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【2】契約結婚
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「あ、それから退職金と年金の手続きもお願いします。老後のこともあるので」とフィンドリックの口調はあくまで事務的だ。
「もちろん、生まれた子供の養育も、団長と相談して、誠実に取り組みたいと思います」
「もちろん、君の仕事ぶりは私が一番よくわかっている。しかし、子供を産むのだぞ。本当によくわかっているのか?」
「正直、出産には苦しみが伴うことしか分かっていません。子育ても未知のものですし、ですが……」
そこでフィンドリックはいったん言葉をきり、室内の明かりでは紫色の、ロワイドの切れ長の瞳を見る。
「メッサリーナ王女とご結婚なされますか?」
「それはご辞退申し上げる!」
長考のロワイドと呼ばれる彼にしては、珍しくも即答であった。
メッサリーナ王女とは、現王の末っ子で王族には珍しいオメガ。美しく可愛らしいと外見だけは評判だが、反比例するようにその行状の評判はよくない。
末の姫でオメガである。いずれはどこかに嫁ぐ娘故に、甘やかして育てられたワガママ娘の見本のようだった。
これまで耐えきれずに辞めた侍女は数知れず。
姫様が得意なのは殿方に甘えるのと泣きマネと拗ねることと、怒って侍女に狙いを外さす物を投げつけること……などと言われれば……だ。
そのメッサリーナがロワイドに目をつけた。宮殿の夜会にて、これまでの経緯から周囲はなるべくとロワイドを王女の目に触れないようにしていたらしいが、ついに彼女は評判の英雄を見て。
一目で夢中になってしまったのだ。
そして、茶会にロワイドを招待した。まあ、王女の誘いとあれば断りきれない、強制的なものだったが。
しかし、それは茶会とは名ばかり、行ってみれば王女の私室に二人きり。あげく、王女はロワイドの茶に媚薬を仕込んだ上に、自分で強制的にヒートを起こす薬を飲んで、娼婦よろしくしな垂れかかったというから、本当に王女様か? と思える行為だ。
ロワイドは媚薬を飲まされながらも、鉄の意志で王女を「失礼」と突き放し、彼女専用のサロンを退出した。早足で王宮を駆け抜けて、フィンドリックが待機していた控え室に飛びこんできた。
「どうしたんですか? 団長!?」
尋常でない様子に駆け寄ってきたフィンドリックに答えず、ロワイドは自分の端正な顔半分を片手で覆った。
そして、その白手袋を吐瀉物で濡らした。
フィンドリックは狼狽えている騎士見習いの青年に洗面器と数枚のタオル、それにたっぷりの水を持って来るように命じた。
ロワイドは届けられた水をがぶ飲みし、自分で喉に指を突っ込んでさらにはき続けた。そのあいだフィンドリックはロワイド背をさすり続けた。
口をすすぎ、顔をタオルでぬぐったロワイドは、ひと言、フィンドリックに告げた。
「鼻が曲がりそうな匂いだった……」と。
運命の番という言葉がある。文字通りアルファにとっての唯一のオメガという意味だ。そのフェロモンはたまらなく甘く本能に訴えかけ、誘うらしい。
「まさか、その逆があるとは思いませんでした」
とは、媚薬を盛られたロワイドを念のためと、フィンドリックが勧めて騎士団専任の軍医に診せた。その軍医の言葉だ。彼は「アンチフェロモンと言うべきでしょうかな」と笑い。
「しかし、王女様相手ではとても言えませんな」
急に真顔になった。
「メッサリーナ王女は無理だ。息を止めても、あのフェロモンが毛穴から侵入してくる、おぞましい感覚なんだぞ」
王女に対しておぞましいとは大変不敬であるが、ロワイドは思い出すだけで吐き気がすると、青ざめて口許を押さえている。毛穴からとは、相当だったのだろう。
「結婚するのにお相手が生理的に無理というのはどうしようもありませんね。初夜の床で役に立たないなど『英雄』の名に疵がつきます」
「私の名誉などどうでもいい。そもそも一服盛ったうえに、男にしなだれかかるなど、場末の娼婦でも客にそんなことはしないぞ! 問題外だ!」
思い出すとよほど腹が立ったのか、戦闘以外ではいつも静かなロワイドが、珍しくも語気を荒げる。あくまで冷静なフィンドリックにしても、王女様に向かい『生理的に無理』だの、自分の上官の団長に『役に立たない』だの言いたい放題である。
「君達、この会話を聞かれただけで不敬罪で、牢屋に放り込まれるよ」
参議のベルノルドは困ったとばかりに苦笑する。場所は三人しかいない団長室。万が一、盗み聞きする騎士団員などいても、人望の厚い団長と有能な副団長のことを密告するような者は一人もいないが。
「しかし、相手は王女様だ。いままでのような断り文句は効きませんぞ」
「王家も今回は乗り気ですしな」とベルノルドが困ったとばかりに腕組みする。甘やかし放題で育てた問題王女のよい押しつけ先を見つけたとばかりに、あちらは熱心なのだ。彼女の悪い評判もロワイドの英雄の光の影に隠れるとばかり。王女に莫大な支度金を持たせ、毎年の化粧代の年金も彼に公爵位を与えるとまで言い出した。
国の英雄と呼ばれ、平民の身でありながら王国騎士団長までのぼりつめた。それにして公爵位とは破格の待遇ではある。
「私は爵位も莫大すぎる財にも興味はない。だいたい貴族の付き合いなどというものが、面倒くさくていままで結婚話を断り続けていたんだからな。あの王女自体に問題がなくてもゴメンだ」
「まして、あの王女様では円満な家庭生活など望むべくもないですからね。副団長としては団長の精神の安定も大切です」
「騎士団の中も嵐、家庭内も嵐では話にならん。まだ男のお前と気安く話を出来る方がいい……あ、すまん」
ロワイドが『まだ男のお前と……』という発言がよくないと気付いて謝る。フィンドリックは「いいえ、お気になさらず」とまったく気分を害していない……いや、むしろ、いつも淡々としている彼らしくなくニッコリと微笑んで。
「では団長としては、俺との『契約結婚』に異存はないということですね」
『契約結婚』の言葉にその太く男らしい眉をぴくりと動かしながら、ロワイドは頷いた。そして躊躇いがちに口を開く。
「……君はいいのか?」
「もちろん、生まれた子供の養育も、団長と相談して、誠実に取り組みたいと思います」
「もちろん、君の仕事ぶりは私が一番よくわかっている。しかし、子供を産むのだぞ。本当によくわかっているのか?」
「正直、出産には苦しみが伴うことしか分かっていません。子育ても未知のものですし、ですが……」
そこでフィンドリックはいったん言葉をきり、室内の明かりでは紫色の、ロワイドの切れ長の瞳を見る。
「メッサリーナ王女とご結婚なされますか?」
「それはご辞退申し上げる!」
長考のロワイドと呼ばれる彼にしては、珍しくも即答であった。
メッサリーナ王女とは、現王の末っ子で王族には珍しいオメガ。美しく可愛らしいと外見だけは評判だが、反比例するようにその行状の評判はよくない。
末の姫でオメガである。いずれはどこかに嫁ぐ娘故に、甘やかして育てられたワガママ娘の見本のようだった。
これまで耐えきれずに辞めた侍女は数知れず。
姫様が得意なのは殿方に甘えるのと泣きマネと拗ねることと、怒って侍女に狙いを外さす物を投げつけること……などと言われれば……だ。
そのメッサリーナがロワイドに目をつけた。宮殿の夜会にて、これまでの経緯から周囲はなるべくとロワイドを王女の目に触れないようにしていたらしいが、ついに彼女は評判の英雄を見て。
一目で夢中になってしまったのだ。
そして、茶会にロワイドを招待した。まあ、王女の誘いとあれば断りきれない、強制的なものだったが。
しかし、それは茶会とは名ばかり、行ってみれば王女の私室に二人きり。あげく、王女はロワイドの茶に媚薬を仕込んだ上に、自分で強制的にヒートを起こす薬を飲んで、娼婦よろしくしな垂れかかったというから、本当に王女様か? と思える行為だ。
ロワイドは媚薬を飲まされながらも、鉄の意志で王女を「失礼」と突き放し、彼女専用のサロンを退出した。早足で王宮を駆け抜けて、フィンドリックが待機していた控え室に飛びこんできた。
