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私信室
しおりを挟む食堂に行くとがちがちの笑顔を貼り付けたブルッティさんが菓子皿を出してくれた。
明るい茶色の少し波打った髪に、同じ色のつぶらな瞳のブルッティさんは、良い家の小さな室内犬みたいにぶるぶる震えていた。
緊張で後ろに卒倒しちゃうんじゃないかと心配になるぐらいだ。
あ、おれ、怖い人じゃないからね。大丈夫だからね。言わなきゃ通じないんだけど、言うと余計に緊張されそうだった。
「うわぁ、美味しそうだね。ありがとう」
俺の言葉に頭の天辺から崩れるみたいに頷いて深々とお辞儀をして彼は早足で逃げるように厨房に飛び込んで行った。
お皿の上には何種類化のナッツを練り込んだ棒状の小さいケーキが鎮座している。
厨房からはほわんとコーヒーの香りが漂ってきた。
「おまたせいたしました」
にこやかにマウロさんが淹れたてのコーヒーを運んでくる。
カップの横に卵にくちばしをつけたようなちいさなミルクピッチャーがついていた。
角砂糖も別にされている。
コーヒーをそのまま一口。
うん、苦い。ぎゅわっと頭の側面に何かが走り抜けていく感覚がある。
おれはそれから砂糖を足し、ミルクをたっぷり入れた。
ケーキはナッツがさっくさくで香ばしく、甘さは控えめだった。その分ナッツのそれぞれの味がわかる。
「お口にあいますでしょうか?」
これが、あわないはずがない。
「すっごく美味しい、です!」
いや、もう、なんだろうこの違い。セルカにだってクリームのパイとか焼き菓子だってあったけれど。
お祭りの後に砂糖で出来た人形を金槌でかち壊して、割れた破片を大事に食べたりしてけれど、あれが菓子とは思えなくなるくらいに。素材も違うけれど腕も違う。
マウロさん…天才じゃないかな。香りと見た目だけですでに人を幸せな気分にさせるのに、食べてまた幸せ、食べた後も人を幸福な気分のままに出来るんだから、マウロさんが巫子だったら良かったのに。
作った物で人を幸せに出来るのなら何にも出来ない巫子よりずっと国のためになるよ。
マウロさんの菓子宮とかあれば、俺熱烈信者になっちゃうのになぁ。
「このケーキまだある?」
「はい、もう一つおあがりになられますか?」
「あ、ううん。私信室にヘベスの代わりのル…ハイグさんがいるから、休憩にどうかと思って」
「かしこまりました、ご用意いたしますのでお待ち下さいませ」
心の中で呼び捨てだからついうっかりルゥカーフって呼び捨てにしてしまう所だった。
いろんな人から敬称は不要ですって言われてるんだけど。
マウロさんが厨房に消えて、程なくして顔面蒼白なブルッティさんが銀色のワゴンを押して出てきた。
いや、そんな戦地に旅立つような悲壮な顔つきをされると…いや、うん、でもルゥカーフって怖そうだもんね…。わかるよ。
「いいよ、話したいこともあるし俺が押して行くから。ありがとう」
ブルッティさんは困ったように口をぱくぱくさせた。
「あ、巫子様、私が…」
「いいよ、側仕えって身内みたいなものだし、お客様の時はお願いすると思うけど。俺が持って行くから」
厨房から出てきたマウロさんを手で制して、俺は銀色のワゴンを押して出た。
ルゥカーフには何回か護衛についてもらってるけれど、代理としては初めて勤務するわけだし一回ぐらいはこういう事をしても良いんじゃないかと思ったんだ。コーヒー好きそうだし。
本当は行かない方が良いような気がする。ヘベスは時々一緒に飲んだり食事も頼めば一緒に食べてくれたけど、ルゥカーフはそういうのは嫌な顔をしそうだよなぁ。
彼は規則から外れるのが嫌いみたいだし。
彼が思う巫子像から、俺は大きく外れているに違いなかった。
どうして彼が代理になったんだろう。
気にはなるけど、本人には聞けそうもない。
一階の静かな奥まった場所にある私信室は星養宮に来てから一度案内されていたけれど、使うことはなかった。
何か書くような事は部屋でやっていたし、手紙の処理なんかはヘベスがやっていたから。
手紙を書くような相手もいない…と思ったけれど殿下とファルカ様に何か書いたほうが良いのかもしれない。
私信室の黒っぽい重厚な扉は片側だけが開け放たれて、窓からぬける風のとおり道みたいになっていた。
扉を締め切らないのは入って良いよって云う暗黙の合図なんだってね。
覗き込むと眼鏡をかけたルゥカーフが険しい顔でこちらを見ていた。
静かに来たつもりだけど気づかれちゃったか。
「何をなさっているんですか」
うわぁ眉間の皺は深く、声まで刺々しぃ。想像どおりだ。
にっこり笑って出迎えて欲しいとは言わないけれど、もう少し大人の態度で紳士的に振る舞ってよ。
「お茶は食堂でと申し上げましたが」
「お茶はもう飲んじゃったよ。これ、美味しかったから休憩して食べてよ」
「私への気遣いは不要です」
答える声も硬質だ。
「ナッツのケーキ、すごくおいしいんだよ、ね?」
なにが、ね?だと自分でも思わない訳じゃなかった。
雨に濡れた仔猫作戦だ。前に効果のあった大根役者の振る舞いは、今回もそれなりに効果があった。
ルゥカーフは仕方なしというふうに立ち上がり、つかつかと近寄ると、ワゴンの上のカップからコーヒーを一口だけ飲んだ。
味わうというより、熱さを確かめるような呑み方だった。それからがぶっと丸呑みするようにケーキを食べた。
ぼりっぼりっとナッツを噛みしめる音が響き、彼は残りのコーヒーを飲み干して、俺を見下ろした。
一分かかったかどうかの早さに俺は呆気に取られて見上げる。
「私があなたに求めるのは巫子としての振る舞いであって、メイドや給仕の真似事ではありません。今後一切このような気遣いは不要です」
それはもうきっぱりと、切るように言い渡された。
うん、なんか想像はしていたんだけど。「おいしいね」の一言ぐらいはあって良いんじゃないかと思うんだけど。
ルゥカーフの言うのが正しいのかな。
俺とヘベスの関係が、近すぎただけで、これが普通なのかな。
ルゥカーフはワゴンは私が片付けますと言い、俺に手紙の束を渡した。
「…あれ?封が開いてる」
封筒の全てが切られていた。
てっきり封が開けられるのは、招待状や案内状だと思っていた。
セルカから届いたファルカ様からの手紙も封を切られていたのだ。
「お聞きになっていませんか?星養宮に届く全ての手紙は検閲されます。もしどなたかに送られる場合は封をせずにお出しくださいと、言われませんでしたか?」
なんだか可笑しかった。
この場所に私信室なんて名前がついていても検閲されちゃうなんて。全部見られちゃうのに私信なんて変だよ。
前にこの宮にいた巫子は、検閲されるのを前提で手紙を書いたのかな?
「これ、部屋で読むね」
俺はルゥカーフに返事をしなかった。
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