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 こうなればありったけの金貨と宝石をもって父母とともに国外逃亡か? と思ったが、三人は公爵家の一族にして王家の血を引くもの。そうほいほいと海外へと行けない。下手をすれば政争の道具にされる恐れがある。
 さすがの悪知恵? が働くアルクガードもうなったときに、執事がサロンにやってきて来客を告げた。その名を聞いたとたんアルクガードの神経質そうな細い眉がぴくりと動いたが、父は彼を通すように言った。

「いくら大公殿下といえど、人の館を訪ねるような時間ではないと思いますが?」

 そう、卒業パーティが終わって日はとっぷりと暮れている。真夜中とはいわないが人の家を来訪する時間ではない。
 まして“あの男”だ。なぜそれをすんなり通した? とアルクガードがにらみつければ「こ、これには事情が……」と父がしどろもどろに言う。
 『事情とは?』とアルクガードが訊ねようとしたところで「で、殿下! こちらでお待ちを」という執事の声に「みなさま、お集まりのところに俺が行ったほうが早い」という聞き覚えがありすぎる男の声が重なる。

 扉が開いて現れたのは銀髪にエメラルドの瞳、褐色の肌に張った肩に長身、長い手足の高貴でありながらどこか野性味を感じさせる男。卒業パーティをそのままにこちらに来たのか、制服姿にアルクガードと同じハーフマントを左肩にひっかけている。ただしこちらは、首席を現す金色の縁取りがついていた。
 そして、肩に引っかけたマントと同じく、クラバットがきっちりと結ばれている胸元も、大きくはだけられていた。大胆にのぞく褐色の筋骨隆々な胸板が発光してるかのようなまぶしく、アルクガードは思わず目を背けてつぶやいてしまった。

「出た、スーパー攻め様……」

 そのちいさなつぶやきが聞こえたのか、相手は怪訝な表情を浮かべた。くそ、眉間のしわまでイイ男って、スーパー攻め様補正はすごいぜ。

 彼の名はラ・ソルフォード・エリオント……大公の称号の通り、父は先王の孫で幻の王太子と呼ばれる人物だが早世した。こちらもあとを追うように亡くなった母親(もちろん男だ)の出自が問題で、彼は王家の血に最も近い身でありながら、玉座からはもっとも遠い男と呼ばれている。
 母親はその美貌で近隣諸国でも有名ではあったが、貴族の身分ではない豪商の出身で、しかも他国人であった。留学していた当時王太子だったソルフォードの父親と、運命的な恋に落ちて、周囲の反対をよそに王太子は正妃に迎えたのだ。当時、王都から国境線にまで届くのではないか? という輿入れ行列の豪奢さは、未だに語りぐさだ。

 ただし、血統を重んじるこの国では、幾ら王侯に匹敵する富豪でも、商人の子だと軽蔑する向きは強く。当然、その子であるソルフォードに対しても、王家の血に対する敬意はあれど、他国人でしかも貴族でもない母親の半分の血に対して、複雑な感情がある。
 だからこそ、大公としての“名誉”のみの称号を与えられて、彼は王位継承の争いから遠ざけられているのだ。

 とはいえ、それを本人はまったく気にすることなく、母親から受け継いだ財と商才を遺憾なく発揮して、ソレイユ商会という会社を起こし、数年のあいだにこの国一番どころか、周辺国でも一番の大きさにまでしてしまった。
 この点に関しても、王族が金を扱う穢れた商売などと……陰口を叩く向きがあるが本人はどこ吹く風だ。さらにいうなら、アルクガードと同じ十八歳という年若さであり、選ばれし子弟が通う聖フローラ学園において首席で卒業した。次席はもちろんアルクガード。

 そう悪徳のアルクガードが黒薔薇と呼ばれているのならば、ソルフォードは正反対の光のプリンツ大公なんて呼ばれていた。王太子の第一候補であるアルクガード彼を当然ライバル視しており、二人は犬猿の仲だった。というより、アルクガードが一方的に彼を敵視している。
 今でも彼を見ているとアルクガードの心にもやもやとしたものが立ちこめるのは、物語補正のせいなのか? いや、違う。奴がスーパー攻め様のせいだ。
 王太子候補から最も遠いということで、奴は悪徳アルクガードに敵視されながらも、その毒牙にかかることもなく何時でも生き残る唯一の攻略対象であり、そして、その主役クラスの設定からしてプレイヤーの人気投票で一位の座を誇っていた。だって顔がいいうえに、超お金持ちだもの。