「どうしたんですか? 団長!?」
尋常でない様子に駆け寄ってきたフィンドリックに答えず、ロワイドは自分の端正な顔半分を片手で覆った。
そして、その白手袋を吐瀉物で濡らした。
フィンドリックは狼狽えている騎士見習いの青年に洗面器と数枚のタオル、それにたっぷりの水を持って来るように命じた。
ロワイドは届けられた水をがぶ飲みし、自分で喉に指を突っ込んでさらにはき続けた。そのあいだフィンドリックはロワイド背をさすり続けた。
口をすすぎ、顔をタオルでぬぐったロワイドは、ひと言、フィンドリックに告げた。
「鼻が曲がりそうな匂いだった……」と。
運命の番という言葉がある。文字通りアルファにとっての唯一のオメガという意味だ。そのフェロモンはたまらなく甘く本能に訴えかけ、誘うらしい。
「まさか、その逆があるとは思いませんでした」
とは、媚薬を盛られたロワイドを念のためと、フィンドリックが勧めて騎士団専任の軍医に診せた。その軍医の言葉だ。彼は「アンチフェロモンと言うべきでしょうかな」と笑い。
「しかし、王女様相手ではとても言えませんな」
急に真顔になった。
「メッサリーナ王女は無理だ。息を止めても、あのフェロモンが毛穴から侵入してくる、おぞましい感覚なんだぞ」
王女に対しておぞましいとは大変不敬であるが、ロワイドは思い出すだけで吐き気がすると、青ざめて口許を押さえている。毛穴からとは、相当だったのだろう。
「結婚するのにお相手が生理的に無理というのはどうしようもありませんね。初夜の床で役に立たないなど『英雄』の名に疵がつきます」
「私の名誉などどうでもいい。そもそも一服盛ったうえに、男にしなだれかかるなど、場末の娼婦でも客にそんなことはしないぞ! 問題外だ!」
思い出すとよほど腹が立ったのか、戦闘以外ではいつも静かなロワイドが、珍しくも語気を荒げる。あくまで冷静なフィンドリックにしても、王女様に向かい『生理的に無理』だの、自分の上官の団長に『役に立たない』だの言いたい放題である。
「君達、この会話を聞かれただけで不敬罪で、牢屋に放り込まれるよ」
参議のベルノルドは困ったとばかりに苦笑する。場所は三人しかいない団長室。万が一、盗み聞きする騎士団員などいても、人望の厚い団長と有能な副団長のことを密告するような者は一人もいないが。
「しかし、相手は王女様だ。いままでのような断り文句は効きませんぞ」
「王家も今回は乗り気ですしな」とベルノルドが困ったとばかりに腕組みする。甘やかし放題で育てた問題王女のよい押しつけ先を見つけたとばかりに、あちらは熱心なのだ。彼女の悪い評判もロワイドの英雄の光の影に隠れるとばかり。王女に莫大な支度金を持たせ、毎年の化粧代の年金も彼に公爵位を与えるとまで言い出した。
国の英雄と呼ばれ、平民の身でありながら王国騎士団長までのぼりつめた。それにして公爵位とは破格の待遇ではある。
「私は爵位も莫大すぎる財にも興味はない。だいたい貴族の付き合いなどというものが、面倒くさくていままで結婚話を断り続けていたんだからな。あの王女自体に問題がなくてもゴメンだ」
「まして、あの王女様では円満な家庭生活など望むべくもないですからね。副団長としては団長の精神の安定も大切です」
「騎士団の中も嵐、家庭内も嵐では話にならん。まだ男のお前と気安く話を出来る方がいい……あ、すまん」
ロワイドが『まだ男のお前と……』という発言がよくないと気付いて謝る。フィンドリックは「いいえ、お気になさらず」とまったく気分を害していない……いや、むしろ、いつも淡々としている彼らしくなくニッコリと微笑んで。
「では団長としては、俺との『契約結婚』に異存はないということですね」
『契約結婚』の言葉にその太く男らしい眉をぴくりと動かしながら、ロワイドは頷いた。そして躊躇いがちに口を開く。
「……君はいいのか?」
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