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番外編 その2

名誉のかみあと、二つ

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「陛下には話さないでいただけますか?」

 後宮。王妃の間、いや、今は大公の間と言うべきだろうが、そのままになっている王妃の住まう、隣の王の間と並んで、一番豪奢な部屋。

 その寝室の寝台からレティシアが身を起こせば、世話係のメイドのアリエメが、背中にクッションを入れてくれる。

 レティシアが身籠もってから、朝と夕の侍医の検診が日課となった。レティシアの言葉に王宮侍医長である犬の侍医は、灰色の髭におおわれたあごに手をあてて、考えこんだ。

「双子であると陛下には秘密になさると?」
「はい。双子と聞いてお喜びになるでしょうが、しかし、聡いお方でもあります。すぐに二人も産むなど、危険ではないか? とお尋ねになるはずです。
 そうなればあなたは、今のように正直に答えざるをえない」

 侍医はレティシアの言葉に気まずそうな顔で押し黙った。

 彼が「正確に確認するために五日ほどご様子を見たのですが」と切り出したのは、レティシアのなかには二つの命が宿っているとのことだった。

 それにメイドのアリエメは「おめでとうございます」と素直に喜んだ。御子をご懐妊されただけでもめでたいのに、それもお二人もなんて! とたしかに単純に喜ぶべきだろう。

 しかし、レティシアは冷静だった。

「元から出産は危険を伴うものですが、私は男性です。それを二人ということは、さらにその確率はあがるということですか?」

 とたんアリエメの表情も喜びから一転、硬直した。垂れたうさぎの耳が、さらにへなへなと力を無くしたように見えるのに、レティシアは「私にも侍医長にもお茶を煎れてください」と命じた。こういうときは、なにか作業していれば気が紛れるものだ。

 「はい」とアリエメが下がるのに侍医長は「ご聡明な大公殿下にはなにもお隠しはできませんな」とハンカチでひたいの汗をふきふき。

「殿下はもとより男性。女性であっても双子となれば、その身体にさらにもう一人分の負担がかかるものです」
「ではこの先の妊娠も出産もさらに危険であると?」

「初めに申し上げたとおり、一定の確率で死産や妊婦の死亡があることは事実です。ですが、大公殿下におかれては、多少のつわりのひどさがございましたが、それも乗り越えられて安定期にはいられました。これまではご自身のお身体も、ふたりの御子の心音もハッキリしております」

 「ですから、双子だとわかったのですが」と侍医は続ける。

「もちろん私ども、侍医としても大公様のお身体と御子を全力でお守りする所存です。出産にも万端の準備を整えましょう。もちろん双子のご誕生にも対応いたします」
「よろしくお願いします。それから、陛下にはこのお腹のなかの子が双子であることは伏せておいてください」

 レティシアは侍医に双子だと言われたときに、告げた言葉をくりかえした。アリエメがお茶をもってきて、寝台から身を起こしたレティシアと椅子に座る侍医とのあいだの小卓にカップを置く。

 レティシアがそのお茶に口つけると、侍医長もまたカップを手にとる。

「陛下には内密に、偽りを報告されよと?」

 大きな熊の身体を丸めて、憂い顔の侍医長に「嘘をつけとは言っていません」とレティシアは応える。茶菓子の干しナツメを一口かじる。甘くてコクがある味が口中に広がる。ナツメは栄養があるからと小食のレティシアのことを考えた侍医長からも、一日三粒は食べるようにと、すすめられている。

「黙っていればいいだけです。無事に御子が産まれたならば、その喜びに双子であったことを“報告し忘れた”ことなど、おおらかな陛下は気になされないでしょうから」

 「もし、万が一陛下がお怒りになられるようなことがあれば、私があなたの責は問わせません」とのレティシアの言葉に侍医長はそれでも「はあ」と承知しかねる表情だ。

「私の妊娠が分かっただけで、落とせば割れるたまごのように気遣われた陛下です。
 今は私の分のご公務も抱えてお忙しい身。ご心配をこれ以上かけたくないのですよ」

 「わかってください」とレティシアの珍しく軽く微笑を浮かべたその表情に見とれて、侍医長は「かしこまりました」とうなずいたのだった。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



「アリエメもこのことは陛下に黙っていてくださいね」

 侍医長が帰ったあと、レティシアが言えばアリエメは少し困った顔で「はい」と答える。彼女の直接の主人はレティシアであるが、王であるロシュフォールに問い詰められれば、逆らえないだろうことはわかっていたから「黙っていればいいのです。それでも訊かれれば答えなさい」と告げる。

「よろしいのですか?」
「あの方は、あれぞ野生のカンというのか、理屈ではなく、小手先の嘘を見抜きますから。ごまかしても無駄です」

 困ったことにレティシアのように知識や理屈ではなく、彼はひと目見ただけで、その相手の人となりをズバリと見抜く目がある。王には必要な資質だ。

 侍医長にもあえて語らなくてもいいが、訊かれたならば正直に言っていいとも、アリエメと同じ事を告げてある。

 それでもレティシアが双子のことを隠すと決めたのは、ロシュフォールのあの心配性ゆえだ。

 彼に心労をかけたくないというのも本当だが、もう一つ。

「正直、めんどくさいのです」
「はい?」
「子供を身籠もったときでも、ああだったというのに、これで双子までとなれば、今度こそ絶対に寝台の外へと出るなと言いだしかねませんよ、あの人は」