 それだけではない。奴はスーパー攻め様。そう、華盛りの男達は男だけの世界であり、主人公が彼以外の攻略対象と結ばれた場合、その攻略対象だった男子の誰かと必ずカップルとなっていた。攻めだったはずの攻略対象が受けになる。これぞスーパー攻め様。
 主人公のエクターがすべての攻略対象を攻略した次の周回以降では、視点が攻略対象の男子達へと移り、このスーパー攻め様と結ばれるルートも発生するのだ。この男が色々なタイプの攻め男達を、受けに堕としていく様子を、それこそお腹いっぱいになるほど見た。繰り返すが、さすがスーパー攻め様。

 だが、しかし、その中にアルクガードの姿は当然ない。なにしろ、あのなかに出てくる美形男子でありながら、唯一の攻略対象外にして、主人公のエクターの敵であり、悪徳の悪魔だもの。処刑ENDがお似合いさ……とは、今は自分がなっているから思わないが。

「こんな時刻に大公殿下が、どのような御用でこのような奥までご訪問ですかな?」

 銀縁眼鏡をキラリと光らせるがごとく、朱暗色の瞳でアルクガードは、ソルフォードに鋭い視線を向けた。丁寧な言葉の裏には、こんな夜に家族の居間にまでずかずか入りこんで来やがりましたねという意味がある。

「やれやれ、アルク。いつも言っているだろう? 殿下なんて他人行儀ではなく、昔のようにソルと呼んでくれと」

 その言葉にアルクガードは『ん?』と思う。こいつに愛称で呼ばれるほど親しかったか? ソルってなんだ? 
 そのとき不意にアルクガードの頭に蘇った、幼い頃の思い出。両親を早くに亡くして宮廷で常にひとりぼっちだったソルフォードと、幼い頃アルクガードは秘密の友達だったことを。
 周囲がうるさかったために、二人きりで会うときは見捨てられた王都の片隅の廃庭園で。あのときはたしかに『ソル』と『アルク』と呼び合っていた。

 しかし、それも厳格な祖父の知るところとなり、庭園の門は閉ざされ、ソルフォードとの付き合いも禁止された。
 商人の血を引く子などと付き合うな……雷のような祖父の声がいまでも脳裏に蘇る。両親よりもなによりも、アルクガードはあの祖父を畏怖していた。
 封印しすっかり忘れていた記憶だ。それが不意に蘇った。……というより、なんだこの後付け設定? と思わないでもなかったが。

「繰り返しますが、このようなお時間にどのような御用ですか? “殿下”」
 今と昔は違うのだと。強調するように言ってやればソルフォードは「ああ、まったくその通りだね」とうなずき。
「こんな夜中にやってくる人種はたったひとつと決まっている」

 ニヤリと笑うちょいワルのキメ顔に「それはなんですか?」と思わず聞いてしまった。くそ、こいつの思うツボではないか。くやしい。反応してしまうなんて、くやしい。

「借金取りさ」
「は?」

 間抜けな声をあげたアルクガードの腰掛ける長椅子の横。やけにそばによってソルフォードは腰掛けた。膝までのブーツに包まれた長い足を組むのも様になる。彼は目の前の卓上に羊皮紙を一枚差し出した。
 普通は紙だが、重要な公文書や契約書などはいまだ羊皮紙が使われている。つまり、それだけでこれが重要な書類とわかる。“借用書”特有の分かりやすいことをわざと分かりにくくしたような、回りくどい言い回しを一瞥で理解して、アルクガードは目をむいた。
 「父上!」と隣の男ではなく、卓をはさんでむこうがわに座る相手に尖った声をあげた。アルクガードの父は、その小太りな丸い肩をぴくりとはねさせる。

「そう、そうだ。昨夜、ネペンテス男爵夫人のサロンで……」
「あそこには二度と行かないと私に約束したではないですか! 父上!」

 初夜の床でぽっくり逝った老男爵の資産をそっくり受け継いだ夫人(当然男だ)の秘密サロンの別名は賭博場。あんなところに行けば、父が良いカモになるのは目に見えるようだ。
 「友人に誘われて仕方なく……」と父がいつもの文句を口にする。

「いつになく大負けして困っていたら、大公殿下がすべて肩代わりしてくれると。しかも、返済はいつでもいいと言う」
「この借用書にはたしかに返済期限は書かれていませんが、いつでもいいということは、今すぐ返せと請求出来るということです」

 父親のサインが入った羊皮紙をにらみつけてアルクガードが言えば、それに初めて気付いたとばかり、彼は大きく目を見開いた。借用書の文面もよく目を通さずサインしたのか? 




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