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番外編 その2
大公殿下の策略
しおりを挟む「グエナエル嬢を罰してはいけませんよ」
後宮は王妃の部屋。現在は大公殿下の部屋にて。レティシアの言葉にロシュフォールは無言で『なぜだ?』とギロリと己の伴侶をにらみつける。
お腹がふっくらとしてきたレティシアの姿は、コルセットのない白いゆったりとしたドレスもとい、長衣だ。レースが袖にも裾にも幾重も波打つようなガウンで、肩には透けるショールを羽織った姿は、さながら背に羽を背負ったようだ。
そのままお空に飛んで行っては困るという訳では無いが、金獅子の王は愛しい銀狐が出迎えに出れば、ひょいと抱きあげて長椅子に座る。当然のように己の膝にのせた。
獅子の特徴的な尻尾はぴたんぴたんと、空いた座面を打ちその苛立ちを表している。なだめるようにレティシアが細い指を伸ばして、その精悍な頬をそっと撫でる。
「あの女はな。『大公殿下が陛下をお慰め出来なくてお寂しいでしょう?』と、不躾に身体を押しつけてきたんだぞ」
大公殿下とはレティシアのことである。ロシュフォールの子を身籠もったことで、彼には王妃と同格の大公の称号が授けられた。
実質上の正妃といえる。
レティシアは同時に王であるロシュフォールの参謀であるが、今は妊娠中ということで表での公務は控えている。
それで、今日は王宮にての夜会。レティシアが出られないならと、しぶるロシュフォールを「外国の使者も来ているのに、王としての挨拶だけでもしてきてください」と送り出したのだ。
「夜会の初めだけで出ていこうとしたら、あの女は控えの間で待っていて、俺に迫ってきたんだ。引き離してそのまま出て来たがな」
そして彼が苛立ちもあらわに戻ってきたのには、あまりにも予想通り過ぎて、レティシアは笑ってしまう。
「なにがおかしい?」
「いえ、妻が妊娠中の夫の浮気というのはよくあることです」
「俺はしないぞ!」
「だから彼らも焦ったのですよ。あまりにあなたに“隙”がなさすぎるから」
なにしろ、昼間は真面目にレティシアの分の執務にまで精を出して、貴族達の夜のお誘いどころか、茶会の誘いも「身重の伴侶のそばにいたい」と断る始末なのだ。
実際、ロシュフォールの行動も表の執務室と後宮への往復で毎日終わっている。
こんなとりつく島もない王に、貴族達が焦ってなにか仕掛けるのは当たり前だ。
「お前、わかっていて!」
「陛下だって感じていたから、早々に夜会から帰ろうとしたのでしょう? 私が妊娠しているあいだに、あなたに愛妾を勧めようとする貴族達から」
それが彼らのあたり前であるのだ。いくら、ロシュフォールがレティシアのみを愛していると主張しようと、正妻に愛人がいるのが貴族の常識というものなのだから。
実際レティシアも辺境伯の妾腹の子なのだ。
「この国には婦人が男性に強引に迫った罪というのは存在しません。もちろん国王のあなたとて例外ではない」
「では、あのグエナエルも、あの娘の父親であるベセギエ子爵にも責任はないというのか?」
たしかに貴族の娘が、父親の意向もなしに国王を誘惑するなどということはしないだろう。
「そうですね、父君をせいぜい呼び出して、娘をよく躾けるようにと“いやみ”ぐらいは言ってもいいでしょう」
「“いやみ”だけか?」
ロシュフォールは顔をしかめる。未だしっぽはパタパタ動いて、その苛立ちを示している。
まあ、今回のことだけではない。自分が後宮に引っ込んで、表のロシュフォールのそばに居ないことから逆にこの機会にと、やんわりと彼に愛妾を勧める者達は多いのだ。
この間もとある伯爵がロシュフォールに直接ではなく、他の者と談笑していて「大公の位と王妃の位は同時に存在しえるものです。いやいや、他の国のお話ですよ」などと言っているのを聞いたと、ロシュフォールがぷんぷん怒っていた。
その伯爵はもちろんロシュフォールの耳に入れるためにそんなこと言ったのだ。そこでロシュフォールは「そう、あくまで他の国の話だな。我が国は大公ただ一人しかいない」と逆に朗らかな声で言ってやった。
にいっと笑った獅子王の威嚇に伯爵は青ざめ「もちろんですとも」と会話をしていた同じ顔色の相手と、うなずきあったという。
「よく怒らないで、見事に切り返ししましたね」とその日報告を受けたレティシアは、自分を膝にのせておいてから、そんな愚痴をこぼす金獅子の王の頭を撫でてやったのだ。
「王に愛妾を勧めた罪というのも、国にはありませんよ」
「いっそ愛妾制度を廃止するか?」と言ったロシュフォールに反対したのはレティシアだ。それでは他の貴族達の愛人も庶子も認められなくなり、王家を支える貴族の家が断絶すると。