 ふう……とため息をつくレティシアに、アリエメが思わずといった風にクスリと笑った。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 そして、レティシアは無事に、金獅子の御子と銀狐の御子の二人を産んだ。

 ランベールとミシェルと名付けられた二人の王子の誕生に王宮や王都のみならず、国中が沸き立った。レティシアの狙いどおり、この祝いの雰囲気にロシュフォールへの侍医団からの双子の報告がなかったことは、うやむやになってしまった。






 そして御子が産まれて一月。レティシアはまだまだ政務へと戻ることなく、後宮にて身体を休めている。女性でさえ身体が徐々に回復し軽い運動が出来るまで一月以上はかかると言われ、大公殿下の場合、自分達もわからない男性妊娠であったのだから二月と言われていた。

 レティシアとしては自分の身体のことは一番よくわかっているのだから、もう政務に復帰しても……と思うのだが、侍医より、今、眠りにつこうとしている寝台の横にいる伴侶が許してくれない。

「さて、寝るか」
「はい」

 ロシュフォールは読んでいた本をぱたりと閉じた。寝台に入り寝る前の少しの時間、本を読むことを彼は習慣としていた。

 十歳の姿のまま時を止めてからは、家庭教師達の授業などろくに真面目に受けなかった。それを埋め合わせするように、少しでも王としての知識を吸収しようと。

 その彼の寝間着のめくりあがった袖からは、レティシアの白い腕よりも、太くたくましい腕がのぞいている。きっちりと筋張った筋肉のついた、そこだけとっても彫像のように完璧な造形だ。

 完璧な腕には、この一月で大分薄れたが、二つの赤い歯形があった。レティシアが双子を産んだときに思いきり彼の腕に噛みついたあとだ。

 レティシアの視線がそこにあるのに、ロシュフォールが笑って「名誉の勲章だな」と微笑む。

 そうして、レティシアの細い肩を抱きよせて横になりながら。

「二つのかみあとが出来ることは、わかっていたんだ」

 その言葉にレティシアは軽く蒼い瞳を見開いた。ではロシュフォールは自分が双子を身籠もっていることを知っていて、黙っていた? 

 その双子はいま、選ばれた五人の乳母達の手に預けられている。男であるレティシアの乳は当然出ないから、乳母達は厳選された者達ばかりだ。

 当初の三人から五人になったのは、双子の誕生を想定してだ。

 昼間はレティシアも政務のないことから、双子達のそばにいるが、夜は体力をつけて寝る時間だと、ロシュフォールにさっさと寝台にほうりこまれてしまう。

 そのロシュフォールとて、暇があれば昼の昼休みでも赤ん坊達のいる部屋をのぞきにきている。乳飲み子であるから、大半は寝ているだけなのだが、それでも飽きることなく幸せそうに、金獅子と銀狐の息子を見つめて目を細めていた。

「お前だって俺の耳がいいことを知っているだろう? お前の腹が予想外にふくらんでいくのにもびっくりしたが、鼓動が二つあるのもわかっていた」

 獅子族はあらゆる種族の中で体格に優れ力も魔力も強い。さらには先祖に近いともされていた。だから、他の種族が人らしい生活の中で失った、鋭い聴覚や嗅覚にも優れている。

 そこから勘の良さもきているのかと、レティシアは「私が侍医達に口止めしたのです」と話す。「それも侍医長から聞いた」とロシュフォールは少し不機嫌そうに言いながら、レティシアの銀色のすんなりした髪を指ですく。

「お前が俺に心配をかけたくないと言うなら、俺も黙っていようと思ったのだ。ジタバタ心配しても仕方ないとな」
「王らしく器が大きいと言いたいところですが、そのわりに、私の出産のときにはずいぶんと慌てていらっしゃったような?」

 もう一人生まれるとレティシアが言ったときには、まるで初めて訊いたかのように驚嘆していたロシュフォールを思い出してレティシアがくすくす笑う。「……あれはお前の出産にすっかり動転していたのだ。一人目が生まれてホッとして、もう一人いることがすっかり頭から飛んでいたというか」

「だから、私は出産にお立ちあいにならなくても、隣室でお待ちくださいと申し上げたはずです」
「隣の部屋で状況が分からずイライラするより、現場でみっともなくオロオロしたほうがマシだ」

 開き直ったような彼の発言に、レティシアは少しあきれてしまう。自分を抱き込む腕の、ちらりと見える赤い二つのかみ跡に、細い指をそわせて。

「でも助かりました。おかげでみっともない悲鳴をあげなくてすみましたから」
「お前が叫びたいなんて、それほど痛かったのか?」

「ええ、死ぬほど」
「し、死ぬ?」
「実際に死んでませんよ。私は生きているでしょう?」

「そうだな。この俺の腕の中にいる。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

 そうして、金獅子と銀狐の番は今日も抱き合って眠りにつくのだった。






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