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【6】お粗末でお粗末な陰謀 その2
しおりを挟むアンドレアスが次に目覚めたとき、その両腕はベッドの天蓋に縄でくくりつけられていた。
状況はあまり良くない。
そして、あのときかがされた甘い香の匂いに、顔をしかめた。布には刺激臭もしたから、この香以外に、意識を失わせる薬剤を使われたのだろうと、本から得た知識で考える。
そして、香の甘い匂いだけでなく、その部屋の趣味の悪さに顔をしかめた。
どこの娼館だ? という毒々しい紫のベルベットの天蓋に、派手なキンキラの房飾り。寝台も流行といえば流行の東方の皇帝が使うような異国情緒たっぷりの意匠ものだが、柱や天蓋の上の透かし彫りは蓮の花や優美な泉水の流れではなく、裸の女神や、薄衣をまとった天女を模した踊り子が踊る淫靡なもの。
極めつけが周囲に見える壁に掛けられた絵だ。すべて男女の絡みってどういうことだ? そのうえに真っ赤に塗られた壁! 赤の色は興奮を呼び起こすと信じられているけれど、天蓋の紫とあいまって趣味は最悪だ。
「目が覚めたか?」
最近、朗らかなテノールを聞き慣れていたために、酒で焼けたガサガサのその声は耳障りでしかなかった。香水をひとびんふりかけたような、そのどぎつい麝香の匂いも。
天蓋のカーテンからのぞいたのは丸く膨れた醜悪な顔。フィリップだ。
彼はニヤニヤと笑いながら「なあ、仲直りしようぜ」とふざけたことを口にした。
「お前との婚約破棄なんて、あれはまあ間違いだ。間違い。だから、伯母上のところに二人で行って、俺達は本当は愛し合っていて、あれはちょっとした痴話ゲンカだったといえば、許してくださるさ。
俺は未来の国王陛下だし、お前は俺の王配だ。悪い話ではないだろう?」
とまあ、自分の都合のいいことをペラペラとしゃべる。
“レ”の称号を剥奪されて、ようやく自分が失ったものに気づいたらしい。それで、アンドレアスと再び婚約すれば、女王の怒りも解けると思っているなら、とんだおめでたい頭だ。
「お断りします」
アンドレアスはきっぱり言う。フィリップの顔は怒りにゆがむかと思ったが、むしろ彼は驚愕の表情を浮かべた。
「この縄を解きなさい。私は“女王の弟”ですよ。あなたはなにをしているかわかっているのですか?」
この称号は飾りではない。今や王族としての立場は、フィリップよりも、アンドレアスのほうが上で、公式な場となれば、彼は女王の玉座により近い位置に立つことを許されている。
だが、フィリップはアンドレアスの話など、聞いていなかった。「なぜだ!?」と叫び。
「この香を焚けば、どんなオメガでも強制的に発情すると聞いていたぞ! あの裏商人はとんだ粗悪品を売りつけたのか!」
なるほどとアンドレアスは目を据わらせる。この下劣な男はそんなものでアンドレアスを無理矢理に発情させて身体をどうこうしようとしたのか。
「殿下、その香は私にはまったく効きません。この縄を解いてください。今ならば、あなたのなさったことは不問とします。陛下にもご報告しません」
アンドレアスとしてはとにかく穏やかに交渉したつもりだったが、陛下に……という言葉だけでフィリップは「黙れ!」と怒鳴った。
「発情もしないオメガの出来損ないめ! だが、そんなことは関係ない! ツッコんでうなじを噛んでしまえば、番契約は完了する。
これで以前の不細工な姿だったら、俺もその気にもならないが、幸い綺麗な顔はついているんだ。それが快楽だろうと痛みにゆがもうと、楽しみが増えるってもんだ。
文字通りの鉄の冷たい肌だって、俺がその気になることを感謝するんだな!」
勝手に頭の中で自分の都合良く話をつくり、あげくキュロットの前を開いて、下劣な物体を見せた。さらには「ほら、俺のご立派な“王様”を見て興奮しただろう? 発情しろよ!」とそのぶよぶよの手でアンドレアの頬をパンと張り飛ばした。暴力で相手を支配できると思っている時点で、まったく唾棄すべき愚かな男だった。
その瞬間、アンドレアスのなかで何かがぶち切れた。
アンドレアスは幼い頃より、淡々とした態度の怒らない子供だった。感情の揺れ幅が少ないのは、ある意味持って生まれた“安全錠”だったかもしれない。
彼が本気で怒ったならば。
「そのようなお粗末なものを私の目に見せるな! 近寄るでない! この下郎!」
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
ローランは奇人館を訪ねアンドレアスの不在を知った。宮廷の奥にそのまま足を向けたのは、そこに自分の部屋がまだ残っているからだ。子爵として宮殿の外に屋敷を構えたあともなお、部屋はそのままにされていた。
この王宮の主は女王なのだから、それは彼女の意思だ。
父親のわからない妹が産んだ甥。しかし、女王はローランに対しては、そのような態度は微塵も取らず、養育に必要な十分な物を与えてくれた。愛情深い乳母に、それぞれの専門分野の家庭教師。子供の旺盛な知識欲を満たす為に、彼女の秘密の図書室の扉は、いまもローランには開放されている。
子爵という爵位に、その家名をたもつだけの十分な財産、年金。それさえあればローランは役職も求めず働かずとも贅沢な暮らしは出来た。だから、代理人、弁護士の仕事は本当に趣味のようなものだ。
そして、財産ではないが、王族ではない臣下の身分の自分に、いまだ残されている王族が暮らす棟にある私室。
あの冷徹な女王は、たとえ自分の甥であろうとも、その感情の揺れを微塵もローランに見せたことはないが。
「ローラン子爵」
この奥で王族の世話をすることを許された侍従が、青ざめた顔で近寄ってくる。ぼそぼそと耳打ちされた内容にローランはいつもは柔和な雰囲気を湛えたその顔を、たちまち険しくしてかけ出した。
「アンドレアス!」
向かったのは、一度も立ち入ったことのないフィリップの部屋。前室には彼の用心棒も兼ねているローランの悪友とは、違った意味の本当のごろつきが、この優男の侵入を阻もうと彼の前に立ちふさがった。
「お部屋をお間違えではないですかな? ローラン子爵」
「ここはフィリップ殿下のお部屋ですよ。あなた様が殿下の許可もなく……」と暗に庶子のお前と殿下では身分が違うと、口許をニヤつかせる似合わぬジェストコールを着崩した男達に、いつものように軽く口で返していなす余裕など、ローランには無かった。
「退け、そこで這いつくばっていろ! 俺の邪魔はするな!」
最上位のアルファの威圧。それだけでガタイは良いがベータの男達は、床に崩れ落ちて動けなくなる。
その彼らの間を抜けて、ローランは寝室の扉を蹴破った。
「アンドレアス!」
どうか無事でいてくれ!とそんな必死の願いの悲壮な表情は、次の瞬間に「え?」と間抜けなものに変わった。
「ローラン、すみません。この腕の縄を解いてくれませんか?」
一方ベッドに縛り付けられたアンドレアスの声は落ち着いている。
そして、ベッドの下。フィリップは、下半身を半ば丸出しの、そのお粗末なものをさらしたまま、泡を吹いて倒れていた。
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