もっともそれは表向きで、ロシュフォールの代はいいとして、次の王の代に必ずその正妃が子を産むとは限らないというのがある。愛妾制度というのは王家の血を絶やさないための備えなのだ。
そんなことをロシュフォールに言えば、「お前は愛情がわかっていない」だのなんだのすねそうなので黙っているが。
ともあれ、自分が表に出られないあいだ、一人で貴族達の相手をしているロシュフォールのイライラも限界だろう。それが王の役目とはいえ、よく我慢しているとは思う。
「侍医の話では、私は安定期に入ったそうです」
「そうか」
「それで、提案があるのですが」
レティシアは口を開いた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
その後、夜会の翌日にベセギエ子爵が国王の執務室に呼び出された。冷や汗をかく子爵に王はひと言。
「グエナエル嬢に伝えてくれ。香水をつけすぎではないか? とな。失礼ながら、あまりに近くに来られすぎて、気分が悪くてかなわなかったからな」
ようはお前の娘を二度とそばに寄らせるなという警告である。
さらにその数日後に、安定期に入った大公殿下主催のお茶会が開かれると発表された。その招待状の案内を見た貴族達は青ざめ、忙しく動き回ることになるのだが。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
お茶会は身重の大公殿下のことを気遣って、野外ではなく大広間で……ということになった。今回は子供達が招待されることはなく、むしろ若い男女が多かった。
それというのも。
皆が緊張した面持ちで集う中。おなりの言葉とともに、現れた金獅子の国王と、その白い手を取られた大公殿下の姿に人々は目を見開いた。
身重の身で、どんなお姿で? と噂されていた大公殿下はまっ白なドレス、いや長衣姿だ。コルセットで腹を締め付けることはない、ふわりとした線のもの。
後宮で着ているものではなく、本日のために仕立てさせた、総レースで裾を長く引くものだ。やはり白はこの銀狐には良く似合う。
髪は女性のように結うことなく、ただ、下ろしたまま。しかし、その蒼銀の髪の輝きには、どんな宝石も白金の飾りもいらなかった。化粧など必要のない白く人形のように整った面には、一つの宝玉の蒼の瞳が冷たく輝いている。
いくら美しくても男だ……と宮廷雀たちは影で言う。が、本人を前にすれば沈黙し、ただその美しさに圧倒されるのみだ。それは豪奢なドレスに髪を凝って結い上げて宝石で飾りたてた女達も。
愛しい銀狐の肩を抱いた金獅子の国王が、上機嫌で今日のお茶会を楽しんでくれと、集った者に挨拶をし、そして、お出ましをしたばかりだというのに、彼らは早々に退席してしまった。もちろん、これは大公のお身体を気遣ってのことだ。
では、なぜ大公殿下の名で、お茶会など開かれたといえば。
国王と大公が去ったあとは、一斉に自分の娘や息子をつれた貴族同士が挨拶しあう。
これは実質上の集団見合いだ。
それがこの茶会のもう一つの趣旨だった。大公殿下が安定期に入られての久々に皆への顔見せ。そしてもう直に生まれてくるだろう御子の誕生を祝い、その幸せを“みなに分けたい”と。
ぜひぜひ、適齢期のご子息、ご息女方と伴って……などとあれば、お茶会の主旨などわかっている。
もはや陛下に娘をぜひおすすめしたい……などと言っている場合ではない。王宮の主催の集団見合いの茶会で娘があぶれたとなれば、社交界の良い笑い物である。もちろん息子を連れていく貴族達も。
かくして茶会の前にはすっかり、どの家がどの家の息子と娘を紹介しあうか決まっている状態であった。そのあとは婚約の運びとなる。
そして婚約者がいるとなれば、当然その娘を陛下の愛妾になどと口に出せるわけもないわけで。
こうして、ロシュフォールは愛妾問題にわずらわされることはなくなった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「王の参謀殿は後宮に籠もられていても、策略家だと皆が噂している、そうだぞ」
「私だって強い香水の匂いは嫌いですから」
「なんだ、実は妬いていたのか?」
「誰だってそうでしょう? だって」
「私だってあなたをとられたくない」とまるで内緒話をするように、ささやいた銀狐に、金獅子は思いきり……いや身重の伴侶にそれは出来ないと、そっと包み込むように抱きしめたのだった。
ゆらゆら銀色のふんわりしたしっぽが揺れているのに、金色の目を細めながら。
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