『競艇放浪記』

凛七星

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第十三章

【津篇】

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人生五十年。夜逃げは一生で三回くらいまで。
…なら、いいか?(笑)



 さて、年の瀬せまる住之江での賞金王決定戦で見事にスッカラカンになったわたしは、このままじゃ行き倒れスナフキン間違いなしという有様。しかし、それはまだちょっとイヤ、ということで関西の某所に転がりこんでお世話になった。

 そこでの待遇は悪いわけではなかったのだが、いろいろ経緯があるため居心地は必ずしもよくない。かといって無一文のような状態なのだからフラフラと気晴らしにも出られない。

 そんなことで悶々としていたある日、その某所にはしばらくご無沙汰していたこともあり、金庫番をする姐さんがちょうど事務所にいたので、とりとめのない世間話でもしてご機嫌伺いをと顔を出した。

 あれこれと積もる話をするうちに、なんとその姐さん、どこでどう知ったのか、わたしの『競艇放浪記』を読んでいるとのこと。ありゃま、それはそれはと恐縮してると、なかなかおもしろいとおっしゃる。

 そういうことならと、関西に来てからの顛末を少しばかり黒く香ばしいエピソードをふりかけ話すと、腹を抱えて大笑いしてくれた。

 こんなにウケるなら今後の放浪記は黒ギャグをもっと散りばめる方向性で…と、おもっているところに姐さんが、いまの話がどんなふうにまとまり書かれるかが楽しみだと言ってくれただけでなく、少ないけれどこれはいまの話のお礼と金子まで差し出してくれるではないか。

「まだ、津には行ってないんでしょう?せっかくこっちまで出てきたんやし、ついでに行ってきはったら?うちんとこも景気がそんなにようないし、年末で入用が多いもんやから、あんまりたんとは渡せませんけど。ね、気晴らしに遊んできたらよろしいわ」

 なんともイナセだねぇ、さすがに博徒の気持ちを分かってらっしゃる。などとオケラで身動きが取れないでいたものだから、ここぞとばかりに世渡りな振る舞いで感激と感謝を表して、女神様の気が変わらないうちにお足を懐へしまうと、わたしはそそくさと翌日に津へと向かうことにした。



 紀伊半島の東側を縦長にへばりつく、三重県の県庁所在地である津市までは大阪からJRと近鉄で行くことができたが、わたしは近鉄で奈良県の橿原神宮前まで向かい、そこから三重方面への路線に乗り換えることにした。ちょっとした旅行ほどの安くはない乗車料金と特急料金である。『競艇放浪記』の取材をという理由がないなら、ネットで勝負をすれば運賃分を余計に打てるのに…などと、せこい考えも浮かんでくる。

 なにしろ放浪を始めてからというもの、余りにあまりな体たらくである。勝負運の好不調を折れ線グラフで例えると急降下どころか、えぐれたような谷を描く下降線だった。「ええとこ見せたろ」というスケベごころが勝負する目を狂わせてるのかもしれない。

 どこかでなんとかツキを変えなければ、とジタバタすればするほど底なし沼に足を取られるという様相になっていた。矢折れ刀尽きること数回。その度に気まずい筋から金を調達したり、応援してくださる人たちのご厚意でしのいできた。

 そして大晦日を数日後に控えた時期なのである。おもいもよらぬ天恵が降ってきたのだから、このチャンスを活かして炊き出しの救済鍋に並ぶブルーシート族の仲間で年末年始を送るのだけは勘弁してほしい、そのためにも多くはない資金をムダにしたくないという気持ちは理解していただけるとおもう。

 だが、執筆のためには本場へと行かねばならない。そこで何を感じ何を知りえたか、わたし流のスタイルで伝えるのが『競艇放浪記』であるが、どうしてそこまでして執筆するんだろうと自分でもあきれてしまう。

 ただ、本場へ行ってこその楽しみもある。同好の士たちとの出会いもそのひとつ。最近始めたばかりのツイッターで競艇好きの何人かと新たに知り合ったが、そのうちの一人が三重の松阪に住んでいて、津の本場をホームのようにしていた。

 もし都合がよいならと連絡をしていたので、いっしょに予想の能書きをタレながら打てるかも。ツキがもどれば松阪牛でもつまみながら乾杯という、毎度の都合がよすぎる期待をして、遠路はるばる足を運ぶ気持ちを奮い立たせた。



 その日は冷えこみが厳しくて、こりゃたまらんと朝っぱらからワンカップを買い、電車の中で二本ほど呑んだから少々よい気分でうとうとしてると津駅に到着していた。

 駅前はもっと都会の喧騒をイメージしていたが、おもったほどの賑わいはなく、東京や大阪で例えるなら郊外の街という風情だった。

 本場までは無料の送迎バスで行く。けっこう駅から離れているので交通費の節約だ。だいたい一時間で二本くらいが発着していたが、わたしが乗降所に着いたときは発車したばかりで、次のバスまで三十分ほどあった。

