10 / 54
第一部:恋の終わりは
9
しおりを挟む
「やはり、あなたは頭の回転が速い。
そう、僕たちはあの創立記念パーティーで
会っているんです。もっとも、あなたは僕の
ことなど微塵も覚えてはいないでしょうが」
ちくり、と言葉の最後に嫌味を込めて、
彼がくすりと笑う。事実、紫月は本当に覚え
ていないのだから、嫌味を言われても仕方が
ない。
紫月は苦笑いを浮かべ、素直に詫びた。
「すみません。あの夜はあまりに沢山の方
とご挨拶をしたので……」
「確かに。あなたは沢山の方と顔を合わせ
て、疲れ果てていた。でも、僕のことがまっ
たく記憶に残らなかった理由は、他にあるで
しょう?あなたはあの夜、壇上に立った榊
一久に一目惚れをした。だから僕はあなたを
見つけ、声をかけても、記憶にすら留めて
もらえなかったんです。たった数分、出会う
のが遅かっただけだというのに……」
そう言って切なげに目を細めた彼に、紫月
は思わず口を噤んでしまう。
あの夜、自分が一目で恋に落ちてしまった
のと同じように、目の前のこの男性も自分に
恋をしてしまった、というのだ。
まさか、たった一度言葉を交わしたくらい
で人を好きになるなんて……と、その想いを
否定できるはずもない。一瞬の出会いを忘れ
られずに、自分は5年もの間、一久に恋焦が
れていたのだから……
ふいに、一久の笑みが脳裏に浮かんで胸が
痛む。まだ、この恋が死んだわけではないの
だと思えば、知らず、自嘲の笑みが零れて
しまった。
「でも、その恋は見事に散りました。
だから、そうと知ったあなたは私に縁談を
申し込んだ、というわけですね」
どうして自分が彼に選ばれたのか?
ようやくその理由がわかって、向けられる
眼差しを真っすぐに受け止める。
-----これは政略結婚ではない。
自分には心があるのだと、ブルーグレー
の澄んだ瞳が言っている。
「あなたは、自分から恋を手放すことの
できる気高い女性だ。そんなあなたの姿を
目の当たりにした僕の胸がどれほど締め付
けられたか……とてもひと言では語り得ない。
もう苦しまなくていいと、どんなに言って
やりたかったか。あの夜、僕たちがこの場
に居合わせたのは、運命だ。たとえ、僕が
このホテルのオーナーであってもね」
美しい日本語で紡がれるその言葉は、
まさに、恋をする男のそれで……
けれど同時に、彼のその言葉が、紫月
にあることを気付かせる。
「もしかして、あのメッセージは……」
それは問いかけではなく、確認だった。
あの晩、自分の部屋に差し込まれていた、
メモ用紙。今の彼の口ぶりから、あれは
自分に向けられた言葉だったのだと、
気付く。
そう、僕たちはあの創立記念パーティーで
会っているんです。もっとも、あなたは僕の
ことなど微塵も覚えてはいないでしょうが」
ちくり、と言葉の最後に嫌味を込めて、
彼がくすりと笑う。事実、紫月は本当に覚え
ていないのだから、嫌味を言われても仕方が
ない。
紫月は苦笑いを浮かべ、素直に詫びた。
「すみません。あの夜はあまりに沢山の方
とご挨拶をしたので……」
「確かに。あなたは沢山の方と顔を合わせ
て、疲れ果てていた。でも、僕のことがまっ
たく記憶に残らなかった理由は、他にあるで
しょう?あなたはあの夜、壇上に立った榊
一久に一目惚れをした。だから僕はあなたを
見つけ、声をかけても、記憶にすら留めて
もらえなかったんです。たった数分、出会う
のが遅かっただけだというのに……」
そう言って切なげに目を細めた彼に、紫月
は思わず口を噤んでしまう。
あの夜、自分が一目で恋に落ちてしまった
のと同じように、目の前のこの男性も自分に
恋をしてしまった、というのだ。
まさか、たった一度言葉を交わしたくらい
で人を好きになるなんて……と、その想いを
否定できるはずもない。一瞬の出会いを忘れ
られずに、自分は5年もの間、一久に恋焦が
れていたのだから……
ふいに、一久の笑みが脳裏に浮かんで胸が
痛む。まだ、この恋が死んだわけではないの
だと思えば、知らず、自嘲の笑みが零れて
しまった。
「でも、その恋は見事に散りました。
だから、そうと知ったあなたは私に縁談を
申し込んだ、というわけですね」
どうして自分が彼に選ばれたのか?
ようやくその理由がわかって、向けられる
眼差しを真っすぐに受け止める。
-----これは政略結婚ではない。
自分には心があるのだと、ブルーグレー
の澄んだ瞳が言っている。
「あなたは、自分から恋を手放すことの
できる気高い女性だ。そんなあなたの姿を
目の当たりにした僕の胸がどれほど締め付
けられたか……とてもひと言では語り得ない。
もう苦しまなくていいと、どんなに言って
やりたかったか。あの夜、僕たちがこの場
に居合わせたのは、運命だ。たとえ、僕が
このホテルのオーナーであってもね」
美しい日本語で紡がれるその言葉は、
まさに、恋をする男のそれで……
けれど同時に、彼のその言葉が、紫月
にあることを気付かせる。
「もしかして、あのメッセージは……」
それは問いかけではなく、確認だった。
あの晩、自分の部屋に差し込まれていた、
メモ用紙。今の彼の口ぶりから、あれは
自分に向けられた言葉だったのだと、
気付く。
0
あなたにおすすめの小説
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる