彼にはみえない

橘 弥久莉

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episodeFinal 永遠のワンスモア

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「何か見えるのか?」

じぃ、と、二階を見上げていたつばさに、斗哉が声を潜めて訊く。

つばさは渋い顔で頷くと、見よう見まねで作った護符を懐から出した。

「いまね、二階の窓から亡くなった娘さんがこっちを見てたんだ。

お世辞にも好意的って言える目じゃなかった。これ、役に立つか

わからないんだけど、私が作った護符なの。念のために持ってて」

ぺら、と小さな紙切れを斗哉に渡す。斗哉はその護符を受け取ると

大切そうにコートのポケットにしまった。そうして、ポンとつばさの

背中を叩いた。

「ありがとう。たった半年の間に、頼もしくなったな」

目を細めて、斗哉が褒めてくれる。つばさは何だか恥ずかしくなって、

首を振りながら顔を朱くした。慣れない筆で書いた鳥居はちょっと

歪んでいるし、経文だって下手くそだ。これで何の効力もなかったら……

ただの紙くず同然だ。






つばさは、効力があることを祈りつつ、じゃあ入るね、と言って熱で

歪んでしまった玄関の扉に手をかけた。ギギ、と鈍い音がして重い扉が開く。

一歩中へ踏み込むと、下駄箱らしき木片が玄関の右側に瓦礫と化していた。

出火元は玄関先に積まれた古紙だと言っていたから、ここが一番よく燃えた

のだろう。鎮火して時間が経っていても、独特の臭いが鼻をつく。

つばさは、僅かに顔を顰めると手で口を覆った。

「大丈夫か?この家の出入り口はもうひとつ、キッチンにも勝手口が

あるけど、普段は使用されていなかったらしい。ゴミ箱や野菜なんかが

詰まれていたと言うから、逃げ道はここだけだったんだ。もし、これが

放火による殺人だとしたら……」

そこまで言って、斗哉がハンカチを差し出した時だった。

ふっ、とつばさの視界が暗転して、火災が起こる前の家の様子が目の前に

広がった。つばさに緊張が走る。七海の殺害現場に踏み込んだ時のように、

自分はこれからを目の当たりにするに違いない。

つばさの異変に気付いた斗哉が口を開きかけようとしたが、しっ、と

口元に人差し指を立てたつばさに、黙って頷いた。不意にキシ、と

階段の軋む音がして、つばさは玄関の左側から二階に続く階段を見上げる。

踊り場にある小窓から淡い月明かりが差し込んでいて、そこに、さっき

二階の窓から自分を見下ろしていた女性が立っている。暗がりで表情は

よく見えないが、どうやら、一階の奥の部屋を気にかけているようだった。

耳を澄ましながら、階下を覗き込んでいる。つばさは、娘が気にしている

奥の部屋へ目をやった。




------その時だった。



キィ、と奥の部屋の扉が開いて、そこから一人の男が顔を出した。

一階で眠っていた父親ではないことは、暗闇でもわかる。黒っぽい帽子に、

黒っぽいマスク姿で、肩にはボストンバッグを背負っている。窃盗犯だ。

男は物色した金品を背に、つかつかと玄関へ向かった。そそくさと靴を

履いて、まるでこの家の住人のように静かに玄関の扉を開ける。

その手慣れた様子から、彼が常習犯であることがわかる。カチ、と

ドアの閉まる音がして、つばさはガタガタと震えながら階段の踊り場に

立ち尽くしている娘を見やった。犯人はもういない。おそらく、娘は

窃盗犯から危害を加えられることを恐れ、騒がなかったのだろう。

男が出て行ったのを見届けると、娘はカチカチと奥歯を鳴らしながら、

足をもつれさせながら階段を降りてきた。そうして、父親が眠っている

であろう寝室に飛び込んで……行こうとした。その時、もつれた脚が

下駄箱の横から室内に伸びていたコンセントにひっかかってしまう。

転倒した娘はすぐに起き上がったが、無理矢理引き抜かれたプラグは

火を放った。その火が積み上げられた古紙に燃え移るのに、時間は

かからなかった。すぐに火の手は大きくなり、玄関は炎に包まれる。

つばさは、心臓をバクバクさせながら、目の前で燃え広がる炎を、

ただ見守った。助けたくても、2人を助けてることは叶わない。それが、

どうにも悔しい。
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