
あの子だ!
ぽわぽわの黄色いヒヨコみたいな頭の…ク、クロックス君!
慌てて追いかけようとした俺の身体はぱっと片腕で抱きとめられた。護衛官の黒い制服に包まれた、なんか意外なことに筋肉のしっかりついた腕なのだこれが。振りほどけない。
「巫子、どうなさったのですか?」
言外に大声を出してみっともないと声に滲ませた怪訝な顔をしたルゥカーフに止められる。
「あそこにお礼を言わなくちゃいけない子が。ずっと会えてなくて。今そこにクロックス君が」
ああ、とあの時の事情を知っていたシェスさんが頷いた。
「こちらでお待ち下さい。声をかけて参りましょう」
「授業もあるでしょうし生徒ならば日を改めて宮に呼びつければいいのではないですか?今でなくてはいけないのですか?」
護衛官の二人の意見は正反対だった。
俺の意を汲んでくれようとするシェスさんと、規則通りのルゥカーフ。
その言葉に俺は気後れしてしまった。呼びつける?そんなことして良いのかな?
お礼言うために呼びつけるとか変だよ。
走って追いかければ良いかとも思ったんだけど。でもルゥカーフが言ってる事もちょっと正しいか。彼の次の授業の移動とか準備もあるだろうし、俺みたいなのに突然声をかけられても迷惑だろう。
俺があれに参加しなければあの場にいた子達はそのまま特別な魔導の講義を続けられだろうのに。取りやめになって結局すごい迷惑かけちゃってるんだよな。
思い出すと足を踏み出せなくなった。
本当は何より先にお礼とお詫びを言わなくちゃいけない相手なのに。忘れてたわけじゃ…うう、いや、忘れてた。頭から抜け落ちてた。
自分の駄目さ加減に呆れてしまう…。
学業に関することであれば学舎の談話室や一時的に聴講室を借りて、私的な事であれば巫子宮に招くような形になさいと、これまたルゥカーフに指摘され、クロックス君を追いかけるのは今日は諦めた。
学舎が休みの週末の昼過ぎあたりに招いてはどうかとシェスさんに提案された。
俺の予定なんてあって無いようなものだから、いくらでも相手の都合に合わせるんだけど。
「エヌ様は殿下や巫子の立場と云うものをおわかりでないようですね」
具体的な名前を出さずに事のあらましをシェスさんが要領よくルゥカーフに話してくれたんだけど、聞いたルゥカーフの第一声はこれだった。
「アルテア殿下がその席を設けなかったということはあなたが礼を言う必要がないと判断されたからですよ。その生徒はして当然の行いをしたに過ぎません。むしろ防げなかった時点で無能です。巫子に無礼を働いた奴は不敬どころか獄舎に繋いで鞭打っても足りぬほどです。処分が甘すぎる」
一瞬表に浮かんだ怒りが、獲物を目の前に舌をちろちろさせた蛇みたいだった。
ルゥカーフ怖いよ。
あれだよね、ルゥカーフは王室とか巫子に尊敬の念以上のものがあるよね?
そのくせなんかちくちくするのは俺がルゥカーフの思う巫子像に合致してないからだろう。
ルゥカーフが思うようなお行儀の良さそうな崇め奉られる巫子とか俺無理だよ。そんなのなれそうもない。
聴講室から授業を見ていて、俺は普通の生徒がすごく羨ましかった。
みんな一見真面目そうに受けているように見えて、後ろから見ていると、丸めたメモを飛ばしたり、顔を寄せて笑いあったり肘打ちしたり楽しそうなんだもん。
普通の服を着て、護衛官無しで教室に入って行けばきっと誰も俺が巫子だなんて分からないだろう。
うまく溶け込んであの場の一員になれると思うんだけどなぁ。話す友達は今はいないけど。そこは、これから希望観測的に友達とか、出来たりしないだろうか…。
聴講出来るだけありがたいと思わないといけないのかな。本当は学校なんて孤児には無縁なもので裕福な子しか行けないわけだし。
聴講室からみんなの後ろ姿を見ていると、沢山人がいるのに一人ぼっちになった気がするんだよな。
一人でいるより独りぼっちな感じだ。
これだけ恵まれているのに寂しいとか訴えるのは贅沢な気がして言えそうに無い。というか、目の前の腕組みして語るルゥカーフには言いたくない。
言うならやっぱりヘベスにだよな。
ネフェシュの巫子は幾つなんだろう。ヘベスが行って面倒を見てるからたぶん性別は男なんだろうけど、一緒に聴講できたりしないかな。
クロックス君へのお礼の事も、一度ヘベスに相談したい。もし星養宮に来てもらうのなら尚更だよな。
星養宮への帰り道、ルゥカーフは星養宮に側仕えは他にいないのかと聞いてきた。側仕えが二人の巫子を兼任することは殆ど無いと言うんだ。
「…ええとねぇ、黎明宮の側仕えの方がお怪我をされたから、それでヘベスが手伝いに行っているだけだから」
俺はハティとイレーヌさんの名前をあげずに言った。イレーヌさんのお怪我が治ってハティがレベリオに、あるいは黎明宮にいることに慣れたら?きっと元通りになるはずだし。
「あなたは自分が蔑ろにされているのが分からないんですか?」
ルゥカーフは呆れ顔で焦れたのか口調も強くぐいぐいと迫ってきた。
衣食住これ以上はないくらいに良くしてもらっている。へベスがちょっといないだけで、そもそもが側仕えがいなくても俺、結構長く一人でいたし。不便はない。蔑ろになんてされていない。
「そもそも規則では…」
尚も言い募ろうとしたルゥカーフの横っ腹をシェスさんが肘で小突いた。
「そもそもも何も規則は何のためにあるんだ。巫子宮の規則は巫子が快適に過ごすためのものだろう?お前がつべこべ言うことじゃない。巫子に不快な思いをさせるな」
おおお、シェスさんがルゥカーフをやり込めた。
シェスさんて波風立てずに人にあわせる感じだと思ってた。
シェスさんは飄々としてたけど、ルゥカーフはまだいい足りなさそうに赤茶色の目をぎらぎらさせていた。ただそれでも口角を下げて不満顔で口をつぐんだ。
「巫子様にご不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございません」
「え、いや、あの心配してくれてるのは分かるから。ほんとに蔑ろになんてされてないから。良くしてもらっているから」
ルゥカーフが何にでも難癖をつけたり嫌味を言う奴じゃ無いことは分かっているのだ。謝って欲しいわけでもないしな。
そうして出迎えの無いヘベスの戻っていない星養宮に帰り、二人が居室の確認をする。挨拶をして二人が部屋を出ていってほっとした。
人がいるのに寂しく感じたり、誰もいないことに安堵したり俺自身も自分の気持ちに戸惑うよ。
それがまさか、この日の事がきっかけでああいう風になるとは…俺は全く想像もしていなかった。
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