彼にはみえない

橘 弥久莉

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episode1 私、みえるんです

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学校帰り。

いつもより多めの宿題と、学園祭の台本の

暗記という、頭の痛い難題を抱えながら、

つばさは、ひとり、薄暗い路地裏を歩いていた。

時刻はまだ6時を過ぎたばかりだというのに、

空は暗い。ざわざわと風が木々を鳴らして、

辺りは不気味な空気が漂っていた。


何だか嫌な予感がする……

つばさは、無意識に歩く速度を速めた。

その時だった。

つん、とスカートを引っ張られたような気がして、

つばさは恐る恐る振り返った。

いつからそこにいたのか?

小さな男の子が、つばさを見上げている。

今の季節にはちょっと肌寒い服装をした、子供。

つばさは、周囲に誰もいないことを確認して、

その子の前にしゃがんだ。

「どうしたの?何か用があるの?」

暗い顔をしていた男の子が、嬉しそうに頷いた。

「お姉ちゃん、僕が見えるんだね」

「うん、見えるよ」

「お話もできるんだ」

「うん」

「あのね、僕、お願いがあるの。ちょっと、来て」

可愛い声で、つぶらな瞳で、男の子がおねだりする。


----またか。


つばさは、内心ため息をつきながら、それでも、

にこやかに頷くと、その男の子に導かれるまま、

いま来た道を戻った。


男の子に連れてこられた場所は、

住宅街の一角にある、小さな公園だった。

子供の姿は、ひとりも見当たらない。

けれど、ぼんやりと街灯に照らされたブランコに、

黒い人影が見えた。キーキー、と錆びたブランコを

揺らす音が聴こえる。つばさは、男の子に訊いた。

「あの人?」

「うん。僕のママ」

つばさは、この公園に向かう間、男の子から名前や、

その人に伝えたい内容を訊いていた。

が、やはり、声をかけるには勇気がいる。

下手をすれば、下手をしなくとも、不審者扱いだ。

つばさは、最後にもう一度確認した。

「話しても、信じてくれないかもしれないよ?」

「うん。でも、お願い」

男の子が泣きそうな顔で、つばさを見る。

つばさは仕方なく、ブランコに近づいた。

じゃり、と、つばさの靴底が音を鳴らす。

それでも、その女性は顔を上げない。

鼻をすすっている。泣いているようだった。

「あの……」

項垂れていた女性が、ぱっ、と顔を上げた。

「突然、すみません。もしかして、さとる君の、

ママですか?」

返ってくる返事はなかったが、大きく見開かれた

瞳がその言葉を肯定している。つばさは、一度

息を吸って、続けた。

「私、青山中央高校の……藤守つばさ、

 って言います」

鞄から取り出した学校のIDカードを見せる。

刑事ドラマの真似事だが、やはり、身分証明は

必要な気がした。

「それで、あの……すごく可笑しなこと言って、

気分を悪くさせちゃうかもしれないんですけど、

さとる君から、お母さんに、伝えたい事が……

あるみたいなんです」

最後の方は、どんどん声が小さくなっていた。

おどろきに目を見開いていた顔が、瞬時に、怪訝なもの

に変わる。無理もなかった。見ず知らずの人間に、

もう、この世にいない筈の子供から伝言があると

言われれば、誰だってインチキだと疑いたくもなる。

それでも、生前のこの子のことはわからなくても、

魂となったこの子のことなら、わかるのだ。つばさには。

現に、今もさとる君はお母さんの膝に顔を埋めて、

甘えている。

「あなた、いったいどうして……

いつ、さとるからそんなこと、訊いたんですか?」

初めて聴いた声には、明らかな敵意が込められていて、

つばさはごくりと唾を呑んだ。さて、どう説明しようか?

「実は私、人よりちょっと霊感が強くて、よく、こういう

ことがあるんです。信じてもらえないかもしれないけど、

お母さんがさとる君に買ってあげた青いミニカー、

仏壇に飾ってますよね?さとる君の、お気に入りの。

でも、さとる君、それはママに持っていて欲しいみたい

なんです。ずっと、側にいられるから、って」
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