 どこをという当てもないのだが、せっかく津まで来たのだからと駅前をうろうろしてみたが、これといって目ぼしいものも見つからない散歩を終えてもどると、バスの乗降所には、いかにも競艇好きといったオヤジたちが集まっている。

 以前にも触れたが、競艇で勝負する連中には特有のうらぶれ感を漂わす者が多い。わたしが乗り合わせたオヤジたちも、ほとんどがそんな匂いを持っていた。

 ところで関西のファンは独特のファンキーなノリがあるのだが、津はそういう一面がありつつ少し毛色が違うところも垣間見られた。それは三重が地理的に関西と中部の文化が混在している地域にあるというのが影響してるとおもわれる。

津では車中でも本場でも、仲間と連れ立ってレースを楽しむ人が圧倒的に多い。それぞれのグループでは、各々が自分の予想や買い目を独自の身勝手な講釈をつけて滔々とぶっているのが目につく。

 これが住之江や尼だと、ひとりで勝負しているヤツらが少なくない。そして負けたレースでは誰ともなくボヤキやツッコミ、いわゆる「なんでやね~んっ!」を口にして、オチをつけて笑いを取ろうとする様子があっちこちに起こるのだ。

 ところが津ではレース前はうるさいほどに語るのだが、結果が出ると「へ?そんなこと言うてましたかいな?」というくらい、あっさりと次に切り換えてしまうのだ。

 勝負の結果にはグダグダと語らないで淡々と次へ向かう、純粋に博奕は勝ち負けが決まればよいといったところか。勝負にあれこれとつけ加えて、より楽しもうという貪欲さがないのだ。そういえばツイッターで知り合った松阪在住の競艇仲間もそんなふうであったよなぁ。けっきょく残念ながら会えなかったけど。



 初めての津競艇場は、とてもモダンな建築造形な部分があった。ある意味で妙ちくりんなツッキードームや入場口付近の構造は、どうして?なくらいにエッジが効いているというか、どこへ向かおうとしているんだという佇まいである。

 中の施設も津のファン気質を反映してるのか、すっきりシンプルというか、素っ気ないというのか。一ヶ所だけのフードコーナーでも、ご当地的なメニューはなく、どこにでもあるものが並ぶ食堂といった風情。鉄火場は勝負さえできればいいのよね、なんだろうか。

 いや、それはそれでいいのだけれどね、ホント。どうも、あっさり感がしっくりこないのは、わたしが旅行気分なところがあったせいだろうか。いやいや、そんなことを言ってる場合じゃないぞ、勝負に集中しなくちゃとおもうのだけれど、どこかが違う。

 なぜだか、この日のわたしは心ここにあらずな状態だった。そうなると必然的に勝負の方も買い目がズレてくるものだ。

 これはいかん、いけませんよと喫煙席のところまで行って、煙草を呑みながら集中力を高めようとしている隣の席に、いかにも玄人な雰囲気の少々疲れた、でもそこそこに男好きするルックスのアラサーな女性が狙ったように腰を下ろした。

 ん?と、少し怪訝な顔をしていると身体を寄せてくるではないか。

「ねぇ、どう?」

 なにがどうなんじゃ?と、わたしはまだ意味がつかめない。するとその女はウインクをして続けた。

「二万ほど廻してくれたらレースが終わってから今晩つきあわせてもらうんやけどなぁ。どうやろ?」

 おそらく勝負する資金が底をついたのであろうね。そういうことかと合点がいった。視線をちらりと向けたミニスカートから伸びた脚は、男の助平心をくすぐるには十分なものだった。

 が、わたしも資金的には厳しくなっていた。とてもじゃないが、そんな余裕なんてない。じゃ余裕があれば廻すのか、と質されるとこれも困るが、もちろんである。

 とにかく、悪いけれど他を当たってくれと言うと女は愛想笑いを消して立ち上り、別の獲物を求め去っていった。後姿からの脚もなかなかのラインだし、クビレもキュッである。わたしは女とハメハメハーする想像が脳裏に走ったが、これもめぐり合わせ縁というものだ。残念だが…いや、そうではないだろ。

 もっと勝負に集中せねばと、わたしは頭をふりふり邪念を払った。しかし、大昔からよく言ったもので「色と勝負は両立しない」の格言どおり(そんな格言がほんまに当てになるんかはしらんけど)ともかく、そのあとすっかり調子がおかしくなってしまう。

 津での勝負から一ヵ月ほど経ってるとはいえ、レースの内容が全然頭に残っていない。ふつう印象的なレースのいくつかは展開をハッキリ記憶しているものだが、いくらふり返ろうとしても、ほとんどおもい出せない。ということは…言わずもがなな結果である。

 あまりのショックで記憶喪失状態だったのか、わたしは?わずかに憶えてるのは特急券を買えずに、帰路は倍ほどの時間をかけてわらじを脱いでる先へもどったことだった。へっくしょん、あぁ、しょっぺー風だ。


つづく

※このエッセイは数年前に書いたものに手を入れて掲載しています。
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